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花嫁クエスト  作者: 玉兎
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第一章 魔物と王位と花嫁と(六)


 少し時をさかのぼる。



 テオとポポロが魔物と遭遇する前。

 二人とは反対の方角からギール山道を登る二つの人影があった。

 一人は、頭のてっぺんからつま先まで甲冑で覆われた重装騎士。顔は兜に隠れているが、胸甲の湾曲を見れば、この騎士が女性であることは一目でわかるだろう。

 もう一人はとんがり帽子にローブをまとい、右手には怪しげな形をした杖を握っている。見るからに魔法使い然とした格好の人物で、こちらも女性であった。



「ふう……てっぺんまでもう少しね」



 そういって、ほぅと息を吐きだしたとんがり帽子の少女の名をフレアという。

 はきだした息が白いもやとなって口許を覆う。春とはいえ、早朝、しかも山の頂上付近だから気温はかなり低い。

 と、不意に強い風が吹きつけてきて、腰まで伸びたフレアの紅茶色の髪をかきあげた。

 ローブの裾が風にはためき、かぶっていた帽子が風に持っていかれそうになる。フレアは左手で帽子のつばをおさえて風がおさまるのを待った。



 その特徴的な外見からもわかるとおり、フレアは魔法使いである。

 魔法に対する偏見など知ったことか、と言わんばかりに魔法使いのトレードマークである帽子や杖を常用しているのは、魔法と、魔法を扱う自分を誇る心情のあらわれである。

 強気な性格を示すように、帽子の奥からのぞく双眸は生気に満ちて輝いており、宝石のような、という形容が違和感なくあてはまる。




 風がおさまった後、周囲を見渡したフレアはすっと両目を細めた。

 東の方角から差し込む陽光に照らされて青々と映える山並み。朝風にそよぐ草木の音。朝もやけぶるギール山道は穏やかで、清澄な空気に包まれているように思われる。

 しかし。



「……静かすぎる。さっきから鳥の声も聞こえない。イズ、どう思う?」



 フレアが同行している騎士に話しかける。

 それに応じて、フルフェイスの兜の口許から澄んだ声が発された。



「嫌な空気、だね。気をつけて進もう」



 イズと呼ばれた騎士はそういって同行者に注意をうながした。

 甲冑に刻まれた銀色の十字紋は、カーナ連合のものでも、ランゴバルド王国のものでもない。

 それはシルリス大陸で広く信仰されているシルル教の聖印であった。



 かつて、北の魔人領域で滅亡寸前まで追い込まれていた人類を救ったとされる女神シルル。

 この女神を崇めるシルル教団は固有の武力を持っており、これを教会騎士団と呼称する。

 つまり、聖印を刻んだ甲冑をまとったイズは教会騎士テンプルナイトである。

 同時に、ただの教会騎士ではなかった。




「そうね、気をつけて進みましょう。ところで、勇者ブレイブハート様、ひとついいかしら?」

「ん? どうしたの?」

 急にかしこまった呼び方をしてきたフレアに、イズは怪訝そうに応じる。

「気をつけて進むべきは、何もこういう状況に限った話ではないと思うのよ」

 フレアの声音がかすかに低くなる。それはほんのわずかな変化であったが、イズは明確に変化を感じ取り、居心地悪そうに身じろぎした。



 フレアは続ける。

「ランゴバルドとカーナ連合が対立して魔物討伐に動けない。だから、中立のシルル教団が討伐隊を派遣する。それ自体は結構なことよ。教団相手なら、ランゴバルドもカーナ連合も強いことは言えないでしょうしね。けれど、どうしてその討伐隊があなたひとりなのかしら?」

「それはほら、ボクは先行偵察役だから――」

「だとしても、報告役に同じ教会騎士のひとりふたり付けて当然でしょう。そもそも、あなたはついこの間、廃都の遠征から戻ってきたばかりじゃないの」

 いったん言葉を切ったフレアは、兜の隙間からのぞくイズの両目を見据え、あらためて口を開いた。



「なんでもかんでもひとりで背負い込んでいると、そのうち潰れるわよ、イズ」



 友人の言葉にイズは沈黙で応じる。

 若くして剣と奇跡(神聖魔法)の才能を開花させたイズは、これまで多くの魔物を討伐し、人々の生活を守り、シルル教団の名を高めてきた。その功績を称えられ、昨年、教皇から『勇者』の称号と聖剣を授かっている。

 二十歳に満たないイズの年齢、そして孤児院育ちで後ろ盾となる生家がないことを考慮すれば、これは空前の大出世といってよかった。



 同じ孤児院育ちであるフレアは、イズの功績が認められたことに関しては手放しで喜んだものの、授与式以後の親友の激務ぶりには看過できないものを感じていた。

 勇者の称号をさずかることは、教会騎士として最大級の栄誉である。イズに嫉視が集中しているであろうことは想像にかたくない。

 ようするに、フレアはイズに対して「もう少しうまく立ち回りなさい」と忠告しているのである。




 と、なにやら考え込むそぶりを見せていたイズが、ゆっくりと兜の留め金をはずし、そのまま兜を脱いだ。

 いかつい甲冑姿に似つかわしくない端正な容貌が、鉄兜の下からあらわれる。

 教会騎士として厳しい訓練を積んでいるためか、フレアよりも頬やあごのラインに鋭さがあるものの、それでも十分に美女ないし美少女と評しえる容姿である。艶のある黒髪を肩のあたりでばっさりと切り落としているのがいかにも惜しかった。



 イズはにこりと友人に微笑みかける。

「心配してくれてありがとう、フレア」

 それは心からの謝辞だった。

 笑みを浮かべたまま、しかし、イズは友人の忠告を退ける。



「でも大丈夫だよ、自分の限界はきちんとわきまえているから。それに、ランゴバルドの討伐隊の話を聞いたかぎり、今回はボクが出ないといけないと思う」

「たった一匹の魔物に十人の騎士と四十人の正規兵が蹴散らされた――か。確かに聞くからに普通の魔物じゃなさそうだし、聖剣持ちであるあなたが駆り出されるのは仕方ないんでしょうけど……」



 フレアはちらとイズの腰に目を向ける。そこには煌々と黄金色の輝きを放つ長剣が、戦いの時を待って静かにいこっていた。

 『火輪かりん』という銘を持つこの剣は、シルル教団の至宝の一つである。

 かつて魔人と相打ちになって果てた戦神が愛用していた降魔の利剣。たとえ相手が魔人やその眷属であっても後れをとることはないであろう聖なる武具だ。これを持つイズはシルル教団の最高戦力の一人に数えられる。



 ランゴバルド兵を蹴散らした魔物に対し、最初から勇者であるイズをぶつけるという教団の選択は、戦術的には間違っていない。少なくとも、出し惜しみした挙句、無駄な被害を広げるよりはずっとましな選択といえる。

 それでも、凶悪な魔物相手にイズひとりを送り出して静観を決め込んでいる教団に対し、フレアは虚心ではいられなかった。




 ――私がひとりで腹を立てても仕方ないのだけど。

 フレアはほぅと小さく息を吐いた。

 今回のことにしても、どうせイズは誰かに強いられたからではなく、自分の意思で討伐に名乗りをあげたのだろう。勇者と呼ばれる責任もさることながら、もともとこの友人はそういう性格なのである。



 フレアから見れば、教団の上の人間は、こうしたイズの性格をもいいように利用しているだけだと思えるのだが、当の本人がそれを受け入れている以上、部外者であるフレアにできるのは折に触れて注意をうながすこと、そして危険が予測される戦場に同行して友人を手助けすることくらいである。



 くわえて言えば、あまりにフレアがイズの生き方に干渉してしまうと、イズの方からもフレアの生活――危険な魔物退治で生計をたてている――に対して注意が飛んできてしまう。

 こうなると、幼い頃から姉妹のように育ってきた二人のこと、相手に対する心配や不満を言い合って収拾がつかなくなってしまう恐れがあった。

 泥沼、ともいう。



 凶悪な魔物がひそむ山道で「もっと自分を大切にしろって言ってるの!」だの「それはボクの台詞だよ!」だのと口げんかを始めても仕方ない。

 二人はちらと互いの顔を見やると、申し合わせたように話題を戻した。




「それで、どうする? 話を聞いたかぎり、かなりの大型みたいだから、山道が封鎖されている現状ではずいぶん腹ペコでしょう。適当に歩いていれば向こうから襲ってくると思うけど」

「そうだね。ひとまずランゴバルドの討伐隊が戦ったところを探そうか。戦いの痕跡を見れば、何か新しい発見があるかもしれない」

「了解。このあたりの道は綺麗なものだし、もう少し先に進んだところ――」

 そのフレアの言葉が終わる寸前だった。



『ええエエエアアアアアアアアアッ!!!!?』



 静寂しじまを破り、ギール山道に女性の絶叫が木霊する。

 それを聞くや、イズは表情を鋭く引き締め、間髪いれずに走り出した。手にしていた兜を走りながら器用に装着すると、腰の剣を抜き放つ。冴え冴えとした黄金の刃が、朝日をうけて鮮やかにきらめいた。



 そのイズに一歩遅れてフレアも続く。

 ただ、イズと異なり、フレアは柳眉をひそめて濃い疑念をあらわにしていた。

 イズたちはシルル教団の権威によって通行の許可を得たが、本来ここは封鎖された山道、一般人は立ち入ることができないはずだ。

 ましてやここは頂上に近い場所。どうしてそんなところで女性の悲鳴が響き渡るのか。



 明らかに罠の臭いがしたが、それでもフレアがイズをとめなかったのは、とめても無駄だ、と理解していたからである。

 イズとてこの声が怪しいことは分かっているだろう。しかし、何らかの理由で峠道に足を踏み入れた女性がいる可能性はゼロではない。

 罠だと思って警戒し、助けられたはずの命を助け損なうくらいなら、罠を承知で駆けつける方がずっといい――イズはそう考える人間だった。



 フレアは友人ほどお人よしではなかったが、どのみち魔物退治に来た身なのだ、罠なら罠で敵を探し回る手間がはぶけると割りきって後に続く。

 方向性は違えど、思い切りの良さでは甲乙つけがたい二人であった。、




 その後も叫び声は断続的に聞こえてきた。

 声は段々と質をかえており、女性の叫びから獣の咆哮に変じつつあるが、どうやら戦っているのは確かなようだ。襲われているのか、襲っているのかは定かではなかったが。

 と、無言で駆けていたイズとフレアが同時に足を止めた。前方から大きな人影がこけつまろびつ近づいてくるのが見えたのだ。



 イズは剣を、フレアは杖を、それぞれ構えて警戒する。

 しかし、警戒は長く続かなかった。

 駆けてくる人影が明らかになるにつれ、二人の顔には怪訝そうな表情が浮かんでいく(イズの表情は兜の下に隠れていたが)。

 そして――



「……ポポロさん?」

「……みたい、ね。なんでまたこんなところに」



 やってくる人影が顔なじみの商人だと気づいた二人が、拍子抜けしたような声を出す。

 一方のポポロも、思いがけないところで知己に出くわしたことに驚きを隠せなかった。



「むお、フレアちゃんに、その鎧はイズちゃんッ!? どうしてこんなところに――」

「それはボクたちの台詞だよ、ポポロさん。こんな危険な場所に来るなんて、ミリア姉さんが知ったら頭からツノをはやしちゃうよ?」

「エルク君が聞いたら、パパを心配して泣き出しちゃうかもね」



 二人に妻子の名前を出されたポポロは弱りきったように頭をかく。ポポロの妻であるミリアはイズたちと同じ孤児院の出であり、その縁で三人は顔見知りの間柄であった。

 この場所が危険というなら、イズとフレアの二人も咎められてしかるべきであったが、二人の力を知っているポポロにその論法は使えない。

 ポポロが何か言おうと口を開きかけたとき、何度目のことか、山道に異様な咆哮が轟いた。



『キジュエ、キシャアッ! ジャシュアアアアアッ!!』



 それを聞いたポポロは、自分が逃走中の身であることを思い出して、おおいに慌てた。こんなところでのんびり話し込んでいる場合ではない。



「そうだった!? 二人とも、早くわしと一緒にここから――」

 逃げよう、と言いかけるポポロ。

 が、あることに思い当たって口をつぐんだ。

 どうしてここにイズとフレアが――ベルリーズでもその名を知られる勇者と賢者がいるのか。



「――もしや、二人は魔物退治に?」

「そうです」

 ランゴバルド王国とカーナ連合が対立している状況で動けるのはシルル教団のみ。

 ポポロは二人がここにいる理由を察すると、大急ぎで自分の事情を説明した。

 テオという同行者と共に封鎖された峠道を越えようとしたこと、おぞましい魔物と遭遇したこと、テオが時間かせぎのために(とポポロは考えていた)踏みとどまったこと――



「わかりましたッ!」

 ポポロの言葉が終わるよりも早く、イズは走り出していた。甲冑をつけているとは思えない素早さで、ポポロが来た道を駆け出していく。



「その人のことはわたしたちに任せて、ポポロさんはベルリーズに戻って」

 フレアもイズの後に続いた。実は、ポポロがテオの名を口にしたとき、一瞬、フレアは驚いたような表情を浮かべていたのだが、この場でそのことに気づいた者はいない。



 そうして、二人が戦いの場に駆けつけたとき。

 人と魔の激闘は今まさに決着の刻を迎えようとしていた。



◆◆



 はじめ、二人はそれが何なのか分からなかった。

 ポポロから話を聞いていたとはいえ、状況が状況だ、詳しい魔物の形状まで訊ねている暇はなかったのである。

 呼吸二つ分ほどで、どうやらそれが、クモの胴から人間の上半身がはえた魔物であるらしい、と気づいた。

 さらに呼吸二つ分ほどで、人間の身体部分に十本近い数の矢を浴びせられた末の姿である、と理解した。背に、胸に、両眼に矢を突き立てられ、狂乱する巨大なクモ。



 口からは絶えず咆哮があがり、矢に射抜かれた両眼からは赤黒い体液が涙のように流れている。

 苦悶と呪詛をまき散らして猛然と暴れるその姿は『魔物』以外のいかなる形容も受け付けない。

 鎌のごとき脚は、もはやそれ自体が一個の生物と化したかのように荒れ狂い、うなりをあげて空を薙ぎ、地をうがっている。その様はまるで、形あるものすべてを打ち砕かんと吠え猛っているようであった。



 そして、その標的となっているのは、お世辞にも上等とはいえない革鎧を身に着けた一人の青年。



 振り下ろされた魔物の脚と、青年の剣が真っ向から激突する。

 宙空に火花が散り、鋼と鋼がぶつかりあう甲高い響きがあたりにまきちらされる。

 続けざまに振り下ろされる別の脚。青年はこれもたくみに受けとめ、はじき返す。再び火花が散り、擦過音が耳朶を打つ。

 二度、三度、四度、五度。

 止まらぬ激突。連鎖する斬撃。

 交互に、あるいは同時に繰り出される二本の前脚の攻撃を、青年は一歩も引くことなく防ぎ続けている。



 イズたちは知る由もなかったが、後ろ脚に傷を負ったことにくわえ、幾本もの矢に身体を射抜かれた大グモの攻撃はすでに当初の威力を失っていた。動き自体、徐々にではあるが鈍りつつある。

 青年――テオは冷静にそれらを見極めていた。

 大グモが派手に暴れれば暴れるほど、傷口は開き、体力は失われていく。

 放っておけば勝手に死ぬだろうが、深傷を負った敵が逃げ出す可能性もゼロではない。ゆえに、テオは自らをエサとして魔物の注意を引きながら、確実に敵を追い込んでいたのである。



 大グモはテオの狙いに気づく様子もなく、ただひたすら暴れ続ける。

 斬られれば苦痛をあらわにし、攻撃を避けられれば苛立ちを示す。そして、自らを傷つけた存在を両眼以外の何かで知覚し、憤怒と怨嗟をあらわにして、逃がすものかと執拗に狙い続ける。

 その様はどこか人間に似ていた。

 少なくとも、クモや昆虫の動きではありえなかった。



 この魔物が人間と同じ感情を、あるいはそれに似た何かを備えているのは間違いないだろう。

 それが元々の性質なのか、人と交わって獲得したものなのかは知りようもなかったが、やわらかい人間の上半身と同じく、これはこの魔物の明確な弱点といってよかった。

 弱点があればそこを突く。テオは戦いの常道に沿い、いっそ酷薄なまでの冷静さで敵を追いつめていく。

 そして――




 高々と振りあげられる二本の前脚。今までよりも大きな動作は、その分、隙も大きかった。

 剣を持ったテオの右手が霞むような速さで動く。

 次の瞬間、鉄剣が雷光となって宙を駆けた。

 今や唯一の武器となった剣をためらいなく投げつけたテオの一撃。攻撃態勢をとったばかりの大グモに、これをかわすすべはない。



 剣の切っ先が大グモの胸部、人間であれば心臓がある位置に突き刺さり、一瞬後、背中を突き破って刀身があらわになる。

 人の形をした魔物の口から、数十の悲鳴を凝集したような絶叫があふれ出た。



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