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花嫁クエスト  作者: 玉兎
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第一章 魔物と王位と花嫁と(五)


 人間の口から別種の生き物が這い出してくる。

 あまりにおぞましい光景を目の当たりにして、ポポロは両手で口を押さえた。



「……う、ぐ、おぶぇッ」

 俺は苦しげにえずく依頼主に対し、低い声で告げた。

「吐いてる暇はないぞ。早く逃げろ」

 年上の人に対して無礼な物言いになってしまったが、これは許してもらうしかない。さすがにこんなものを見せられては、口調をとりつくろっていられなかった。



「に、逃げる……? し、しかし、あの女性は……」

「手遅れだ」



 俺たちが短い会話をかわしている間にも、女兵士の変容は続いていた。

 二本目の脚が口中から伸びてきて、出口となった口が大きく裂ける。あごが砕ける。歯が飛び散る。すでに女兵士の顔は人間の形を保っていない。

 俺は顔をしかめてポポロを急かした。



「今ならまだ逃げられる。一気に山道を下りるぞ」

「わ、わかりましたッ」



 慌てて走り出すポポロ。突き出た腹を抱えるようにして走る中年商人の姿は、一見したところ、どたどた、もたもた、といった感じで頼りないことおびただしいのだが、実際の速度はびっくりするくらいに速い。韋駄天の異名は伊達ではないようだ。

 あちらは問題ないと判断した俺は、魔物の動きに注意を払いつつ自分も後退を開始した。いつ敵が襲いかかってきても対応できるよう、ゆっくりと後ずさる。



 このとき、魔物が完全に姿をあらわす前に叩き斬るという選択肢もあった。

 しかし、一つの懸念が俺にその行動を選ばせなかった。



 女兵士の身体に潜んでいる魔物は確かに大きい。大きいが、それでも人間ひとりの身体の中に収まる程度だ、五十人の討伐隊を蹴散らせるとは思えない。

 つまり、俺が覚えた懸念というのは、少なくともあと一匹は同種の魔物が付近に潜んでいるのではないか、というものだった。おそらくは眼前の魔物の親となる存在、討伐隊を壊滅に追い込んだ大グモが。



 虫の中には生かして獲物をとらえ、その体内に卵を埋め込むものも存在する。考えたくもないが、女兵士は子グモの生きたエサとして選ばれてしまったのだろう。

 ここでへたに子グモに手を出すと、親グモを呼び寄せてしまう可能性が高い。それに、他にも同じような子グモが生まれていないともかぎらない。討伐隊の遺体がまったく残っていなかったという事実が、俺に不吉な想像を強いてくる。



 くわえて、俺の推測が正鵠を射ていた場合、もう一つの問題が生じる。

 魔物の卵が孵化するまでにかかる時間。その異様なまでの短さだ。

 魔物が女兵士の身体に卵を産みつけたのが、討伐隊が敗れた後のことだと仮定すると、孵化するためにかかった時間は半月程度ということになる。



 生まれた魔物は、また次の卵を産む。

 魔物が一回にどれだけの卵を産むのか知らないが、三月も放っておけば、このあたりの山は大グモであふれかえってしまうのではないか。一匹でも小隊規模の討伐隊を蹴散らせる凶悪な魔物が、数十の群れをなして近隣の城市を襲うという悪夢じみた光景が現実のものとなるかもしれない。

 個体としての強さはもちろん、繁殖速度もこの魔物が内包する脅威であろう。

 ランゴバルドでもカーナ連合でもいい、一刻も早くこの情報をしかるべき地位にある人間に伝えなければならなかった。




 十分に魔物から離れたと判断した俺は、踵を返してポポロの後を追おうとする。

 そのときだった。

 唐突に魔物の動きが加速した。まるで俺たちの逃亡を阻もうとするかのように、新たに口腔から伸びてくる二本の脚。それだけではない。もはや待っていられぬとばかりに、喉から、胸から、背から、腹から、それぞれ別の脚が女兵士の身体を突き破って外に出た。



 女兵士の身体が血煙となって四散し、身に着けていた金属鎧が弾け飛ぶ。

 そうして、赤い驟雨(しゅうう)を裂いて姿を現したのは、まごうことなき魔の怪物だった。




 樹木のように太く、鎌のごとく鋭い八本の脚。

 膨れ上がった腹部は人間一人を飲み込んでも余りある大きさで、毒々しい黒と黄のマダラ模様に彩られている。

 肛門からは赤茶けた液体が絶えずこぼれ落ち、毒性の強さを示すように地面から黒い煙がわきあがっていた。

 そして腹部から伸びた胴体は――



 白い肌、豊かな乳房、長い髪に端正な容貌。

 血と体液でぬめった魔物の上半身は、疑いなく人間のそれであった。

 悪魔がたわむれに人間とクモをかけあわせたなら、あるいはこんな存在が生まれるのかもしれない。

 そして、あらわになった大グモの顔。毒々しい血化粧を施されたその容姿は、どこか先刻の女兵士に似ていた……



◆◆



 ギラリと見開かれた魔物の両眼。

 昆虫の複眼のように、一つの目に細分化された無数の瞳がひしめきあっている。そのすべてが俺に向けられると同時に――



『ああああ゛あ゛あ゛アアアァァアアアアアアアッ!!』



 凄まじいとしか表現しようのない咆哮がギール山道に轟き渡った。

 俺という獲物を前にした歓喜の叫びなのか、それとも異形の身に生まれ落ちた怨嗟の声なのか、外から推しはかることはできない。もしかしたら、単に近くにいる仲間を呼んでいるだけかもしれない。

 いずれにせよ、眼前にいるのは間違いなく魔物であった。たとえ上半身が人の形をしていようとも。




 いきなり大グモが宙を飛んだ。巨体に似つかわしくない軽やかな動きで飛び上がり、肛門から雨のように毒を振りまきながら、俺めがけて落下してくる。



「うおおおッ!?」



 剣を抜く暇もあらばこそ、飛びすさってその場から逃れる。

 その俺の身体をかすめるように大グモのボディプレスが地面に炸裂した。衝撃で無数の小石と土くれが四方に飛散する。



「ぐッ!?」

 至近にいた俺はそれをまともに浴びてしまい、一瞬遅れて、こめかみで苦痛がはじけた。どうやら尖った石がまともにぶつかってしまったらしく、血が頬を伝う感触がする。

 それが戦いの始まりだった。




 もうもうと立ちこめる土煙を切り裂いて、鎌のごとき脚が襲いかかってくる。上段からの一撃。

 素早く剣を抜き放った俺は、うなりをあげて迫り来る脚を受け止めようとした。だが、陽光を反射してギラリと輝く敵の脚を見た瞬間、俺の脳裏によぎったのは真っ二つにされたランゴバルド兵の鎧だった。

 真っ向から受けとめれば、剣ごと身体を両断される。

 そう直感した俺は、刀身を斜めにかたむけて魔物の猛撃を受け流しにかかる。



 直後、鼓膜が焼けつくような甲高い擦過音が耳元で鳴り響き、大グモの前脚が火花を散らしながら剣の腹をすべり落ちていく。

 受け流しは成功し、前脚はそのまま地面に突き刺さった。

 しかし。



「ぬッ!?」

 剣を通して伝わってきた一撃の重さに思わずうめき声がもれる。

 相手の大きさから察してはいたが、尋常な力ではない。

 というか、これ本当に生まれても間もない子グモなのか!?




「テオ殿、お早く!」 

 後方からポポロの声が聞こえてくる。しかし、俺はその声に応じることができなかった。

 つい先ほどまで、俺はポポロと一緒にこの場から逃げるつもりだった。

 しかし、今しがたの敵の身の軽さ、俊敏さを見るに、こいつに本気で追ってこられると俺たちの足では逃げ切れない。

 何よりも――



 俺は改めて大グモの顔部分に視線を向ける。

 視界に映る顔は、やはり先ほどの女兵士によく似ているように思えた。



 俺は件の魔物が人間を子グモのエサとして利用していると推測した。そのために女兵士を生かして捕らえ、卵を産みつけたのだろう、と。

 だが、違うのかもしれない。

 魔物は人間の身体に卵を産み付けたのではなく、もっと別のことをしたのではないか。

 今、俺の前にいるのは、卵から孵化した子グモなどではなく……



 その推測に行き着いたとたん、思考がすぅっと冷えていく。

 人と魔物の間で子供ができる例はある。オークに襲われた女性が子を宿してしまった話、オウガと人間の間に愛情が生じて子供が生まれた話、いずれも聞いたことがある。

 だが、そういった例はあくまで人型の魔物との間で起こるもの。ここまでおぞましい例は見たことも聞いたこともなかった。



 考えすぎならそれでいい。

 だが、もし推測どおりだとしたら、このまま放っておくわけにはいかなかった。

 俺は先ほどの女兵士を助けられなかった。助けようもなかった。

 だからというわけではないが、彼女と最後に言葉を交わした者として、最期の願いを聞き届けるくらいのことはしてやりたい。




 ――殺して、と。

 女兵士は確かにそう言っていたから。




 意識を『逃走』から『戦闘』へと切り替える。

 力を込めて剣の柄を握り締め、後方のポポロに向けて短く叫んだ。

「先に行けッ!」

 背後から息を呑む気配が伝わってくる。

 一瞬の空白。

 直後、脱兎のごとく駆け出す足音が響いてくる。

 それを見た魔物が、逃がすものかというように叫喚をあげた。



『ジャアアアアアアッ!!』



 振り下ろされる前脚の第二撃。

 宙を切り裂く剛刃を、俺は直撃の寸前までじっと凝視し続けた。

 そして。



「――ッ!」

 鋭い呼気を発して、身体を半歩だけ敵から遠ざける。直後、俺の立っていた地面を魔物の脚が深々とえぐりとった。衝撃でわずかに身体が浮かびあがる。



 続けて繰り出される第三撃。

 またしても上段から降りかかってくる攻撃を、今度も体さばきのみでかわす。



 どうやらこの大グモはあまり器用に脚を動かせないらしく、八本脚の内、後方の六本で大きな身体を支え、攻撃は前脚二本に頼っている。

 その攻撃も力任せに振り上げ、振り下ろすの繰り返しだ。

 一撃一撃は重く、受け止めるのは困難だったが、かわすのは難しくない。むしろ下手に受けるよりも回避に専念したほうが戦いやすい。

 考えてみれば、この魔物はついさきほど生まれたばかり。まだ自分の身体をもてあましているのかもしれない。先ほどの跳躍以来、肛門から垂れ落ちる毒液も使おうとはしていなかった。



 小ざかしく攻撃を避け続ける人間(おれ)にじれたのか、大グモが苛立たしげに叫び声をあげた。こころなし、人間の形をした顔にも苛立ちがちらついているように見える。

 と、再び前触れなく大グモの巨体が宙を舞った。

 突っ立ったままであれば、俺の身体はぐしゃりと潰されて肉塊に成り果ててしまっただろう。



 しかし、来ると読んでいた攻撃を棒立ちで食らう理由はない。

 降り注ぐ毒液をかわしながら、俺は後方ではなく前方の空間に飛び込んだ。大グモの動きからして、空中でくるりと体勢を入れ替えるような器用な真似はできまい。

 ここで前に出れば、着地後の大グモの背後を簡単にとることができる。しかも前脚の攻撃を食らう恐れもない。



 この狙いは的中した。

 落下する魔物。揺れる地面。だが、余波も含めて、大グモの真後ろにまわった俺にはさしたる被害はない。

 大技を繰り出した直後の隙を狙って接近した俺は、後ろ脚の一本に狙いを定めた。

 ここを器用に動かせないのは確認済みだ。表皮の硬さは前脚に劣らないようだが、それならそれで関節部分を狙えばいい。おそらく、この箇所は他の部分よりやわらかいはず。動きまわる前脚とはちがって、動きの鈍い後ろ脚ならば、関節を狙うのはさして難しいことではない。



「殺(シャア)ッ!!」

 気合と共にウィンディア製の鉄剣を振り下ろす。

 刀身は狙いたがわず関節部に食い込み、大グモの口から「キシャアア!!」と悲鳴じみた声があがった。

 ただ、関節部の組織は弾力に富んでいるようで、ゴムを斬るような手ごたえが柄を通して伝わってくる。

 このまま二度、三度と剣を叩きつければ間違いなく切断できるだろうが、大グモがその時間を与えてくれるはずがない。



 ここを先途と渾身の力を腕に込め、そのまま一気に振りぬいた。

 両手に伝わる確かな手ごたえ。

 振りぬかれた刃は確実に後ろ脚を切り裂き、脚の先端部分がぼとりと地面に落ちた。



『キシュエ!? キシャアアァァアアアッ!!』



 同時に大グモが狂ったように暴れだし、俺は振り回された脚の一本に背を打ち据えられ、その場から弾き飛ばされた。



「ぐ、がァッ!!」

 思いきり地面に叩きつけられ、それでもとまらず、ごろごろと転がっていく。背中を強打したせいか、少しの間、呼吸もままならなかった。

 それでも俺は幸運といえただろう。背に当たったのが脚の刃の部分だったら、痛みを感じる暇さえなくあの世行きだった。



 起き上がって身体の動きに支障がないことを確認し、狂乱する大グモを見る。

 怒りに任せてこちらに突っ込んでくるかと思ったが、どうやらそれどころではないらしい。

 大グモは今もひぎゃあ、うぎゃあと悲鳴じみた叫びを発しながら、苦し紛れに二本の前脚で何度も何度も地面をえぐっている。どうやら明確に『痛み』を感じる器官も備わっているようで、大グモが暴れる都度、地震のような揺れがこちらまで伝わってきた。



 俺が斬り捨てたのは八本ある脚の一本。それも根元から斬り捨てたわけではなく、先端部分を切り落としただけだ。致命傷にはほどとおい。

 だが、足の指が十本あるからといって、その中の一本を失って平然と歩ける人間がいないように、大グモにとっても脚の一部が欠けたことは痛手になったようだ。



 よし、とうなずく。これで敵の速さをそぎ落とすことができた。

 逃げたポポロに狙いを変える可能性はもうないだろうし、仮に追ったとしても追いつくことはできまい。



「しばらくそのままでいてくれよ」

 大グモが苦しんでいる隙に、俺はきびすを返して手近な木立に駆け込む。

 逃げるわけではない。

 剣を鞘に戻した俺は、かわりに短弓を手にとった。



 魔物と戦うにおいて、弓や弩といった遠距離武器は非常に有効である。遠くから狙撃すれば、反撃の恐れなしに攻撃できるし、飛行型の魔物の急襲を受けても対処できる。

 当然、騎士団では剣や槍と同様、弓も徹底的に叩き込まれていた。俺の場合、騎士になる以前は猟師をしていたので、その意味でも弓という武器は手に馴染んでいる。



 矢筒に入っている矢は十本。一本たりとも無駄にはできない。

 先ほどの戦闘から考えて、黒い表皮に矢は通じないだろう。

 であれば、まず確かめるべきは人間型の上半身がどの程度硬いのか、ということ。俺は弓弦に矢をつがえると、暴れている大グモの上半身――裸の背中に狙いを定め、素早く射放った。



 放った矢は放物線を描かず、直線となって宙を駆け、狙いたがわず大グモの背中に命中した。

 矢じりが深々と魔物の身体に食い込み、血しぶきがはじける。大グモの口から焼け付くような苦悶の声があがった。



 人間であれば身動きできなくなるほどの重傷である。魔物にとっても痛撃だったようで、苦悶の声は一向にやまない。だがその一方で、魔物は苦しんでこそいるものの、力尽きる様子はなかった。むしろ暴れまわる勢いは増すばかりだ。

 さすがに一矢で仕留められるほどたやすい相手ではない、ということだろう。



 ――なら、十本すべて浴びせるまでのこと。



 木立の隙間を縫うように移動しながら、俺は次の矢を矢筒から引き抜いた。



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