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花嫁クエスト  作者: 玉兎
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第一章 魔物と王位と花嫁と(四)

 ポポロの話を要約すると「封鎖された峠道とうげみちを越えるのを手伝ってほしい」というものだった。



 この峠道――ギール山道は難所として広く知られていたが、ポポロによればこの難所という言葉には二つの意味が込められているという。

 ひとつは険しい地形。

 もうひとつは、ランゴバルド王国とカーナ連合王国の勢力圏が重なるところに存在するという人為的な危険である。



 もともと、カーナ連合王国はランゴバルド王国の脅威に対抗するため、小国同士が手を組んだ結果として誕生した連合国家だから、この両国が険悪な間柄なのは当然といえば当然の話。

 そんな二勢力が境を接するギール山道では、これまでも国境線をめぐって度々衝突が起きていたらしい。



 そのギール山道にクモの姿をした大型の魔物が姿を現したのは、今から半月ほど前のことであった、とポポロは語る。



「魔物はベルリーズへ向かっていた隊商に襲いかかり、たちまちこれを蹴散らしてしまったそうです。護衛を含めて三十人以上の隊商だったそうですが、生き残ることができたのはたった二人だけであったとか」

 交易で富むカーナ連合にとって、街道の治安維持はきわめて重要なこと。それゆえ、襲撃の報告がもたらされるや、カーナ軍はすぐに討伐隊を派遣しようとしたそうだ。

 ところが。



「これにランゴバルド王国が待ったをかけたことで、事態はややこしくなってしまいました」

 ポポロの、ほとほと困り果てた、といった感じのため息が語尾に続いた。



 ランゴバルド王国は、商人ごときに大型の魔物が退治できようはずもない、と主張してカーナ軍の行動を阻んだらしい。「商人ごとき」という言葉は、カーナ連合が交易、商業を重視していることを皮肉ったものである。

 ランゴバルド王国は農業を重視しており「自らは何も生み出さずに、物をやり取りすることで利益をかすめとる」商人という存在を嫌う者が多い。このあたりの国民感情も両国の険悪な関係に大きく関わっているのだが、これはまあ余談である。




 ランゴバルドの主張を聞いた俺は、いかにも言いそうだなあ、とこっそり肩をすくめた。

 メルキト河を挟んだお隣同士とはいえ、あの国の尊大な物言いに辟易したことは一度や二度ではない。



 しかし、である。

 ランゴバルド王国は確かに権高なお国柄であるが、口先だけの国ではない。事実、カーナ連合の行動を制するや、即座に五十人の討伐隊をギール山道に派遣したという。

 ランゴバルドの国力をもってすれば、一ケタどころか二ケタ上の部隊も楽に出せたであろうが、場所が険しい峠道では数の利を活かせないと判断し、少数精鋭の部隊を送りこんだものと思われる。あまり大勢の兵士を動員すると、カーナ側があらぬ疑いを抱きかねないので、それに配慮したという一面もあるだろう。



 いずれにせよ、完全武装の騎士十人を含んだ五十人の討伐隊は、そこらの魔物であれば容易に殲滅できる戦力である。ランゴバルドの判断は決して間違っていない。

 ところが、この討伐隊が全滅に等しい打撃を受けて撃退されたことで事態は深刻化する。



 カーナ連合は自分たちを押しのけて討伐を強行したランゴバルドの不手際を冷笑しつつ糾弾し、ランゴバルドはランゴバルドで、相手の糾弾に対して自分たちは「偵察」を終えただけだと強弁する。

 魔物そっちのけで始まった両国間の諍いにより、討伐行動は一時的な停滞を余儀なくされ、その間ギール山道は軍によって封鎖された。



 とばっちりを食ったのは旅人や商人たちである。

 むろんランゴバルドも討伐を中止したわけではなく、急きょ第二陣の編成を開始したそうだが、相手は五十人に及ぶ完全武装の一隊を蹴散らした魔物だ。中途半端な戦力を送り込んでも第一陣の二の舞になることは目に見えている。

 かといって、大量の兵士を送り込めばカーナ軍を刺激してしまうのは前述したとおりだ。

 したがって、第二陣の手配は慎重に行われると推測できる。今日明日にも事態が解決する、という可能性は皆無とみていいだろう。



 山道の反対側にいるカーナ軍にしても事情はランゴバルド軍とさしてかわらない。

 ここにおいて、現状の速やかな解決はほぼ不可能となった。



 これに困ったのがポポロである。

 ウィンディア王国での仕入れを終え、ベルリーズへ帰ろうとしていたポポロは、この街道封鎖によって帰路をはばまれてしまった。

 常であれば山道を迂回するなり、討伐隊の第二陣が来るまで待つなりできるのだが、今回にかぎっていえば、ポポロはそうするわけにはいかない事情を抱えていた。




 これをご存知ですか、と言ってポポロが取り出した植物の束を見た俺は、それが何なのかすぐにわかった。

「雪下草ですか」

 ガルカムウ山脈で採取できる薬草の一種で、煎じれば心臓の病に効く薬となったはずだ。

 ポポロはえたりとばかりに大きくうなずく。



「そのとおりです。今回、わしがウィンディアにおもむいたのは、これを手に入れるためでして」

「……もしやご家族が病気なのですか?」

「いえ、家族ではないのですが、将来家族になるかもしれない子が……」

「ん?」



 はきつかない物言いに首をかしげたが、聞いてみれば単純な話だった。

 ポポロの息子さん(エルク君 六歳)には仲の良い女の子(ユリスちゃん 十歳)の友達がいるのだが、この子が長いこと病気がちであり、その特効薬をつくるために雪下草が必要なのだという。

 女の子はこのところ特に体調が悪かったらしく、息子さんは食事ものどを通らないほど心配していたそうな。



 そんな折、懇意にしていた人物から雪下草が見つかったという知らせが届いた。

 息子のため、そして病気の女の子のため、ポポロは急いでウィンディア王国に出向いて雪下草を手に入れ、これで息子も女の子も元気になるだろうと意気揚々カーナに帰る途中、今回の街道封鎖に行き当たってしまった。

 以上が一連の出来事の顛末てんまつであった。





「――なるほど。それで封鎖を突破したい、と」

 事情を聞き終えた俺が言うと、ポポロは深々と頭を下げた。

「もちろん依頼料はお支払いします。出せるのは銀貨三十枚ほどですが……なんとか承知していただけませんでしょうか?」



「いいですよ、引き受けましょう」

 即答する俺。

 ポポロは驚いて顔をあげた。

「……そんなに簡単に引き受けてしまってよろしいので?」

「よろしいのですよ。絶対確実にベルリーズまで送り届けるとは断言できませんが、そのために全力を尽くすことは約束しましょう」



 俺はそう言ってポポロの依頼を請け負った。

 ポポロは快諾の理由をつかみかねて、なお怪訝そうな表情を浮かべていたが、別段それほど深い理由があってのことではない。

 危険であることは言をまたないが、その危険を冒すだけの価値がある依頼だ、と判断しただけのことである。



◆◆



 さすがに夜の山道に足を踏み入れるのは危険すぎるということで、出発は翌朝になった。

 未明、太陽が地平線に顔をのぞかせたばかりの時刻、俺とポポロの二人はさっそくギール山道に向かった。

 街道が軍によって封鎖されているといっても、千や万の大軍が展開しているわけではない。

 最初は街道を外れて山中に踏み入り、少し登ってから街道に出れば、ランゴバルド兵に見とがめられることなく山道を歩くことができるだろう。下山するときは逆の手順でカーナ兵の監視をかいくぐれば問題ない。



 仮に見つかったとしても、ウィンディアの騎士を名乗れば、問答無用で斬り殺されることはないはずだ。俺はこっそり考えた。

 今の俺が騎士の身分を利用するのは色々とまずいのだが、ポポロのような商人をこんなところで失うのはあまりに惜しい。多少の無茶は許容範囲だった。



 それはさておき、山中に入る前、俺はポポロから魔法を使える旨を伝えられた。

 いきなりのことに目を丸くする俺に、妻子持ちの行商人はわははと笑ってみせる。

「これでも昔は魔法学院の生徒――になることを夢見ていたのですよ。非才の身には狭すぎる門でしたが」

 そういって、唯一扱えるという『身体強化』の魔法を俺にかけてくれた。

 読んで字のごとく、身体の力を高める魔法である。脚力や持久力の向上は、たしかに山道を抜けるために役立つだろう。



 もっとも、効果のほどは「学院に入れなかった」という事実からして知るべし、であった。少なくとも「か、身体の奥から力が湧いてくる!」みたいな状態にならなかったことは確かである。

 俺がそういうと、ポポロは肥えた腹に手をあてて再度笑った。



「期待を裏切ってしまったようで申し訳ない。しかしですな、わしの魔法、効果のほどは確かに今ひとつですが、これでなかなか役に立つのですぞ。商いをはじめて二十年、魔物に山賊、追いはぎの魔手をしりぞけて今日までわしが長らえることができたのは、ひとえにこの魔法があってこそです」



 雨が降ろうが雪が降ろうが、時に魔物が暴れていようが、商品の納期に遅れたことがないというのがポポロの自慢だった。

 行商でまわっている村々からは、韋駄天ポポロ、とよばれているそうな。

 このご時勢、物資の不足しがちな辺境の村にとって、ポポロのように何時いかなる時でも確実に品物を運んできてくれる行商人の存在はありがたいものだろう。韋駄天というのは、村人たちがポポロに向けた最大級の賛辞なのだと思われた。



「その行商を二十年にわたって支えてきた魔法ですか。そう聞くと、なにやら霊験あらたかに聞こえますね。それに、一つだけとはいえ魔法が使えるのはうらやましい」

 俺が言うと、ポポロは太い指でぽりぽりと頬をかいた。

「たしかに便利なのですが、使えたら使えたでいろいろ面倒なのですよ、魔法というものは。テオ殿におかれては、どうかこのことはご内密に」

「ふむ、韋駄天の足は、あくまで生まれ持ったものということですね。承知しました」



 魔法を扱う者は魔物の血を引いている、という迷信がある。

 これは何の根拠もない迷信であるが、魔法という異能――その気になれば言葉ひとつで致命傷を与えられる――を扱う者に対して偏見や警戒心を抱く人々は少なくない。

 迷信を信じる者。信じはしないまでも魔法使いを敬遠する者。様々だ。

 出会って間もない俺に魔法を使える事実を明かしたのは、ポポロなりの俺への信頼表明なのだろう。



 そんなことを話したからだろうか、かけられた当初は大したことはないと感じたポポロの魔法も、ずいぶんと効果があるような気がしてきた。

 実際、ギール山道は勾配のきつい険路なのだが、どれだけ登ろうとも俺の足は羽根のように軽いまま――というのはちょっと大げさだが、普段よりも足取りが軽いのは事実である。

 大荷物を背負っているポポロも、ほとんど息を切らさずについてきていた。



 今は四月の半ば。

 暦の上では春とはいえ、山の気温はまだ低い。衣服の隙間から寒気がちくちくと肌を刺してくる。これが地味に辛かった。

 ただ、見方をかえれば問題らしい問題はこの寒さくらいのもので、道のりは順調そのものといえた。

 件の大グモはもちろん、熊や猪といった野生動物の姿を見かけることさえない。



 ……正直、順調過ぎて、かえって気味が悪いくらいだった。



◆◆



 間もなく頂上付近にさしかかるという頃合でポポロが口を開いた。



「もう少し進めば休憩用の山小屋が見えてくるはずです」

「そうですか。例の魔物が休憩していないことを祈っておきましょう」

「た、たしかに。魔物とて休息も食事も必要でしょうなあ……」



 大グモがエサを求めて徘徊している光景でも想像したのか、ポポロはきょろきょろと周囲を見回している。

 魔物のエサが木や草であれば問題ないのだが、もし人間や大型の獣だった場合、街道が封鎖されている今の状況ではエサが不足していると推測できる。のんびりしていると、俺たちはひさしぶりのご馳走としてクモの食膳に供される羽目になりかねない。

 そんなことを考えながら歩いていると、不意にそれまで視界を塞いでいた木々が途切れ、目の前の景色が開けた。




 そこはちょっとした広場だった。

 周囲の木々は伐採され、切り株も取り除かれていて、広々とした空間が形づくられている。ポポロの言を待つまでもなく、ここが頂上であることは察しがついた。

 日の出直後に出発したこともあり、まだ日は中天に達していない。この調子で進めば日暮れ前に下山することも可能だろう。



 ――それはいいのだが。



 俺は目をすがめ、改めて周囲を見回した。

 ポポロによれば、この広場はギール山道を利用する人々が休憩に使っていた場所とのことで、先ほど口にしていた山小屋もここに建てられていたらしい。

 「らしい」というのは、今、俺の視界に山小屋が映っていないからである。

 かわりにあるのは、かつて山小屋だった建物の残骸。何か巨大な力で粉砕されたらしく、砕けた木材が周囲に散乱している。

 そして、木材に混じってもう一つ飛散しているものがあった。



 折れた剣にひしゃげた盾、何か鋭い刃物で両断された鉄鎧、そういった種々の装備品がそこかしこに散らばっているのだ。

 いずれも原型をとどめておらず、激しい戦いの痕跡が見て取れる。

 よく見れば、あたりの地面には鎌のようなもので深くえぐられた痕跡がいくつも残っており、さらに目をこらせば、地面に凹凸ができている箇所もある。何か大きな――それこそ山小屋ほどの大きさと重量を持った何かが暴れまわった跡だと思われた。




 俺は剣の柄頭をさすりながら、小声でつぶやいた。

「討伐隊が戦ったのはここか」

「そのようですな……」

 ごくりとつばを飲みこんだポポロが同意する。



 周囲を警戒していた俺は、ふと眼前の光景に違和感をおぼえて眉をひそめる。

 違和感の理由はすぐにわかった。この場所には討伐隊の遺体がまったく見当たらないのだ。あるのは遺品とおぼしき装備品だけ。

 血は土にとけ、肉は獣に食われたとしても、骨の一本も残っていないのは訝しい。

 ランゴバルドなり、カーナ連合なりが遺体を回収したのだろうか? それは十分にありえる話だが、そうだとすれば形見となる装備品も一緒に持ち帰りそうなものである。



 もしかしたら、戦死者たちは骨ごと魔物にむさぼり食われてしまったのかもしれない。

 だとすると、この山に棲みついている魔物は小隊規模の討伐隊を蹴散らし、なおかつ蹴散らした相手を残らず喰い尽くす貪欲な捕食型である、ということになる。

 ガルカムウ山脈なら珍しくもない相手だが、一人で戦うとなるとまず勝ち目はない。



 ポポロの話から厄介な敵であることは確信していたが、どうやら敵の強さを想定より一段階引き上げる必要がありそうだ。

 この場で戦うのは論外。獲物として捕捉されるだけでもまずい。捕食型の魔物は総じて凶暴で執念深いから、どこまで逃げても追ってくる。

 せんずるところ、さっさと退散するが吉である。



 幸い、まだ周囲は静かなもので、大型の魔物がうろついている気配はない。

 俺はポポロをうながそうと口を開きかけた。





 そのとき。

 視界におかしなものが映った。





「……これは、面妖な」

 おなじものに気づいたらしいポポロが低い声を発する。

 これから進もうとしていた方向から、一人の女性がふらつきながら姿をあらわしたのである。

 俺とポポロは顔を見合わせた。

 他人のことを言えた義理ではないが、ここはランゴバルド軍によって封鎖された山道だ。それも麓ではなく頂上付近。どうしてそんなところを女性が一人で歩いているのか。



 相手の格好もおかしかった。

 服はところどころ破れてボロボロになっている。上半身のみ金属鎧をまとっているが、篭手や脚甲はつけておらず、俺のように剣や弓といった武器も持っていない。

 いや、そもそも女性は荷物らしい荷物を何一つ持っていないように見えた。



 依頼主を守るべく前に進み出た俺は、あらためて女性をじっと観察する。

 相手の着ている鎧が、周囲に散らばっているものと同型であることに気づいたのはこのときだ。

 普通に考えれば、この女性は討伐隊の生き残りということになるが――そうだとしたら、ますますこの場にいることの不自然さが際立ってくる。討伐部隊が魔物に敗れたのは昨日、一昨日の話ではない。

 俺は相手のどんな動きにも対応できるよう、わずかに腰を落とした。




 と、うつむきがちに近づいてきた女性が、俺とポポロの存在に気づいて顔をあげる。

 そして、臆したように立ち止まると、一歩、二歩と後ずさった。



「いや、いや……」



 ふるふると首を左右に振る女兵士。そのふるまいは怯えた人間そのものだ。

 人間の姿かたちを真似る魔物は存在するし、俺はそういった相手と戦ったこともある。だが、その手の魔物は仕草や雰囲気に隠しきれない違和感がつきまとうものだ。

 この女兵士にはそれがない。



「――心配しないでください。危害をくわえるつもりはありません」

 迷った末、俺はそう声をかけてみた。

 だが、やはりというか何というか、向こうは相変わらずおびえたままで、こちらの呼びかけに応じる気配はない。

「ふうむ。ここは甘い菓子でもあげて落ち着かせましょうかな。女子供には菓子が一番」

 ポポロはそういうと、肩からさげたカバンをごそごそ探り始める。一応とはいえ、相手が人語をしゃべったことで、安心する気持ちもあったのだろう。



 懐柔の手段はポポロにまかせ、俺はもう少し会話を試みることにした。

「俺はテオといいます。あなたの名前は?」

 怯えさせないように声をやわらかくしてみる。なんか猫なで声になってしまったが、努力の甲斐あってか、ようやく相手から反応らしい反応が返ってきた。



「あ、たし……?」

「そう、あなたの名前です」

「あ あたし、は……あたし、なまえ……」

 俺の問いかけに応じようとしてか、女兵士が眉根を寄せる。



「あたしは……あたしは……だれ? どうして、ここにいる……の。そうだ、たいちょうは? たいちょう……どこ?」

 きょろきょろとあたりを見回す女兵士。はじめはおずおずと控えめな動きだったが、自分が一人であることがわかると、次第に動きが激しく――そして、おかしくなっていった。




「あたしは、どこ、ここは、どこ。いたい、いたい、からだ、いたい」

「……怪我をしているのですか?」

 相手を落ち着かせるべく、俺はゆっくりと問いかけた。刺激しないように剣の柄から手を離し、一歩一歩、慎重に近づいていく。

 俺の動きに気づいているのか、いないのか。女兵士ははげしくかぶりを振って、苦しげに声を発した。

「け、が? けが、けがして、ない。たいちょう、あたし、かばって……たい、ちょう、あたしの、かわりに、たべられ…………たべられ、て?」



 不意に女兵士の両眼が張り裂けんばかりに大きく見開かれた。そして、自分の腹部に視線を向ける。

 その視線を追った俺は、ここでようやく鎧の下の女兵士の腹が不自然に膨れ上がっていることに気が付いた。

 女兵士はその自分の腹を凝視している……





 まずい、と直感した。

 何がまずいのかは分からないが、とにかくまずい。

 だが、この状況で何ができるわけでもなく。

 次の瞬間、何かを思い出してしまったらしい女兵士の唇から、耳をつんざく絶叫がほとばしった。



「ええエエエアアアアアアアアアッ!!!!?」



 女兵士は叫びながら両手で自分の身体を抱きしめる。

 そして、その場で膝をつくと、狂ったように頭を地面に打ちつけ始めた。



「おいッ!?」

 駆けよった俺は、狂乱する相手の行動をとめるべく両肩に手を置き、乱暴に揺さぶった。

 これでだめなら気絶させるしかないか、と考えていたが、幸いにも相手は反応を示してくれた。

 絶叫がピタリと止まり、力なく顔があがる。



 土で汚れた顔。額から、鼻や頬を伝って流れ落ちる幾筋もの血。

 ガラス玉のようにうつろな両眼が至近から俺を見上げている。

 女兵士は何かを訴えるように口を開けた。

「あ……あ……」

「どうした? 何が言いたい?」

 俺の問いにはきとした答えは返ってこない。

 小さなうめきをもらしながら、女兵士はさらに口を開けていく。



「こ……」

 大きく口を開けていく。



「……ろ……」

 大きく、大きく。



「……………………て」

 ついには、あごが外れてしまうのではと思われるほどに、大きく。



 あらわになった口腔。

 その奥に黒々と光るものを認めた瞬間、俺はほとんど本能的に身体をのけぞらせていた。

 直後。





 ズグンッッ、と。

 女兵士の喉の奥から黒々とした物体が飛び出し、一瞬前まで俺の顔があった空間を刺し貫いていた。





 俺はチッと舌打ちし、素早くとびすさって女兵士と距離をあける。

 そして、今しがた自分を冥府に送りかけた凶器に視線を向けた。

 『それ』は形状としては槍に似ていた。人間の皮膚をたやすく貫く、鋭くとがった巨大な凶器。ぬめった柄の色は黒く、太さは男性の腕ほどもある。反応がわずかでも遅れていれば、俺の顔には巨大な風穴が開けられていただろう。



 ただ、よくよく見れば、それは槍とは似て非なるものだった。

 わずかに湾曲した先端。柄にあたる部分は節くれだち、表面には細かなトゲが生えている。

 どこか昆虫の脚を思わせるつくりだった。そう思って見れば、黒光りする色合いはある種の虫によく似ている。



「うああ……ああああああ……ッ!」

 地面に倒れた女兵士の口から、悲痛なうめき声がこぼれおちる。

 いや、それはもううめき声というより、喉の奥から勝手に漏れだしてくる空気の排出音に過ぎなかった。

 その声ならぬ声に押し出されるように、黒い脚が少しずつ女兵士の口から這い出してくる。



 脚一本が人間の腕ほどもある巨大な虫、あるいは虫に似た何かが、人間の身体を突き破って姿をあらわそうとしていた。



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