第二章 金髪のゴブリン(二)
「厄介な鬼族、ですか?」
コーラルの廃墟から帰って、かぞえて三日目。マルガから持ち込まれた、とある依頼の内容を聞いた俺は表情を引き締めた。
その依頼は旧コーラル領にほど近いレルケという村から舞いこんだもので、なんでも村の近くにおかしな鬼族が出没しているという。
先日コーラルの廃墟で戦ったゴブリン、やり過ごしたオーク、いずれも鬼族である。鬼族の中にはこれ以外にもオウガという種も存在する。
いずれも危険な相手であり、オウガにいたっては強力な魔法まで使ってくる。人口の少ない辺境の村では全滅すらありえる相手であろう。
なお、鬼族の額のツノ、特にオウガのそれには強い魔力が込められていて、加工すれば武器になり、煎じて飲めば薬になり、酒盃をつくれば毒酒が効かなくなるとされ、目の玉が飛び出るような価格で取引されている。
このため、ことオウガにかぎっては人間の方が襲う側に立つことが多い。いったいどちらが魔物なのやらという感じだが、これはまあ余談である。
俺はマルガに問いを向けた。
「厄介というと、ゴブリンが一族単位で移住でもしてきたんですか? あるいはオークに狩場として目をつけられたとか」
「いや、ゴブリンはゴブリンだけど、数は少ないらしいね。もしかすると一匹かもしれない」
「ゴブリンが一匹?」
思わず眉をひそめる。
俺の言わんとするところを正確に察したマルガが、どこから取り出したのか、真っ赤な扇で口元を覆ってにやりと笑う。
「それなら厄介というほどの相手ではない――そう思うだろ? ところが、このゴブリンがやたらと手ごわいらしくてねえ。仲間を連れてこないうちに、と村の猟師たちが退治しにいったらしいんだけど、これが一蹴されたって話さね」
「ほほう」
それを聞いた俺は率直に驚きを示した。
ゴブリンの脅威は何といってもその数であり、個の能力はたかが知れている。一対一であれば、専門の訓練なしで打ち倒すことも可能だろう。
したがって、単体で複数の人間を蹴散らすゴブリンというのはきわめて異質であった。そもそも普通のゴブリンなら、そういう場合は戦わずに逃げ出すはず。つまり、このゴブリンは普通ではないということであり――
「英雄種、ですか?」
その種族の中で抜きん出た力を持った個体を指す言葉。たとえばアレス陛下などは、他種族から見れば人間の英雄種にあたるだろう。
魔人は英雄種から生まれる、という説もある。その真偽はさておき、もし今回の敵が本当に英雄種だとすれば、危険であることは言をまたなかった。
俺の推測を聞いたマルガは真剣な顔でうなずく。
「あたしはそう睨んでる。本来ならウチから誰か人をやって、詳しい情報を集めてから依頼の紙を張り出すんだけどね。相手が鬼族、それも英雄種となると、調査の時間も惜しいんだ」
最悪、情報を確認している途中で村が滅ぼされることも考えられる。今は巧遅よりも拙速を、というマルガの判断は正しいだろう。
「そういうわけで、あんたにはこの鬼族の退治、それが無理なら調査を頼みたいわけさ。事前確認をはぶいている分、報酬ははずむよ。どうだい?」
「もちろん引き受けます。調査ではなく退治の方を」
即答した。
英雄種とは、いってみればその種族の最高指揮官、つまりは王だ。発見し次第、可及的速やかに退治せねばならん。
マルガが口にした金額は銀貨五百枚。他の依頼より報酬が図抜けて高いのは、本来なら店が差し引く仲介料をそっくりこっちにまわしているためだろう。
女主人はさらに続ける。
「もし手に負えない相手だと判断したなら、その時は連絡を寄越しておくれ。追加の人員を送り込むよ。もちろん調査だけでも報酬は出すから、そこは安心してくれていい」
まあその際は多少報酬が減るかもしれないけどね。
そう言って流し目を送ってくるマルガに対し、俺は軽く肩をすくめてみせた。
◆◆
その後、手早く用意を済ませた俺はベルリーズを出て東へ向かった。
ついこのまえ通ったばかりの街道を進むこと五日あまりで街道の分かれ道に行き当たる。そこで道を折れ、さらに半日ほど進むと遠目にレルケの村が見えてきた。
村の健在を確かめた俺の口から安堵の吐息がこぼれる。到着した時にはすでに村が滅ぼされていたという最悪の状況も予測していたのだが、杞憂に終わったのは幸いだった。
暦は五月の半ばを過ぎている。
この広い大陸を徒歩で動き回ると、移動だけで結構な時間をとられてしまう。幸い今回は間に合ったが、今後のことを考えると、移動のために馬でも買った方がいいかもしれない。先の銀貨五千枚を使えば、馬の一頭や二頭買い求めることはできる。
そうしようか、とかなり真剣に悩んだが、問題がひとつ。馬を買ったら買ったで、エサ代やら馬屋代やらの維持費がばかにならない。必然的に花嫁資金が目減りしてしまうわけで、馬購入計画は棚上げせざるをえなかった。
村に到着した俺は、入り口で暇そうにあくびをしていた門衛にマルガの書状を渡し、村長のもとに案内してもらった。
村に入って最初に気づいたのは住民たちの間に漂う弛緩した空気である。警戒こそしているものの、肝心の敵が襲ってこないので拍子抜けしている、という感じだ。
それを見た俺は、どうやらまだ村に直接的な被害は出ていないらしいと推測する。この推測は的中し、白いヒゲを生やした初老の村長いわく、ゴブリンは人間に攻撃されたにもかかわらず、村には一切手を出してこないという。
村長は報復がなかったことに胸をなでおろしている様子だったが、俺にしてみれば、ますます件のゴブリンの異常性が際立ったと判断せざるをえなかった。
人間にかなわずに逃げ出したというならともかく、人間を撃退した上で見逃すゴブリンなんぞ聞いたこともない。
あれやこれやと考え込んでいると、村長が不安げな面持ちで俺を見ていることに気づく。どうやら俺が一人であることを不安に思っている様子だった。
俺がギール山道の魔物退治に一役買ったことはマルガの書状で知っているはずだが――まあ、手紙ひとつで信頼してくれ、というのも虫が良い話か。
あるいは、やって来たのが勇者イズでなかったことに落胆しているのかもしれないが、これは諦めてもらうしかなかった。
とはいうものの、依頼を引き受けたからには、今の俺の雇い主は村長であり、この村の人々である。
雇い主の不安を払うのも仕事のうち。というわけで、俺は今回の依頼が手にあまるようだったらイズに協力を頼むことを村長に伝えた。似たような約束を先日交わしたところなので、嘘をついたわけではない。
実際には、教団内で重要な役職についている人間が個人の判断で何日も都市を空けることは難しく、イズをレルケ村につれてくることはきわめて困難なのだが、そこまでくわしく説明する必要はないだろう。ようは俺がこの依頼をさっさと片付ければ済む話だ。
こうして、やや強引な手口で村長および村人たちの不安を散じた俺は、村の猟師たちの案内で森に向かった。
途中、件のゴブリンについて改めて話を聞いてみる。
ベルリーズを出てから五日が経つ。村に被害が出ていないことはすでに聞いていたが、他にも何か役立つ情報が得られるのではないか、と考えたのだ。
しかし、猟師たちの口から新しい情報が出ることはほとんどなかった。
ゴブリンが巧妙に身を潜めているというわけではなく、単に彼らの方が森に近づかないようにしているためだ。当然の用心といえばそれまでだが、これでは鬼族の動向がつかめるはずもない。
実はとうに森から逃げ出しているというオチはなかろうな、と俺が密かに心配していると年配の猟師が最後に一つだけ付け加えた。
「昨日、隣村で聞いたんじゃが、なんでも子供らが、やたらでっかい化け物たちを森の外れで見たとかなんとか騒いどったらしいすな。大人の倍ほどもあったっちゅうとりましたわい。もしやするとオークがうろついとるかもしれんですな」
一通りの話を聞き終えた俺は、とりあえず問題の森に入ってみることにした。
けっこう深い森らしく、先ほどの年配の猟師が「若いもんを同行させよか?」と申し出てきたのだが、これは丁重に断わった。
いや、人の手が入っていない森の危険さは十分承知しているので、同行者の存在は願ったりだったのだが、肝心の「若いもん」が見るからに顔を青ざめさせているのだ。貧乏くじを引かされた感がひしひしと伝わってきて、とても同行を頼める雰囲気ではなかった。なにより、あんな状態では、いざ魔物と遭遇したときに足手まといにしかならん。
ま、深い森とはいっても、ガルカムウの天嶮とは比べるべくもない。あそこのように魔物がうじゃうじゃいるわけでもないから、一人でも何とかなるだろう。
ゆえに気にするべきはそこではなく。
「ゴブリンも問題だが、オークの話も気になるな。連中は滅多に森に近づかないはずだが」
村人がたてた看板――魔物がうろついているため、許可なき者の立ち入りを禁ず――の横を通り過ぎながら、先ほどの猟師の話を思い起こす。
オークはその巨体ゆえに草木が密生している森では動きが制限される。何の理由もなしに森に入ってくることはまずないと考えていい。
「となると、ここにはオークを引き寄せる何かがある、ということになるんだが」
真っ先に考え付くのは、件のゴブリンが招きよせたのではないかという可能性だったが、おそらくこれはないだろう。
人間はゴブリンとオーク、それにオウガを鬼族と呼びならわしているが、それは俺たちが勝手に枠組みをつくっているだけであり、ゴブリンとオークの間に同族という意識はたぶんない。
子供たちが見たのが本当にオークだったとすれば、連中はゴブリンに招かれたのではなく、自分たちの目的で森に入り込んだとみるべきだ。
オークが棲家を離れて積極的に動くとなると、その目的は食欲か性欲の二つに一つであろう。
もしかしたら、この森にはエルフが住んでいるのかもしれない。オークは二重の意味でエルフを好むと聞くし。
もちろん、そもそもの問題であるゴブリンのことも気にかかる。
実際に戦った猟師の話によれば、なんとそのゴブリン、びっくりするくらい綺麗な金色の髪をしていたらしい。しかも、髪は地面に届くほど長かったとか。
俺が見たことのあるゴブリンの髪の色は黒、赤、あるいは褐色だ。もちろん細かな違いはあるが、少なくとも金髪は見たことがない。
まあ、たぶん褐色の髪が陽光に反射して、とかいうオチだと思うが、そもそも地面につくほど髪を伸ばしたゴブリンというのも初めて聞く。他にも両手で二本の短剣を巧みに操ったりと、軽く話を聞いただけでも普通のゴブリンとは異なる個体であることがうかがえた。
「さて、鬼が出るか、蛇が出るか」
目の前にある枝を叩き切った俺は、頬に張り付いた蚊をぺちんと叩き潰して小さくうそぶいた。
◆◆
それからしばらくの間、俺はひたすら鉈を振りながら森の中ほどにあるという泉を目指した。
村人に聞いたところ、ちょっとした湖ほどの大きさがあるそうで、ひとまずそこを探索の拠点にしようと考えたのだ。
運が良ければ途中でオークなりゴブリンなりと遭遇できるだろう――そうも考えていたのだが、幸か不幸か、鬼族の姿はおろか気配さえ感じることはなかった。
そうして、もうじき泉に到着しようかというときのこと。
不意にぴちゃん、ぼちゃん、という小さな水音が俺の耳朶を揺らした。
断続的に聞こえてくる水音は明らかに自然のものではなく、誰かが泉で水浴びをしているものと思われる。
これが村の近くであれば、レルケの女性たちが水浴びをしていると考えて引き返すところだが、ここは魔物がうろつく森の中、立ち入り禁止の立て札も確認している。
そんな森の真っ只中で、誰がのんきに水浴びをしているのか。
これが気にならない人間が果たしているだろうか? いや、きっといないに違いない。
俺は足音に注意しながら密やかに泉に忍び寄っていく。
十歳の頃から狩りをしてきた身だ、気配の消し方は心得ている。やっていることは狩りではなく覗きだったが、この状況で音の正体を確かめるのは、依頼のことを踏まえても当然の行動であろう。
もし水音の正体が鬼族であれば奇襲できる。たまさか森に迷い込んだ旅人が水浴びをしている、という可能性もないことはないが、そのときはそのときだ。黙ってこっそり立ち去ろう。
そうこうしているうちに、泉の様子を確かめられる位置までたどりついた俺は、今も水音が響いている場所をそっとうかがった。
真っ先に目に飛び込んできたのは輝くような金の色彩だった。
陽光を浴びた長い髪は、まるで一本一本が金糸で編まれているかのように鮮麗で、俺はその眩さに目を奪われてしまう。
この髪をなびかせてベルリーズの大通りを歩けば、十人が十人、必ず振り返るに違いない。さらに「これほどの美しい髪の持ち主はきっと美人に違いない」と浅はかに思い込むはずだ。今の俺のように。
そして、たぶん――
「くぬっふッ!?」
相手の顔を見て驚きのあまり声をあげそうになり、慌てて押しとどめようとして、かえって奇声をあげる羽目になるだろう。今まさに俺がそうしているように、である。
「――ゾルッ!?」
鋭い声をあげ、俺が身をひそめている木立をキッとにらみつけたのは――たぶん俺の想像どおり美しい女性なのだろう。ただし、美の基準は人間ではなくゴブリンだけど。
一糸まとわぬ格好をしているので、膨らんだ乳房やら、くびれた腰やら、小さなでん部やらが否応なしに目に飛び込んできて、俺は非常に複雑な気持ちにさせられた。
まあ勝手に覗いたのは俺だからして、自業自得以外の何物でもない。
それはともかく。
「……これ、どう考えても例のゴブリンだよな」
このまま容赦なく斬りかかり、斬り捨てれば無事に依頼完了ということになる。
どうやら向こうも俺がそのつもりで来たと思っているらしく、手近の岩に置いてあった二本の短剣を構えて、油断なくこちらを見据えていた。
ただ、その構えが奇妙に窮屈そうに見えるのは、無防備にさらされている裸身を何とか曲者(俺)の目から隠そうとしているから……なのだろうか?
どうしよう、と俺は本気で悩んだ。
このゴブリンの反応、なんかやたらと人間くさくて邪悪な感じを受けない。レルケの猟師の話からしても、そこまで人間に敵意を持っているわけではないのか。
しかし、だからといって放置できるものではない。このゴブリンが英雄種で、かつ何らかの企みを抱いていた場合、その害悪は他のゴブリンの比ではない。かかっているのは自分の命ではなく他人の命、疑わしきは罰せずなどと悠長なことは言っていられない。
視線の先にいるのは、今ここで確実に討ち取っておかねばならない相手である。
そのはずなのだが……
「ううむ、どうにもこうにも」
やる気が起こらん、と俺はがしがし頭をかいた。魔物を前にしたときに感じる集中や高揚がまったく湧いてこない。
体格や外見からしてゴブリンであることは間違いないと思うのだが、なんだ、この違和感は。
と、木々をはさんでにらみ合いを続けていた俺たちの耳に、突然第三者の咆哮が轟いた。
『ヌカエッ! ヌカウ、セレッ!!』
『ツキケ! ツキケ!!』
それは間違いなく複数のオークの声だった。
ゴブリンの身体がびくりと震え、咆哮が聞こえてきた方向に険しい視線を向ける。
金髪のゴブリンはこちらを気にかけつつも、素早く衣服がわりのボロ布を身体に巻きつけて反対方向に駆け出していく。
俺はゴブリンを追わなかった。というか、追えなかった。
前門のゴブリンと戦っている最中、後門のオークに襲われたら目もあてられない。
それに今の反応を見るに、ゴブリンとオークは反目しているようだ。もっといえば、オークがゴブリンを追いかけているように見える。
となると。
「放っておけば、オークたちがゴブリンを片付けてくれるわけか」
オークの目的が何であれ、魔物同士でやりあってくれる分には何の問題もない。
俺はそんなことを考えつつ、息をころしてオークが来るのを待ち続けた。




