第二章 金髪のゴブリン(三)
「五、六、七……八体か。けっこう多いな」
泉に姿をあらわしたオークの集団を見て、俺は小声でひとりごちる。
八体のオークは騒がしく吠えながら、どすんどすんと地面を揺らして俺が隠れている木立に近づいてきた。
さすがに八体ものオークと正面きって戦うことはできない。俺は忍び足で逃げ出そうとしたのだが、こちらが逃走に移る前にオークたちが動いた。進路を変え、先ほどのゴブリンが逃げていった方角に去っていく。
それを見送った俺は小さく息を吐き、木々の間から出る。そして、オークたちが戻ってこないことを確認した上で、先刻ゴブリンが水浴びをしていた場所を調べはじめた。
ともすれば脳裏をよぎる異種族の裸身を振り払って動きまわることしばし。俺は泉の底で何かが陽光を反射していることに気がつく。
靴を濡らして拾い上げてみると、それは葉っぱを思わせる形をした銀の鍵だった。精妙な作りをしており、かなりの値打ち物だと思われる。
あのゴブリンの物なのか、それとも元々ここに落ちていた物なのか。とりあえず後でレルケの村長にでも訊ねてみよう。
鍵を懐にしまい込んだ俺は、あらためて鬼族が去っていった方角を見やり、剣の柄頭に手をあてて考え込んだ。
「オークどもがゴブリンを片付けてめでたしめでたし――というわけにはいかないよな、やっぱり」
うまいことオークがゴブリンを倒してくれたとしても、その後、オークがこの森から立ち去るとは限らない。オークが人間の村に踏み込んでしまう可能性もあるし、追い詰められたゴブリンが意図的にその状況をつくりあげることもありえるだろう。
やはりゴブリンはもとより、あのオークたちも倒しておくべきだ、と俺は結論した。
今となっては、人間に敵意がないっぽいゴブリンよりもオークの方がよほど厄介な敵といえる。
一度レルケ村に戻って状況を報告したいところだが、再びオークたちを捕捉するまでの手間を考えると、ここで決着をつけてしまう方がてっとりばやい。
俺は鬼族たちの追跡を開始した。
オークの集団が進んだ道は地面の草が踏み固められ、木の枝は叩き折られていたので、追跡自体は楽なものだった。ときおり聞こえてくる咆哮のおかげで、彼我の距離も掴みやすい。
理想をいえば、連中がゴブリンを倒したところを急襲したい。ゴブリンがオークの二、三でも道連れにしてくれれば言うことはないのだが――まあ、さすがにそこまで都合よくは進まないか、と苦笑する。
オークの注意がゴブリンに集まっている今のうちに、不意打ちで一体でも二体でもしとめてしまえば、後の戦いが楽になる。
ただ、そうすると、今度はオークどものターゲットが俺に移り、肝心のゴブリンに逃げられてしまう可能性が出てくる。
さてどうしたものか、と俺が眉根を寄せたときだった。
いきなり、目の前の木立の合間から小さな影が躍りでてきた。
視界に飛び込んできたのは先刻と同じ黄金の輝き。
例の金髪ゴブリンが引き返してきたのだ。おそらくオークたちは途中でやり過ごしたのだろう。
俺にとっては予想外のことであり、おそらく向こうにとっても同様だったに違いない。目を丸くするゴブリンという、えらくめずらしいものを間近で見ることができた。
一瞬の空白は、耳打つ剣戟の響きによって破られる。
互いに呆けていたのは瞬き一つの間だけ。次の瞬間、俺たちは武器を抜いて眼前の相手に叩きつけていた。
二本の鋭利な短剣が、目にもとまらぬ速さで次々に繰り出されてくる。
それもでたらめにではない。力まかせの刺突を繰り返したと思ったら、いきなりフェイントをからめるなど、明らかにある種の『技』を感じさせる攻撃だ。
ゴブリンごときがどこでこれだけの剣技を修めたのか、と内心で舌をまく。
ただでさえ小柄で戦いづらい相手であることにくわえ、草木が繁茂する森の中は短剣の間合いだ。そこにきて、この尋常ならざる剣技である。
俺はたちまち防戦一方に追いやられた。
剣戟の音が木々の合間にこだまする。
精緻なつくりが施された二本の短剣を受け止める都度、視界で火花が散り、焼けるような金属音が鼓膜を揺さぶった。
五合、六合、七合、八合――うち交わされる斬撃の数はたちまち二桁に達し、なおもその回数を増やしていく。
たいていの場合、あるていど攻撃をしのげば敵は攻め疲れするものだが、このゴブリンは巧みに位置をかえ、タイミングをずらし、生じるはずの隙を最小限にとどめてしまう。
体格差を利して強引に押し込めば、痛烈な反撃がかえってくる。カウンターすら計算に入れた隙のない連撃を前に、俺は舌打ちを禁じえなかった。
「本当にゴブリンか、こいつッ!?」
思わずそんな言葉が口をついて出る。
そして、どうやら向こうも攻撃をしのぎ続ける俺に同種の感情を覚えていたらしい。
「チユア……!」
押し殺したゴブリンの声に感嘆の響きが込められていると感じたのは、たぶん気のせいではない。
ひときわ強烈な一撃をうち交わした後、俺たちは互いに距離をとって向かい合った。
無言でにらみ合う俺とゴブリン。
ドシンドシンという激しい足音に気がついたのはこの時である。この場所に向かって殺到してくる複数の巨大な足音。その主が誰なのか、今さら考えるまでもない。これだけ派手な斬り合いを演じていれば、オークたちに気づかれないはずがなかった。
◆◆
がさがさと激しく木々が揺らめいたと思った次の瞬間、醜悪な容貌をした巨漢が次々と木々の合間から躍り出てきた。
「ウチィィィィアアアアッ!!」
オークどもの巨大な口から一斉に歓喜の咆哮がほとばしり、美しからざる斉唱が実現する。
黒ずんだ顔。太い錐であけたような丸い眼窩。開かれた口からはよだれが垂れ落ちて、言葉よりも雄弁に「殺したい、犯したい」という欲望の所在を物語っていた。
むせ返るほどの害意が、ひどい体臭とまざって顔に吹き付けてくる。
たまらず俺は顔をしかめた。
それを怯んだと見て取ったのか、一体のオークが怪鳥のような叫びをあげて俺に飛びかかってくる。その手に握られている斧の刃は赤黒い錆びで覆われていた。
逃げようとしない俺を見て勝利を確信したのだろう、オークの顔に嘲笑めいた表情が浮かび上がる。
俺は剣をだらりと下げたまま、そんなオークを待ち構えた。
視界を覆うように突っ込んでくる巨体、振りかざされる大斧、荒い呼吸にまじって焼け付くような殺気が吹きつけて来る。
知らず、口許に嘲笑がひらめいた。
「あほうが」
相手が間合いに入ったと見るや、俺は無造作に動いた。
別段、剣に力を込める必要はない。なにしろ向こうから突っ込んできてくれるのだ。その動線上に剣を割り込ませれば、こちらの力は最小限で済む。
交錯。
オークが振り下ろそうとしていた巨大な斧が、重い音をたてて地面に落ちる。その柄は今も岩塊のようなオークの両手によってしっかりと握りしめられていた――ただし、いずれの腕も肘からばっさりと断ち切られていたが。
一瞬前まで勝利を確信していたオークは、あっという間に両腕と武器を失い、困惑したように立ち尽くす。
俺は返す刀で相手の頸部に強烈な一撃を叩き込んだ。
「――ッ」
鋭い呼気と共に刃が煌く。
重い手ごたえ。半ば両断されたオークの首から、ひゅうひゅうと笛のような音をたてて血があふれ出す。
自分の身に何が起きたのかも理解できぬまま、巨木が朽ちるようにオークは地面に倒れ伏した。
わずかに遅れて、別の場所から苦悶にまみれたオークの絶叫が響く。
先のゴブリンが飛燕のようにオークに躍りかかり、小さな体格を利用した鮮やかな動きで相手のかかとを深々と切り裂いたのだ
腱を断ち切られたオークはたまらず地面に倒れ、怒りと苦痛の声を虚空に轟かせる。
瞬く間に一人を失い、一人を無力化されたオークたち。
残りのオークの口から煮えたぎるような咆哮があがった。仲間を討たれた怒りの声。仲間を討った者たちへの憎悪の声。
感情が激する都度、口からたれ落ちるよだれの量も増していくようで、気のせいか、あたりを包む悪臭が一際濃くなった気がする。
「サワセッ! サワセェェェッ!!」
「ウゥゥリィィィイィッ!!」
怒声と共に敵が一斉に突っ込んでくる。
この狭い場所で一斉にかかってくれば同士討ちになりかねないのに、それを考える余裕さえないらしい。ただでさえ足りない脳が仲間を失った怒りで沸騰し、スープにでもなってしまったようだ。
これだからオークは戦いやすい、と唇の端をつりあげる。先にゴブリンを見かけたときには湧いてこなかった戦意が、腹の底から滾々とあふれ出てくる。
俺はちらと隣を見やった。
向こうも俺を見ていたようで、期せずして二つの視線が重なり合う。ほんの少し前まで斬り合いを演じていた敵ではあるが――今このとき、互いの意思は言葉にせずとも確認できる。
かくて、レルケの森を舞台とした即席コンビ対オーク集団の戦いが幕を開けた。
交錯する怒号と咆哮。
響き渡る苦悶と絶叫。
打ち交わされる剣戟に混じって血しぶきが飛び散り、汗と体臭、血臭が混ざり合って表現しがたい悪臭が嗅覚を侵してくる。
だが、戦いの高揚に包まれている今の俺には、それは取るに足りないことであった。
「殺ッ!」
気合と共に振るった一撃は、眼前にいたオークの肩口から胸骨までを深々と断ち切る。間をおかずに相手の身体を鉄靴で蹴りつけ、その勢いで敵の身体に埋まった武器を自由にした。
そんな俺の隙を狙って、横合いから別のオークが棍棒を叩きつけようとするが、その足元を駆け抜けた小さな影が横槍を許さない。
小身を利して、ひたすらオークの腱を刈っていくゴブリンの存在は俺にとって心強いものであり、オークにとっては危険きわまりないものであった。
大鬼が小鬼を狙って棍棒やら斧やらを叩きつける。が、金色の髪を翻らせるゴブリンは驚くほどたくみに攻撃をかわしていく。踊るようなその動きは、あたかも宮廷で見る舞踏のように流麗で、ゴブリンの容姿をのぞけば――いや、それを含めても目を引くに足る華があった。
戦闘の高揚に猛っていたはずの俺は、一瞬の半分ほどの間、小さな鬼族の動きに見惚れてしまう。
と、間近でオークの咆哮があがり、俺は我に返る。
あぶねえ、ゴブリンに見惚れてオークに殺されるとか、しゃれにもならん。
打ち込まれてきた攻撃を避けると、お返しとばかりに相手の腹部を切りつけ――自分の判断ミスに舌打ちする。
ここまで幾度も鬼族の身体を切り裂いた刀身には、敵の血と脂がこびりついており、すでに刃物としての切れ味は失われている。腹への攻撃は表皮に傷をつけた程度で、大してダメージを与えられなかった。
が、それならそれで鈍器として扱えばいい。
体勢を立て直した後、力を込めてオークの側頭部を殴打する。刀身を通して、頭蓋を割る確かな手ごたえが伝わってきた。
声もなく地面に崩れ落ちるオーク。その間にもゴブリンは残るオークに襲いかかっている。
気が付けば、勝敗はあっさりと決していた。
◆◆
腱を断たれてうめくオークにとどめを刺した後、俺と金髪のゴブリンは立ち込める悪臭から逃れるように無言でその場を離れた。
立ち去る方向が同じだったのは共闘で友情が芽生えたから――ではなく、単にそちらが泉の方角だったからである。俺は服についたオークの血や唾液を早く洗い流してしまいたかったし、ゴブリンの方も俺と同じ気持ちだったと思われる。
一定の距離を置きながら、俺たちは来た道を引き返した。
健闘を称えあうような間柄ではないし、かといって今すぐ先刻の続きをする気にもなれない。
というか、本気でこのコブリンは何なんだ。たぶん英雄種だと思うが、だとしてもあまりに規格外だ。
何よりも妙なのは、この相手を前にしても一向に戦う気が起こらない俺自身。
こいつ、実はゴブリンに姿を変えられた人間だったりしないだろうか? それなら色々と辻褄が合うのだけれど。
泉が見えてきたところで、俺は思い切って相手に向き直った。
向こうがかすかに緊張したのが見て取れる。
そんな相手を油断なく見据えながら、俺は対話を試みた。
鬼族は人間と意思疎通できるが、それはあくまで向こうが人間の言葉を理解している場合にかぎる。もしくはこちらが彼らの言語を理解していることが前提だ。
ちなみに俺はゴブリンの言葉もオークの言葉も理解できないので、このゴブリンが人間の言葉を理解できなかったら対話は強制終了である。
「……俺の言葉を理解できるか?」
柄にもなく緊張しながら問いかける。
すると、相手はほとんど間を置かずにうなずいた。
うなずく、という動作が人間とゴブリンの間で同じ意味を持つかは分からないが――返答のタイミングからして、こちらの言葉を理解したのは間違いあるまい。
俺は軽く唇をなめてから次の問いを放った。
「お前、本当にゴブリンか?」
とてもそうは見えない、という気持ちを込めてたずねてみる。
質問はシンプルに。あまり複雑な問いを放っても向こうが理解できないだろうし、長々とした答えを返されてもこちらの理解がおいつかない。
今度はやや間を置いてから、首が左右に振られる。どうやら動作の意味も人間のそれにならうらしい。
英雄種がこちらをたばかっている、という可能性を考慮しながら俺は次の問いを口にした。




