泥濘の讃歌
「よし、二戦目スタートだ! 次は必ず捉えてやる!」
大気を引き裂くようなデーモンの雄叫びが、荒野に轟いた。その声には、先ほどまでの冷酷な愉悦ではなく、獲物を絶対に逃がさないという、捕食者としての純粋な闘争本能が宿っていた。
アカネは深く、鋭く息を吸い込み、再びあの境界線の向こう側――異形たちの領土へと足を踏み入れた。
すべては、ただ生き延びるために。己の命の灯火を明日へと繋ぐために。
「カバディカバディカバディカバディカバディカバディ……」
唇から紡がれるのは、意味を持たないはずの奇妙な音節の連なり。しかし、それを唱え続けるアカネの瞳には、一切の迷いはなかった。地を滑るようなステップで間合いを詰め、獲物を狙う肉食獣の如き速度で、デーモンたちの巨体へと迷いなく手を伸ばす。
「くそっ! また触れられた!」
「油断してんじゃねぇよ! さっきの一戦で、コイツの異常な素早さは身に染みてわかってんだろうが!」
焦燥に駆られたデーモンたちの怒号が飛び交う。だが、一度恐怖の限界を超えたアカネの身体は、驚異的なまでのキレを見せていた。
一人、また一人。
「カバディカバディカバディカバディカバディカバディ……」
荒い呼吸の隙間を縫って、その呪文は途切れることなく空間を支配していく。
さらに一人、そしてまた一人。
「カバディカバディカバディカバディカバディカバディ……」
泥を撥ね、風を切り、アカネの指先は確実に異形たちの肉体を捉えていく。その確実な接触のたびに、戦場の空気は奇妙な変質を遂げていった。
「くそっ……! 人間如きを、どうして誰も掴まえられねぇんだよ……!」
デーモンたちの瞳から、かつての「弱者を蹂躙する陰湿さ」が消え失せていく。代わりに宿ったのは、目の前の小柄な人間に翻弄される悔しさと、それを何としても組み伏せたいという、剥き出しの熱情。彼らの心は、今や純粋に燃え上がっていた。
「カバディカバディカバディカバディカバディカバディ……!」
そして、アカネの心もまた、熱く火照っていた。
死の恐怖から始まったはずの足取りは、いつしか己の限界に挑む歓喜へと変わり、奇妙な高揚感が彼女の全身を突き動かしていた。
スポーツとは、本来そういうものなのかもしれない。
ルールという絶対の檻の中で、互いの全存在を賭けてぶつかり合うとき、魂は激しく明滅し、そこに言葉を超えた相手への深いリスペクトが生まれる。それは、人間とデーモンという、決して相容れないはずの種族の断絶さえも、いとも容易く飛び越えてしまう奇跡だった。
この日、洞窟の泥濘の中で交わされた奇妙な遊戯ーー。
それこそが、後に人間とデーモンの間に不戦の誓いをもたらし、永きにわたる友好的な関係を築く最初の一歩となるとは、この時誰も知る由はなかった。
今では、半年に一度、平和の象徴として盛大な「カバディ大会」が開催されている。かつて勇者と呼ばれた彼女が残したその競技は、世界を繋ぐ絆となったのだ。
さぁ、机を離れ、外へ出よう。
身体を動かそう。
かつて一人の少女が、命を賭けて証明した、あの熱いスポーツをしよう。




