七話
街を流れる人波で埋め尽くされた雑踏。
見渡すばかりの人の波、人、人、人
人口十万を越えるこの町でこの時間帯は学生、会社員等帰宅する人々で溢れていた
刀也はそんな人ごみの中、両手に買い物袋を持って歩いている
食料買い出しの帰り道の途中だった
家に備蓄してあった食料の買い置きが尽きかけてきたのに気付いた彼は鞄や自転車といった荷物を置いて近くの商店街まで買い物に行ったのだ
今回のメインはコンビニ食では無く、ある程度保存の利く惣菜を中心に米やインスタント食品といった手軽に調理出来る簡単な物ばかりチョイスした
調理は自分で出来ないこともない刀也だったが、自分でするのは面倒臭い上に時間も取るし、手間がかかる
その上、彼自身あまりやる気は無かったので、自分で夕食を作るという風な自発的な行動を忌み嫌う程の面倒臭がり屋だ
少しでも手間がかかることはあまりやりたくないのが本音、自分の興味外にあるものはなるべく積極的に手を出さないのがここ最近は主流になっている
昔はこうでも無かった気もするのだが、母の失踪が刀也から気力を奪い、感性を鈍らせダラダラと生きる要因と化したのはしかたない事なのかも知れない
得にきっかけが無ければ改善しようとは思わないし、別にそれでも構わないとも彼は考えている
悩んでいても自分を突き動かす程の活力が湧水の様に出てくることなんて皆無だと考えていたし、最近は些細な事にすら悩む事を放棄してダラダラと惰性に任せた日々を送っている毎日だった
彼に現状を変える気はさらさら無かった
つい先刻までは
(…?)
視線を感じる。別に不自然と言い切る事でも無いような気もする
この人ごみの中だ、幾らかの他人の視線上にたまたま自分が突っ立っているという事実も有り得る
また、そういった見解も出来る、しかしながら、この気配はそれとも違う気がした
謎の視線は見えない圧力となり刀也の背中に突き刺さっているような感覚すら覚える
何故か昔から勘だけは異常に利く。自分でもこればかりは自信を持てるし、頼りにしている
無視して歩いていても、曲がり角をわざと幾つか曲がっても視線はぴったりと彼の背中に張り付いていた
ここまで来ると刀也自身、自分が何者かに尾行されていると気付いた
それでも彼は歩き続け、ある程度人が少ない狭い路地に入った瞬間に尾行者を確認する為、振り向いた
やはり居た
刀也に視線を突き付けていたであろう人物は隠れることすらせずに堂々と彼の前に立っていた
不自然な程に整った美貌を持つ柔らかい雰囲気を抱かせる女性は笑みすら浮かべた余裕の面持ちで刀也の前に堂々と立っていた
「あんた。いったい俺に何の様だ?
『まさか行き先がたまたま一緒だった』なんて寝ぼけた言い訳をするつもりじゃ無いだろうな?」
四の五も言わず、単刀直入に切り出す
相手が女性で在ることさえも忘れて、警戒心を剥き出しにした攻撃的な口調と言葉で自分を付け回してきた尾行者を問い質す
この女は只者では無い
何故か胸騒ぎを覚える
悪い予感がする
それに、
(この既視感は何だ?)
刀也自身、こんなモデルの容姿を持つ女性は知らない
それに此処まで目を引く容姿の人物がこの町に住んで居るのであれば何回かは顔を会わせているはず
その時に女性の顔を覚えていない筈がない
記憶に無いはずがない
女性は笑みを浮かべていた
白いワンピースにレース生地の半袖
それに短すぎないスカート
肩口まで揃えた綺麗なな金髪
人形のように整った顔立ち
形のよい桜色の唇
前右にわざと伸ばした前髪を銀色の留め具で括っているのは一種のアクセントになっていた
それら全ての要素を備える美人だが歴戦のナンパ師ですらも声を掛ける事を一瞬躊躇わせるかの如く雰囲気を纏わせていた
まるで世の中から浮き出ているかのような
有名モデル雑誌の表紙を飾らせれば印刷紙の外からも老若男女問わず癒やしてしまえそうなオーラ
容姿だけ見ればそう感じるだろうが、直に遭って肌で雰囲気を感じるのと、写真越しに美貌を堪能するのとはまた別の話だった
それが異常だった
そして、これ程整った容姿を持つ彼女が人通りが比較的少ないとは言え一目を惹きつけない筈もない
なのにも関わらず二人の周りを闊歩する通行人は振り向きすらしない
まるで二人の存在を意図的に無視しているかのように
否、二人の姿すら全く見えていないかのように通り過ぎていくのだ
刀也自身、最初は自分が少し大きな声を発した事により、荒事に巻き込まれたくない臆病な一般人達が自分達をワザと意識せずに知らぬ存ぜぬで知らんぷりしているのかとも考えた
それが最も常識的な考えだ
なら、何故通行人は刀也達を大きく避けずにすれ違う位の距離で通り過ぎていくのだろう?
接触の可能性もあるのに?
それすら若者の道徳が荒廃し、昔に比べて遥かに治安の悪くなった日本では最悪の場合、訴訟沙汰にまで発展するようなトラブルの種になる可能性もある
ならば何故通行人は『刀也達を見ずに彼等から最小限避けるようにして歩いている』のだろう?
此処は狭い通りとは言え、それに比例して人通りも少ない
しかしながら今は夕方の帰宅ラッシュの時間帯だ
全く人が居ないわけがない
わざわざ接触の危険を侵してまで自分達に近付いてやる必要性ま全く無いのだ
女性はそれが自然で有るかのように振る舞っている
ならば、考えにくい事ではあるものの彼女がこの異常に直接または間接的に関係していると言い切れないだろうか?
「あんた。一体何をしたんだ?」
女性が笑う
「ふふ、
ここは初めまして、なんて言うべきかしらね」
自分を尾行しといてあからさまに開き直られた態度を取られ刀也の頭に少し血が上る
「勝手にストーカーしといてはじめまして?
ふざけるのも大概にしろ?」
刀也自身驚いていた。此処まで自分が感情を晒し出したのは母が失踪した直後以来だったからだ
「そんなに怒らないで、私は君が嫌いじゃないから」
ぞくり、とした
この女は自分を以前から知っているのか?
「何で俺を尾行した?」
先程と比較して幾分落ち着いた声音で問う
「伝えたい事があったから」
「?」
そんな事は全く心当たりが無い
一体彼女は自分に何を伝えたいというのか
「あなたを狙う暗殺者がそろそろこの街に着くわ」
暗殺者
狙う
俺を?
「な、何を言っているんだ?」
突然出てきた暗殺者という単語
それに自分が狙われているという状況
あまりの驚愕により刀也の思考は一瞬止まった