035.クレア・ベイリーは洞窟を彷徨う
「このダンジョンで、はやく父さんを見つけなきゃ」
もうじき十七歳になるエルフの少女、クレア・ベイリーは洞窟の中をさまよっている。
失踪した父の手がかり(あるいは亡骸)を探そうと、この町のギルドに飛び込んだのが今から一時間半前のことだった。
愛想のない受付嬢から「それ」が十年以上も案件から外されたダンジョンであると知らされ、冒険者として潜ることは諦めた。
冒険者登録するならば十七歳になるまで待たなければならないが、その必要もなくなったクレアは、来たときと同じく弾丸のようにギルドを飛び出した。
「生きてだれひとり、戻っちゃ来てない場所だよ」
そんな言葉を無視して、町で聞き込み、森の中を歩み進め、探し当てたダンジョンーー。
洞窟を封鎖する木製の板切れを蹴破って、飛び込んでみた。
眼前には自然界の産物ともいうべきゴツゴツした景色が広がっている。
岩場をいくつか越えるうち、自分が地底へ歩みを進めていると気づいたころには、身ひとつで漆黒の闇に放り投げられていた。
ランプを片手に、ダンジョン内を探る。
薄紅色の花弁を広げた気味の悪い魔草がそこかしこに咲いているのが見えた。花の芯となる部分には目玉のようなものが埋まっていてこちらを見ている。
微かな甘い腐臭。
生物ではないが、魔草である。マナの樹木同様に、この世界に魔法がもたらされたその日から存在する悪意をもつ植物だ。
「怖いなぁ」
クレアは形のいい唇で、とっさにそう呟いた。
それから間もなくしてである。ボロ切れをまとったゴブリンに何度も何度も襲われ、交戦した。
恐怖を嗅ぎ分けるかのように、大小さまざまなゴブリンたちがクレアにつきまとい、牙や刃物で襲いかかる。
クレアも身を守りながら逃げるのに必死で、襲いかかるゴブリンたちの命を奪うまでには至らず、浅い傷をいくつか負いながらダンジョンの隅々をくまなく探索した。
冒険者たちの残骸がそこかしこにあるのが分かった。脱ぎ捨てられた鎧や剣の欠けたもの。
不思議と白骨死体に出くわすことはなかった。
「父さんならば、あのペンダントを胸に持っているはず」
記憶の中の父が着込んでいた鎧を思い浮かべ、どこかに横たわっていないかと注意深く見て回った。
◆
病弱だった幼年時代の記憶。
クレアが原因不明の高熱にうなされる度、祈るようにして看病する母がいた。
父はというと、どこか遠くの町で開業しているという医者や、高名な祈祷師、魔法使いに金を握らせ連れてきた。
「これはただの病ではない。かなり強力な呪いだ。誰かに恨まれることをしていないか。そいつがアンタの娘を殺そうとしている。大きな声じゃ言いにくいがここまでのモノを解除するには魔族の力が必要となる。毒をもって何とやらだ」
クレアの寝室で、初老の魔法使いの言葉に父は激昂した。
「私に悪魔と契約しろと言うのか」
そこまで言いかけて、父は溜息を漏らす。
「心当たりはある。私は処刑人だ。領主さまに仕えこの町の役人として仕事を全うしているだけだが、斬首を前にした奴らからすれば、またそいつらの家族からすれば命にかえても地獄にたたき落としたい相手だろう」
これは後から知ったことだが、父は罪人、とりわけ冷酷な大量殺人者をギロチンにかける仕事を請け負っていたらしい。
だとすれば、逆恨みした死刑囚が首をはねられる直前、最期の魔法ーー、呪いを処刑人の家族にかけたとしても、おかしくはない状況。
「分かった。唯一の解決方法が見つかっただけでも有り難い」
父ーー、ブルース・ベイリーが姿を消したのはその翌日。
父が姿を消してしばらく経ったある晩、クレアは悪夢にうなされた。それは数え年で四つの時の記憶。
紫がかった闇に染まる洞窟内に、クレアはベッドごと転移していた。
蝙蝠でもいそうな天井からポタポタと滴がこぼれ落ち、そのいくつかは鍾乳洞化しているのが分かった。
ふいにベッドの脇に、黒い影が現れた。
黒い影の正体は、今思えば父が契約した「悪魔」だったのだろう。影を脱ぎ捨てて化け狐じみた醜悪な姿を晒すと、クレアの身体からどす黒い霧のようなものを吸い取った。
クレアは身体の熱や気だるさ、吐き気が静かにおさまるのを感じた。
化け狐はクレアの顔をのぞき込み笑う。苦痛を除いてくれた相手に違いはないが、化け狐への嫌悪感は拭えなかった。
「ぎょひひ。呪い返しを得意とするワシがいるこのダンジョンに来て正解だったな」
「本当に呪いは解けたのか」
遠くで父がこちらを見ている。
父の姿はとても、とても小さい。お父さん、と手を伸ばしても届かない場所にいた。
「間違いない。悪魔は契約時に嘘はつけない。そんなことをしたら消滅しちまうからな。ぎょひひひ」
「契約成立だ」
と、父は悪魔に言った。
「人間のその感謝の心が、契約成立の瞬間だ。ぎょひひひ。魔法で叶わぬ願いはこうやってワシたち悪魔に願うしかないのよ、ぎょひひ。今この瞬間からお前の身体はワシのものだ。ぎょひひひ」
狐の悪魔は父とともに去っていった。クレアは父さんと叫びながら、手を伸ばし続けるも目が覚めると、そこはいつもの部屋だった。
健康と引き替えに失ったもの。
「父さんは私のために悪魔憑きになったんだ」
あの日の悪夢について、事実確認ができる年頃になったクレアは、大叔母の家に魔法の勉強をしに行くと母に嘘をつき、なんとか町の通行許可証取得の手続きをしてもらい家を出た。
冒険者の許可証を取得できる年齢であるのと、ここ数年間、図書館で国内のダンジョン文献を読みあさり、あまり詳しい情報は得られなかったが、父を最後にみた夢の舞台が「トラッパ」という町の未到達ダンジョンに酷似していることを突き止め、父に会いに行くつもりでいくつもの山を越え、はるばるここまでやってきた。余談ではあるが大叔母の住む町は、このトラッパよりもさらに南にある。
父が生きれいればそれでいい。命を落としていれば亡骸を連れて帰り、悪魔憑きのまま、さまよっていれば…安らかな眠りを与えてあげなければならない。
クレアはロケットペンダントの中にある若き日の父の写真にキスをして、ダンジョンを歩み進める。
◆
クレアが父の手がかりを探し歩む岩場には、常にあの魔草が咲いている。陰湿なジメッとした空気が皮膚にまとわりつき、恐怖心を増幅させた。
クレアの装備は針のように先が尖ったレイピアだけ。
貯めた小遣いを使い、古物商から買い取ったもので、その攻撃力は怪しい。「光」と「闇」の魔法をそれに纏わせ、道中、盗賊や野獣を撃退したことはあれど悪魔憑きへの効果はいかほどか。
ここまでに出くわしたゴブリンたちの恐ろしい姿が脳裏によみがえった。
「父さんを見つけて早く帰ろう。未到達ダンジョンだなんていうけど、ゴブリン退治に目がくらんだ冒険者たちが身を滅ぼしただけのことだわ。注意してれば平気なはずよ。こんな恐ろしい場所、早く出なくちゃ」
クレアの口をついて出た言葉と同時に、岩壁の向こう側に巨大な影をみた。
それは姿をすぐに現した。
醜悪な緑色の肌に黄色く濁った眼球。鋭い牙。
悪魔憑きや魔獣とは、また別の悪しき存在ーー、魔族の最下層にして、ホビットやドワーフと異なる進化を遂げた小人族ともいわれる…
「ゴブリン…しかも、あんなに大きな。なぜなの」
クレアの前に立ちはだかるゴブリンは巨人族ーー、ジャイアントに見まがうほどの体躯をもっていて、どこぞの兵士のような鎧を纏っている。
「このダンジョンのゴブリンたちは、身体つきがおかしいわ」
本来ならホビットやドワーフと同じくらいのサイズなのに。
そう思いながらレイピアを構えるクレアを前に、醜悪な巨大ゴブリンは、こう言った。
「待ってくれ、攻撃しないでくれ!」
あっけにとられるクレアに対し巨大ゴブリンは手にしていたバトルアクスを地面に投げ捨てて、さらにこう続ける。
「私は敵じゃないんだ!信じてもらえないだろうけど」
気を許させて一気に攻撃をしかけてくる可能性も大いにある。クレアはレイピアを構えつつ、巨大ゴブリンとの間合いを詰めたーー。
巨大ゴブリンはさらに、こう言った。
「君は女性だよね。君も私の敵じゃないよねーーーー?」




