023.魔族エルフは過去の夢を見るのか?
突風防壁の中、風車治癒を発動中。出血は止まり傷口はボコボコと塞がる。身体中のダメージが癒えてゆく。あともう少し、あともう少しだ。
「あの小僧め」
魔族エルフは臍を噛む。
傷が完全に癒えたら、この防壁魔法の外で攻撃魔法をやかましく唱えてる衛兵たち五人を始末し、早々にあのクソガキも殺そう。そう思った。
◆
魔族エルフは自分が何者なのかわからなかった。
記憶の所々がごっそり抜け落ちていて、いくつかの断片的な映像と「クレア」という人物名が脳みその片隅に残っている。
だがその小さな手がかりを元に、自分とは誰なのか探索するつもりなど毛頭ない。いや、なくなった。
自分というものの比率が徐々に少なくなっていって、心に巣食う黒い影が自分の代わりに思考や肉体を動かし続ける中、いっその事すべてをやつに任せようと思い始めたからだ。ならば過去のことなど、どうでもいいではないか。
それに、黒い影から身体を奪い返そうとすると苦痛を伴う反面、身体を預ければ快楽の中で安眠できる。ただでさえ自分に甘かった男として当然の結論。薄れゆく意識の中にあっても、自分が普通のエルフだった頃のふがいなさを無意識に詰っていた。
そう。おれは元は普通のエルフだった。
おぼろげな思考。物事には発端というものと因果の所在が必ず存在する。先ほどの結論どおり自分が誰なのか探索するつもりはないが、自分が誰だったのかについて全く考えないわけではない。
まぁ一つだけ言えるのは自分はかなり昔に、ここからそう遠くないダンジョンに潜り、悪魔と何かの契約をしたということ。そしてその悪魔は自分の願いを叶えてくれたということ。悪魔は肉体を持たぬ代わりに契約者に憑依するということ。自分の心の大半を支配し、自分に成り代わろうとしている黒い影の存在こそが、その悪魔だということ。
「願いを叶えてもらった。約束は約束だ。それにそいつに身を委ねていた方が気持ちいい。そいつが私でいる間、私の魂は苦痛のない場所で安らかに眠りに就ける」
これは、かつての自分だった私の本音。
「さっさとこいつの肉体を支配して、もっと自由に殺戮と破壊を楽しみたい」
これはワシの本音。だがかつての自分ではなく新しくこの身体の宿主になろうとしている悪魔の本音だ。
どこまでが昔の自分で、どこからが侵食された自分かの線引きも難しくなってきた。
もう、眠い。眠ろうか。
「クレア…もう一度お前に会いたかった」
深い闇に吸い込まれてゆく。
◆
「あの小僧。殺してやる」
魔族エルフは突風防壁を解除。
ぐるぐると渦を巻いていた竜巻が徐々に落ち着きを見せ、今さっきまで自分が破壊の限りを尽くしていた商店街の廃墟が視界いっぱいに広がった。
「金属鎧」
防壁魔法を解除した同時。たった一秒後。
魔族エルフの魔法詠唱とともに、白銀の液体が足元から頭頂部まで命を得た水銀のように広がった。風属性と金属性の魔力を行使できる魔族エルフは、頭の先からつま先に至る全身を鋼鉄の鎧で覆い、戦闘に備える。
「くたばれ!悪魔憑きめぇ!!!!」
甲冑姿の衛兵五人が、思い思いの魔法攻撃を仕掛けてくる。
炎の剣筋。光の剣筋。雷による衝撃や同じ金属性による硬化魔法による攻撃などもあれば、闇魔法による俊敏な剣戟もあった。
どれもこれも何がしかの魔導具によって増幅されたと思しき魔法攻撃だった。
規模が大きければダメージに至ったかもしれないが、小さな炎、光速とはいえ重みのない剣、人が創った程度の小さな雷、金属同士といえこちらよりも硬度の低い剣、闇の剣に至っては光り輝く金属の鎧に黒い小傷を残すのみでこちらのダメージになり得るほどのものではない。
音や輝きだけは派手で、ボウ、キンキン、などと騒々しい。
「人族と魔族の格の違いを見せてやろう。ぎょひひひ」
魔族エルフはまるで白銀のライフマスクのような、金属で覆われた顔面に浮かぶ目元や口元にグニャリと柔らかくも嗜虐的な笑みを浮かべ、右手を振り上げ風属性の魔法を巻き起こす。
「疾喪」
魔法詠唱とともに疾風。
廃墟と化した町並みに突如表れた台風。鼓膜をつんざく風による暴力。衛兵五人のうちヒューマン族の二人がそれに捕まり舞い上がる。
「ユーギン!グリドフ!」
舞い上がった衛兵らの名を叫ぶのは、先ほど魔族エルフが殺そうとして小僧に庇われた、たしか衛兵長と呼ばれていた男。
と同時に、
「刑法九十五条および九十六条、衛兵への公務執行妨害罪の適用」
衛兵らの甲冑の胸元に吸い付いていた衛兵バッジが輝き、音声を発した。
「そうだ!この手があった!」
衛兵らは声をあげる。
やがてブブブブン…という音とともに魔族エルフの半径二メートルに黒い鉄格子が出現。
「ぎょひひひ。闇属性の牢獄か。衛兵らしい小細工」
「やったぞ!」
台風に呑まれずにいた衛兵ら三人がガッツポーズをするが、魔族エルフは闇の牢獄内でも笑みを絶やさず、すさまじい回転をはじめる。
「螺旋風独楽」
風属性の魔法詠唱。まるでそれは金属の塊でできた独楽のようだった。魔族エルフが牢獄から消える。
同時に数メートル離れた地面が盛り上がり、そこから再び魔族エルフが姿を現す。
「ぎょひひひ!出たぞ!」
「地面をえぐって脱獄しやがった」
衛兵の一人が苦々しく呟く。
「緊急。闇牢獄が適用されませんでした。衛兵は各自、武力による制圧を行使してください」
衛兵バッジが機械的に状況を言葉にする。
そして魔族エルフが地面に潜ったことによる隙が生じた為か。
「ぐわああ」
十メートルほど舞い上がっていた二人の衛兵、ユーギンとグリドフは台風の消滅と共に地面へと落下。背中を強く打ち苦痛に顔を歪めながらも、絶命には至っていない。
闇の牢獄による捕縛を免れた魔族エルフは金属の仮面の下の薄ら笑いを止めなかった。
「くそっ」
立ち上がったのはユーギン。先ほどの続きと言わんばかりに再び雷属性の魔力を剣に纏い魔族エルフに突進しようと画策しているのだろう。魔法詠唱をはじめる。
しかし、ユーギンの剣にその雷属性の魔力が宿ることはなかった。
「くそっ、なぜだ!なぜ魔法が出ない!」
「ぎょひひひ」
「この俺に何をした!!!さっきの台風は何だったんだ」
魔族エルフに向かってユーギンが怒号を飛ばす。
「キサマらが魔法攻撃しようと通じないが、その魔力をすべて奪った。ただの人間に戻り恐怖しながらワシに殺されろ」
先ほどの「疾喪」は相手の魔力をすべて奪う魔法だった。その台風に捕まった者が保持する魔力は、すさまじい風魔法の遠心力により遥か遠くに吹き飛ばされマナの果実の元へと還元される。
魔族エルフの言葉にユーギンとグリドフが怯え始め、衛兵長は「魔法が使えないなら二人とも下がってろ」と指示を出す。
「あの小僧はどこだ」
魔族エルフはあたりを見回す。あの火炎弾や火炎矢を自分に浴びせまくったあのクソガキはどこだと見回す。やつは姿を消していた。逃げたか?いや違う。やつは何かを準備しているに違いない。
「お前の相手はオレたち衛兵だ!!!」
弱きものが見せる些細な勇気。
あの小僧はさきほど衛兵長を救った。自分のために誰かが死ねば悔しがるに違いない。
「ならば小僧より先に死ね。わざと半分だけ食い残して小僧に見せつけてやる!ぎょひひひ!!!」
こいつら衛兵たちの勇気を踏みにじり、惨殺してやろう。魔族エルフは嗤いながら金属の鎧の両手部分を刀剣状に変化させると、衛兵たち五人に襲い掛かった。




