021.復活する創司、立ち上がる衛兵長たち
虹色のカーテンが開く。
グレゴリーの発動した「時間遡及」により、おれの身体は五分前の状態に戻っていた。
「アデル…」
意識が途切れる寸前に見た光景の続き。魔族エルフはアデルの元へ歩み寄り続けている。おれは仰向けの状態からむくりと起き上がり、身体の状態を確かめた。
「問題ない」
この現場に衛兵長らと強制転送された直後の状態にまで戻っている。あれがちょうど五分前だったのだ。
また周囲の環境が何も変化していないところを見るとグレゴリーは「おれの身体」だけを五分前の状態に戻してくれたのだ。
おれは向こうの建物の陰に隠れた衛兵たち六人に親指を立て、使いこなせない四神剣を背中の鞘に収めた。衛兵たちが息を呑むように頷く。
おれは魔族エルフの背中を睨んだ。やつはおれが復活し立ち上がったことに気づいていない。
(怖い…怖すぎるぜ)
さすがに魔族エルフに半殺しにされた恐怖までは取り除かれていなかった。身体は五分前に戻っていたが、脳つまり記憶だけはそのままだからだ。記憶まで五分前に戻っていたら同じことを繰り返してしまう危険性があるためグレゴリーが気を利かせたのだろう。
(やってやるぞ…このままじゃアデルがやられちまう)
アデルはマナの果実を齧ろうとしている。魔族エルフはそれを嘲笑いながら歩み続けた。
「こんなとこで…こんなとこで…ヒーローが逃げちゃいけないんだ」
おれは震えだしそうな身体を必死におさえつけ、魔力の発現から選択、行使までの三段階を短縮させるための「魔法詠唱」をはじめる。魔族エルフが振り返る前に。
「火炎弾!!!」
ボォウウウ…と音を立て、おれの手のひらに現れたボーリングサイズの揺らめく炎の球体。そしてダッシュ。
「らぁぁぁぁぁ!!!!!!」
アデルに歩み寄る魔族エルフの後頭部へと火属性の魔法攻撃を叩き込む。ボウウウ…ンと爆音。
「ぎょひ!!!きさま、なぜ動ける」
焦げ頭の醜悪な魔族エルフがおれを振り返る。鮫のような歯の隙間から黒い霧が吐き出された。
背筋が凍った。さきほど半殺しにされた恐怖がよみがえる。だが、おれがやらなきゃアデルは死に、逃げ終えた町民たちも殺されてしまうだろう。おれはヒーローだ。英雄なんだ。
「渦闇」
おれは覚えたての闇魔法を詠唱。
ブゥゥゥン…という重低音のする闇の霧の中へと身を隠し、全速力で疾走。アデルの元へ。魔族エルフがおれの姿を見失いキョロキョロするのが渦闇の中から見える。
「アデル!!!」
短距離走の記録が学年一のおれはアデルのもとへすぐにたどり着いた。あんた体育の成績だけはいいねと母親は嘆いてたが、やっぱりいざという時に使い道があるじゃないか。
「創司さま!!!」
「すまない、アデル」
アデルを抱き寄せ自分と入れ替わるようにして、黒く開いたままの渦闇の中へとむりやり押し込む。
「創司さま、なにを」
ブゥゥゥン…。闇の扉は閉ざされアデルの姿はこの世界からすっかり隠された。
これでアデルはおれが魔法を解除するか、もしくはおれが死なない限り闇の中から出てこれない。
同時にそれはおれ自身が身を隠せなくなったことを意味する。今のおれでは渦闇を一つ創り出すのが限界だからだ。体力測定と同様に魔法の才能があればと悔やんでもどうしようもなかった。
「そ、そこで見ていてくれ」
おれの声が震えていたことにアデルは気づいてしまっただろうか。どうか気づかないでいてくれ。
アデルの声は閉ざされ聞こえないが、きっとおれを呼び戻すため何かを叫んでるだろう。あちらからは全部が見えるしおれの声も聞こえる。
「言っただろ…おれは英雄になると」
強がるおれと向き合うかたちで魔族エルフが刃物じみた爪を翳し、このおれをどうしようかと見ている。
おれは震えるのを必死におさえ、半殺しにされた時と同じ轍を踏まないように思考を回転させる。
先ほどは都合よく死の間際に覚醒なんてしなかった。悔しいがおれは少年漫画やアニメの主人公たちのように生まれながらの英雄ではないらしい。英雄になろうとしなくてはなれないのだ。これを大人たちの難しい言葉では実存主義というらしい。何かの本で読んだ。
「勝利とは、理に適わねば勝ち取れない」
日本一の剣豪、宮本武蔵の言葉がおれの脳裏によみがえった。漫画やアニメのヒーロー同様におれは実在した英雄についても知識がある。
「宮本武蔵センセイの言うとおりだ」
自分にできること、できないことを冷静に見つめなおし、環境や状況を見ながら戦術を繰り出す。おれは魔族エルフに捕まらぬようステップしながら二十メートルほど距離をとり状況を整理した。
「小僧…今度は必ず殺す」
魔族エルフは黒い霧状の吐息を吐きながら両手の鋭い爪を構える。おれは怖気を震いながらも冷静に思案をめぐらす。
◆
まず、おれにできること――。
昼にアデルから受けた魔法特訓の結果、おれが取得したスキルは物理的実用の「火を出す」「闇の霧を出す」「火の玉を敵にぶつける」「闇の霧で姿を隠す」ことなどである。
現在「渦闇」をアデルに発動し、闇属性の魔力を全部それに注いでいるため、自分を守るべく「渦闇」を発動した場合、先に発動した「渦闇」が解除され、アデルが外の世界に放り出されてしまう。魔族エルフはそこを狙ってくるだろうからそれはできない。
つまりおれは闇属性で身を隠せず、火属性の魔法攻撃のみで応戦しなければならないという結論に至る。
また火属性の魔法においては「火を出す」「火の玉をぶつける」こと以外に「蝋燭の上につけられた火を自らの火の属性と共鳴させ操る」という地味な技も習得したが、これはあくまで「蝋燭の火」サイズに限ったことであり、仮に火山がここに現れたとしてもそのマグマを意のまま操るまでには達してはいない。小さい炎でなにができるか。
それを鑑みれば実戦で使える手札は火の玉をぶつけることのみとなる。火の玉を発動する際、サイズを調整することで短い時間内に攻撃できる回数や威力に差異が出てくる。状況によってそこを見極めるべきか。
おれはもう、ピンチになって才能が開花するかもしれないという戯言はやめにした。精一杯戦う中で、その兆候があれば遠慮なくそのスキルを使わせてもらうが、そこに頼ってしまうと先ほどと同じ轍を踏むこととなる。
剣をまともに扱えないおれは、勇者の証にして神器だという四神剣を鞘に収め両手で魔族エルフと戦うことを決意した。
それは決して諦観ではない。戦闘における取捨選択。使えない神器を手放し、自由になった使い慣れた両手で精一杯の攻撃を繰り出そうという戦術的判断。
さて、おれができることは――。
◆
「死ね!小僧ぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
魔族エルフがおれに向かい突進。
はっきりいって逃げたかった。さきほど左腕を噛み千切られ、全身の骨を砕かれ、右目を潰された痛みと恐怖がよみがえる。
だが臆することは後手に回ることを意味し、敗北へと繋がる。平常心こそが勝利への必須だと宮本武蔵は言葉を遺している。
「日本のサムライ舐めるなよ」
おれは臆病な自分を心の底に閉じ込めて、あえて笑ってみせながら右手人差し指と中指を突き出す。
「火炎矢」
ぴゅんぴゅん、と小ぶりな炎の矢が飛び出す。炎を小さく濃縮することで速度が増し、一度に放出できる数も増える。威力を狙うなら直接ぶつけるタイプの火炎弾が好ましいが、動く小さな的には火炎矢が適切だった。
「火炎矢、火炎矢、火炎矢」
おれは弾いた衝撃に耐えながら何度もそれを繰り出す。
俊敏な獣。魔族エルフは軽々とそれを避けておれに接近。おれは恐怖や不安など感情を押さえ込み何度も何度も火炎矢を連射。そこかしこの地面に弾かれる炎。魔族エルフの残像だけがニヤリと嗤う。おれは連射を続ける。当たらない。
なぜ当たらない。おれは恐怖でパニックになりそうな心をおさえつけ冷静さを装う。
魔族エルフとの距離が一メートルを切る。おれは攻撃を火炎弾に切り替えるべく魔法詠唱を済ませ、両手の平にボーリングサイズの火の玉を創り出した。
「こいよ、丸焼きにしてやる」
虚勢を張ったおれは、両手でやつを火達磨にしてやろうと構える。
やつが跳躍した。三メートルほど。想定内。おれは空を睨む。雲ひとつない天で太陽と魔族エルフが重なった。
「これをくれてやる」
足が震えた。怯えは動きを鈍らせる。これはスポーツなのだと考えを切り替え自分を騙す。
「くらえ!!!」
両手の刃物じみた爪でおれを斬り刻もうと落下するやつのもとへ、火炎弾を食らわせてやろうとおれも跳躍。
自慢じゃないがおれの垂直跳びの記録は六十五センチ。高校二年生にして成人男性の平均値より十センチ高く、身体測定の結果を聞きつけた野球部やバスケ部に勧誘されたくらいだ。
火炎弾がおれの両手の平で酸素を喰らい続け、燃え盛り…
やつにめがけてそいつをぶち込んだ。爆音。灰色の煙。甲高い叫びと共に魔族エルフが後方へと吹っ飛ぶ。紫色の血液と焦げた肉の破片が飛び散った。おれを攻撃しようと突き出した二本の腕が完全に消失している。やつは苦痛にあえぐ。
「てめぇぇぇ、小僧」
おれは「やったぜ」という気持ちを押し殺し、状況判断を優先させる。我武者羅に攻撃を続ければやつを殺せるかもしれない。魔族とて血を流す生物なのだ。
「ヒ…、風車治癒」
よろよろと立ち上がった魔族エルフは苦痛に顔を歪めつつも魔法詠唱をする。やがて出現した渦巻状の風によって癒され、ボコボコと紫色の血液の中で魔族エルフの両手がみるみるうちに復元されてゆく。脅威の治癒能力。
「う、うわぁ」
予想外の展開と光景に、おれは情けない声を漏らす。おれはまだこの世界に慣れていない。
風属性の魔力による象徴的応用ってやつか。まったく悪魔憑きに似つかわしくない癒しの風魔法だ。悪魔憑きであるやつ自身も人間たちと同様、二つか三つの魔力属性を保持している。強力な悪魔と契約していれば四つ以上保持してることも考えられるが、とにかくそのうちの一つが風属性ってことが判明…って観察してる場合か!
やつに回復させる暇を与えてはならない。突進。次なる攻撃。
「火炎矢!!!」
無数の炎の矢が魔族エルフを貫く。
「ぐぁあああああ!!!」
錆びた甲冑のそこかしこに引火し、むき出しになった首や手足の皮は炙られ肉が焦げ、神経や血管、骨までも焼き尽くしてゆく。やつの治癒魔法など追いつかないほど執拗な地獄の業火。やつは苦痛に顔を歪める。いつの間にか風車治癒は解除されていた。
「火炎矢、火炎矢、火炎矢」
好機とばかりにおれは突進しながらやつに炎の矢を浴びせ続ける。正直な話、やつへの怯えがそうさせた。とにかく怖ろしい。怖い。早く死んでくれ。おれはあり得ない数の矢を連射。やつは断末魔の悲鳴をあげながら顔面を焼かれる。
「火炎矢、火炎矢、火炎矢」
魔族エルフはぴゅんぴゅんと音を立てた炎の矢を食らい続けながら、治癒が間に合わないと踏んだのだろう、何かしらの魔法詠唱をはじめる。
「くそっ…!!突風防壁」
魔族エルフの魔法詠唱とともに炎の矢が突風の渦に巻き込まれ消えてゆく。
「しまった!風属性の防壁か!」
おれは周囲の環境でやつを追い詰められる材料はないかと見渡した。
世話になった寿司屋の半壊した建物。右隣にある全壊状態の酒屋。転がる酒瓶。酒瓶が詰められてると思しき木の箱や酒樽も大量にあった。魔法でできた瓶や箱なのか強度はそこそこなのだろう。割れてるものもあるが無事な状態のものがほとんど。
アルコールは燃える。大量の酒を全壊した建物の残骸に広範囲にふりかけて燃やし、膨大な炎を生み出すことも可能だ。火属性の魔力をもってその炎を操れば魔族エルフとてひとたまりもないだろう。
だがおれに操れるのは蝋燭の火サイズの炎だけ。どうする。
◆
「えりゃぁぁぁ!!!」
そんな男たちの声が聞こえてきた。衛兵長とその部下たち。やつらは剣を振りかぶり各々の魔力を纏わせて突風の渦を纏った魔族エルフを仕留めようと飛びかかる。
「お前らありきたりをぶつけろ!!!」
衛兵長のかけ声もむなしく突風による防壁は彼らを寄せつけない。魔族エルフの姿は完全に見えなかった。それでも衛兵たちはそこかしこめがけ魔法攻撃を繰り出す。突風の防壁魔法により弾き飛ばされる魔法攻撃。衛兵たちは諦めない。
「あいつら…」
おれは衛兵たちを眺めてた。
やつらの甲冑の胸には衛兵バッジがくっついていた。磁石でできてるのだろうか、なんて余計な考えがよぎるほど意外な光景。
「こんな風魔法の防壁、やぶっちまえ!」
衛兵たちの怒号。
外の状況に対応し突風が勢いを増す。小規模な竜巻にまで変化した。中に身を隠すエルフを討伐しに出てきた衛兵はぜんぶで五人。もう一人であるジャイアント族の衛兵、おれを救ってくれたグレゴリーだけは向こうの建物の影から成り行きを見守っていた。
「そうか。グレゴリーだけ衛兵バッジがないから残ったのか」
おれは呟く。
「ちがうよ、ぼくはいくって言ったけど衛兵長たちが残れって。衛兵バッジがないと、とてもじゃないけど魔族と戦えないから…あれは魔力を増幅させる魔導具なんだ」
おれの左右の耳に誰かがフゥと息を吹きかけたような感覚。頭の中にグレゴリーの声が響いた。少しエコーがかっている声。どういうことだ。
「風属性の魔法でテレパシーを送っているよ。この声はきみと衛兵長たち五人に聞こえている」
なるほど風で思念を送り合うグループ通話か。送受信機はグレゴリー。これは使えるかもしれない。衛兵長たちが参戦してくれたおかげで魔法もろくに使えないおれの手札が増えた。
「くそ!まだまだだぁ!衛兵の誇りを見せてやる!」
衛兵たちは竜巻に向かい、火属性の攻撃をしたり、雷属性や光属性の攻撃も加えているようだが、やはり相当強力な防壁魔法なのだろう。魔族エルフの竜巻はそれらを弾いている。
「あいつらが戦う気になってくれたのはいいが…」
魔族エルフが回復すれば皆殺しにされる。衛兵たちの攻撃を弾きながらも竜巻の速度は徐々に落ち着いていた。もうじきやつが姿を現すということだ。
とんでもない緊張感に胃が痛む。おれは吐き気をこらえた。
「グレゴリー。衛兵長たちの魔力属性や攻撃魔法の種類を教えてくれないか。ある指示を出したい」
向こう側の建物でグレゴリーは頷く。




