第六章 4 集結
「織絵!」
「おれいちゃん!」
廃墟と化した街に、明るい声が交差した。
高橋織絵と桐生玲。
織絵は、冴えない中年男と中学生ぐらいの少女たち二人、そして二匹のヒョウガラのネコと一匹のリスを連れていた。
玲のほうは、着物姿の若い女性といっしょだった。まだ女子高生だと思われるその着物少女と二人で、いまつくったばかりのような即席の墓標に手を合わせていた。
「あんたが、どうしてこんなとこに!?」
「おれいちゃんこそ」
「卒業以来ね、直接会うのは」
「電話で話したのも、半年前よ」
どうやら、久方ぶりの再会らしい。二人は、大学時代の親友だったというわけだ。
「ねえ、ヘンなヤツらに襲われなかった?」
「え、ええ……」
織絵は、ためらいながら返事をした。
これまでに体験した常識はずれの数々を、はたして友人に語っていいものか……語ったとしても、それを信じてもらえるのか心配だった。
「へえ、するとそこのおじさんが、〈洗礼者〉ってとこ? どう考えても、織絵が『生への執着』をすててるとは思えないしね」
「お、おれいちゃん……」
玲の言葉に、織絵は次の声をなくした。
「あたしも、この子も、大地から鼓動を受けてる」
そう言って玲は、着物少女にチラッと視線をおくった。
「久世桜子です」
少女は、かわいい声で名乗った。
「それじゃあ……おれいちゃんも、不思議な力を……!?」
「まあね」
あっさりと、玲は認めた。
「あたしが《氷》で、この子が《花》だよ」
織絵は、思わず頭を抱えた。
「おれいちゃんまで……」
「でも、ここまで生き残ったってことは、あんただって、だいたいのことはわかってるんだろ?」
「ええ……おばあちゃんから聞いたわ」
「おばあちゃん?」
織絵は、イネのことを話した。
《道》の〈洗礼者〉であったこと。この戦いの理由。原因。
そして、すでに死んでしまったということも……。
「そう……《道》のばあさん、織絵のおばあちゃんだったんだね。わたしたちも、いろいろ世話になったよ」
「え? 昔、うちに遊びに来たときに会ってなかったっけ? 気づかなかったの?」
「あんな猿顔だった?」
「そうよ」
二人は、死んだ人物を愚弄するような会話を、平気でやってのけた。
「ねえ、良蔵ちゃんはどうしたの?」
と、玲が、ふれてはいけないことにふれてしまった。大学時代の友人ということは、良蔵のことも当然ながら知っている。半年前の電話でも、そのことが最重要話題だったのだ。
「もうじき結婚でしょ? 娘さんと同じ学校なんだよね。どう、うまくやってける?」
「……」
「どうしたの?」
織絵の瞳が、急速に濡れていく。
ジワジワ、と涙があふれだした。
「せ、先生!」
洋子が、急いでハンカチを差し出した。
「ま、まさか……良蔵ちゃんも……」
そのことの経緯は、洋子から話した。
アフリカで動物たちに襲われて死んでしまったこと。その娘の千鶴も、不思議な力を持っていること。そして、もう一人――スサノオの生まれ変わり……いや、スサノオの孫?……というより、人間として生きているスサノオ自身とともに、アマテラスを倒しにいっていること。
「それじゃあ、良蔵ちゃんの娘も、〈洗礼者〉なんだね」
「そういうことになると思います」
織絵にかわって、洋子が生真面目に受け答えしている。
「良蔵ちゃんも、死んじゃったんだ……」
茫然と遠くを見つめる漂流者のように、玲はつぶやいた。
けっしてカッコイイわけではないが、どういうわけか人気のある先生だった。万年講師と呼ばれ、よくからかわれていたが、本人がその気になれば、すぐ教授になれるだろうということは、玲でも容易に想像がついた。
研究にたいする情熱は、だれにも負けなかったのではないか。研究の成果を言葉にし、文章におこす作業も天才的だと、講師仲間が絶賛していたことも聞いたことがある。現に論文で高い評価を得たことも知っていた。
だが、大教授の下で献身的に働き、いろいろな人脈に根回しをする狡猾さに、どうやら良蔵は欠けていたようだ。
そんな不器用なところが、かわいく見えてしまったのだろうか。『良蔵ちゃん』と玲は親しみを込めて、そう呼んでいた。応援したくなる、だけど頼り無い先生だった。
「……おれいちゃんは、やっぱり組を解散させたの?」
涙を拭いながら、織絵がなんとか声を出した。玲の家がヤクザだという事実にも、ごく普通の友達として接していたのは、織絵ただ一人だけだった。
「ああ、そうだよ」
玲は、静かにそう答えた。どこか悲しそうなつぶやきだった。
こちらも、ふれてほしくなかったことなのだろう。
「きゃー、かわいいネコさん!」
深刻な空気をぶち壊す黄色い声が、耳障りに響いた。
桜子が、ムクムクを抱き上げていた。
〈わがはいは、ネコじゃないニャ。ヒョウの子供ニャ〉
と、ムクムクは、お馴染みのセリフをすかさず口にしている。
「きゃー、しゃべるネコさんだ!」
が、桜子はそのことにたいして、別段、驚いたふうもなく、さらにあくまでもネコとして、ムクムクの頭を撫でていた。
「へえ、動物がしゃべるなんて、その良蔵ちゃんの娘……千鶴って子の力なんだ」
「ええ……」
〈そうニャ。《獣》の力ニャ〉
返事をした織絵は、いまだに動物がしゃべれることに慣れていないのか、その後のムクムクの声が、まるで聞こえなかったことのように顔を左右に振りながら、虚空を見つめた。
偶然にもそこは、倒壊しかけた東京タワーのある方角だった。
陽が昇りはじめている?
たしかに、まばゆい光が、残骸の隙間から届いてくる。
謎の爆発で東京がこうなってから、真昼のように明るい空。しかし、これまで太陽の姿は、広い青空のどこにも存在しなかった。
それが、ついに……。
「最後の戦いだね。良蔵ちゃんの娘と、スサノオの子孫だか、本人だかいうボウヤといっしょに……」
玲も、織絵と同じ方向に眼をやった。
そのボウヤが、以前会ったことのある男だということは、玲にはまだわからない。
「あれー、ソワソワちゃんが……」
そう声をあげたのは、リーちゃんを抱いている早苗があげたものだった。それまで、足元にいたはずのソワソワが、いつのまにかどこかに消えているのだ。
〈気をつけるニャ! 敵を察知したのかもしれないニャ!〉
ムクムクが、鋭く警告を発した。
そこへ――。
「だれか来る!」
洋子が、最初にその気配に感づいた。
いや、ちがう。すでにその声の前に、玲と桜子が――桜子はムクムクを抱いたままの不自由な格好だが――身構えていた。声のあと数テンポ遅れて、太一も緊張に身を引き締める。
〈チャリン、チャリン〉
金属の甲高い音色とともに、ある一角から僧侶が姿を現した。
「敵かい!?」
玲が鋭く声をかけるが、どうやらそうではないらしい。なぜなら、その錫杖をつきながらやって来た僧侶の頭の上に、行方知れずになっていたソワソワが乗っていたからだ。
もちろん、無理やり乗せられているのではない。おそらく禿頭であると思われるその頭に、なんと気持ちよさげにお腹をピタンとつけているのだろう。だらしなく手足をブラ〜ンとたらし、陶酔の面持ちで、ビロ〜ンと乗っかっていた。
「この子……なんとかならんか?」
僧侶――天台密教僧、浄明が表情を変えずに、自分の頭上にいる動物を指さした。
「ソワソワちゃん、こっちおいで……」
が、両腕を広げて迎え入れる準備をととのえた洋子には目もくれず、ソワソワは動こうとしない。
「さきほどの雨……」
ソワソワのことはあきらめたのか、浄明はあっさりと話題を変えた。
「おぬしらのだれかが、やったのか?」
「ちがうよ……」
玲は、できたばかりの墓標を見つめた。
「そうか」
それだけで、浄明にはわかったようだ。
「褒めてやってよ……」
「見事だった」
表情はやはり変わらなかったが、心の底から感嘆した声だった。
「もしかして、あんたがあの光の雨を?」
玲からの問いには、浄明は答えなかった。
「おぬし……」
かわりに、墓標から視線をそらし、そこに立っていた女性にそう呼びかけた。その顔に、なにかを見出したようだ。
「は、はい?」
突然のことに、織絵は戸惑いを隠せない。
「姉妹はいないか?」
「え……い、いませんけど……」
「おぬしによく似た女性を知っている」
「そ、その人は……?」
直感で、この僧侶がなにを言おうとしているのかわかった。
「大丈夫だ。重傷を負っているが、無事だ。命に別条はない。出雲の地で養生している」
その返答からすると、浄明にも、織絵がなにに思い当たったのかを承知しているようだった。
「そうですか……」
織絵は、安心したように答えた。
自分の従兄弟のことだろう。イネは、交通事故と嘘を言っていたが、おそらくこの一連の戦いで負傷したのだ。
「叔父さんは……殺されたんですね?」
「壮絶な最期だった。死ぬときは、こうありたい……そう思うほどの――」
浄明は、さきほど玲と織絵が見ていた方角――崩れかけた東京タワーに眼を向けた。陽光がじょじょに強くなってくるが、瞳をそらすことなく、それを明確な意志をこめて見据えている。
「もう敵は、天照大御神だけのはず。ならば、拙者たちもおもむこう。この戦いの行く末を……人間の生存をかけたこの戦いの行方を確かめるために――」
玲も、織絵も、桜子も、太一も、うなずいた。洋子と早苗も、決意を固めて一歩目を踏み出そうとした、そのときだった――。
「うお〜〜い! 無事か――っ!?」
やかましい叫び声が、一同の出鼻を挫いた。
一人の男が、こちらに駆けてくる。
「だれですの?」
玲は警戒していたが、桜子はまったくの無防備で、駆けてくる男を眺めていた。
「あの人……」
桜子の問いの答えには不完全だったが、どうやら織絵が知っているらしいつぶやきをもらした。
「ハア、ハア、ずいぶんさがしました! 無事でしたか!!」
男は、息を嵐のように乱しながら、大声で織絵にそう言った。
織絵、周防、千鶴の三人が、この壊滅エリアに入ろうとしたさいに、引き止めようとした自衛官だった。
「え、ええ……大丈夫だったわ」
「男と女の子が見当たりませんが」
「あ、あの子たちは……あ、そ、そう! 無事よ、安全なところに避難したわ」
どういう応答が適切なのか迷った織絵は、ごまかしながら言葉を選ぶ。
「そうでありますか、無事でなによりです」
「ええ、心配をおかけしたようですね」
「この方たちは、生存者ですか?」
自衛官は、浄明や玲たちを見回して尋ねた。
「は、はい……そうです」
「でしたら、まだいるかもしれませんね!」
そう言うと、自衛官はあたりに眼を散らした。
「それでは自分は、ほかの生存者をさがしにいきますので! はやく安全なところに避難してください。あっちの方角に進めば、大丈夫なはずです!」
自身が走ってきた方向を指さして、そう告げた。
あっと言う間にやって来て、あっと言う間に去っていこうとする自衛官を、織絵が呼び止めた。
「あの……」
「はい、なんでありますか!?」
生真面目に、自衛官は振り返った。
「あなた一人でいらっしゃったんですか?」
「そうであります!」
「危険なめには……?」
「自分は大丈夫でした! ほかの隊員は、原因はわかりませんが……どうやら、ダメだったようです……」
自衛官は、つらそうに答えた。
「でも、追いかけてきてよかった。あなたたちを死なせてしまったら、自分の責任ですから。では――」
やって来たときと同じ全速力で、自衛官は駆けだしていった。
織絵は、その後ろ姿をただ見つめる。
自分たちがこのエリアに入り込んでから、もう何時間も経過している。その間中、彼はずっとさがしまわっていたのだろう。あのときは、ひどくおびえていたようだが、自分たちをここに入れてしまった責任感から、勇気を振り絞ったにちがいない。
運良く、神の軍勢に遭遇しなかったのは、本当になによりだった。
胸が熱くなった。
そのとき、ポン、と玲が肩に手をのせた。
「ま、人間も、すてたもんじゃないってことさ」