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第六章  3 至高

 東京タワーへ近づくにつれ、まぶしさを増していく太陽の輝きが、皮膚に刺すような痛みをあたえていた。耐えられないほどではないが、いやに不快感をともなう。

 厄介なのは、それが直接的な痛みではないということだ。肌の表面を突き刺してくるのではなく、内部に浸透してくるような痛みなのだ。だから痛覚が刺激された箇所をさわろうにも、それもかなわない。痒いところをかけないイライラ感に似ている。

 光量は、だれもがまぶしいと表現するであろう明るさだが、物が正視できないほどではない。二人の眼にハッキリと、いつ倒壊してもおかしくない赤い鉄骨が映っている。東京のシンボルだったことが嘘のような悲惨さだ。

 その真下には、なにか岩を組んだような建造物らしきものが地下から突出していた。入り口と思われる扉は、開け放たれている。二人の位置から暗い内部を見ると、ちょうど角度のきついトンネルのようだ。

 その入り口の手前に、だれかがいた。

 二人は迷わず、その人物――《神物》に近寄っていった。妨害はなかった。会話ができるほどの距離にまで近づくと、二人は歩みを止めた。

「アマテラスね……?」

 最初に声を出したのは、千鶴だった。

 呼びかけられたその相手は、返事をすることもなく、ただうつむいていた。顔は見えない。見目麗しい金糸銀糸で織られた衣装を身にまとった女性だということしかわからなかった。

「くくく……久しぶりよのう」

 しばらくの沈黙があってから、その女性は笑いを押し殺すように声をあげた。とても堪えきれなかったように、愉悦した笑みがもれている。

「なにがおかしい!?」

 周防が、その笑い声に反応した。少し敏感すぎるぐらいに……。

 声も、昂っていた。

 イヤな予感がする。

 なんだ、この不快な空気は!?

「これが笑わずにおられるか……くくく、おまえの――愚弟、須佐之男スサノオの苦しみもがく姿が眼の前で見れようとは」

「黙れ! 苦しみもがくのは、おまえのほうだ!!」

「くくく……ずいぶんと強気よのう。さすがは荒ぶる神」

「おまえらがこの世を滅ぼすというのなら、オレは、その『荒ぶる神』とやらになってやる!」

「べつに、この世を滅ぼそうというわけではない。滅ぼすのは《人間》だけじゃ。愚かな愚かな毒蟲どもだけじゃ!」

「オレたちが毒蟲だったら、おまえらはなんだ!? 人間をさんざん好き勝手に殺しやがって! おまえらこそ、神などと名乗ることもおこがましい悪魔どもだろう!!」

「毒蟲は殺さねばならん」

「そっちがその気なら、たとえ姉でも容赦はしない!」

「姉……姉というか、わらわのことを?」

「こっちだって、思いたくもない!」

「くく、粋がっていられるのも、いまのうちじゃ、いまのうちだけじゃ……くくく!」

「なんだと!?」

「周防さん!」

 因縁の会話を繰り広げる一人と一神に、焦りの色を浮かべた千鶴が、割って入った。

「そうだったな……時間がない! 問答無用だ、いくぞ!」

 周防と千鶴は、臨戦態勢にはいった。

「テン蔵、ガゼル、ライ吉!」

 指のなかにおさまっていた三頭を、鮮やかな衣装をまとった女性――この国の至高神アマテラスに向けて解き放った。

「地割れよ、おこれ!」

 周防も、地を揺るがす。

「わらわは、最上の存在――そのわらわに、このていどの攻撃しかできんとは、哀れなるかな!」

 二人の視界を、陽光がさえぎった。

「なに!?」

 指一つ動かしていないのに、アマテラスは二人の攻撃を防いでいた。

 光の弾丸と化した三体の獣たちも、地を深々とはしった亀裂も、アマテラスの身体にふれる寸前、見えない壁に阻まれるように止まっていた。

「それ! 自らの命をもって、神に刃をむけたこと、後悔するがよいぞ」

 そう一声かけると、それぞれの技は、それぞれに返っていった。

「キャ!!」

「うおッ!」

 三つの光跡をその身にうけて、千鶴は後方へ大きく飛ばされる。

 周防は、なんとか地割れを飛び退いて、無傷ですんだ。

「大丈夫か!?」

 返ってきたのは、うめき声だけだった。

 倒れる千鶴のまわりを囲むように、自分の宿主を傷つけた獣たちも、心配げに千鶴の様子を見守っている。大地よりの加護を受けているために致命傷とはならなかったが、強い衝撃をくらい、一時的な呼吸困難に陥ってしまったようだ。

 どうにか立ち上がり、呼吸が戻るのを待つと、大丈夫、と周防の顔を見ながら唇だけを動かした。

 二人はその存在の強大さに、底知れぬ恐怖を抱いた。見た目にだまされてはいけない。

 やはり至高の神……人の力では、どうすることもできない!

 さきほどの《奇跡の雨》でも消えることのなかった、絶対的な神力。ならば、この女神を倒すためには、どれほどの奇跡がいるというのだろう。

「次は、わらわからゆくぞ」

 静かにアマテラスは宣告すると、左手を胸の前に掲げた。

 顔は伏せたままだ。どんな表情、どんな心のありようで攻撃にうつるのか、まるで読み取れない。

 刹那、左腕がのびた。

 信じられないほど長く!

 人体の常識をぶち破って、グーンと迫ってきた腕に、千鶴はなにも抵抗できないまま、首をつかまれてしまった。

 悲鳴すらあげられなかった。

「絞め殺してくれようか」

「千鶴!」

 主を助けようと、三体の獣たちが行動に移ったが、腕に鼻を巻きつけようとしたテン蔵も、角で切り裂こうとしたガゼルも、牙を立てようとしたライ吉も、眼に見えない衝撃で吹っ飛ばされていた。

「畜生ごときが、神であるわらわにさわろうなど許されぬ!」

 だとすれば、この男しかいない。

「あの腕を砕け! なんとしてもだ!!」

 叫んだ。

 叫んだと同時に、千鶴の首をつかんでいる長い腕の真下の地面が急速に盛り上がった。鋭利にとがった薄い壁――というより、上に向かって跳ね上がるギロチンの刃、といったところか。

 しかし、その土の刃は、腕を叩き砕こうとする直前で、制止してしまった。

「どうしたのじゃ、須佐之男? わらわの腕を砕くのであろう?」

 歓喜の表情で、アマテラスは言った。

 それまでうつむいていた顔が、上がっていた。正面にいる千鶴からは少し横にそれている顔、それは周防にとって真正面にあたる。まるで、その容貌を周防に見せつけようとしているかのようだ。

 周防の表情が、凍りついていた。

 そうだ、あのまま意志を込めつづけていれば、腕を砕けたかもしれない。砕けなかったとしても、千鶴を救うことはできたかもしれない。

 だが、周防は見てしまった。

 アマテラスの顔を――。

「ゆ、ゆか……」

「くくく……ははははっ!!」

 もれ出てしまったような笑いから、すべてのものを見下した哄笑へ――。

 少女の顔が、悦楽に歪んでいる。

 歳のころは、そう……千鶴と同じぐらい。

 顔形も、千鶴とよく似ていた。

「ゆ、ゆかり!?」

「どうじゃ、どうじゃ! 手も足もでまい! この身体を傷つけることはできんだろう?」

「ゆかり……ゆかり……」

 周防は、その名をつぶやくだけだった。

 夢にまで見た、妹の在りし日の姿……あのころと変わらぬ少女が、なぜ敵として眼前にいるのだろうか!?

「成仏できずにこの世をさまよっていた魂を、わらわが喰らったのじゃ! この娘……どうやら、おまえに言い残したことがあったようじゃな」

「ゆかり、ゆかり……」

「本来ならば、生きた人間を依巫よりましとしたほうが、遙かに力は強大なのじゃが……おまえと戦うためには致し方あるまい」

 つまりアマテラスは、周防の妹の魂を取り込んで、《偽神体》を形づくっていることになる。

「ゆ、ゆかり……ゆかり……お兄ちゃんだ! オレのことがわからないのか!?」

 周防の眼球には、中身までもが本物の妹として映っていた。

「知っておるぞ、知っておるぞ! 愛していたのだな、この血のつながった妹のことを! 抱きたかったのであろう、この肉体を」

 千鶴の首をつかんでいた左腕が、ふいに解けた。長くのびた距離と同じぶんだけ、今度は縮んでいく。

「ぐ……」

 窒息寸前だった千鶴は、どうにか息を吹き返すと、解放されたと同時に倒れこんでしまった姿勢のまま、前方に眼を向けた。

 自分と似た少女が、いままで首を絞めていた左手で、きらびやかな衣装の胸元をはだけさせていた。

「抱きたいのであろう、抱きたいのであろう……かつて高天原タカマノハラで、わらわを弄んだときのように――」

「や、やめろ……」

 少女の、まだ成熟していない可憐な乳房を眼にした周防は、やっとそれだけを口にすることができた。

「やめろとは、どういうことじゃ? おまえはあのとき、姉であるわらわを欲望のかぎり犯したではないか。人間に堕ちたいま、血のつなかった妹を犯したところで、なにもおかしくはあるまい?」

「や、やめろ……それ以上、言うな!!」

「ほほほ――ならば、そこの娘をくびり殺してくれよう。妹の顔で、妹に似たおまえの仲間が殺される様を、なにもできずにただ眺めておるがよい。そして、娘の死を前にして、なにもできなかった自分を悔いるあまり、おまえは自ら命を絶つことになるでだろう」

 そう言ってから、つけたすように――。

「これは、神としての予言じゃ」

 アマテラスは、千鶴を見た。

 どうすることもできない、と思った。

 このまま殺されるのを待つしかない――千鶴は、そう絶望した。

(神様……)

 胸のなかで祈ろうとした言葉が、ふいに途切れた。

 思い出した。

 神様なんていない――。


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