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第六章  2 白鳥

「これで、うかばれるだろ……少しは、こいつらも」

 二人は、墓標を立てた。木の棒を十字型に組んだだけの簡素なものだ。塵芥で荒れ果てた大地に、悲しき墓標が二つ――。

「行こう」

 周防が、一方向を見つめながら言った。

「いつまでも感傷にひたってる時間はない」

 声には出さず、視線のさきを周防と同じに向けることで、千鶴は返事のかわりとした。

 いまにも倒壊しそうなボロボロの赤い鉄骨が見えていた。

 東京のシンボルにしては、無残すぎるたたずまいだ。

「さっきの雨で、もう敵はいなくなったようだな」

 目的の方角だけでなく、三六〇度まわりを見渡しても、それらしい姿はない。

 さきほどの雨――最初の《水》の雨と、そのあとの《光》の雨で、神の軍勢は、すべて倒れたようだ。自分たちも救われた希望の……奇跡の雨だった。

 あのとき、アメノタヂカラオが雨で溶けださなければ、二人に勝利はなかったかもしれない。

「アマテラスも……だといいのにね」

 それはない……ということは、口にした千鶴にも、よくわかっていることだった。もしそうなっていれば、この空の色は、本来の闇に戻っているだろうから。

「もうちょっと、お願い」

 千鶴は、控えていたガゼルに声をかけた。

 ガゼルは二人の前に歩み出ると、跨がりやすいように身を屈めてくれた。

「最後の戦いね」

「ああ」

 背に二人を乗せたガゼルは、疾走をはじめた。阻もうとするものは、もうなにもなかった。

 そこではじめて二人は、陽光を見た。

 まぶしい光が、地を這うようにとどいてくる。これが深夜のはずの東京を晴天にしている原因だろうか。力強い生命のエネルギーを感じさせる光だ。

 しかし、天空に君臨する成熟した太陽の光ではない。地平線から生まれたばかりの、まだやさしい暁光だ。だから二人は、それを目の当たりにしても、眼をあけていられる。

「だれかいる!」

 二人の視界に、人影が飛び込んできた。

 陽光にシルエットとして浮かんでいる。

 ガゼルの速度を落とさせた。

 二人とガゼルは臨戦態勢をとりながら、人影に近づいていった。

 影は激しく動いていた。

 どうやら、向こうから攻撃してくる気配はない。ガゼルから降りて、自分たちの足で接近していった。

「森野……さん!?」

 その顔を確認した千鶴がつぶやいた。

 それは、森野由美が踊る姿だった。

 激しい、そして苦しい舞だ。

「なに……やってんだ?」

 全裸に近い衣装をまとい、狂うように踊りつづけている少女の姿に、周防も呆気に取られるしかなかった。

〈助けて……〉

「え?」

 そんな声が聞こえたような気がして、千鶴はハッとした。

 助けてもらいたい?

 自分に助けを求めているのだろうか!?

 踊りつづけていることから、救ってほしいのだろうか!?

「と、とにかく……とめましょう!」

 周防をうながして、千鶴は森野由美の動きを止めようと、その激しく舞狂う肉体にふれようとした。

 だが――。

「きゃ!」

 ふれることは、一瞬しか叶わなかった。

 森野由美の肌に指がついたと同時に、火花のようなものが散り、千鶴の右手は拒絶されていた。

「大丈夫か!?」

 弾かれた身体を周防が支えくれたので、なんとか倒れないですんだ。

「ど、どうなってるの!?」

「さわれない、ってことだろ」

 冷静すぎる言葉が気にくわなかったのか、千鶴は、はね除けるように周防から離れた。

「なんとかしてよ!」

 だが、千鶴の《右手》でこうだとすると、普通の手ではもっと困難だろう。

「どうするよ」

「どうにかして止めて!」

 そう言われても、周防に策はなかった。

「しょうがない」

 ため息まじりにつぶやくと、周防は艶めかしい姿の少女めがけて強引に抱きついた。

 一歩まちがえれば誤解をうむ危ない行為だが、こういう原始的な方法しか思い浮かばなかったのだから仕方がない。

「うわっ」

 やはり、身体を張っても無理だった。

 すっ飛ばれてしまった。

 無防備な女には、むしろ気をつけろという教訓かもしれない。

「ダ、ダメだ……」

「と、止められないの!?」

 自力で立ち上がった周防のことを、千鶴は責めるように見つめた。周防からの返答はなかったが、もし答えが返ってきたのだとしても、その答えは、千鶴自身の予測と同じものだったはずだ。

 おそらく……死ぬまで止まらない。

 脚を折ったとしても、上半身だけで踊りつづける。

 赤い靴を履いた少女のように……。

「テン蔵!」

 千鶴は、親指に呼びかけた。

 すぐに右手の親指から黄土色の光が飛び出すと、それは巨大に膨らみ、大きな大きなゾウの姿を形づくった。

〈パオーン!〉

 テン蔵は、高らかに一声吠えると、千鶴からの命令を受けるまでもなく、踊り狂う森野由美の身体に、長い自慢の鼻を巻き付けようとした。

 が、トンを超える重量の主でも、森野由美の舞踏を封じることはできなかった。

「テ、テン蔵でも……ダメなの!?」

 やはり火花が散ったと同時におこる衝撃波によって、テン蔵の誇る鼻も弾かれてしまった。それだけではない。巨大な体躯をも、こちらはわずかに後ずさりしただけであったが、飛ばされていた。

『無駄じゃ、無駄じゃ』

 どうすることもできず、ただ踊りつづける森野由美の、激しく妖しい艶やかな姿を茫然と見ているしかなかった二人の耳に、どこか遠くから届いてきたような女の声が響いた。

『その娘には、秘術がかけられておる。《天宇受売命アメノウズメの法》じゃ。その娘は人間でありながら、神なのじゃ』

「なんだ!?」

 声は、目的の終着地――東京タワーの真下あたりから聞こえてくるようだ。周防が、その方角を睨みながら、声に挑んだ。

「アマテラスか!?」

『術を解くすべはない。その娘は死ぬまで踊りつづけねばならん。わらわのためじゃ。わらわは、死への舞踏が好きなのじゃ。だから暗い暗い岩屋から出てきたのじゃ』

「そこで待ってろ、いまからおまえを倒しにいく!」

『久しぶりよのぉ、須佐之男スサノオ。おぬしのために、わらわがどれだけ岩屋のなかで恐怖におびえ、泣いて暮らしたことか……』

 その声の、なんと怨念に満ちていたことか。

 思わず周防も、ひるんでいた。

『もうすぐじゃ……もうすぐ、本物の太陽が昇ったときに、わらわは真の力を取り戻すであろう。そうなれば、この《中つ国》に生きる人間は、一匹残らず死に絶える。もちろん人間に堕ちたおまえもな!』

 最後の部分だけ、異常なほど喜々とした声音だった。

「もう一度、岩屋とやらに閉じ込めてやる」

『ほほほ、それは無理じゃ。おまえでは無理なのじゃ。いまのわらわの姿を見たら、おまえはなんの手出しもできん』

「なに……?」

『それよりも、その娘に殺されんように気をつけるのじゃな。ほれ! 天宇受売は舞うときに矛を持って振り回すのじゃ』

 声の言ったことが現実化した。

 踊り狂う森野由美の右手に、鋭い穂先をきらめかせる矛が握られていた。

『たどり着けるものならば、たどり着くがいい……どちらにしろ、おのれの無力さを思い知ることになるのだからな。では、待っておるぞ――』

 声は、それきり聞こえなくなった。

 周防は、腕時計を見た。

「チッ、壊れてる!」

 だが本当の日の出まで、それほど時間は残されていないはずだ。

「千鶴、急ぐぞ!」

「で、でも……」

「そいつは、もうムリだ! どうすることもできない」

 戸惑う千鶴に、周防は冷たい言葉で突き放した。

「そんな……」

 それでも、どうにかして森野由美を救おうと留まっている千鶴めがけて、由美の持つ矛が襲いかかってきた。

「危ない!」

 周防は、飛びついて千鶴を伏せさせた。

「こいつも、もう敵なんだ」

「わたしはあきらめない!」

 周防の身体を振り払って、千鶴は再び無防備に由美へと近づいてゆく。

「バカが!」

 一撃、二撃と、なんとか自力でよけたが、三撃めはテン蔵の鼻に救われた。巻きついた長い鼻で吊り上げられた千鶴は、真下で矛を振りながら舞う由美の異変に気がついた。

 踊るスピードが落ちていた。

 動作が緩慢に……。

 だんだんとゆっくりになっていく。

 由美の眼が、懇願するように自分の顔を見上げていた。

 どうして助けてくれないの!?

 わたしを見殺しにするつもり!?

 そう訴えかけていた。

 助けて、助けてよ!

 どうすることもできなかった。

 こ、殺すつもりなの!?

 そうね、わたしを殺すつもりなのね!?

 あなたをイジメたから……あなたをイジメたから見殺しにするんでしょ!

(ちがう!)

 千鶴は、瞳で強く否定した。

 いい気味だと思ってるのね……醜いアヒルの子だったあなたは、美しい白鳥になって、わたしを見返そうとしているのね!

(ちがう、そんなことはない!)

 わたしは、見返される愚かなアヒル!

 滑稽だと思ってるんでしょう!!

 千鶴には、ただその最期の姿を見守ることしかできなかった。

 どうして、そんな眼で見ているの!?

 わたしを哀れんでいるつもり!?

 嘘よ……心のなかでは、笑ってるくせに!

 そのとき由美の脳裏に、自嘲めいた笑いがわきおこった。

 そう……わたしなら、心のなかで笑うでしょうね……。哀れな他人の不幸を、心からあざ笑っているわ!

 でも……。

 でも、この子は……本心なのよ……。

 本心で、自分を傷つけた、残酷なアヒルのことを心配しているのよ!

 バカよ!

 本物のバカ!!

 だから嫌いなのよ!

 あんたなんか大嫌いなの!!

 千鶴を見上げる由美の視線が、懇願の思いから、ちがう感情へと変わっていた。

(ああ……そうか……)

 由美は、あることに気がついた。

 醜いとバカにされていた白鳥の子が美しく成長し、アヒルの兄弟たちの上を華麗に飛び去っていくとき――その白鳥は、本当に兄弟たちを見返せたことで歓喜していたのだろうか?

(悲しい……)

 由美は、その動きを止めていた。

 動きたくても、もう動くことはできなかった。

 瞳に映るのは、美しく冴えざえとした晴天の空――まるで、自分が白鳥となって、この大空を気持ちよく飛翔しているような……。

 瞳は、いつまでもその空を見つめつづけていた。

「森野さん……」

 テン蔵の鼻からおりた千鶴は、力尽きた由美を抱き起こそうと、身を屈めた。

 その瞳にうたれて、やめた。

「見ていたいのね……」

 由美をそのままにして、千鶴は立ち上がった。もう一度、由美の瞳を見つめた。

 最後に千鶴を見ていた由美の視線が言いたかったこと……それまで『助けて』と懇願していた眼が変わり、由美の瞳は、こう語っていた。

 ごめんさない……と。

「行きましょう……周防さん」

 千鶴は、さきほど声が響いてきた方角に眼を向けた。

「……許さない!」

 二人は、アマテラスの待つ――この戦いの終着地へ走り出した。

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