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第五章  4 絶望

 凍りついた彫刻のように、二つの神は微動もしなかった。

 自慢の投槍『グングニル』を突きつけるオーディン。

 喉元に突きつけられているルーフのほうにも動きはない。表情一つ変わらなかった。瞼は、さきほどより閉じたままだ。

 まるで、この白い部屋の時が止まってしまったかのよう。

「おさめるのだ、オーディン」

 二神を制するかたちで、ゼウスが言葉をかけた。ただし手を出すようなことはしない。不用意にグングニルを持った荒神の身に触れようものなら、自らをも危険にさらすことになるからだ。

 オーディンには、その声が聞こえていないのか、ルーフから視線をはずすことはない。

 やっと、唇だけが動いた。

「まさか、テュールが倒されるとは……」

 心中の動揺は、外見からでは計り知ることはできない。

 裁きの司法神テュールが、一瞬にして消滅する光景など、ありえない悪夢。それこそ、《神々の黄昏ラグナレク》への前哨といえよう。

「落ちつくのだ。われらの勝利は揺るぎようもない。スピンクス、テュールが倒れたいまとなってもだ」

「だが、あんな小さな島の神々にまかせておいていいものか!? 早急に、新たなる使者をおくるべきだ!」

 そして、わずかなつぶやきで、こうつけ加えた。

「こいつを始末してからな」

 声量とはかけ離れた、憎しみがこもる殺戮の言葉。しかし、いつ『グングニル』が突き動かされても不思議ではない状況にもかかわらず、やはりルーフの瞳は隠れたままだ。

 死を覚悟しているということか?

「待つのだ! 見るがいい……人間の虚しい抵抗の姿を」

 ゼウスに言われるまでもなく、オーディンにも、眼を閉じているはずのルーフにも、その光景は見えていた。

 力の神に翻弄される愚かな人間たち。

 強大な雷の神に、無謀なる戦いを挑む滑稽な姿。

 風の神の前に、自分の無力を噛みしめることしかできない塵のような存在。

「ククク……ハッハッハハハハ!」

 緊張が弾けたかのような哄笑が響いた。

 こらえようとしても、こらえきれなかったようだ。よほど、もがき苦しむ人間たちの姿が可笑しかったのだろう。

「おまえたちが肩入れする人間とは、なんと無様なものか!」

 部屋の空気も、いくぶんか和らいだが、魔槍の穂先が位置を変えたわけではない。

 オーディンは、血に飢えたような笑みだけを残し、怒りの形相を消していた。

「ならば、人間たちの絶望をもう少し鑑賞してやろうではないか。だが、おまえを許したわけではない。おまえの命は、この俺の手に握られていることを忘れるなよ!」

 刃の尖端とルーフとの距離が、ほんのわずかだが開いたよう気がした。

「この人間たちと同じようにな」



 そして、もう一つの死闘――。

《鋼》の能力を有する天台密教僧・浄明と、刀剣と鉱山の神である金山毘古神かなやまびこのかみとの戦い。

 謎の男、クー・ホリン――いや、ケルトの王の一神、ダーナ神族のヌアダにより、すでに金山毘古の妻神、金山毘売カナヤマビメのほうは倒されている。

 妻を殺されたことで逆上している金山毘古は、狂ったように左腕を振るい、浄明に打ち込んでいく。鉱山・鉱物の神といわれるとおりに硬質化した、こん棒のごとき左腕だ。右腕はすでにない。妻の命を斬り裂かれたと同様、ヌアダの『不敗の剣』によって、切断されてしまっている。

「許さん! 許さん! 許さん!!」

 浄明は巧みな体術でその我武者羅な攻撃をかわしていくものの、反撃の糸口をみつけることはできなかった。防戦のみを強いられている。

 もう何時間が経過しただろう。

 金山毘古が左腕を打ち込み、それを浄明がかわす。ヌアダが去ってから、そういう同じ攻防が続いている。いかに神である存在であろうと、体力も疲弊しきっているはずだが、怒りは無尽蔵のエネルギーを生むのか、金山毘古の攻撃は衰えない。

 ならば、人間である浄明も避けつづけるしかなかった。限界がどうのこうのと考えた瞬間に死が待っている。

《鋼》の身体では、金山毘古の硬さにかなわないことは、すでに実証されていた。当たれば無事ではすまない。また、こちらからの攻撃も、まるで通用しない。

(このままでは、いつかやられる……)

 表情には出さないが、焦りが脳裏にわきおこっていた。ヌアダが手にしていた『不敗の剣』のような武器がなければ、上級の神である眼前の敵を倒すことは不可能。

 勝算はなかった。

 まちがっていたのかもしれない。

 神と戦おうとすることが、あやまちだったのではないか。

 自分は、取り返しのつかない罪を犯しているのではないか!?

 これが、絶望!?

「うぎゃあ――ッ!」

「いや、やめて――ッ!!」

 凄絶な悲鳴で、うちなる葛藤を中断した。

 金山毘古の攻撃をかわすのに夢中で、自分でも気づかないうちに、かなりの距離を移動していたようだ。

 まわりには、生存者が二、三〇人はいる。みな、どこかに怪我を追っているようで、五体満足の者はいなかった。それでも、《天閃》から生き残った人々だ。

 浄明は、失敗を自覚した。

 踏み込んではいけない場所に、足を踏み入れてしまったのだ。

「自分が生き残るためには、他人の命をも利用する――まさしく、きさまも『人間』というわけだなぁ!」

 金山毘古が血に染まりながら言った。

 おびただしい殺戮がはじまっていた。生存者のただなかに逃げ込んだ浄明を殺すため、まわりの生存者も容赦なく金山毘古はその手にかけていた。

 断じて、自分が生き残るために、ここへ逃げ込んだわけではないが、自身の責任を認めざるをえなかった。

 迅速の攻撃をくぐり抜け、浄明は相手の懐に飛び込んだ。

 迷っているわけにはいかない!

 防御から、攻撃へ――。

「フンッ」

 気合とともに、鋼と化しか右の手刀を金山毘古の土手っ腹にたたき込む。

 だが、その硬質の身体はビクともしない。

 それどころか、下からの強烈な突き上げをくらってしまった。

 大砲の一撃のような蹴りが、逆に浄明の腹部に炸裂していた。

 勢いで空中に舞い上がる。

「くっ!」

 なんとか、かまえをととのえて着地したつもりが、知らずに片膝をついていた。予想よりも遙かに大きな痛手だ。しかし、すぐに動きださなければならない。

 浄明は大きく左に飛んだ。

 それまで浄明がいた空間が、金山毘古の左腕で両断される。

 いや、その空間を切り結んだ延長線上にいた生存者の身体をも砕いていた。

「きさまが逃げれば逃げるほど、犠牲者が増えるのだ!」

「それでも神か!?」

「黙れ!」

 金山毘古は、渾身の一撃を放った。隙のない完璧な一振りを、浄明にたたき込む。

 浄明は、逃げなかった。

 その一撃を受け止めた。

「くっ、なめた真似を……!」

 両掌で挟み込むように、金山毘古の左腕をつかんでいた。これが刃だったときには、真剣白刃取り、という名で呼ばれている。

 腕を挟み取ったまま、投げつけた。金山毘古の鉱物と化した重い巨体が、見事に投げ飛ばされていた。

「な、なんと!?」

 倒れた金山毘古を見下ろす厳しい眼光。

 その瞳には、細胞一つ一つからたぎってくる熱い怒りと、まだわずかに残る、奇跡を信じる希望の光が満ちていた。

 絶望するには、まだはやい。

 まだ、終わってはいないのだ!

(だが……)

 奇跡の力をかりなければ、神であるこの敵を倒すことはできない――。

 奇跡は、本当におこるのだろうか?

 神や仏に頼めないのなら、なにに祈ればいいのだろう。

「大地よ……」


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