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第二章  5 監視

 さきほどのテレビで、あの少女がここの生徒だということがわかった。アフリカのサバンナ地帯から、たった一人で生還したという少女――。

 名前は、氷上千鶴。

 まちがいなく、あの夜の少女だ。

 江島周防は、塀の陰から校門付近をうかがっていた。自宅から、さほど遠くない場所にある学校だ。もし私立に行っていなければ、自分もここに通っていたかもしれない。

 ちょうど通学時間のために、たくさんの生徒たちが眼の前を横切っていく。あらためて最近の中学生を見ると、周防のイメージが、だいぶ古いものだということを認識した。周防が中学生のころは、こんなにも髪が茶色い生徒はいなかった。マジメに朝から登校してくる生徒が、髪を染めるなど信じられない。

 周防の通っていた中学校が校則の厳しい名門の私立だったから、余計にそう感じるのかもしれない。

 もしかしたら、〈A狩り〉で痛めつけた者のなかにも、不良とか、ヤンキーとかいうたぐいではなくて、ごく普通の少年たちが混ざっていたのかもれない。

 周防は一瞬、罪悪に心を刺された。

 頭を振り、すぐに痛みをはらう。

(それでもかまわない)

 腹はくくっている。妹を殺した残虐者と同じ人種は、すべて許さない。

 根絶やしにしてやる!

 周防は、呼び起こした憎悪をたぎらせて、生徒たちの監視を続けた。もう、どうでもいいものには興味をおかない。あくまでも、一人の少女をさがすことだけに専念する。

 氷上千鶴というあの少女に会ってどうするのか、周防にもよくわからなかった。どうして再び会いたいのかもわからない。

 死んだ妹に似ていたからだろうか?

 それとも、不思議な力に魅せられたのか?

 あの少女は、ライオンを従えていた。

 まちがいではない。

 幻を見ていたわけでもない。

 ライオンは、確実にいた。

 あの空間を破裂させるような猛獣の存在感は、いま思い出しても背筋が凍りつく。

(クソッ!)

 ライオンを前にして、なにもできなかった記憶が胸をえぐった。

 妹が死んでからあの夜まで、周防は恐怖というものを忘れていた。怒りと復讐心しかなかった。闇討ちに失敗し、少年たちから逆襲されたことを想像しても、恐ろしさは感じなかった。相手を殺し、死刑になることも、怖くはない。

 あのときだけ、恐怖が蘇った。

「……!」

 悔しさにまみれた感情が、われに返った。

 いま通り過ぎた三人のなかに、目的の彼女がいた。アンバランスな髪形は変わっているが、あの少女だ。

 左右の長さがちがうところは、変わっていない。片方の――長いほうの髪を編んで、おさげにしているのだ。片側だけのおさげ……さらにアンバランスさが増しているが、不思議とおかしくはない。

 三人の女生徒は、楽しげにおしゃべりしながら校門へと向かっている。

 周防は、自分のこれからの行動を、まったく予想できなかった。このまま眺めているだけのような気もするし、彼女の前に飛び出してしまいそうな気もする。出ていったとしても、それからどうするのか、まるで想像できない。

 涼やかな朝に、チャイムの音色が割って入った。

 ほかの生徒たちが駆け足で門をめざすのにたいして、彼女をふくめた三人組は、のんきに歩調をゆるめたままだ。

 周防は、気づいた。

 三人組の背後に、一人の女生徒が忍び寄っているのを――。

 この《気》は、なんだ!?

 その正体に思い至ったとき、周防は反射的に、ジーンズのポケットに指を入れていた。

(殺気!)



「いいの? 急がなくって!?」

 早苗が、心配げな声をあげた。

 千鶴が戻ってきてから、また三人いっしょに登校している。三人で話しながら歩いていると、ついつい時間がかかってしまうのだ。

「大丈夫、大丈夫」

「人間、おおらかに、おおらかに」

 千鶴と洋子は、チャイムの音にも動じることなく、のんびりとしたままだ。

「遅刻になっちゃうよ」

「大丈夫だよ、早苗。今日の門番、高橋先生なんだって」

 洋子がそう言った。昨夜、電話で千鶴からそのことを聞いていたのだ。

 千鶴がいま一人暮らしを黙認されているのは、教員が――この場合、その役を無理やりかってでた織絵が――毎日、千鶴の家に訪問しているからだ。そのときに織絵本人から千鶴が聞いた話だから、まちがいないだろう。

「もうマスコミの人はいないね」

 それでも急ぎたそうにしている早苗を無視して、洋子があたりを見回しながら続けた。最初の数日は、テレビや雑誌の取材陣で大変だった。しかし、あっという間に、騒動も終わりをつげたらしい。

「でも、あれだけの記者を前にして、すっごい余裕だったね、千鶴」

「え?」

「だって、つらいことあったばかりなのに……普通の人だったら、取材拒否してるよ」

「そういう感情は、向こうにおいてきたって言ったでしょ」

 その言葉がどれだけ本心なのかわからないが、千鶴の表情だけで判断すると、強がりで言っているようには見えなかった。

 しかし洋子は、そんな千鶴の心の成長を嬉しく思う反面、また不安にもなっていた。もし、千鶴が強がりで言っているのだとしたら……以前のように、か弱い心のままだったとしたら……。

「そういえば、今日はおさげなんだね」

 その不安を振り払うかのように、洋子は明るい話題を口にした。

「バカネコのせいで寝癖がついちゃったの」

 片方だけしかないおさげを持ち上げて、不機嫌そうに千鶴が答えた。千鶴にとっては、明るい話題ではなかったようだ。

 と――。

「……つッ」

『バカネコ』と呼ばれたからか、突然、右手の小指が疼きだした。

(ムクムク!?)

 意志とは無関係に、右手が頭の後ろへ動いた。

 掌のなかに、なにかが入った。

 今度は、ちゃんと自分の意志で顔の前に右手をもってくると、拳を握っているその掌を広げてみた。

 百円玉がのっていた。

「……?」

 千鶴は振り返った。

 どうやら、この百円玉が自分の後頭部めがけて飛んできたのを、右手が勝手に反応して――というより、右手のなかの獣たちのいずれかが反応して、キャッチしたらしい。

 掌から、百円玉がこぼれた。

 その百円玉を追って、視線を下に動かそうとした直前、指の隙間から、だれかが駆け寄ってくるのが見えた。

 再び、小指が疼いた。

 疼きは、ムクムクの仕業ではなかった。

 妹のソワソワによる警告だ!

 次は百円玉のような、たいして害のないものではない。

 同じ制服を着た少女が迫ってくる。

 手には、銀色の輝き。

 森野由美。

 美しいはずの顔。

 その顔が、般若のように歪んでいた。

「!」

 なにがおころうとしているのか悟った千鶴は、人差し指を由美に向けた。

「ガゼル!!」

 もし、その人差し指を注視していた人間がいたとしたら、その指が一瞬きらめいたことに眼を疑っただろう。

 人差し指のきらめきとほぼ同時に、ナイフかカッターと推測される凶器が、弧を描きながら宙を舞った。その所有者である森野由美も、弾かれた腕への衝撃そのままに、後方へ飛ばされていた。

 刃物がアスファルトの路面に落下したころだろうか、再び千鶴の人差し指がきらめいていたのは――やはり、だれの眼にもとまらなかった。

 もちろん、風よりも速い獣が行って戻ってきたなど、だれにもわかりはしない。

「どうしたの千鶴?」

 意味不明な突然の叫びを聞いて、洋子と早苗の二人は、千鶴が歩みを止めていたことに、やっと気づいた。

「森野……さん?」

 尻餅をついていた森野由美が、立ち上がるところだった。

 その口許が、かすかに動いた。

 舌打ち?

 それとも、呪詛の言葉でも吐き捨てたのだろうか。

 踵を返すと、森野由美はネコのようなしなやかさで走り去っていった。

「千鶴ちゃん!?」

 門の前で、いまの凶行を目の当たりにしていた織絵が、あわてて駆け寄ってきた。

「怪我は!?」

「なんの話ですか、先生?」

 千鶴は、平然としていた。まるで何事もなかったかのようだ。

「だって、いま!」

 織絵は、信じられないという表情だ。教え子が、同じクラスメイトを襲撃するなど、信じたくもない。

 あたりを見回して、地面に落ちたはずの凶器をさがした。ナイフのようなものだということはわかったが、織絵のいた距離からでは詳しくは知れない。

(どこ?)

 凶器は、落ちていなかった。

 どこか見えない場所へ飛んでいったのだろうか。

「どうしたんですか? 深刻な顔して」

 千鶴はあくまでも、何事もなかったとシラを通すつもりだ。

「千鶴ちゃん!」

 織絵は、強く言った。この子は、事の重大さをわかっているのだろうか。

 由美の顔は、善悪の見境がつかないほどに、狂気を従えていた。どういうわけか、勝手に倒れて刃物を手放したからいいようなものの……あのままだったら大怪我どころか、命まで危なかったというのに!

 千鶴が学校に戻ってきた日から――千鶴と握手をして、なぜだかおびえて腰を抜かしたあの日から、森野由美は千鶴と入れ代わるように、学校へ来なくなっていた。

 久しぶりに姿を見たのが、こんなショッキングな現場だなんて。

「警――」

 そう言いだした織絵を口を、千鶴の右手人差し指がふさいだ。首を横に振ってからまわりを見渡し、織絵以外に――ただ一人を除いて――だれも、いまの事件を目撃していないことを確認した。

「なんでもなかったでしょ、先生?」

「で、でも……」

「もう取材を受けるのやだもん」

 笑顔で、千鶴はそう言った。

「ねえ、なにがあったの!?」

「なんにもないよ、なんでもない」

 理解できないまでも、なにかはあったと勘づいている二人の心配げな親友たちにそう答えると、千鶴は落としたままの百円玉を拾い上げた。

 そして、織絵以外の《ただ一人》――離れた場所で、無関係な傍観者をよそおっている青年に、チラッと眼を向けた。

「礼を言うわ」

 その青年には、とても届きそうにないほどのつぶやきを口にした。


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