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第二章  4 信仰

 悩みは、若ハゲ。

 性格も暗い。

 特技、長所など、すべてなし。

 そのくせ、贅肉だけには恵まれている。

 まだ三〇歳を少し越えただけなのだが、だれもが四〇過ぎの冴えないオヤジだと信じて疑わないだろう。

 外見も中身も、最悪だ。

 そして、それにもまして大問題なのが、なにをするにも間が悪いということだ。空気が読めないといわれればそれまでだが、もっと根本的なものが欠けているような気がする。

 容姿や体型、性格などは、生まれついての素質も重要だが、その後の努力で少しはどうにかなることもある。しかし運とか、めぐり合わせとか、もう自分ではどうしようもないことまでが最悪なのだ。

 そんな男だから、当然のごとく、まわりからは敬遠され、自分から近づいていっても、あからさまに嫌悪感を顔に出される。生まれてからこれまで、《真の友》というものをもったことがない。学生時代も、サラリーマンになったいまでも、いつも孤独だ。

 たとえば、自分はそういう人間だと開き直って、一人だけの世界に閉じこもり、それなりの楽しみをみつけて、『オタク化』していくという生き方もある。そうすれば、見た目など関係ないし、同じ種類のオタク仲間とだけなら、それなりに濃い――ちがう意味でも「濃い」人間関係を築くこともできよう。だが開き直ることもできず、そもそも熱中できるものすらみつけられない男となれば、広く浅い人付き合いを最大の必須スキルとする現代の希薄社会のなかにおいては、どうしても浮いてしまう存在となる。

 もちろん独身。

 恋人なんて、夢のまた夢。

 三〇数年間、ず〜〜といない。

 できるわけがない。

 孤独だけの人生――。

 顔をよくしてくれとは言わない。性格も努力でなんとしようと思っている。せめて、せめて……間の悪さだけでも、なんとかならないだろうか。

(高橋……織絵さん)

 玄崎太一の孤独を癒してくれるのは、たった一人の女性だけだった。自宅アパートの近くに住んでいる、とても清楚な女性だ。最近の純真さを棄てた女どもとは、くらべ物にもならないほどの素晴らしい女性……。

 彼女に恋をしたのは、もう一年近く前だろうか。たまたま朝早く出勤したときに、彼女が自宅前の道路を掃除していた。一目惚れだった。それからというもの、彼女と会うためだけに、朝早く家を出る日々が続いている。

 今日だってそうだ。

 彼女は、自分のことをとても警戒している。当たり前だ。こんな冴えない男が、毎朝、恥も外聞もなく、電柱に隠れながら家を覗いているのだから。最近では自分を避けるように、滅多に家から出てくれなくなった。きっと、自分のことをストーカーかなにかと思っているはずだ。

 そうだ、当たっている。

(ストーカーでいいんだ)

 べつに迷惑をかける危険ストーカーになるつもりはない。開き直れない性格からもわかるように、そんな度胸は、はじめからありはしないのだ。だから無言電話をかけることもしないし、家のなかに忍び込むような真似もしない。ただ、遠くから見つめることができるだけでいい。

(それが、ボクの幸せなんだ)

 太一は眼下に広がる街並みを眺めながら、心のなかでつぶやいた。

 自分のほかは、まだだれも出勤していない静かなオフィス。自分のデスクからの景観は、じょじょに活動をはじめていく大都会の縮図そのものだ。

 窓際だった。

 いま自分のデスクが置かれている場所――という意味だけではない。太一は、この池袋を拠点に活躍する中堅総合商社にとって、お荷物以外のなにものでもなかった。三〇代前半という将来を嘱望されるべきこの歳で、すでに『リストラ要員』の上位に名をつらねていた。この不況下においては、すでにXデーへのカウントダウンがはじまっていたとしても不思議ではない。

 好景気のときに就職できてから――思えば、これが唯一のツキだった――はや十余年が過ぎた。厄介者あつかいされだしたのは、入社してすぐのことだった。

 人と対面するのが苦手。電話でも、まともに話せない。かといって、パソコンのあつかいも人並み以下。手書きで企画書を作成してもセンスがない。雑用をやらされても、そのときにかぎってコピー機が故障してしまう。書類整理をやらされても、そのときにがぎって震度4の地震がおこり、棚が倒れてよけいバラバラになってしまった。

 とにかく、なにをやっても、すべてのことが裏目にでてしまう。

 いまの太一の仕事で、安心して任されているものは、一つしかない。いらなくなった書類をシュレッダーにかけることだ。シュレッダーのあつかいだけには、トラブルがおこることはなかった。

 ほかの社員たちから、《ヤギ》と陰で呼ばれていることを知っていた。紙の処理しかできないからだろう。しかし、そのバカにされている仕事すら、もうじきなくなってしまうかもしれない。昨今の環境問題から、シュレッダーにかけることをやめようという意見が、この間、会議で提案されたというのだ。

(……)

 太一は、机上にある銅像を手に取った。大きさは、掌におさまるぐらいの小さなものだ。キリストの処刑をモチーフにしたものだろうか、髭をたくわえた男が磔にされている。だがその像の顔は、どのキリスト像ともちがう顔形をしていた。

 それの名前は『イルマ像』という。

 三年ほど前に、新興宗教で買わされた銅像だった。こんな小さなものが、三〇万円もする。

 新興宗教『クガンゼ教』が、マスコミなどから「インチキ宗教」と叫ばれていたのは、太一も知っていた。それを承知で、片足を突っ込んだ。

 ある日街を歩いていたら、映画の上映会のチラシを配っていた。少し前に流行った映画だった。特別その映画が見たかったわけではないのだが、なによりも、ただ、ということにつられて、その上映会に足を運んでしまった。その上映会こそが、『クガンゼ教』の勧誘活動だった。チラシには、それが宗教とからんでいることなど、もちろん一字も書かれていない。

 上映会では映画そっちのけで、教祖の丸井善學ぜんがくが演説をはじめてしまった。どこの新興宗教でも聞くような、世界の破滅が近い……裁きの光が地上に降りそそぐ……わがイルマ神を信じよ……わが力は奇跡をおこす……などということを大声で主張していた。

 もはや上映会などではなく、演説会だった。

 そしてその最後に、「集会にもぜひ来てほしい」――と、丸井善學は締めくくった。

 懲りずに、太一は集会へも行った。のめり込むのは危ないとわかっていたが、教祖の熱心さに惹かれるものを感じたのだ。それが、カリスマというものだろうか。丸井善學の言っていることが嘘か本当かはべつにしても、人をひきつける力は本物だった。

 集会では、丸井善學による《奇跡の力》が実演された。

 透視。

 念動力。

 予知。

 次々に披露されたが、いずれも一回観れば、トリックがわかるものばかりだった。手品で騙そうとするのだとしても、昨今のブームにおいては、もっとクオリティを高くしなければ、だれの眼もあざむけない。

そこまでを見た太一は、正直この『クガンゼ教』と丸井善學という教祖にたいして落胆していた。上映会での言葉には、力があったはずなのに……カリスマ性を予感させてくれたのに――。

 こんな下手なマジックを超能力と偽る男が、たとえ「インチキ」とマスコミに叩かれていようと、話題の新興宗教の教祖だというのか。一時とはいえ、そんな男の話に興味をもった自分は、本当に愚かだ。滑稽でしかない。

 世の中こんなものか。こんなペテン師が注目を浴びているようなくだらない世界なんだ! 信者になりさがった人間は、いったいこの男のなにを信じているというのだろうか!?

 太一が帰ろうと席を立とうとしたときに、《最後の奇跡》がはじまった。助手役の信者の腕には、ガスバーナーが抱えられていた。デモンストレーションで、蓋がはずされた透明の容器のなかに入った紙屑の塊に、ガスバーナーの炎がそそがれた。紙屑は瞬時に燃え上がった。

 また手品か……。

 そうウンザリした刹那、太一は信じられないものを見た。

 ガスバーナーの炎が向けられたのは、ほかでもない、善學の身体めがけてだったのだ。

 あのままでは焼かれる!

 だが善學は、両掌をかざして、赤き奔流を受け止めた。顔や胴体などの主要部分は守られたが、両手は紅蓮のただなか。

 善學の顔色は変わらない。

 なぜだ!?

 考えられることは二つ。

 一つは、炎が偽物であるということ。

 紙屑が燃えたこともトリック……。

 いや、それはない!

 まるで自分の顔が焦がされているほどの熱が届いてくる。あれはまぎれもなく、灼熱の赤だ。

 では、もう一つの可能性。善學の両手に、肌と見まがうほどの薄い耐火性手袋のようなものがはめられているということ。

 バカな!

 もしそんなものがあるんだったら、消防隊員があんな重装備をしているわけがない。

 だとしたら、これは本物……!?

 これまでのインチキは、最後に出てくる本物を引き立てるための演出だったのか。

 これにトリックは考えられない。

 これこそが、奇跡の力――!?

 それから太一は、連続して集会に参加していた。月に一度の『集会』のほかにも、『セミナー』、『啓発の宴』と呼ばれる集まりにも足を運んだ。名称はどうあれ、いずれも信者獲得と、信者になっているものからは、御布施を徴集するための会だ。それらでも、《最後の奇跡》は出し惜しみすることなく披露された。何度見ても、手品とは思えなかった。

 そうこうしているうちに、気づいたときには、三〇万円の銅像を買わされていた。

「イルマ神様……」

 そんなつぶやきが無意識のうちに出るようになったのは、いつごろからだろうか。

 心の底から信じているわけではなかった。

 しかし、信じている自分も確実にいる。

 いや、すべてを信じられたら、どんなに楽なことだろう。

 太一のクガンゼ教での身分は、正式なものではなく、あくまでも仮の信者ということになっていた。開き直れない性格が、ここでも邪魔をしていた。

 本来の自分は、クガンゼ教に入信して、イルマ神様に永遠の信仰を誓うべき人間なのではないだろうか。丸井善學教祖の説かれる真理を探究しなければ、本当の自分自身は姿を現さないのではないだろうか!?

 迷いがある。

 なぜ、その迷いを棄てきれないのか!?

「……」

 ここ最近は、その迷いが、より激しいものになっていた。

 原因は『クガンゼ教』、『イルマ神』などの名前の由来に気づいてしまったからだ。

『クガンゼ教』の「クガンゼ」を逆から読むと、「ゼンガク」……主神である『イルマ』を逆から読むと、「マルイ」――つまり「ゼンガク・マルイ」――丸井善學となる。

(嘘なんだろうか……)

 太一は、掌のなかのイルマ像をギュッと握りしめた。ここしばらくは、集会にも顔を出していない。

 もし、あの《最後の奇跡》すらもインチキなのだとしたら、これからなにを信じて生きていけばいいのだろう。そういえば、丸井善學に出会うまで、ほんの少しでも信じられるものに、自分は出会っていなかった。なぜ、嘘か本当かにこだわってしまうのだろう。

 嘘でもいいではないか。

 自分が信じているのなら――。

 この世の中は、なにかにすがって生きていなければ、つらすぎる。神を信じ、神に祈っているときが、これほど安らげるなどと思ってもいなかった。

 楽なのだ。神の意志に従って生きるということは……。

 それが、たとえ神ではなく、丸井善學の意志なのだとしても――。

(集会の日……いつだっけ……)

 同僚の何人かが、すでに出社していた。

 また、イヤな会社での一日がはじまる。


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