最後の手前
七時四十。
冷たい教室に入ると佐伯の姿。
俺「おはよう」
佐伯「……おはよう」
右寄せの位置決め。
持ち手を三つ、机の端に並べる。
落ち着いたトーンでお互い作業確認の短い会話。
俺「右、二ミリ上」
佐伯「了解」
俺「端、貸して」
佐伯「……はい」
(淡々。いつも通り。あと一枚)
最後の手前で、佐伯が息を整える気配。
横顔のまま、声だけがこちらに向く。
(すっげー、ヤな予感…)
佐伯「……篠原くん」
俺「ん」
佐伯「これからは、私一人で大丈夫そう。今まで、ありがとう」
——一瞬、空白。
耳の後ろで血が鳴る。体温だけ上がる。
(あー…やっぱり…予感的中)
(なんで。俺、何した。やりすぎた?ウザかった?細かすぎたか?)
考えても、どれも当たりに届かない。
取り乱す手前で止める。
問い詰めるのは違う。
俺は、短く落とす。
「……了解」
(他の言葉が見つからない…佐伯がそう決めた以上、俺が何を言ってもどうにもできない)
佐伯が続ける。
佐伯「本来は、委員会の私がやらなきゃいけないのに、今まで付き合わせちゃって……ごめん。」
最後の一枚は、彼女の手だけで。
――ぴた。
音は小さいのに、内側では大きく響いた。
佐伯「ありがとう。ここまで、本当に」
俺「うん」
それだけ。
カッターのキャップを閉じる。
ポケットのスマホ。今日は手探りで確認する気になれない。
佐伯「その……チェックリスト、ここに置いておくから、もし何か気づいたら——」
(保険)
切るって言いながら、薄く残すやつ。
その優しさに腹が立つ…今それが一番刺さる。
俺「——任せる」
一段、低く。
自分から切る側に回る。
(期待は、残さない)
佐伯の目が、ほんの少しだけ沈む。
(なんで佐伯の方がそんな目するんだよ…)
胸の内側で、水の音。
突き放したのはそっちだ、という意地が勝つ。
半歩下がる。邪魔にならない位置。
――ガラリ。
扉。柏木と久我。状況を見て、二人とも声量を落とす。
目だけで渡す。
柏木が親指を一ミリ上げる。久我は口笛を飲み込む。
(助かる)
“係の人”の顔で席に戻る佐伯。
俺はドア近くに立つ。
(忘れろ。切り替えろ。)
黒板の右寄せは揃っている。
導線も一直線。
それでも頭の中は、ぐるぐるが止まらない。
答えは出ない。出るはずもない。
メッセージ画面を開いて、閉じる。
(業務だけ。送ることはない)
スマホケースに親指が触れそうになって、引っ込める。
(触るな。残すな)




