11 幕間3 長兄の独り言(クレメンスの兄)
感想欄が赤飯まみれになった前回のあとがきに少しだけ追記しました。
お暇なときにでもお読みいただければと(´∀`*)
ホレヴァ商会とエナンデル商会、この二つの商会の長が兄弟であるということは、多くの人が知るところだ。だが、二人の間に実はもう一人いるということを覚えている者は、いったいどれだけいるだろうか。
デビューから僅か二年足らずで社交界から消えた美貌の次男、クレメンス・ホレヴァ。
傷心の旅に出たか、病を得てどこかの静養地に移ったか。あるいはとうにこの世の人ではないか。
一時期は噂話で随分と社交界を賑わせたものだが、時が流れて話題に上ることもほとんどなくなり、今となってはその名すら忘れ去られて久しい。
男装の麗人ではないかとさえ噂された中性的な容姿で持て囃されたクレメンスが今、王都から遠く離れた北の地で腕利きの冒険者となっていることなど、誰もが想像すらしなかったに違いない。
竜討伐に赴き、後に英雄となる友を身を挺して護り、瀕死の重傷を負ってなお生き延びて、かつて悲劇の姫君と呼ばれていた異国の女を妻に迎えた、「英雄の英雄」。
それが、十代のうちに王都から姿を消した、あのときの少年であることなどは、誰も。
喋り疲れて一息ついていたアマデウス・ホレヴァは、ナディアやパウルと楽しげに話し込んでいるクレメンスを眺めてふと口の端を綻ばせた。
(月下の百合だなんて呼ばれてお嬢さん方に騒がれていたこの子が、こんな苦み走ったいい男になるなんてなぁ)
月光のようだった銀髪は落ち着いたいぶし銀に、陶器のように滑らかだった肌は幾つもの傷跡が走り、涼しげだった切れ長の瞳は鋭さを加えて凄味を増した。
「年が離れた双子」などと言われていたクレメンスとアマデウスの容姿も、あまりにも異なる道を歩んだがゆえに、そうと知らなければ兄弟とは見抜けぬほどにかけ離れてしまった。
(並べば確かに兄弟だと分かるだろう。だが、そうでなければホレヴァ家の一員だとは思わないかもしれないな……)
――若い頃のアマデウスとその五つ下の弟クレメンスは、驚くほど容姿が似ていた。南国出身の曾祖母から兄弟で唯一受け継いだ小麦色の肌という一点を除けば、瓜二つと言えるほどによく似ていた。
しかし、生まれ持った性質が対極にあるからか、受ける印象はまるで異なるらしい。アマデウスが燦燦と輝く南国の太陽であれば、クレメンスは匂い立つような月下の百合。
アマデウスにはない色香を纏うクレメンスは、見た者の劣情をひどく誘うようだった。
ゆえに、後継ぎであるアマデウス以上にご婦人方の興味を引いた。彼女たちの熱視線は、兄としては不安を覚えるほどのものだった。
だが美貌揃いの一家において、クレメンスは自らの容姿には些か無頓着なきらいがあった。それが気掛かりではあったが、結局その容姿がもとで彼は王都での立場を失っている。いや、奪われたと言った方が正しいか。
事件が起きたのはおよそ二十年前。彼がまだ十代の頃だ。
創業者一族の地位と、なにより彼の美貌に目が眩んだ幼馴染の娘が、本来の婚約者候補であった末弟パウルをクレメンスと挿げ替えるために一計を案じた。
とはいえ、世間知らずの箱入り娘が考えた謀など稚拙なものだ。酔いに任せて事に及んだ――そんな既成事実をもとに関係を迫るはずが、多数の目撃証言と薬物使用の証拠があったために、先方有責で瞬く間に事件は解決した――はずだった。
恵まれた容姿と家柄への妬みも多分にあったのだろう、同世代の若者達の悪意によって、事件の真実は歪められて吹聴された。
――幼馴染の女の子を食い物にして捨てたそうじゃないか。
――ホレヴァ家の真ん中のご子息は、まだ十代の身空で枕営業を仕掛けてるってもっぱらの噂さ。
――性に奔放で男娼の真似事もしてるって話らしいわ。
――既婚のご夫人にまで手を出しているのですって。
過去に言い寄って袖にされた娘たちまで加担したために、噂はより一層悪質性を増した。
あまりにも不名誉なレッテルを貼られ、まだ少年ともいえる年頃のクレメンスは心身を病み、社交もままならなくなった。
なまじ国内屈指の老舗の子息だっただけに、面白半分に噂を拡散する輩が後を絶たず、このままでは家業に障りが出ると思い詰めた彼は、騒ぎの責任を取るとして家を出てしまったのだ。
無論ホレヴァ家も事態を黙って見ていたわけではない。発端となる事件は先方が有責。裁判にまで持ち込んでクレメンスの名誉は完全回復したものの、結局彼は王都に戻ることはなかった。気心の知れた幼馴染の裏切り、そして妬み嫉みでどこまでも醜悪になれる人々の存在がよほど堪えたのだろう。
あの出来事はアマデウスの心にも深い影を落としている。大多数からの悪意への対処を本格的に覚えさせる前に起きてしまったあの事件から、弟を守り切ることができなかったのだ。アマデウス自身が大学を出たばかりの若輩の身で、社交界全体を相手にしての立ち回りができるほどの力もなかった。
だがそれでも、もっと何かしてやれることはなかったのかと今でも思う。
(なにせ、家を出て何をするかと思えば、よりによって冒険者だ。温室育ちの坊ちゃんには無謀だってことくらい、クレムだって分かってただろうにな)
危険な世界に身を置き、軟弱な心身を鍛えたかったという少年らしい憧れもあったというが、とにかく煌びやかな世界から離れたいという思いも少なからずあったようだ。行先に国内で最も環境が厳しいと言われているトリスヴァル領を選んだのも、単純に知己の男がいたからという理由だけではなかったのだろう。
(男女問わず劣情を誘うと言われていた容姿を傷付けたかった――というのは考え過ぎだろうかな……)
月下の百合、美の女神に愛されているとまで讃えられた繊細で中性的な容貌は、今や渋みを加えた精悍な男の姿になっている。細身には見えるがシャツの下の鍛え上げられた肉体の存在は隠し切れず、袖口から覗く腕の傷跡からは猛々しささえ感じるほどだ。
二十年近く前のあのとき心無い噂で傷付いていた少年は、竜討伐隊に抜擢されるほどの強靭な男に成長した。あの頃の少年を知る人々が今の彼を見ても、クレメンスだと認識できる者はあまり多くはないかもしれない。そのくらいには変わったのだ。
だからそろそろ帰ってこないかと、滅多には実家に戻らない弟にそんな言葉をかけたことがある。
だが、今更戻ることはできない、これが性に合っているからと彼は頑として譲らなかった。事実はどうあれ家名に泥を塗り、半ば我儘を押し通した形で離れて長い年月が過ぎた身で、今更居場所などあろうはずもないという彼の言い分も分かる。
分かる、が。
(純粋に兄弟として戻ってきてほしかったんだがな……)
既に若さだけで勝負できる年齢は過ぎ去り、体力が衰え始める頃合いだ。そうでなくとも危険な稼業だ。いずれは取り返しがつかないことになるのではないか。そんな不安は常に付き纏っていた。
――そして、その懸念は現実のものとなってしまった。
ザックからの報せでは命に別状はないとされていたが、新聞で伝え聞く話では予断を許さぬ状況だの明日をも知れぬ命だのと明らかに危篤状態にある書きぶりで、アマデウスは動揺のあまり出先からまっすぐ教会に駆け込んで神に祈りを捧げたほどだ。
それでも仕事を放って駆け付けるわけにもゆかず、多少の自由が利くパウルに任せて己は待つという選択肢を取ることしかできなかった。
家族の目で無事を確かめるまで安心などできなかった。パウルからの報せが届くまでの五日間が、五年にも十年にも思えるほど長く感じられた。
あんな思いは、二度としたくはない。
だが、そんな家族の心配をよそに、クレメンスは見事に生還してくれた。
医師の腕も良かったのだろうが、それでも彼自身の生命力と精神力があったからこそだと、後にその医師は打ち明けてくれた。彼でなければ持って十数分という恐ろしい毒だったのだと。
しかも生還したどころか、目覚めたその場で恋人に求婚し、公衆の面前で熱烈な口付けまで交わしたというのだから恐れ入る。
もはやアマデウスが知る繊細な弟はどこにもいない。
(もう女は金輪際御免被るとまで言っていたこいつが、まさかこの歳になって結婚するなんて言い出すとは思わなかったなぁ)
それも相手は今は亡き第二王子の婚約者、故国の内乱で生死不明となっていた令嬢だ。まるで世間話でもするかのような調子で打ち明けられたときには、さすがのアマデウスもパウルと一緒に「ファーッ!?」と妙な悲鳴を上げてしまい、当のナディアに腹を抱えるほど大笑いされてしまった。
僅か十三歳にして婚約者と故国を失い、自身も行方知れずとなった悲劇の姫君。その姫君と目の前の気風のいい女がまるで一致せずに困惑したものだが、話を聞けばやはりかの姫君に相違ないことは理解できた。
何を思ってかつての婚約者が眠るこの国に流れ着いたのかは分からない。婚約者を亡くし、直後に内乱に巻き込まれて国を追われ、十代という人生において最も貴重な時期を流浪の民として過ごした彼女の境遇は、想像を絶するものだ。
だが、クレメンスもナディアも、過去を想い出として今を生きている。
二人が手を取り合ってこの先の人生を生きていこうというのであれば、己ができることは心から祝福してやることだけだ。
「――なんだい、兄さん。さっきから一人でニヤニヤして」
「ニヤニヤってお前なぁ」
歓談の最中、隣りで黙り込んでいる長兄の表情を見咎めたパウルに胡乱な目で問われ、アマデウスは苦笑いした。
「今見ているこの光景が、このうえなく貴いなと思っていただけさ」
決して平坦ではない、過酷な道を歩まざるを得なかった二人だ。
己やパウルなどと比べたら、遥かに危険な――それこそ死と隣り合わせの場所で生きてきた彼らだ。たった一つでもボタンを掛け違えていたら、二度と取り戻せない命になっていたかもしれない。そしてこの幸せな光景は、決して見ることが叶わなかっただろう。
彼ら自身の努力もあっただろう。しかし二人の笑顔の向こう側には、入れ替わり立ち代わり手を貸して二人をここまで導いてくれた、沢山の「誰か」の存在を感じずにはいられない。
(二人は頑張った。良い仲間にも、恵まれたんだ)
「――あれっ、兄さん?」
「ちょいと、どうしたんだい」
「どこか痛むのか?」
いつの間にか頬を伝い落ちていた一筋の涙を慌てて覆い隠しながら、「いや、私も歳だな。涙脆くなった」と照れ隠しに口にした言葉の端が震えた。
「……嬉しくてしょうがないんだ。お前たち、本当に――本当に、良かった。良かったなぁ」
ここに至るまでに潰えていたかもしれない命があった。ほかならぬクレメンスとナディアの命だ。
だが、今彼らはこうして目の前で幸せそうに笑っている。
嬉し涙に咽び泣くアマデウスの肩や背を、三人の手が宥めるように撫でていく。
触れていく手はどれもが温かく、この喜ばしい光景が確かに現実のものであるとアマデウスに伝えている。
「――いつまでも壮健でいろ。長生きしろよ。この兄よりもだぞ」
それは兄としての偽らざる本音だ。
「勿論さ」
クレメンスは頷いた。
「だから兄さんも元気で長生きしてくれ。見届けてくれよ」
「見届けてくれってお前な、それじゃあ結局私の方が後じゃないか。いきなり置いていく宣言はよしてくれよ」
「言われてみれば。それもそうだな」
「クレム兄さん……」
せっかくの心温まる場面が些か残念なことになってしまい、パウルが残念なものを見るような視線を二人の兄に向けた。
それを眺めているナディアが、肩を震わせて笑っている。
くだらないと思える会話までが貴いと思えるのは、きっとアマデウスの気のせいではないだろう。
――いつまでもこんな他愛もない会話をしていられたらいい。
そんなささやかなことさえも貴いものなのだということを、アマデウスはもう知っている。
だから願う。
それはとても小さな願いだ。
特別ではない、日常のささやかな、けれどもかけがえのない想い出を、これからも積み重ねていけますように、と。
オーロラ卿「弟は屈強な身体に強靭な精神、そして残念不憫の属性を手に入れたのである。ぷるるん」
語尾にぷるるんってつけないと卿って誰だっけってなるかと思って……_(:3 」∠)_




