10 幕間2 家族のこと(ヴィヴィとヴァル)
「えっ結婚した!?」
「いつの間に!?」
照れくさそうに突然の結婚報告をしたヴィヴィとヴァルを前に、シェアハウスの一同は驚愕した。何の前触れもなく、あまりにも突然だったからだ。
この若い二人が交際を始めてからおよそ半年。籍を入れるのは一人前になってからという、主にヴァルの気持ちの問題で清い関係を貫いていた二人だったが、ここにきて心境に変化があったらしい。
「めでたいことだけどさ、急にどうしたのー?」
「いやぁ……ここ最近結婚とか婚約する人が続いたじゃないですか。それ見てたら考えが変わったっていうか」
「どうせいつかは結婚するんだし、よく考えてみたら別に今しちゃってもあんま変わんないよなってなったんですよ。予定引き延ばしたところで何か変わるもんでもなしって」
「ぐぅっ!?」
己の都合で予定を引き延ばしまくってようやく婚約まで漕ぎ付けたばかりのアレクは、想定外のところから不意打ちを食らって長椅子に倒れ込んでしまった。痛いところを抉られたなとでも言いたげなルリィとヴィオリッドが、興味津々の竜麟の中のひとやリラーヴェンを巻き込んでぷるぷるモフンと内緒話を始めている。
そんな彼らを尻目に、色めき立った仲間達は大騒ぎだ。
「じゃあお祝いしないとなー」
「水晶蟹とコカトリスが残ってたろ。あれ解凍しようぜ」
「いいね! じゃあ蟹は俺が茹でとくわ」
「コカトリスは唐揚げにしよっか。あっそうだ、お赤飯も炊こう! 甘納豆があるからあれ使おうかな」
「セキハンって何?」
「うーんと、東方のお祝いのときに食べる豆ご飯。赤……というか桜色で、甘くて美味しいんだよ」
「甘い飯かー。あっ、ミズホの料理本に載ってたあれか?」
「うん、それ」
食材ハンターという職業柄ゆえか、食に関する興味が人一倍強いリヌスは図書室の料理本には全て目を通していたようだった。シオリの説明から該当する料理をあっさり言い当てたあたり、相当読み込んでいるらしい。
「まじかー。甘い色付きの飯ってちょっと興味あったんだよねー」
「私も」
「そっか。じゃあ多めに作っとこうかな。で、その……アレク、大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。その、お前が気にしないのであれば、だが……」
決意を固めてから求婚するまでに待たせてしまったことを彼は気にしているらしいが、彼の事情も分かるし待ったところでせいぜい半年かそこらである。それほど問題があるとも思えないのだが、アレクはまた何かくよくよと悩み始めてしまった。
「ゆっくり育む愛って、私は好きだよ。最短距離で行くのも悪くないけど、私達にはのんびりゆっくりの方が合ってると思うし」
「そ、そうか。そうだな……」
シオリの言葉でほんの少しだけ復活した彼の栗毛がさらりと揺れる。ふふ、と微笑んだシオリは、長椅子に凭れ掛かったままの彼の栗毛に、そっと口付けを落とした。
そんな二人を眺めていたリヌスは「俺達もしちゃうー? 結婚」と冗談めかした調子で言ったが、さらりとエレンに「そうねぇ、いいかもしれないわね」と返されて逆に狼狽えてしまった。
「えっちょっと待って、心の準備が」
「自分から言い出しておいてそれはどうなの」
相変わらずの彼ららしいやり取りにアレクも苦笑いだ。
「――あ、そういえば。ヴィヴィさんどうする? 大きい部屋に移る?」
籍を入れたからといって敢えて同室にする必要はないかもしれないが、家主としては一応確認しておかなければならないだろう。この年頃にしては驚くほど健全で清い交際をしていた彼女たちとはいえ、夫婦ともなれば個室では不便もあるだろうし、もしかしたら「そういうこと」もするかもしれない。一人部屋が並ぶ二階では、何かと差し支える。
現状空いたままになっている三階の大部屋は、家族向けにしてもいいかもしれないと思っていたところだ。四部屋のうちの半分は中で居間と寝室に区切られているから、二人にはちょうどいいかもしれない。
「あ……そっか。ヴァル、どうする?」
「そうだなぁ。お値段にもよるかも」
「水回りは今まで通りに共有だけど、それを差し引いても普通の賃貸よりはずっと安いと思う……」
「ですよね。図書室と診療所があるのは凄く便利だし」
「いつかは別のとこに移るにしても、当面はここの世話になりたいよなぁ」
「っていうか、図書室目当てでここ来たから、できればまだここにいたい。組合より本多いし、夜遅くまでいられるし、ベネディクトさんすっごい博識で勉強になるし……」
最近では月の半分は勉強と研究に費やすようになっていたヴィヴィは、ここを離れがたいようだった。彼女の身分と稼ぎで専門書を気軽に手に取れる環境は貴重なのだ。
「広い調理室や解体作業ができる庭もあるし。他所だとここまで揃ってるところはないよなぁ……」
この館の設備の恩恵を十分過ぎるほどに受けているヴァルも同意見らしい。
「じゃあ鍵渡すから、三階の部屋見てきたらどうかな」
悩んだ末に鍵を受け取った二人は、じっくり時間を掛けて見学した後にそのまま三階の一室へ引っ越すことになった。
引っ越しを手伝う者とお祝いの料理を作る者に分かれての作業でシェアハウスはいつにも増して賑やかになり、仕事から戻った者達は何事かと目を丸くした。
「えっ結婚した!?」
「いつの間に!?」
数時間前とまったく同じやりとりが始まり、余計に騒々しくなった談話室をリラーヴェンと竜麟の中のひとが楽しそうに飛び回る。
料理が出来上がる頃には外の景色は夕闇に沈んでいたが、このシェアハウスの中はいつでも明るい。酒が酌み交わされ、食卓を飾る料理の大皿が見る間に減っていく。赤飯も好みは分かれるところではあったが、珍しい東方料理に興味があるのか、リヌスを初めとして入れ代わり立ち代わり摘まんでいくので意外にも減りが早かった。
若い夫婦のために誰かが用意した甘い果実酒が開けられ、それを飲みながら幸せそうに微笑み合う二人の姿は初々しい。それを下品に揶揄うような人間はこの場にはおらず、絶えず明るい笑い声が響いている。
祝い酒にすっかりほろ酔い気分のヴィヴィは、普段は多少硬く遠慮がちな態度を和らげていつになく親しげに話し掛けてくれた。
「――正直なこと言っちゃうんですけど。シオリさんのこと、本当は今でもちょっと苦手意識があるんですよ」
「ああ……まぁ、経緯を考えると仕方ないけど。私も似たようなものだし」
「……ですよね。ほんとに、その節はすみませんでした」
「うん、もう気にしないで。十分反省したんだし。でも、苦手意識っていうのはちょっと意外かも。罪悪感とかじゃなくて?」
「うーん……というのもあるんですけど、やっぱりこう……あの幻影魔法のことをふっと思い出しちゃって。なんでこの人、あんな物凄い闇を抱えてんのにいつも笑ってられるんだろうって、思い出すたびに気持ちがぐじゃぐじゃってなるんですよ。いつものシオリさんとあの真っ暗闇が全然一致しなくて、なにをどうしたらそんなふうにニコニコしていられるのって」
シオリの底なしの闇を引きずり出してしまった一年前のあの日から、シオリを見るたびに闇に呑まれる幻を思い出してしまうのだとヴィヴィは言った。
けれども、ぽつぽつと言葉を選んで語る彼女の口調には、年頃の娘らしい照れ交じりの不器用な優しさと気遣いが感じられた。彼女なりに、シオリを気遣っているのだ。
「闇かあ……あの頃は精神的にも結構きついときだったからなぁ」
「ですよね。私がトリスに戻ってきた頃にはすっかり雰囲気変わったかなっては思いましたけど。でも、またあんなふうになっちゃったりしないかなって、少し不安っていうか……」
生まれつき高い魔力を持つ彼女は、魔力伝いに漏れ出していたシオリの闇を感じ取っていたようだった。あるいはそれは、罪悪感が見せていた文字通りの意味での「幻」だったかもしれない。
だとしても、あながち間違いとも言えなかった。少なくともアレクに全てを曝け出すまでは、確かに抱えていた闇があった。その残滓を、彼女は見ていたのだろうか。
「――でも、最近はもう本当にそういうのが見えなくなったなって……ねぇ、シオリさん」
だいぶ酒が回ってきたのか、眠そうなとろりとした口調で、囁くようにヴィヴィは言った。
「今は結構……っていうか、かなり幸せ、ですよね? いつの間にか、闇、消えて……すごい、見た目どおりの……なんか、よかったなー……って」
最後の方はほとんど独り言のようになっていて、ぽわんとした表情のまま、こてんと長椅子に沈んでしまった。
「――あー、寝ちゃったか」
すっかり出来上がった同僚たちからなんとか逃げてきたヴァルは、ヴィヴィを自分に凭れ掛けさせて座るとすっかり夫の顔をして苦笑いした。
「すみません、こいつ、絡み酒してませんでした?」
「大丈夫。可愛いとこ見せてくれてただけだよ」
「ああ……こいつ、酒に酔うとわりとこんな感じなんですよ。いつもは小生意気で突っ張ってますけど、根っこは素直なんで……酒が入ると素が出るみたいなんですよね」
「今のこれが素顔なんだ。それじゃあ、一人のときにお酒飲ませたら危ないね。外でも目を離さないようにしとかないと、すごい無防備でちょっと心配」
「ああー、ですよね! 気を付けます!」
どこで覚えてきたのか、びしっと敬礼してみせたヴァルは、ふと神妙な顔になった。
「……あの。こいつがしたこと、聞きました。若気の至りで済ませるにはあんまりなことしでかしたみたいで」
「そっか、聞いたんだ。というか、正直に話しちゃったんだ」
シオリ自身は彼女の罪について今でも思うところがないわけではない。それでも、既に許されて前科が付いたわけでもない出来事を、ヴィヴィはわざわざ正直に話してしまったのかと少し驚いてしまった。これから生涯をともに生きようという男に打ち明けるには、随分と勇気がいっただろうに。
「こいつなりに筋を通したかったみたいですよ。やらかしたことがことなんで、それを隠して結婚ってのはどうなんだって言ってました」
「それで、ヴァルさんは受け入れたんだね」
「はい。聞いたときは俺もさすがに驚きましたけどね。そこまでやってよく捕まんなかったなって。でも、こいつは小さいときから一緒に育った家族みたいなもんだから、ここで突き放すのも違うって思ったんですよ。良いときだけの家族でなんていたくないじゃないですか。いやその、シオリさんが無事だったから言えるってのもあるかもしれないんですが」
「そうだね。でも、見捨てないでそばにいてくれる人がいたのは良かったなって思うよ。お姉さんにも随分叱られたって言ってたし。どんなになっても正面から受け止めて叱ってくれる人の存在は大きいから」
彼女は同僚や上司の言葉には一切耳を傾けることはなく、取り返しのつかない段階でようやく事の重大さに気付いて郷里に逃げ帰っている。自らがしでかしたことの後始末の一つもせずにだ。
それでも自らを省みて一歩踏み出す勇気を出せたのは、帰る場所――受け入れ支えてくれる「家族」があったからに違いなかった。
世間の広さを知らずに思い上がった娘を現実に引き戻してくれる、厳しくも優しい「家族」が。何もかもを放り出してまっすぐにそこを目指して帰ったのは、生存本能ゆえだろうか。
「――人って一人で生きてるわけじゃないっすからね。山深くて環境が厳しかったから、村全体が一つの家族みたいに団結してないと、とてもじゃないけど生きちゃいけない場所だったんですよ。そういう厳しさを知ってるはずのこいつが、よりによって冒険者稼業でスタンドプレイ同然の仕事して迷惑かけまくったって話を聞いたときには、そりゃあびっくりしましたよ。そのうえに事件起こしたわけでしょ。憧れの都会暮らしが上手くいきすぎて浮かれてたってのもあったんでしょうけど……でも、そんなこいつがちゃんと俺達のところに戻ってきてくれて……ちゃんと俺達を頼ってくれて、ほんと良かったって思います」
「うん。ね、二人仲良く支え合って、いつまでも幸せにね」
「……はい。あの、シオリさんも。そんで、これからもどうかよろしくお願いします」
「うん。こちらこそ」
結局ヴィヴィはそのまますっかり眠り込んでしまい、ヴァルは彼女を抱えて自室――「新居」に引き上げていった。
「――なんだ、随分話し込んでいたようだが」
ヨエル達に捕まって魔法談義に付き合っていたアレクは、隙を見て抜け出してきたようだ。何度かこちらに視線を向けていたから、心配してくれたのだろう。
「うん。二人の色々、聞かせてもらってた」
「色々」
「そう、色々。あのときのこととか、村でのこととか――あと、家族っていいよねって」
血縁ばかりが家族と定義されるものではないのだと、ヴァルはそう考えているのだ。ともに支え合って生きてきたから家族なのだと。
「良いときだけの家族ではいたくないって、そんなふうに言ってたよ」
「あの若さで随分としっかりした考えを持ってるんだな。大したものだ」
「環境が厳しいところで育ったから、支え合うことが自然に身に付いてるみたい。家族の在り方を凄く現実的に捉えてた」
「そうか。俺達の理想とするところだな」
「ね」
アンネリエが描いてくれた家族の肖像。自室の居間に飾ってあるそれは、出自や種族を超えた家族の姿が描かれていた。きっとこれからも続いていくだろう家族の姿だ。
この屋敷に集う気の良い仲間達もまた、一つの大きな家族といえるだろう。
――笑顔と笑い声が溢れる、家。
自然に絡み合った視線が近づき、唇が触れる。
そして微笑み合う二人の頭上を、ぷるぷるモフンと賑やかな使い魔たちの輪からいつの間にか抜け出してきていた竜麟の中のひとが、嬉しそうにふわりと舞った。
脳啜り「結婚ラッシュでギリィが息してない」
ユル蛇「ところで刺激臭香るコミック最新刊『氏、のたうち回る』の巻もどうぞよろしく!」
よろしくぅ_(:3 」∠)_
※4月13日追記
ルリィ「シオリと両親は関東出身だよ! でも祖父母や親族は東北以北や甲信越出身だよ! だからシオリが炊く赤飯はそのときどきで違う地方の特色が出るよ!」




