09 幕間1 母の味(愉快な仲間達)
肌寒い日が増えて木々は色付き、空の青色も淡い色合いに変化した十月初旬。秋深まるトリスの人々は、間もなく訪れるであろう冬支度に勤しんでいた。衣類や寝具を冬物に入れ替え、夏の間に傷んだ屋根や壁を修繕し、保存食となる森の恵みを求めて街の外に繰り出していく。
冒険者組合にも魔獣狩りの依頼が暇なく舞い込み、冒険者達はそれらの処理に忙殺される日々だ。
シオリとアレクが経営するシェアハウスではその日、仕事の合間を縫ってフリーズドライ食品の二度目の試食会が催されていた。天幕で外部からの視線を遮断した前庭には厳正なる抽選を通過した冒険者達が集まり、いずれエナンデル商会を通じて流通することとなる試作品をじっくりと堪能していた。
賑やかな前庭をリラーヴェンと竜麟の中の人が飛び回り、ルリィとブロゥはおこぼれをもらってご機嫌にしている。ヴィオリッドはそんな使い魔仲間達を愉快そうに眺めながら、楽しげに尾を振っていた。
「おおー、すげぇ」
「包装がいかにも工業製品って感じだ」
「なー。手触りが気持ちいいわ」
ヨエルとカイ、イクセルの仲良し二十六歳組は、初見でシオリが抱いた感想と似たような意見を述べ、プラチナにも似た白銀の包みや装飾の美しい外箱を撫で回して実に楽しげだ。
対照的に何か吟味するように真剣な表情でいるのは、ヴィヴィとヴァルである。
「え、これなんか良くない?」
「すげぇ美味いし」
「トリスの名店の味再現だって」
「値段もお手ごろだ」
「日持ちするみたいだし」
「普通に保存食になるよな」
「いくつか村に送ろっか。たまには珍しいもの食べたいじゃんね」
彼らの郷里は山深く雪深いがゆえに、冬の娯楽に乏しいのだ。せめて食事だけでも目先の違うものをという、若い二人の気遣いだろう。試食会がいつの間にか差し入れの相談になっている。
それを見て閃いたのが、商会長のパウル・ホレヴァだ。
「贈答用、というのもあり得ますか」
「季節限定品、老舗有名店の味の詰め合わせ、とか?」
「いいですね。というか、いいのですか?」
「構いませんよ。むしろ、是非。名のあるお店のものなら、上流階級の方々にも喜ばれるんじゃないですか。執務の合間の軽食代わりや差し入れに、とか」
「日持ちするので、受け取る側の負担にもなりませんしね。実際シオリさんの品は既に、要職の方々へのお見舞い品として出回っているとかどうとかいう噂もございますし……」
ぱちりと片目を瞑って見せたパウルの視線が、意味深長に流れた。その視線の先にいるのは、周囲から明らかに浮いている中年男性の三人組だ。
彼ら曰く、冒険者組合のマスターと懇意の商人、ということだったが、ザックと向かい合って携帯食専用鍋をつついている二人の男は、どう見てもトリスヴァル辺境伯クリストフェル・オスブリングと後方支援連隊の連隊長ルード・スヴェンデンである。
竜討伐作戦で顔を覚えていたルドガーやダニエルなどは、試食の合間にチラチラ視線を寄越しては「なぁ、やっぱりさぁ……」「……そう、だな……?」と囁き合っている。
ルードはともかくとしても、クリストフェルほどの貫禄と気品で「組合出入りの商人」というのはだいぶ無理がある。ザックなどは「お忍びに向いてねぇんだよなぁ……」とぼやいていたが、まったくその通りだとシオリは思った。
(何もわざわざ変装までして来なくてもいいんじゃないかなぁ……閣下だったら別日程組んでもらうことだってできるだろうし)
などと思いはしたけれども、多忙な商会長にわざわざ時間を取らせるのも申し訳ない、というのがクリストフェルの弁だ。
「……息抜きと知人の新居訪問を兼ねてるんだそうですよ……」
遠い目をしたエギルがぼそりと呟き、シオリとアレクは苦笑いするしかなかった。
春先の亡国の実験体騒動からこちら、山狩りに魔獣暴走対応と竜討伐、謎の貴婦人事件と仕事が立て込んでいて気が休まる暇もないらしい。
来月には冒険者組合と北方騎士隊合同の大規模な環境調査――竜討伐後の周辺地域の環境変化を調査するためのものだ――も予定されている。その前に一息入れておきたいという目論見もあるらしいが、それで糧食選定の試食会参加というのもどうなのかとは思わなくもない。
「真面目な奴が極まってくると、仕事の息抜きに仕事みてぇなことになっちまうんだよな……」
若干呆れ気味なザックの足元を「大目に見てくれたまえよ」とでもいうようにつついているのは、夜空に輝くオーロラのように印象的な紫のスライムである。本日の付き人を仰せつかった辺境伯家のスライムで、その名もオーロラ卿。
辺境伯家に相応しい立派な名を賜ったものだが、その仕草はどうあっても可愛らしく、見ているだけでつい頬が緩んでしまう。きっと辺境伯家でも癒しを与える存在として愛されているに違いなかった。
そんなザックとオーロラ卿を横に、クリストフェルとルードは真剣な面持ちだ。
「専用の鍋か。悪くないな」
「計量の手間というのはなかなか侮れませんからな。折り畳み式で腰のポーチに入るサイズ感もいい」
「焚火や魔法の火力に耐えられる素材を使っているところも評価できるな。家庭用で妥協しないのはさすがと言ったところか」
「味にバリエーションがあるのもありがたい。訓練された騎士とはいえ、味気なく単調な食事は士気にも影響するということは嫌というほど理解しましたからな」
「強いて言えば、全体的に少々淡泊というか……」
「脂肪分がもう少し欲しいところではありますな。我々はともかく、若いもんには些か物足りないかもしれません」
「今後メニューは増えるのか?」
表面的には朗らかで気の良い商人を演じていながら、どう見ても堅気には見えない迫力を湛えた目でクリストフェルは問う。完全に武器防具を吟味する武人の目付きであるが、勿論パウルはそれに動じることはない。にこやかに受け流しながら応じた。
「ええ、順次販売予定です。しかし脂肪分の多い食材は加工に向かないという難点があり、これは目下研究中です」
「なるほど。では今後に期待しよう」
「ご期待に添えるよう努力いたします」
パウルの返事に満足げに頷いたクリストフェルは、何事かを帳面に書き付けながら、再びルードと意見を戦わせていた。私兵団や騎士隊への導入は現実的なものかどうか、検討しているようだった。
「――軍事用となるとだいぶ規模が大きくなると思うんですけど、大丈夫なんでしょうか」
少し不安になったシオリは、声を低めて訊ねた。
しかしパウルはいつもの柔和な笑みを浮かべて「やりようはいくらでもありますよ。ごく一部ではありますが、商会の保存食は王都騎士隊でも既に導入されておりますからね」と言った。
「なるほど……あっ。聞いといてなんなんですけど、それ聞いても大丈夫なやつですか」
「大丈夫ですよ。許可されてる分には問題ありません」
パウルは少し可笑しそうに笑った。
「宣伝にもなりますし、意外に思われるでしょうが戦闘糧食を一般向けに販売しているメーカーさんは結構あるんですよ。だいたいは軍事マニア向けですが、長旅する方……例えば輸送船や遠洋漁業の船員さんなんかが個人的に買っていかれたりすることもあるようですね」
「そういう方面にも需要があるんですね。存じ上げませんでした」
「商売の種はどこにでも転がっているということですよ。特に買い物できない環境に長期間拘束されるご職業の方々にとって、食事の問題は切実ですから」
「なるほど……そうですね」
「そういうわけで、今回のお話は我々にとっても大変ありがたい話だったのですよ。保存性、携帯性、これに味の問題をクリアするヒントが得られるわけですからね」
楊梅商会経由で懐中しるこの販売も考えている最中だと付け加えたパウルは、ふとある方向に視線を向けて「おや」と声を上げた。
見れば試作品の全種類制覇を目指してせっせと試食していたヨエル達が、どういうわけか幾分不満げにも見える顔で首を傾げている。
「何かお気づきの点がございましたら、どうぞ遠慮なく仰ってくださいよ」
パウルが促してはみたものの、彼らはどうにも言葉にできない様子で「うーん」と唸るばかりだ。
「美味いは美味い」
「有名店で出されても携帯食とは分からないレベル」
「うん、それは間違いない、が……なんかこう……なんていうか……」
「なぁ?」
「なんだ、歯切れが悪いな」
見かねたアレクが口を挟んだが、それでも彼らは自らの不満を上手く言語化できず、もどかしそうに首を捻っている。
「なんて言ったらいいか分からんけど、なんだろ……物足りんっていうか……」
「物足りない」
パウルの表情が真剣なものになった。
「……と言いますと、味が薄いとか、香辛料が足りないとか、そういったことですか?」
「うーん……そういうことではない、と思う」
「それでは量的な問題でしょうか」
「量はまぁ足りないっちゃ足りないけども、旅に持ってく携帯食なんてこんなもんだし、そこはまぁそれほど気にならんっつーか」
彼ら自身も何が物足りないのか明確に分からないらしく、これにはパウルも困ってしまったようで、途方に暮れたように立ち尽くしてしまった。
しかし、試食中の鍋をかき回していたヨエルの目がふとシオリに向き、そして唐突に「あっ!」と叫んだ。
突然の大声に驚いたのか足元のルリィとブロゥがびくんと飛び跳ね、手にしていた鍋の中身がぽちゃんと音を立てる。
床に零してしまってあわあわしているスライム達を尻目に、ヨエルはシオリを指差して叫んだ。
「母ちゃんの味がしねぇんだわ!」
「母ちゃん!? なんでこっち見て言うの!?」
こんな大きな息子を持った覚えは勿論ないシオリは納得がいかない。
しかしヨエルの言葉にカイとイクセルも合点がいったようだ。
「それだ、母ちゃんの味!」
「すげぇ美味いけど、シオリさんの携帯食の味を期待して食べると『ん?』ってなる!」
つまりは母の味にも似たシオリの手料理特有の味わいがなく、シェアハウス住まいでシオリの味にすっかり慣れてしまった彼らにはそれがご不満ということらしい。
悪い気はしない。正直に言えば嬉しいのだが。
「いや……それは……再現できます?」
「正確なレシピをいただければ……できないこともない、かも、しれません、が……」
「レシピ通りに作ってこいつらが言う『おふくろの味』になるかどうかは疑問だが……」
「……ですよね……」
想定外の事態にパウルは絶句してしまい、その場には名状しがたい空気が漂い始めた。
最終的にはシオリの野営料理本を預けることで落ち着いたものの、どれだけ改良を加えても結局「おふくろの味」には至らずじまい。フリーズドライ食品の販売自体は大好評ではあったが、それがパウルと開発部一同の唯一の心残りとなってしまった。
「それはそうだろうさ」
後年、親しい者が集まる酒の席で、アレクは苦笑気味に語っている。
「家庭料理ってのは、その人間が大切にしている誰かのためを想って作った世界で唯一の特別な料理なんだ。それを大量生産の工業製品で再現するのは、かなり骨が折れることだろうな」
そう言った彼は、子供たちが妻の手を借りて作った焼菓子を口に運び、そしてこの上なく幸せそうに微笑んだそうだ。
ルリィ「タイトルから予想した話と違った」
しんみりではないです。
それはそれとして、シェアハウスのごはん事情のお話があってもいいかもしれないと今更ながらに思うなどしました_(:3 」∠)_




