06 友の門出
雲一つなく、透き通るような青を湛えた夏空の下。
冒険者組合にほど近い広場は、これから生涯をともにする二人の門出を祝う人々で賑わっていた。即席の式場は手作りの花飾りで溢れ、吟遊詩人が奏でる調べが祝いの席に華を添える。
――と。参列者の人垣が割れ、噴水前の祭壇で待つ花婿へと続く道となった。赤毛の男に手を引かれ、王国伝統の婚礼衣装を纏った花嫁がゆっくりと進み出る。魔法石が散りばめられた銀細工の冠、そして光沢のあるリネンのヴェールにストロベリーブロンドが鮮やかに映え、雪菫の繊細な刺繍が施された婚礼衣裳の裾が、花嫁の歩みに合わせて優雅に波打つ。
まるでそれは雪菫の花園を歩いているかのように見えて、式を見守る女たちからは感嘆と憧憬の溜息が漏れる。
花嫁が自ら刺した刺繍の雪菫は永久の愛と貞淑、そしてそれを縁取る蔓模様は繁栄と生命力を表している。自然崇拝に基づく信仰から生まれた植物柄のモチーフは、人々の祈りと願いの象徴であった。
その刺繍に紛れて、新郎新婦の名が縫い込まれていることを知っているのは、花嫁の支度を手伝った同僚たちだ。僅か二ヶ月前には花婿の命が潰えるところであったことを目前で見ていた彼女たちは、二人が今日という日を迎えられたことを涙とともに心から祝福した。
そうして祭壇まで導かれた花嫁は、赤毛の男から花婿へと託された。
花嫁と同じ意匠の婚礼衣装を纏う銀髪の花婿は、大切な宝物を抱くかのようにそっと花嫁を抱き寄せ、蕩けるような笑みを浮かべた。花嫁の耳元に唇を寄せて「綺麗だ」と囁くと、いつもは強気に微笑んでいる花嫁も、このときばかりは頬を染め恥じらうように目を伏せる。
美貌の二人が初々しく寄り添う姿に歓声が上がった。
祭壇で控えていた若き司祭の立ち合いのもとに、二人は永久の愛を誓う。
割れるような拍手。歓声と口笛、祝福の言葉が溢れていく。
「――まぁ、人前式なんて久しぶりに見たわ」
「懐かしいねぇ」
散歩で広場を訪れていた老夫婦が、都市部ではすっかり珍しくなった王国伝統の婚儀に目を細めながら通り過ぎていく。
「おめでとう、姐さん、クレメンスさん」
「ようやくだな。幸せになれよ」
ぷるんぷるるん。
ヴォフン。
ふわふわ、きらきら。
シオリとアレク、そして使い魔たちの祝福に、二人は溢れんばかりの笑みを零した。
その横では花嫁のエスコートという大役を務めたザックが、無言でハンカチに顔を埋めていた。傍らのブロウがバスタオルを抱えたまま、少し困ったようにぷるんと震える。人間の友が号泣するだろうことを予想しての準備の良さに、周囲からは笑いが漏れた。
「今からこの調子では、アレクたちのときにはきっと大号泣だろうな」
しれっと式に参列していた辺境伯クリストフェル・オスブリングが揶揄うと、「うるせえよ黙っとけ」と呻くような声がハンカチの隙間から漏れた。その声は感涙に震えていて、それ以上一言も発せられなくなった旧友の肩を、クリストフェルが苦笑気味に叩いている。
けれどもそんな彼の目尻にも涙が浮いていた。今は亡き友の婚約者であった人の晴れ姿を見て、人情家であるクリストフェルが何も感じないわけがないのだ。
その傍らではパウルが咽び泣いている。その背を優しく撫でながら楽しげに笑う四十絡みの男は、きっとホレヴァ家の兄弟の長兄であるのだろう。あと数年後のクレメンスを思わせる容姿の男は、目尻に皺を寄せて豪快に笑いながら囃子立てるような声を上げた。
そんな彼らの様子を微笑ましく眺めていた司祭コニー・エンヴァリは、改めて新郎新婦に祝いの言葉を掛けてから、そっとシオリとアレクのそばに寄った。
「……数多の苦難を乗り越えたお二人が、門出を沢山の方々に祝福されているこの光景が、なんと得難く貴いことか。本当に……喜ばしいことです」
コニーの眼差しが一瞬悲しみに歪み、そして目の前の光景に癒されるように、柔らかなものに解けてゆく。
彼はクレメンスが一時死の床にあったことを知ってはいても、ナディアの背景までは知らない。けれども特徴的な髪色から、旧リトアーニャ王国の出身であることは分かっただろう。
――暴君を倒すだけでは飽き足らず、味方であった善良な貴族でさえも手に掛けた旧リトアーニャの反乱軍。有史以来最悪の下克上と称されたあの内乱は、あまりにも有名だ。
『かの悪逆の王と同じ悪しき血を受け継ぐ貴族どもを滅せよ。我らの手に祖国を取り戻せ』
国境線が幾度となく書き換えられる激動の時代。強国を目指して暴君と化した若き王を倒した英雄の無慈悲な命令によって、善良な貴族の多くは共に手を取り合って戦ったはずの民の手で命を絶たれた。
貴族階級を中心に無辜の命が無残に踏み潰されたあの内乱を生き延び、この幸福を掴み取るまでに歩んだ道のりが想像を絶するものであっただろうことは、誰でも容易に想像できるはずだ。
――王政崩壊後に共和制を敷いた独裁国家リトアーニャは荒廃の一途を辿り、大陸歴二千年を迎える前――あと三年と持たずに崩壊するだろうと言われている。
そして手元に残った民を引き連れて国外へ逃れた貴族のほとんどは祖国へは戻らず、その多くが流浪の民となって諸国へと散った。かつては同盟国であったストリィディア王国にも、その一部が流れ着いている。彼らは心の傷を癒しながら、二十数年という歳月をかけて王国に馴染んでいった。
世界各地に根付いた民は、あの素朴で美しかった祖国の自然と命を慈しむ精神を、その地で連綿と受け継いでいくのだろう。
祈りが込められた雪菫の婚礼衣装を纏うナディアは、クレメンスの腕の中で幸せそうに微笑んでいる。静かに口付けを交わす二人の姿は、まるで一枚の絵画のように美しい。
「――優しき大地を護りし月の神子よ。汝が紡ぎし標の糸にて彼らを導き給え。汝が詠いし言霊にて彼らを護り給え」
再び上がった歓声に、コニーの祈祷句が重なった。幸福のまじないを重ねがけするように、シオリとアレクもまた同じ文言を呟く。
不意に新郎新婦の視線がこちらに向いた。花嫁の風魔法に乗ってふわりと舞ったブーケが、静かにシオリの手の内に落ちた。
彼らの唇が動き、何事かを叫んだ。その言葉は歓声にかき消されて聞こえなかったけれど、それでも何を言わんとしたかは二人には分かった。
「……お互い、幸せになろうな」
眩い笑みを浮かべる親友の眼差しをまっすぐに受け止めたアレクの、祈りに似た呟き。その言葉に込められた万感の想いを感じ取って、シオリは小さく頷いた。
花嫁から受け取ったブーケに、一滴の温かな水滴が落ちて、消えた。
祝福の歓声で沸き立つ広場は、そのまま披露宴の会場となった。
王国伝統の婚儀は、人前式を執り行ったその場で披露宴を行う習わしらしい。新郎新婦のお披露目と、祝福のお裾分けの意味があるのだそうだ。貴族階級ではもう廃れてしまった風習らしいが、地方では都市部でもまだ残っているようだった。
折り畳みのテーブルが設置され、酒と料理が次々と運び込まれてくる。中央の卓には婚礼祝いの焼菓子と立派な鳥の丸焼きが載せられ、一際大きな歓声が上がった。
「グリンカムビの丸焼きか。こんな立派なものを……」
驚くクレメンスに、リヌスは得意げに笑った。
「クレメンスの旦那、前のときは食い損ねただろ。だからお祝いに捕ってきたんだー」
竜討伐後の戦勝会で振舞われた魔鳥グリンカムビは、手術直後で半ば朦朧としていたクレメンスは一口しか食べることができなかった。けれども鳥肉好きの彼は随分と残念がっていて、それなら結婚祝いに贈ろうと皆で決めていたのだった。
「狙って捕れるものでもないだろうに……ありがとう、リヌス。皆」
感極まったのか、クレメンスは言葉を詰まらせて俯いた。
本来は狙って捕れるものではない。魔獣の生態を熟知した弓の名手だからこそ為し得たことだ。
「さ、最初の一口はあんたの仕事だよ」
リヌスの伝手で高級料理店に依頼し、一週間かけて仕上げた美しい飴色に照り輝くその丸焼きを切り分けたナディアが、夫となった男の口元にフォークを差し出した。気恥ずかしそうにそれを頬張り、ゆっくり咀嚼して飲み下す。
「――美味い」
多くは語らなかったが、言葉にはできない沢山の感情を内包した呟きが落とされ、一瞬の間の後に歓声と笑顔が溢れる。
「皆も食べよう。ナディア、一緒に切り分けてくれ」
「勿論さ」
そう言ってからナディアは楽しげに「ふふ」と笑った。
「これが夫婦最初の共同作業ってわけだねぇ」
華やかに飾り付けたケーキではなく、魔鳥の丸焼きというのが冒険者らしい。誰かがそう言い、誰かが同意して微笑んだ。
切り分けた肉は小皿に載せられて次々と配られ、葡萄酒の樽が開けられた。
祝い酒は参列者のみならず、道を行き交う人々にも振舞われた。木製の小さな器を高く掲げ、皆笑顔で飲み干していく。祝福の言葉も人それぞれで、それでその人のおよその出身地が分かるというのも面白い。
「月の神子という呼びかけで始まる祈祷句は、概ねトリスヴァル領かその周辺地域だな。月の神子を祀っているのはだいたいこの地域が多い。森と湖の神子や守護者であれば、王都かその近郊だ。王家の祖先は森と湖を崇める部族の族長だったからな。その流れを汲む神や精霊を祀るところが多いんだ」
「へえ……自然に根差した信仰かあ」
再び大きな歓声が上がった。そちらへ視線を向けると、クレメンスがナディアの手を取り踊りに誘うところだった。
新郎新婦を中心にして人々の輪ができ、即席の楽団が伝統の舞踏曲を奏でる。
神々と精霊に今日という日を迎えられたことを感謝し、新たに結ばれた縁を祝福し、そして人々の営みが連綿と続いてゆくようにと祈りを捧げる踊り。
花婿のサッシュベルトと花嫁のヴェールが翻り、雪菫と蔓模様の刺繍の色糸が鮮やかに輝く。
――今では庶民でさえ当たり前となった、豪奢なドレスを纏う異国式ではなく、伝統衣装を身に纏って王国古来の方式で執り行う婚礼は、そのまま二人の覚悟を表しているように思えた。
王家に嫁ぐはずだった異国の侯爵家の令嬢。
数々の貴族を顧客に持つ国内有数の老舗の子息。
その面影は、もはや遥か彼方だ。
そこにあるのは、過去を想い出にしてこの地の民として生きる覚悟を決めた、二人の男女の姿だった。
自分はどうだろうか。シオリはそう思った。
アレクはいずれ王兄として表舞台に戻り、公爵位を賜ることになるらしい。シオリはその妻、公爵夫人と呼ばれる立場になる。
「だが、俺達の在り方が変わるわけではない。書類上の立ち位置が変わり、負うべき責任が増えるだけだ」
「うん。冒険者として後進を育てながら、福祉と教育にも力を入れたいってことだものね」
それは押し付けられたものではない、シオリの意思とほとんど同じだ。だから異論はない。
そしてオリヴィエル王が自らシオリを王国の民として認めてくれた今、この地に骨を埋める覚悟は既にできている。
この人とともに、この国の民として生きていくのだ。
「楽しみだな。お前の花嫁姿」
ぽつりと落とされた呟きは幸せに満ち溢れていて、シオリはブーケを抱えたまま彼の胸元に頬を寄せた。
いつの間にか踊りの輪に加わっていたルリィとブロゥが、ぽよんぽよんびよーんと不思議な動きをしていて、周囲の笑いを誘っている。そこに何を思ったかクレメンスの兄が加わり、その冗談のような光景にクレメンスとパウルは頭を抱え、ナディアたちは腹を抱えて大笑いした。
勿論シオリとアレクも、コニーでさえ死ぬほど笑い転げて苦しくなり、もふもふのヴィオリッドに寄りかかって介抱される始末だった。
歓声に紛れてイールが「あー」と上機嫌な声を発した。
――それに応じるかのように、竜麟の光が明滅している。
賑やかで楽しい宴は夕刻まで続いた。
「いい式だったね」
「ああ」
「……ほんとにそっくりなのに、びっくりするくらい陽気で豪快な人だったねぇ」
「そうだなぁ。さすがの俺も驚いた――っと、おお?」
「えっ、なに?」
満ち足りた幸せな心持ちでようやく帰宅したシオリの目に、ホールに巨大な包みが鎮座する光景が飛び込んだ。
ルリィ「とんでもないところで話切ってる」
作者「それではお聞きください」
学 級 閉 鎖 \(^o^)/
皆様もどうぞお気を付けください_(:3 」∠)_




