16 弟と妹の内緒話
王家の異母兄弟を二人きりにするためにテラスに出たシオリとエドヴァルドは、トリス市内が一望できる四阿のベンチに腰を下ろした。ここからなら素晴らしい展望は勿論、異母兄弟がいる部屋の様子もよく見える。
ゆったりと寛いでいるように見えて、仕える主君への注意も決して怠ってはいないエドヴァルドは、どこかげっそりしたように長い溜息を吐いた。
「……あいつが悪かったな」
「え?」
木陰で何か雑談を始めたらしいルリィたちが、ぷるぷるヴォフッとしている様子を眺めていたシオリは、突然話しかけられて瞬きをした。エドヴァルドは背凭れに背を預けたまま苦笑いを浮かべ、「あいつが悪かったな」ともう一度繰り返す。
「あいつもちょっと悪戯好きが過ぎるっつーか、突拍子もねぇことして相手を驚かしちまうことも多くってよ」
「ああ……」
彼は以前会ったときのことを言っているのだ。素性を隠してシオリに近付いたことよりも、連れの男がやらかした不作法をまず先に詫びるあたりに彼の苦労が偲ばれた。
聞けばもともと王立騎士団の副団長職にあった彼は、今はその職を辞してオリヴィエル王専属護衛官を務めているのだと言った。近衛騎士とは違い、公務を離れたプライベートな時間――要はお忍びだ――まで王の身辺を護る仕事なのだという。
つまりは突拍子もないことをしでかす王のお目付け役。幼馴染みで気心の知れたエドヴァルドが適任というわけだ。
「確かに吃驚はしましたけど、それはまぁ……」
「……って無難に答えるしかねぇよな、やっぱり」
「うぐ」
王相手によくもやってくれたなと言えるわけもなく、当然それを理解しているエドヴァルドも苦笑いするしかないようだ。
それにしてもとシオリは思う。
このエドヴァルド・フォーシェルはザックの腹違いの弟で、元宰相とその夫人との間に生まれた正当な後継者だというが、こうして見ると本当によく似ていた。初めて会ったあのとき、どうして気付かなかったのだろうというくらいにはそっくりなのだ。
髪色は赤みがかった亜麻色。けれども光の加減で赤みが増して、燃えるような赤毛のザックと似たような色になる。
瞳の色もザックと同じ、夏空のような澄んだ青。眉間の皺や眉の形もそっくりで、目元の印象はほとんどザックと生き写しだ。
エドヴァルドは短く刈り込んだ短髪だけれど、伸ばして後ろで束ねればきっと、若い頃のザックそのままの容姿になるだろう。
口調まで似ているのは、やはりザックの影響なのだそうだ。降り注ぐ陽光のような笑い方も、困ったときに頭を掻く仕草も、何もかもがそっくりだった。
「俺が生まれたばっかりに跡継ぎの座を追われちまったってのに、そんなこと噯気にも出さずに可愛がってくれてな。ダチの誰と遊ぶよりも、兄上に遊んでもらうときが俺ぁ一番楽しかったよ」
孤児院育ちで幼子の扱いに慣れていたザックは、相手に合わせて遊ぶことに長けていた。だから子供同士の集まりでも、彼の周りには人が絶えなかったという。
血の繋がりのある兄弟ができたことが嬉しかったのか、ザックはことのほかエドヴァルドを可愛がり、彼が望めばどんな遊びでも付き合ってくれたのだそうだ。
エドヴァルドの目は昔を懐かしむように柔らかく細められていて、異母兄との想い出が良いものであったことが察せられた。
「……ええと。あんたも兄さんって呼んでるんだっけ。兄上のこと」
「あ……はい。その、本当のご兄弟の手前、恐縮なんですけれども」
考えてみればザックは王家の遠縁にあたる公爵家の血筋で、庶民育ちの自分がそんな相手を兄さん呼ばわりしていたことに、シオリは今更ながらに冷や汗をかいた。
「あー……その、別に責めたりするつもりはねぇよ。あの人ぁ面倒見が良過ぎて、昔はあちこちで疑似弟妹こさえてたんだ。それが一人二人増えたところで、今更なぁ。現地妻ならぬ、現地弟妹っていうか」
「ええぇー……」
そういえば、これまでに交際した女性の全てが「恋人っていうより、なんだかお兄さんとかお父さんみたい」などと言って離れていったと聞いたことがあるような気がする。気遣いの仕方がどうにも弟妹へのそれで、恋人同士の甘さがどこかに行方不明になってしまうのだとかどうとか。
年上の女性でさえそうだったと聞き、まさかの破局理由に目を丸くしたエドヴァルドは、次の瞬間「なんだよそりゃあ」と大笑いした。
「立場上深入りしねぇだけだと思ってたらっ……お兄さんみたいだからって……マジかよ……! はははっ……!」
あまりにも笑うので、それまでお喋りで盛り上がっていたスライムとフェンリルが思わずこちらを振り返ったほどだ。
「……実を言うと私、前は兄さんのことが好きだったんです。勿論恋愛的な意味で。だけど、今となっては恋愛対象として見ていたことが信じられないくらいに、なんというか……凄く兄さんで……」
「ぶっははははははは!」
エドヴァルドは笑い過ぎて、とうとうベンチの上に転がってしまった。ひぃひぃと腹を抱えて笑う様子に警戒心などは感じられず、王の護衛は大丈夫なのだろうかと心配になるほどだった。
けれども騎士団では一、二を争う使い手だというから、きっと大丈夫なのだろう。多分。
「そうかそうかぁ……どこまで行っても兄上は兄上かぁ……」
ようやく身体を起こして座り直した彼は、「っつーことは、あれだ」と妙な薄笑いを浮かべた。
「あんた、殿下と結婚すんだろ」
「え、あ……はい、その、多分」
「多分て」
「正式にプロポーズされたわけではないので……愛を誓ったり捧げられたりとかは数え切れないくらいあるんですけど。ただ、気持ちの整理を付けたらって言われているので、多分今回のことが終わったら……と」
「あぁー、なるほど。そうかそうか、じゃぁまあ、ほぼ決まりだろ。んで、あれだ。式挙げるってなると、兄上のことだから絶対エスコートしたがるぜ。なんせ妹分だしな」
「ああ……そうですね。確かにそうかも」
そしてきっと、ぼろぼろに泣くのだ。そんな確かな予感があって、これにはエドヴァルドも全力で同意した。
「兄上は六つのときまで孤児院で育ってな。ひでぇところで、家畜同然の扱いされてたんだと。それでなんつーか……家族って形にすげぇ憧れてんところがあるんだよな。だからさぁ、あんたが妹としてエスコート頼んだら、すげぇ喜ぶんじゃねぇかなって」
ザックの身の上は随分と複雑で、生まれた直後に実母の手で孤児院に放り込まれたのだそうだ。実父である前宰相が迎えに行くまでの六年間、ずっと悲惨な環境にいたという。
望まぬ婚姻を避けたいというただそれだけのために、実母は夜会の席で慣れない酒に酔った若き公子と関係を持った。避妊薬を飲んで挑んだにもかかわらず孕んでしまったのは誤算だっただろうが、極秘に出産した後に我が子を孤児院に預けた彼女は、そのまま無事恋人のもとに嫁いだそうだ。
さすがに我が子を殺しては嫁入りに障りがあると思われたのか、命までは取られなかったが、それでも彼女の幸せのために劣悪な環境に捨てられたザックの心情を思えば、シオリの胸はひどく痛んだ。
その後、その存在を知って慌てて迎えに来た実父に引き取られ、子のない継母にも温かく迎えられて、ようやく人らしい生活と家族というものを手に入れた彼。嫡子という立場が危うくなるにもかかわらず、弟が生まれたときには誰よりも喜んだという。
血の繋がりのある弟。十歳年下の弟の面倒を率先して行い、乳母など要らないのではないかというくらいにべったりだったのだそうだ。
親友にして仕えるべき主を亡くした後に家を出たザックは、その経緯上エドヴァルドの婚儀に兄として参列することができなかった。
変装して一般参列者として遠くから式を見守るだけだった彼を、できることなら家族として式に参列させてやってほしいと、エドヴァルドはそう言うのだ。
「勿論です」
シオリは彼の願いを受け合った。
「だって、私のもう一人の兄さんですから」
「ありがとな」
礼の言い方までそっくりなエドヴァルドに、兄貴分の面影を見る。
「あっ、てことはあれか。俺の方が一個下だから、あんたは姉上ってことになるのか」
「えっ!?」
さすがにそれはあまりに恐れ多いと飛び上がるシオリにも構わず、エドヴァルドはどことなく上機嫌だ。
「俺もさぁ、女兄弟に憧れてんだよ。なんか知らねぇけど、うちの家系って男児ばっかりだからさ。従兄弟も男しかいねぇし。だからこう、姉妹ってやつもいいよなって」
「そうは言ってもさすがにちょっと……」
「姉上、姉様、姉さん。うーん、どれも悪かねぇな。おねえさま。いやこれはなんかちょっと違うか」
「いやいやいや」
その佇まいからすれば彼の方が年上のようで、そう言ってやるとエドヴァルドは「じゃあ試しに兄上って呼んでみてくれよ。兄さんでもいいけど」などと、とんでもないことを口にした。
「えええ……」
奇矯な言動は、なにもオリヴィエルだけに限ったことではなさそうだ。
似たもの主従。
そんな言葉が脳裏を過ぎった。
「えー……っと、それじゃあ……。お兄様」
「……うーん」
自分が言わせておきながら、微妙な表情で首を傾げたエドヴァルドは小さく唸った。
「悪かねぇが、なんかやっぱ違うよな。じゃあ次は姉上のつもりでエドかエディって呼んでくれよ」
「えぇ……」
こちらの緊張を解きほぐすために冗談のつもりかと思っていたら、どうも本気のようでもある。アンネリエといい、どうにも貴族というものは変わり者が多いとちらりと思った。
「うーんと、じゃあ……エディ」
「……ああ」
今度は溜息のような声を漏らした彼は、やがて満足そうに微笑んだ。
「……やっぱこっちの方がしっくりくるよなぁ」
そう言った彼の瞳はどこか遠くを見るようだった。それがどことなく寂しげに見えるのは気のせいだろうか。
そんなシオリの考えを察したのかどうか、エドヴァルドは苦笑いしながらこれまでのやり取りの真意を教えてくれた。
「兄上が家を出てったのは俺がまだ六つのときでさ。この先もずっと俺と一緒にいてくれるもんだとばかり思ってから、すげぇショックだったんだよ。籍は残ってても、事実上は公爵家の人間じゃあなくなっちまったようなもんだ。だから一人残された俺は結局一人っ子みてぇなもんだろ? だってのに兄上はあちこちで弟妹作ってるってんだから、そりゃあもう……寂しくってな」
生まれたときからずっとそばにいてくれた、「エディ」と呼んでくれた大好きな兄が、いなくなってしまったのだ。
二人きりの兄弟。仲良しだった大好きな兄と離れなければならなかった、たった六つの小さな少年の心情は如何ばかりだっただろう。
深い絆で結ばれていながら、別離の道を歩んだ兄弟。
そういう意味では、オリヴィエルとエドヴァルドの境遇はよく似ているのだ。もともと幼い頃からの顔見知りだった二人の距離が近付いたのも、兄弟の別離が切っ掛けだったのだと聞いた。
「――だってぇのに、兄上ときたら、俺を差し置いて出先でちゃっかり弟妹こさえてるだろ? なんかこう、悔しいじゃねぇか。一人ぐらいは……あの歳になるまで手元に置いてた『姉妹』ぐれぇは、俺だって姉さんって呼びてぇんだよ」
その空色の瞳に浮かぶのは憧憬、そして微かな嫉妬だ。
エドヴァルドに返す適切な言葉を見つけることができなかったシオリは、ただ曖昧に頷くことしかできなかった。きっと彼も返事を求めてはいないだろう。ただ、聞いてほしかっただけなのだ。
(……姉さん、かぁ)
シオリを「姉」と呼んで慕ってくれたのは姪、実兄詩郎の娘だ。あの頃叔母さんではなくお姉ちゃんと呼んでくれた姪は、今はもう小学校の高学年のはずだ。そろそろ中学校生活を考える年頃、きっといい娘に育っていることだろう。
もう会えない少女の未来が、幸多きものでありますようにと彼方の地から願う。
「……この話、兄上には内緒だぜ。さすがになぁ……この本音はちょっと、言えねぇわ」
そう言ったエドヴァルドの苦笑顔は、泣くのを我慢して無理に笑った幼子のようにも見えた。
屋敷の中にいる王家の異母兄弟は、まさに今本音を打ち明け合っている。けれどもフォーシェル家の彼は、「言わないこと」を選んだのだろう。
どうしたって言えないこと、言いたくないことはある。血の繋がりのある兄弟なら、なおのこと。
「そうですね……分かりました。内緒です。その代わり、エドヴァルド様も」
「エディ」
「……エディも、さっきの話、内緒にしてくださいね。兄さんの……ザックさんのこと、好きだったってこと」
「勿論さ。そりゃあ言えねぇわな」
顔を見合わせて小さく苦笑いした「疑似姉弟」を、目元を赤くして庭に出てきた王家の異母兄弟が、不思議そうに眺めていた。
脳啜り(厄災の魔女なら「姐さん」でもいいんじゃねぇかなって)
我もそう思う_(:3」∠)_
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「事案発生。痴女だぁ……!」
「なるほど、そうきたか」
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(見覚えがあるが他人の空似なスライムと、欄外から転生したかもしれない見覚えがある名前の蛇神など、変な魔獣も当たり前のように登場しています_(:3」∠)_)
非業の死(※魔獣目線)を遂げたほかのボス魔獣たちもどこかに転生させてあげられるといいな……_(:3」∠)_




