15 異母兄弟の本音
宛がわれた部屋に戻ったアレクを、オリヴィエルとともに待っていたシオリが出迎えてくれた。己の顔を見て全てが円満に終わったことを察してくれたのだろう。彼女は何も言わずに微笑み、そして抱き締めてくれた。
華奢で柔らかな身体を抱き締め、結い上げた艶やかな黒髪に顔を埋める。仄かに甘く爽やかな、愛しい女の香りを胸いっぱいに吸い込む。
そんな二人を目を細めて見つめていたオリヴィエルは、柔らかに微笑んでいる。その微笑みが、今は亡き父のものと重なった。
「……早かったね。もういいのかい」
そう言葉を掛けてくれたオリヴィエルの声も、記憶にある父のものによく似ていた。
十九年前の初夏、死に目には会えないことを分かっていて、それでも静かに息子を送り出してくれた病床の父。そんな彼もまたどこかで見守っていてくれたように感じて、アレクは瞑目した。
「ああ。もう大丈夫だ。十分に話し合ってきた」
とはいえ、時計の針はこの部屋を出たときから二十分ほどしか経っていない。
あれほど緊張して今日という日を迎えたというのに、随分と呆気なく終わったものだ。
「案外そんなものなのだろうね」
オリヴィエルは眉尻を下げて苦笑いした。
「どれほど言い難いことであっても、思い切って伝えてしまった方が、案外早くに片が付く」
そう言って立ち上がった彼は、ゆっくりとアレクに歩み寄った。
「僕らだってそうさ。別れる前にもっときちんと互いの気持ちを伝え合っていれば、罪悪感をこれほど長く引き摺ることもなかったんだろう」
これが最善なのだと言い訳をして互いに本音を呑み込んだまま、物分かりのいい振りをして別離の道を選択した二人の少年。遠いあの日に置き去りにした本当の想いを、今こそ伝えようとしているのだということを察して、シオリとエドヴァルドが使い魔たちを連れてテラスに出て行った。
静寂が訪れた室内、残された二人は苦笑いした。
「……とはいえ、こうして改めて向き合ってみると、どう切り出したものか悩むものだな」
「まったくだ。なんというか……気恥ずかしいね」
まぁ、とりあえずは座ろうか、そう言いながらオリヴィエルは飲みかけの紅茶が置かれたままの窓辺の席に戻り、それに倣ったアレクは向かい合わせの椅子に腰を下ろす。
オリヴィエル手ずから淹れた紅茶を啜りながら、しばらくの間、二人は窓の外に広がる領都の景色を眺めていた。
小高い丘の上に建つ城塞と、中世以降に増築された城館からなる辺境伯邸からの眺めは、王都の宮殿からのそれに勝るとも劣らない。
歴史を積み重ねた古都の重厚な街並みと、領都を取り囲んでいる城壁の向こうに広がる雄大な大自然の融合。人工物と自然の調和のとれた景色は、人々の心を捉えて離さないのだ。
「お前がここに戻ってきたがるのも分かるような気がするよ。歴史がありながらも新しいものを受け入れる度量がある、懐の深い街だ」
「ああ。そうだな」
オリヴィエルの言葉を、アレクは肯定した。
「王国南西部の生まれだった母は、俺を生むためにこの街を選んだ。南に行けばここよりはずっと暖かく過ごせただろうに、自然は厳しくとも、あらゆる背景を持つ人間を受け入れ続けてきたこの街を母は選んだ。訳ありの母子でさえ、この街ではのびのびと暮らせたよ。俺の……愛すべき故郷だ」
だから出奔したあのとき、身の隠し場所として迷うことなく選んだのは、このトリスの街だった。兄代わりとして、そして冒険者の先達としてアレクを導いてくれたザック――ブレイザック・フォーシェルがこの地に根を下ろしていたこと、そしてこの地を治めていたトリスヴァル辺境伯が彼の友人であったこともまた、アレクにとっては僥倖なことだった
一度は去ったアレクを、再び受け入れてくれたこの街は居心地が良かった。療養を余儀なくされるほど心身を壊していた己が短期間で回復できた理由の一つは、きっとそこにあるはずだ。
「だが……だがな。それでも後悔しなかった日はなかった。事情はどうあれ、お前を独りにしたことは疑いようのない事実なんだ。お前を支えると誓ったのに、王族としての責任をお前一人に押し付けて逃げたことを、ずっと後悔していた。民の血税で最高水準の生活と教育を享受しておきながら、何一つ返せないまま逃げ出してしまったことを、俺はずっと後悔していた」
「……アレク」
「父さんが長くないと分かっていたのに死に目にも会わず、お前一人を置き去りにしてしまった。一人でどんなにか心細かっただろうに……」
王位継承権争いは、確かにアレクの失踪を以って終息した。
だが、二分されていた貴族を纏め、間もなく崩御した父王の跡を継いで、たった十六歳で王位に就かなければならなかった彼の双肩にかかる負担と孤独は、きっと想像を絶するものだ。
弟が王都で一人奮闘しているというのに、兄である己は遠く離れた地でのうのうと過ごしていた。例え命の危険があろうが、王の重責に比べれば冒険者稼業など気楽なものだ。
「本当はお前と一緒にいたかった。そばでお前を支えていたかった。だが、俺にはそれができなかった。俺が弱かったばかりにあの選択が最善だと言い訳をして、お前に負担を強いただけになってしまったことを、あれからずっと悔やんでいたんだ。オリヴィエ。やっと……やっと面と向かって言える。本当に……すまなかった」
髪色も顔立ちもほとんど似るところのない、けれどもたった一つだけ、その色だけは己とよく似ていた紫紺色の瞳を、真っ直ぐに見つめてアレクは詫びた。
十九年前の別れの日、「お前一人を残していく俺を許してくれ」と、許しを請う言葉だけしか言えなかった自分。
それがようやく伝えられた。別離を決めたときから言えずに呑み込んでいた詫びの言葉を、ようやくオリヴィエルに伝えることができたのだ。
「――お前があのときのことをずっと思い悩んでいることに、僕は随分と前から気付いていたよ。それを言い出せずに苦しんでいることにもね。でも」
そこまで言って言葉を切ったオリヴィエルは、茶器を置いて席を立った。そして窓辺に立ち、美しいトリスの街を見下ろしていた瞳を、やがて俯ける。
「……謝るべきは、本当は僕の方なんだ」
いつもは堂々とした歯切れのよい物言いを好むオリヴィエルの言葉が、どこか不明瞭に震えた。
「あのときの僕は、お前に行ってほしくないと確かに思っていたよ。血を分けた兄弟なんだ。二人の兄を亡くした僕にとって、お前はたった一人の兄だった。たった一人残された兄弟のお前と、あの辛かった日々を二人支え合って乗り切ったんだ。一緒にいたいと思って当然だろう。でも……でもね。元を正せば全て僕のせいだったんだよ」
そう言ったきり言葉を続けられなくなったオリヴィエルの手を、席を立ったアレクはそっと握り締めた。まだ幼かったあの日、初めて会ったあの日、緊張していて立ち尽くすばかりだった己にオリヴィエルがそうしてくれたように、アレクは彼の手を握り締めた。
あの頃よりも筋張って大きくなった手は、微かに震えて汗ばんでいた。
「……優秀だった兄二人が立て続けに亡くなって。急に次期国王だなんて言われて重荷に思っていた僕を、不安視する声は多かった。もともと僕は兄上たちの背に隠れているような子供で、兄二人に比べて印象の薄い僕に国王なんか務まるだろうかっていう声はとても多かったんだ。そのときは既に母上が床に臥せるようになっていて、だから新たな王子か姫を産ませるための側室を父に宛がおうとする動きも出始めていた。病床にある母上を廃して、新たな王妃を迎えようという動きもね。継承権を持つ家からも圧力があって……宮中が揉めに揉めるだろうことは誰にも予想できた。それで多分父上は、お前を呼び寄せることにしたんだ」
「いや……だがそれは」
「うん。お前の言いたいことは分かるよ。ちょうどお前も母君を亡くしたばかりで、父上としてもお前を引き取るか否かで悩むところではあったと思う。でも、呼び寄せずに後見人として見守るという選択肢もあったはずなんだ。だってそうだろう。これまで隠し続けてきた子供を突然王家の子として連れてくれば、騒ぎになることは明白なんだ。お前だって傷付くだろうことは、父上だって分かっていたはずだ。でも父上はお前を連れてくることを選んだ。僕が……しっかりしていなかったからだ」
アレクは否定しようとして口を開いた。だが適切な言葉が見当たらず、結局口を噤むことになった。己が父の立場であれば、騒ぎを最小限に抑えるために同じ選択をしただろうと思ったからだ。
時として王族の責務は、父親としての責務を上回る。
「僕がもっとしっかりしていれば、父上はずっと隠し続けていたお前を表舞台に立たせようとは思わなかっただろう。そうしたらきっとお前はずっと自由の身で、自責の念に苦しめられることもなかっただろう。だから、そもそもの元凶は僕なんだ。でも……」
アレクから手を離したオリヴィエルは、そのまま両手で顔を覆った。その肩はひどく震えていて、彼のこれほどまでに弱々しい姿を見たことなど一度もなかったアレクは、息を呑んだ。
「……僕はお前がいてくれたおかげで国を背負う覚悟ができた。お前が隣で支え続けてくれたからこそ、王になる覚悟ができたんだ。だというのに、結局お前に苦しいことの全てを背負わせて、挙句追い出すような形に追いやってしまった。僕が不甲斐なかったばかりにお前から自由を奪い、窮屈な場所に縛り付けて……酷く傷つけられているお前を護れなかったばかりか、お前が必死の思いで築き上げた居場所を、また取り上げるようなことにしてしまった。これじゃあ、お前はまるで生贄じゃないか。僕はお前を王家存続のための生贄にしてしまったんだ。こんなの……こんなのは、謝ったって謝り切れるものじゃない」
「……オリヴィエ、お前」
この涼やかな笑顔の下に、これほどまでの深い後悔と激しい慟哭を抱え込んでいたのか。十九年もの間、これほどまでの激情を隠し続けていたのか。
その事実はアレクの胸を激しく打った。
罪悪感を抱え続けて苦しんでいたのは、己だけではなかった。結局のところ己と彼は、似たもの同士だったのだ。
「オリヴィエ。どうか自分を責めないでくれ。なぜなら俺は、お前と出会えて幸せだったからだ」
顔を覆ったまま、恐らくは啜り泣いていただろうオリヴィエルの肩が、ぴくりと震えた。
「お前という兄弟がいることを知り、たった数年でもともに過ごせたことを、俺は幸せなことだと思っている。そうでなければ天涯孤独の身だったんだ。俺は病で母を亡くし、お前は海難事故で二人の兄を亡くした、あの大勢の人々が亡くなった二十五年前の悲劇の年を、俺は決して忘れることはない。だがそれでも、お前や父に出会えたことは、俺にとっては幸せなことだった。お前や父と暮らしたあの日々は、かけがえのない想い出なんだ。だからそんなふうに言わないでくれ」
これは嘘偽りのない己の本心だ。
辛い中にも幸せはあった。温かな想い出は確かにあった。それをともに作り上げてきたのは、ほかの誰でもないオリヴィエルなのだ。
「アレク……」
顔を上げたオリヴィエルは、双眸から涙を溢れさせたまま微笑んだ。
「やっぱりお前は僕の兄上なんだな。お前の気持ちを受け止めるつもりで来たものが、結果として慰められてしまった。ほんとに、兄上には……敵わないよ」
言いながらその距離を詰め、そして彼はアレクの肩に顔を埋めた。
「すまなかった、アレク。そして、ありがとう。今の僕が在るのは、お前のおかげだ。国が平穏であるのは、お前のおかげなんだ。本当に……ありがとう」
十九年という時を経て、アレクはこのときようやくオリヴィエルと真の兄弟になれたような気がした。異母弟の背に手を回し、力強く抱き締める。彼の手もまた己の背に回されて、その距離はゼロになった。
「……俺は今、ようやく自信をもって言える。あのときの俺たちの選択は、決して間違いなどではなかった。そうでなければ継承権争いは終結しなかったし、俺は冒険者になることもなく、シオリに出会ってその心を開くこともできなければ、竜を斃すことも叶わなかっただろう」
「そうだね。その通りだ」
顔を上げたオリヴィエルは、泣き笑いのまま言った。
「僕は王都で、お前は北の地で、それぞれに結果を出したんだ。巡り巡ってこの良い結果をもたらしたのだから、間違いであるはずがないよ」
もう、罪悪感に囚われることはない。
堂々と胸を張って生きよう。
そう決意した異母兄弟の周囲を、胸元の鱗から飛び立った優しい光が、祝福するようにふわりと舞った。
ギリィ「こんなふうに想い想われてみたい生前だった……」
※入館者数過去最多を記録した日の博物館で黄昏ながら
来世から本気出してね_(:3」∠)_
【おしらせ】
8日18時以降に書き下ろし新刊の告知出します_(:3」∠)_
家政魔導士とは別世界のお話ですが、欄外の誰かがモブ(名前そのまま・前世の記憶なし)に異世界転生して人生をエンジョイしている姿がチラっと見られるかもしれないとかどうとか。
ギリィではないです。
ギリィ「ア”――――――――!!!!!。゜(゜´Д`゜)゜。」




