12 帰る家
日暮れを過ぎて間もない時間。
組合への報告と拾った魔法石の換金、そして旅の仲間達と帰還の細やかな祝宴を済ませたシオリとアレクは、アパルトメントの最上階にある部屋の扉を開けた。引っ越したばかりの新しい部屋だ。
「ただいまぁ」
「ただいま」
二人の帰宅の挨拶と同時に、足元のルリィもぷるるんと震える。
「……自分の家に誰かと一緒に帰ってくるって、なんだか嬉しい」
「ああ。そうだな」
しみじみと言うシオリにアレクは微笑を浮かべた。手袋を外した手でシオリの黒髪を優しく梳いていく。
「これからはずっとだ。それに……どちらかが出掛けて帰ってきたときにも迎えてくれる者がいる」
誰もいない寂しい部屋に帰ることもない。一緒にただいまと言い、そしておかえりと言ってくれる誰かがいる、そんな些細なことだというのに嬉しさでうっかり泣きそうになったシオリは、慌てて目尻をそっと拭った。
もっともそれはアレクには気付かれていたようで、熱い唇で涙を拭われる。そのままこめかみから頬を伝い、最後に唇を塞がれた。何度か啄み合いそれから静かに抱き合った二人は、嬉しそうに足元でぷるんぽよんとしているルリィを見て微笑んだ。
パーティ全滅の危機に陥りながらもどうにか乗り越え、アレクの心の傷を知り、そして新しい「仲間」を迎えた短いながらも密度の濃かった今回の旅。けれどもそれすらも安心できる「家」に戻った今は遠い過去の出来事のように思える。
二人と一匹の温かな家は、確かな安らぎを与えてくれるのだ。
「それにしても……あのときの兄さんの顔」
「ああ。見物だったな。あいつのあんな顔は初めて見たぞ」
今度は二人して思い出し笑いをする。
帰還報告のために立ち寄った組合で、薬草としてではなく使い魔として連れ帰ったアルラウネの姿を見たときのザックは、あんぐりと口を開けて驚きのあまりに今にも表情がずり落ちそうな有様だった。
何か文句でもあるのかとばかりに「あー?」と唸ったアルラウネ――旅疲れゆえか、だらりとニルスの肩から垂れ下がっているという至極残念な状態でだ――に、なんとも言いようのない表情になった彼は、「ま、まぁ個性的で結構じゃねぇか、うん」などと言いながら使い魔登録の手続きをしていた。
もっとも、名前はまだ決めていないから仮登録の状態ではあるのだけれども。
「どんな名前にするのかな」
ルリィのときはあまりにも綺麗で印象的なその身体の色をもじった名前をほとんど即決で付けたのだったが、ニルスは数日かけてじっくりと考えるつもりのようだ。
「ニルスのことだ、きっと立派な名前を付けてやるだろうさ。あのアルラウネもどことなくこだわりが強そうだしな」
「……そうだね」
きっと洞穴の主に相応しい名前になるだろう。
「薬を取りに行ったときにでも聞いてみるか」
「うん」
今回の旅の発端ともいえるシオリの手荒れ用軟膏の調合依頼。マンドレイクを使ったその軟膏は、完成までに三日ほど掛かるということだった。ニルスの店であのアルラウネがどのように過ごしているのかも気になるところだ。
「……だらけきってぬくぬく過ごしているところしか思い浮かばんな」
「……私も」
ふかふかの土を入れた植木鉢に、魔法回復薬の小瓶を抱えて寝そべっているアルラウネの姿が脳裏に浮かんだ。
あり得そうだと思いながら、二人で顔を見合わせて噴き出した。足元のルリィもぷるんと震える。
「――さて、これからどうするか」
背嚢を床に置いたアレクは、装備を解きながら言った。二人分の外套にざっと埃落しのブラシを掛けて壁に吊るしたシオリは、「うーん」と首を傾げた。
「荷解きしてからお風呂に入りたいな」
遠征と言っても一泊二日の短い旅だ。これといった採集物もなく、十分もかからずに荷解きは終わるだろう。普段は後回しにしている荷解きも、これだけの量なら入浴前に済ませてしまった方が楽だった。
「そうだな。風呂から出たら……まだ寝るには早いし、一息吐いてから軽食でも買いに行くか。もう一、二杯はやりたい気分だ」
「それなら何か作る?」
「いや、お前も疲れているだろう。屋台で適当に見繕ってこよう」
生誕祭のときほど多くはないけれど、先年を無事に過ごせた感謝と新年の平安を祈願するためにトリス大聖堂に訪れる参拝客狙いの屋台が出ているはずだ。大聖堂がある宗教地区はシオリ達の活動拠点となっている第三街区と隣接している場所。十分も歩けば屋台が立ち並ぶ参道に出られるのだ。
「美味いトリス・パーチの燻製を食べたせいか、もう少し魚料理でいきたい気分だな」
「ときどき塩焼き売ってるよね。市内の川で獲ってるっていう」
「ああ、ストリィドマスか。悪くないな。運が良ければ行商があれの燻製を売ってることもあるんだが」
「燻製、そんなにはまったの……」
会話しているうちに荷解きを終えたシオリは、湯を張るために浴室を覗き込んだ。今まで一人で住んでいた階下の部屋よりは大きい浴槽だ。
(……二人でも余裕で入れそう)
二人でも。
何の気なしにそう思った次の瞬間、ふっと裸体になったアレクが頭を過ぎって赤面する。
「……そ、そっか。二人で入ることもあるかもしれないんだ」
アレクなら当たり前のように誘ってくるかもしれない。あるいは悪戯心を起こして乱入してこないとも言い切れないところがあって、シオリは今更のように頭を抱えた。
「わ、わぁああぁぁぁぁぁ……」
今後一緒になるなら風呂どころかそれ以上のことだってするのだろうから、こんなことで慌てている場合ではないのだが、急に気恥ずかしくなったシオリは浴室の中で赤い顔を覆って小さく呻く。
しゅるりとドアの隙間から入ってきたルリィが、どうしたんだと言いたげにぷるんと震えた。
「だ、大丈夫。なんでもない」
慌てて魔法で湯を張り、温度を熱めに上げておいた。傍らの大きな盥にも湯を入れると、ルリィが喜び勇んで飛び込んでいく。風呂好きのスライムは、ちゃぷんちゃぷんと水音を立てながら遊び始めた。
それを見て微笑んでから、頬を抑えて顔が茹だっていないか確かめ、何食わぬ顔して浴室を出る。
「アレク。お湯入れたよ。お先にどうぞ」
多少身構えて声を掛けたが、荷物を全て棚にしまい込んで代わりに魔法剣の手入れ用具を取り出していたアレクはあっさりと言った。
「お前が先に入るといい。俺は武器の手入れが終わってからにする」
「そ、そっか。分かった」
予想に反して一人で先に入るよう勧めてきた彼に拍子抜けしたシオリは、ついほっと息を吐いてしまった。それを見咎めたのかどうか、彼は少し考えてからにやりと笑う。
「……ああ、なんだ、一緒に入りたかったのか?」
返事も待たずに道具を置いて立ち上がる素振りを見せたアレクにシオリは慌てた。けれどもいつも揶揄われてばかりというのもなんとなく面白くないと思い直して、微笑んでみせながら言ってやった。
「……一緒に、入る?」
この反撃は予想していなかったのだろう。途端にぐっと詰まった彼は、覿面に狼狽えて視線を彷徨わせた。時折シオリを揶揄っては慌てる様が可愛いといって笑う彼も、やり返されるとやはり同じように狼狽えるのだ。
その様子が可愛く思えて、ふふ、と小さく笑ったシオリは「先に入るね」と言って背を向けた。伸ばした手を扉の取っ手に掛けた瞬間、椅子を引く音と駆け足気味な足音が聞こえた。振り返る間もなく背後から抱き竦められて息を呑む。
「――せっかくのお誘いだ。一緒に入るか」
「ア、アレク」
冗談に冗談で返したつもりだった。けれども今のアレクの声は真剣で熱を帯びている。
「……嫌か?」
「嫌じゃない……けど」
「けど?」
「……やっぱりちょっと恥ずかしいのと、それに、あんまり……身体綺麗じゃないから」
両腕と両脚に残った傷痕は、二年以内に付いた真新しく生々しいものばかりだ。
抱き竦める腕の力が強くなる。
「傷なら俺だって身体中のあちこちにある。それに、その傷痕はお前がお前なりに戦って生き延びた証なんだ。何があっても強く生きようとしたお前は……とても綺麗だ」
目の奥から熱いものがこみ上げそうになり、ぐっと堪える。けれども溢れる想いは堪え切れる訳もなく、それが止めどない涙となって頬を滑り落ちた。
「……ありがと、アレク。じゃあ……一緒に入ろう?」
「ああ」
指先でシオリの涙を拭いながら嬉しそうに笑ったアレクは、今度は冗談めかして言った。
「安心しろ。風呂に入るだけだ。それ以上のことは……いつかのお楽しみに取っておこう。ちゃんとベッドの上で、な」
「ア、アレクってば……」
とんでもないことを口にした恋人を睨み付けると、そのまま唇を塞がれた。いつもよりは短いけれど、その口付けは激しく絡み合う濃厚なものだ。
そうして唇を離したアレクは「入るか」と言ってシオリを促した。彼に肩を抱かれたまま浴室の扉を開ける。
待ってたよ! というように水音を立てて触手を振ったルリィに、二人一緒に微笑み掛ける。
――ぱたん、と。背後で扉が閉まる音がした。
脳啜り「……ふ、風呂だけで耐える気とは」
ルリィ「つまみ食いぐらいはするんじゃない」
アルラウネ「実は自分、精力剤の原料でもありまして、自分も一緒に風呂に入るとエキスが滲み出て」
雪男「その前に毒が滲み出るんじゃないですかね」
全 年 齢 \(^o^)/




