11 洞穴の主
奇妙な沈黙が下りた。ひどく間の抜けた空気が漂う。目が点になるというのはこういう状況なのだろうか。
予想したような恐るべき絶叫ではなく、全くやる気の感じられない面倒とでもいうような声がアルラウネから発せられて、塞いでいた耳から恐る恐る手を離したシオリは微妙な表情になった。
ルリィに引っこ抜かれた状態のまま、そのアルラウネはぶらぶらと揺れながら「あーあー……」と再び声を出す。今度は「抜いちゃったのかー」と言いたげで、ルリィは「抜けと言ったのはお前じゃないか」というように不満げにぷるんと震える。
「ええ……と」
しばらくの沈黙の後にようやく言葉を発したシオリは、自分を抱え込んだままのアレクの腕の中で身動ぎした。はっと我に返った彼は、ゆるゆると腕を緩めてくれた。
「……これは一体どういう状況なんだ」
「土から出たいからルリィに抜いてもらった……ってことかなぁ」
「自分で出ればいいじゃない。歩けるんだからさー」
リヌスの指摘はもっともだったが、ルリィにぽとりと地面に下ろされたアルラウネは不満そうに葉をわさりと揺らす。それも立ち上がるでもなく、ただ地面に転がっているだけの状態でだ。
「なんだか面倒臭がりみたいね……」
「植物に面倒とかそういうのってあるんですか……」
「そこはまぁ……魔獣だからな」
また魔獣だからの一言で済まされてしまったシオリは、なんとも言えない表情で押し黙った。大きな核一つにゼラチン状の身体のスライムのあれこれを、自分自身がほとんど疑いもせずに受け入れているという事実に思い至ったからだ。
アルラウネは相変わらず地面に転がったまま、ころんころんと左右に身体を揺すっている。意味深長に顔をこちらに向けながら、時折「あ」と声を出すのはどうやら「起こしてくれ」と言っているらしい。
「いや、自分で起きろよ」
「あー……」
リヌスの突っ込みに、やだよとでも言うようにアルラウネが呻く。
地味に会話が成立してしまっている状況に、それまで目を丸くして事態を静観していたニルスがとうとう笑い声を上げた。
「はは、なんだか分からないけど、君、面白いね。僕らに何か用事でもあるのかな」
よくぞ聞いてくれましたとでも言いたげに、アルラウネは身体を揺すった。しかしそれでもまだ地面に転がったままだ。呆れて嘆息したアレクが、アルラウネの白い身体を無造作に鷲掴みにして持ち上げる。すると根をしゅるりと触手のように伸ばしたアルラウネは、ニルスの腰元のポーチに触れた。
「うん? これかい?」
薬品瓶専用の特注らしいそのポーチの中には、傷薬や解毒剤などの様々な薬品が綺麗にラベリングして収められていた。アルラウネはその中の一本をちょいちょいとつつく。
「……魔法回復薬か」
「待て待て、ちょっと待て」
取り出したその瓶の蓋をなんの疑いもなく開けてアルラウネに与えようとしたニルスを、アレクが慌てて制止した。
「与えて大丈夫なのか。その……飲み干した途端に襲ってくるなんてことは」
どうやらアルラウネはこちらに危害を加える気はないようだが、パーティを率いるリーダーとしては訊かずにはいられなかったのだろう。それでも一応はこの友好的な魔獣に気を使ったのだろうか、アルラウネに聞こえないように声を潜めて囁くアレクにニルスは笑ってみせた。
「大丈夫……だと思う。これは害のない魔獣だよ」
(……あ)
既視感を覚えたシオリはニルスとアルラウネを凝視した。この感覚に覚えがある。これはルリィと初めて出会ったときに感じたものと同種のものだ。
どれほど大人しくても人の理から外れて生きる魔獣である以上は一定の警戒心を抱いてしかるべきだというのに、何故だかこれに敵意はない、大丈夫と思ったことを覚えている。
ぽよんとルリィが震えた。ルリィもまたあのときのことを思いだしているのだろうか。シオリにしゅるりと這い寄ったルリィが、甘えるように足元に絡み付く。
(この感じ……多分、ニルスさんと)
与えられた魔法回復薬の瓶に根を突っ込んで嬉しそうに吸い上げていたアルラウネは、やがて満足げにぴこぴこと葉を揺らすとニルスの腕にしがみついた。どうやら彼のことが気に入ったようだ。
「人懐っこいなぁ。よく見ると可愛いね。こういうのをキモ可愛いっていうのかな」
言いながらニルスはその場に膝を付くと、「可愛いか?」と首を傾げているアレクとリヌスを余所に、アルラウネを地面に下ろして向き合った。
「君、良かったら一緒に来るかい?」
「あー」
問いに対するアルラウネの答えは、多分肯定だ。しゅるりと伸ばした根を魔法回復薬の空き瓶に向けて「あーあー」と何か呟いている。
「……なるほど」
魔獣の言いたことを察したのだろうか。ニルスは苦笑いした。
「交換条件で付いてきてくれるってことか」
「あ」
毎日の食事代わりに魔法回復薬を要求したようだったが、どうやら交渉成立したらしい。
「大丈夫だとは思うけど、念のため契約しておこうか。薬草だと思って持っていかれたら大変だからね」
ニルスは小さなナイフを取り出し、薬品で消毒して指先に小さな傷を付けた。ぷくりと生じた真紅の水玉を「これで良かったかな」とアルラウネにかざす。アルラウネは伸ばした根でその水玉を吸い取った。
自身の魔力を帯びた体液を与え、それを魔獣が摂取することで完了する使い魔契約の儀式。体液の授受はある種の婚姻の儀式とも言える。魔獣はことのほかに「番」を重視する生き物だ。こうして疑似的な婚姻関係――無論雌雄は関係のない、便宜的な表現だ――を結ぶことによって魔獣を縛っているらしい。
想像したような派手なものではないごく静かな儀式ではあるけれど、シオリ自身は友人を血の盟約で縛ることに抵抗があって契約はしていない。しかし、仲間達と共に興味深くそれを見守る。
「あー」
やれやれ終わったー、というように気怠い声を発したアルラウネは、ニルスを促して身体を持ち上げさせると彼の肩にちょこんと乗った。
「……また変……いや、変わったのが増えたな」
変と言い掛けて言い直したはいいが、大して変わりはないアレクの言葉にルリィがじっとりとした空気を纏う。そんなルリィに「すまない」と気まずそうに苦笑いしながら彼は言った。
「しかし、ほとんど即決で契約するのか。それもまた凄い話だな」
言ってみれば、一目惚れしてその場で結婚するようなものだ。
「そうするのが自然なような気がしたんだよ。なんとなくだけれどね」
「あ。私も同じです」
切った指先にぺたりと絆創膏を貼りながら言ったニルスに、シオリも同意した。
「さっきお二人を見て思い出したんですけど、ルリィのときも似たような感じでした。初めて会うのに敵意はないって何故だか思って……」
あのときはまさに前のパーティに「捨てられにいく」途中で体調も最悪のときだった。だから細かいことはおぼろげにしか覚えてはいないのだけれど、ぽよぽよと無邪気に近付いてきたスライムをごく自然に受け入れていたような記憶はある。敵意はない――というよりは、これは仲間だと感じていた――。
「魂が引き合うって言い方をする人もいるわね」
エレンが言い添えた。
「使い魔に一定の割合でいるみたいなのよ。初めて会ったときに、まるでずっと前から友達だったみたいに近付いてくるって」
相手が棲み処に近付いてきたときに、親しい同胞を迎えるかのように自分の方から近寄ってくる魔獣。
「人間にもあるよねー。あ、こいつ多分一生涯の友達になるなーとかそういうの」
リヌスがしみじみと言った。
魔獣は人間よりは遥かに知覚が鋭敏な生き物だ。だからそういう第六感めいた感覚で「異種族の友人」の訪いを感じ取るのかもしれない。
シオリはルリィを見下ろした。それに気付いたルリィはぷるんと震える。
蒼の森でのこの友人との出会いは、偶然ではなく必然だったのかもしれない。他ならぬルリィによってもたらされた必然だ。
だとしても、自分が蒼の森に行かなければ――異なる世界から渡ってこなければ、永遠に訪れることはない邂逅。偶然の先にあった必然の出会い。
(――アレクとも、そうだった)
はじめから強く惹き合った人だった。
けれども誰かを愛するという人の心を、この世界に渡って以降の辛い日々を、その日々の中で必死に選び取った全ての道を、運命という言葉で片付けたくはない。
(でも、奇跡って言うなら……そうなのかもしれないな)
自分が世界を渡らなければ絶対に出会うことのなかった人だ。
そしてアレクも自分も、きっと今まで歩んできた道には分岐点が幾度となくあった。生まれも身分も違う二人がそれぞれに選択した道の先で、その人生が交わる確率はきっと限りなく低いものだっただろう。
そんな中で出会ったとするなら、それを人は奇跡と呼ぶのかもしれない。
足元でぷるるんと震えるルリィに微笑みかけたシオリは、仲間達の目を盗んでそっとアレクに寄り添った。さり気なく伸びた武骨な手がシオリの指先に絡む。
――静かに「奇跡」を噛み締めている間に、ニルスのマンドレイク採集は使い魔の手を借りて無事終了したようだった。
「ありがとう。無事終わったよ。皆のお陰で良質なマンドレイクが採れた」
「……でもいいのかしら」
満足そうに採集袋を撫でるニルスに、エレンが遠慮がちに疑問を投げ掛ける。
「その子のお仲間なんでしょう? 採ってしまっても……大丈夫?」
「……全部採らなければ大丈夫のようだよ。というか、むしろ……」
一本だけ真っ赤な実を付けていたマンドレイクを指し示して、アルラウネが葉をわさりと揺らした。
「これ、どこか遠くに蒔いて、仲間を増やして欲しいみたいだよ」
――植物はその場で繁殖するだけではない。風に飛ばされたり他の動物に付着したりして遠くまで種子を運んでもらい、そして落とされた地で根付いて子孫を増やす。
異郷の地に同胞を増やしたいのだろうか。これもまたアルラウネなりの交換条件なのだろう。
「済んだのなら、帰るか」
リヌスやエレンも目当てのものは全て採集したようだ。
魔法で水を呼び出して土で汚れた手を清め、荷物を纏めて帰路につく。
ニルスの肩先に乗ったままのアルラウネが葉を揺らした。それに応えるようにして周辺の茂みがさわさわと揺れる。岩陰から顔を出した虫や小さな獣型の魔獣達もまた、立ち去る姿を静かに見守っていた。
「……見送ってるみたいだね」
「ああ」
アレクは笑った。
「この見送りの数とこいつの妙に堂々とした佇まい……案外この洞穴の主だったのかもしれないな」
アルラウネの体長は通常種のマンドレイクよりも二回りは大きい。長く生き続けた証だ。長年この洞穴を静かに見守ってきたのかもしれない。
彼の言葉を肯定したのかどうか、「あ!」とアルラウネが短く声を上げた。
それを見て皆がくすくすと笑う。
――こうして短くも波乱と驚きに満ちた採集旅行は終わりを迎えた。不思議な生き物たちが棲むホルテンシア洞穴を後にして、シオリ達は多くの友人や仲間達が待つ街へと足を向けた。
脳啜り「新年あけましておめでt
アルラウネ「全裸待機してたかいあったアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
ルリィ「あれ? 皆なんで寝てるの」
ペルゥ「さあ? 寝正月じゃない」
耳ないと攻撃効かなそう。
というわけで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
当分は週一ペースの更新になりそうです。




