第5話 相上家のイレギュラー
「お疲れ様でーす」
最後の一体を切り捨てた途端に表情をだらりと緩め、隼護が発したのんびりとしか言い表しようのない声に、場の空気まで一気に緩んだ。
「……兄貴って」
脱力気味にぼそりと呟く仁志の声が聞こえたのか、隣に控えていた女性が苦笑混じりに隼護に声をかける。
「お疲れ様です。後は私達が後片付けしておきますので」
「頼む。多分ここだけじゃなく……仁志、お前どっから逃げてきたんだ?」
「え……あっち、だけど」
「逃げた」というのは厳然たる事実だが、改めて突き付けられるとやはり情けない。憮然として答えた仁志の指差す方向を見やって、女性は駆け足で去って行った。共に控えていた壮年の男性と青年1人も続く。
それを見送った隼護は、珍しくにっこりと笑って(この義兄は基本へらっと頭の軽そうな笑い方しかしない)背後の青年に声をかけた。
「さて。実池さん、当主には包み隠さず報告してくださいね。雑魚を取り逃がした挙げ句に一般人を危ない目に遭わせたツケはでかいですよ?」
(……本当に兄貴だよな、コレ)
棘だらけの言葉を吐く隼護が余りにも普段と違いすぎて、思わず胡乱な目を向ける仁志。笑顔なのに目が笑っていない義兄なんて初めて見た。
実池と呼ばれた青年はといえば、苦虫を噛み潰したような顔で隼護を見返した。その瞳に見え隠れする侮蔑の目に、何だか仁志はイラッとした。
「お前が報告しろ、下っ端」
「いや、俺今日非番だし。取り逃がしたから手を貸してくれって泣きついてきたの実池さんでしょう。実池さんがそんな本家らしくないミスをしなきゃ、今頃俺は母さんのプロ顔負けの手料理を堪能してた筈なんですよ、俺」
(ああ、食い物の恨みか)
母謹製、絶品の手料理を食べ損ねた恨みが義兄の豹変の原因と分かり、仁志はとてもとても納得した。相上家の人間なら当然である。
だが、そんなある意味余裕とも言える仁志の感情は、次の一言で一気に沸点に達した。
「うるさい、出来損ない。お前はただ本家の人間の命令を聞けばいいんだ」
仁志の脳裏に、数時間前に脳天気に暴露してくれた隼護の事情が蘇る。
「——兄貴」
「何だ?」
「——そいつ、殴って良いか?」
「あ?」
ドスのきいた青年の声に苦笑した隼護は、宥めるように両手を広げた。
「実池さんのせいで危うく死にかけた訳だし、気持ちは分からなくもないけどな。やめとけよ、仁志が本気で殴ったら顔の形変わるだろ」
「見える所がヤバイなら中段突きで、つーかその方が力入るし」
「……おい」
「よせよ、いい年の男が吐く所なんて見たくもないだろ」
「我が空手部では日常風景です」
「おい、聞け」
「おお、精進してるなー。感心感心」
「そりゃあ、いつもぐうたらしてる兄貴に比べれば遥かにな」
「そりゃそーか」
「聞けと言ってるだろうが!」
顔を真っ赤にして怒鳴る実池に、仁志は進んで喧嘩を買いに行った。が、隼護にがっちりと肩を掴まれ阻止される。抵抗したら関節極められそうだ。
(ちっ)
「どうしました?」
「どけ、そのガキに礼儀を教えてやる」
「無理でしょ、実池さん徒手空拳超弱いし。うちの弟は俺と違って出来が良いから、実池さん瞬殺ですよ?」
その弟に全戦全勝をやってのける隼護は仁志の白い視線もどこ吹く風で、それにと表情の緩さだけはそのままに、口調が変わった。
「……礼儀を言うなら、まずアンタが仁志に謝るべきだろ。仁志が反射神経飛び抜けてるから良かったものの、邪鬼が光線打って死傷者ゼロってのが奇跡なんだぞ。イレギュラーまで出してその態度、どういう了見だ」
実池がぐっと押し黙った。仁志はこのタイミングで聞くのは拙いかと一瞬迷ったが、結局尋ねる。
「おい兄貴、イレギュラーってのはまさか俺の事か?」
「そりゃー他にいないし」
先程までの冷たさが嘘のようにのんびりと答え、隼護は実池に一瞬冷めた目を向け、仁志に向き直った。
「まあ座れ。流石に説明無いと納得いかんだろ?」
一も二もなく頷き、仁志はその場に腰を下ろしてあぐらをかく。それに続いた隼護は、少しも考える間を置かずに口を開いた。
「腹も減ったしちゃっちゃと行くぞ。霍見家は代々邪鬼……さっきの気味の悪いやつな、アレを祓うのを家業としている。俗に言う陰陽師一族みたいな感じだ。で、俺は術を使う事が出来ないから出来損ないとして勘当されたんだけど、この刀でなら鬼を祓えるからってんで、夜中に叩き起こされては出没する邪鬼を祓ってる。今夜は非番でのんびり眠れる筈だったのに、そこにいる実池さんが邪鬼を取り逃がしたもんだから、母さんの食事お預けで、熱心にもこんな時間まで空手の練習に精を出してた結果とばっちり受けた弟を助ける羽目になったってワケだ。ハイ質問どーぞ」
「……今までの常識ひっくり返されて一体何を訊くのかっつーかぶっちゃけ頭大丈夫かと言いたいが、俺も腹が減ったからその辺省略して訊く。イレギュラーって何だ、勝手に人を非常識扱いするな歩く非常識集団」
「イレギュラーってのは邪鬼あるいは奴らの住処に接したのが切欠で異形のものが視えるようになった一般人の事だな。良かったなー、これから毎日がお化け屋敷だぞ」
「よし、取り敢えずそいつが全ての元凶なのは理解した。やっぱ殴らせろ」
「やめとけって、空腹時に動くと更に腹減るぞ」
腰を浮かせかけてまたも隼護に阻止され、仁志は取り敢えず実池にジト目を向けた。
「で? そこの邪鬼も1人で祓えないらしいイイ年の大人が、なんで兄貴を馬鹿にするんだ?」
「霍見家は術使えるかどうかが1番大事だから、使えない時点で役立たず認定だぞ」
「役立たずとか。いや、兄貴が弾いた光線に巻き込まれかけたのは明日の朝やっぱり弁当2つとも持っていこうかと思ってるけど」
「んなっ、今回の件でその話チャラにしてもらおうと思ったのに!」
途端慌て出す隼護を一瞥し、今まで黙っていた青年が吐き捨てる。
「当主様のご期待に添えず一般人の家に追い出された輩など、役立たず扱いで十分だ」
「その役立たずに助けてもらっておいて何言ってんだよ」
短く吐き捨て、仁志は立ち上がった。
「取り敢えずうちの家と兄貴を馬鹿にしたのは聞かなかった事にしとく。空手部の早朝練に呼び出して師範先輩同級生総出でフルボッコとかかなり魅力的だけど、兄貴に免じて我慢してやる。せいぜい兄貴に感謝しとけよ」
抑揚すらない仁志の半ば以上本気の言葉に、実池だけでなく隼護まで顔を引き攣らせる。
「……仁志、珍しくマジギレ?」
「空腹時は沸点が低いんだよ。つーか、兄貴に妹紹介されたせいで嫉妬にトチ狂った先輩達に遅い時間まで居残りで扱かれ、ふらふらで帰ってる道すがらに命がけの全力リアル鬼ごっこする羽目になった挙げ句、その元凶が頭を下げるどころか身内貶すとか、キレねえ方がどうかしてるわ」
「……確かに」
苦笑する隼護には悪いが、仁志は義兄よりも遥かに心が狭く手が早いのだ。我慢しているだけマシというものである。
「つーか俺、鞄もなくなったんだっつーの。あーもームカツク」
「あら、それなら拾っておいたわよ」
突然割って入ってきた声に仁志は危うく飛び上がりかけた。振り返れば、先程の白髪の女性が見覚えのある鞄を差し出している。
(目の色といい、兎みてーなカラーリングだよな。アルビノっつーんだったか。……何気に腕力あるなあ)
礼を言って受け取った鞄は、仁志の肩にずっしりと食い込む重量なのだが、女性はそれを無造作に片手で扱っていたのだ。
感心してしげしげと眺めたが、失礼な事だと気付いた仁志は軽く一礼して隼護に目を向ける。
「帰ろうぜ、俺もう背中と腹がひっつきそう」
「おー、俺もー」
頷いて女性に刀を預けさっさと仁志と共に帰宅しようとする隼護に、実池の慌てたような声が投げ掛けられた。
「おい、報告がまだだぞ!」
「それはアンタの仕事だろ」
冷え切った声で隼護が吐き捨てる。息を呑む実池を一顧だにせず、隼護は続けた。
「手柄を横取りしたいなら好きにしろ、けどヘマまで俺に押しつけるな。大体、イレギュラーが襲われやすいのは知ってるだろ。仁志の護衛を兼ねてるに決まってるだろうが」
「……おい兄貴、気のせいか聞き捨てならねえ台詞が聞こえたぞ」
「気のせいじゃないぞ? ほら、見てると見られてるは同じ事って言うだろ。この町、邪鬼以外にも妖がうろちょろしてるから、仁志が視えると分かったらちょっかい出してくると思うぞ。空手馬鹿だけど異能とは縁ないしなー、逃げるしかないだろ。足の早い奴もいて危ないから、俺が護衛をしようってわけだ」
(そーゆー大事な事は最初に言えっ、馬鹿兄貴ー!)
のんびりと紡がれた最重要情報に心の中で全力で叫んでから、仁志は1つ深い深呼吸をした。
どう喚こうと現実逃避しようと、今後このぐうたら兄貴には大層お世話にならねばならないのだ。となればそれ相応の態度をとらねばなるまいと、仁志は悪態を自重した。そこの阿呆な大人と違って、仁志は礼を重んじる空手馬鹿なのである。
「……兄貴」
「何だ? 弟よ」
「……ひじょーに癪だが、弁当の件は無かった事にしてやる」
「お、サンキュー」
嬉しげな緩い声に溜息をついて、仁志は急転直下の事態の変化を呑み込むべく、まずは夕食にありつかねばと、隼護と共に帰途についたのだった。




