祖父と孫
蝉の鳴き声が、姫奥島の夏を彩る。
太陽に照らされた世界は眩しいくらい輝き、光と戯れるように濃い影も伸びている。
青々しい田園風景の中を歩いていくと、『長姫神社』と書かれた鳥居が見えてきた。
長姫神社は、歴代の姫の為に祀られた神社だ。
御三家の人々は、姫の無病息災や長姫の安産をこの場所で願い続けて来た。
七五三や夏祭りなどの行事を通して、地域住民との繋がりも深い。
朱色に塗られた木製の鳥居を潜り、苔の生えた石段を登っていくと、赤や緑の塗装が鮮やかな社殿が姿を現した。
木々に隠された境内へと足を踏み入れると、そこに人の姿は無かった。
祭りの時は賑わうこの場所も、普段は静寂に包まれている。
自分と向き合う時間が必要になると、いつもここに来ていた。
知り合いが来る可能性も低く、誰かに声をかけられることも無い。
ここの宮司を除けば、色歌の一人時間を邪魔する人はいないのだ。
「色歌。来とったんか」
「うわ、びっくりしたっ! ……出ましたね、祖父爺」
背後から声をかけられ、思わず大きな声を出してしまった。
振り返ると、ここの宮司の扇寿朗が立っていた。
白に染まった長髪と髭が特徴的な小柄の老人で、色歌の祖父でもある。
「祖父爺ではなく、おじいちゃんと呼んどくれ」
「いえ、結構です」
「わしがお願いしとるんじゃ」
「こちらが願い下げなので」
「ふぉっ」
「祖父爺? 大丈夫ですか?」
「笑っただけじゃ」
二人は社殿に階段に腰掛けて、静かな境内に目を向けた。
同じ景色を眺めながら、祖父と孫の何気無い会話を続ける。
「見ないうちに色歌も大きくなったの」
「祖父爺も、見ないうちに老けましたね」
「ふぉっ」
「だから笑い方」
子供のように笑う色歌と、嬉しそうに微笑む扇寿朗。
歳を重ねても、孫と祖父の関係性は何も変わっていない。
一人の侍女ではなく、ただの孫娘で居られるのは本当に幸せな事だ。
心の緊張感が解れていく。
「祖父爺ぃ?」
「なんじゃ」
「姉さんが長姫になっちゃう」
「長姫昇格はまだ先の話じゃろ?」
御三家以外には『珠景姫の長姫昇格』が公表されていないようだ。
色歌は小さく首を横に振り、本音を交えながら説明を始める。
「この前、父に呼び出されたの。付き添いに私を指名したうえに、神島家の屋敷に来るよう命令された時点で気づいた。『あぁ。長姫昇格の話だ』って。自分の欲望の為に、姉さんの事を道具として扱うあの人が本当に憎く感じた」
黙って話を聞く扇寿朗の横で、色歌は話を続ける。
「歴代の長姫を調べても、二十代後半に昇格した人が多かった。十七歳で長姫になった人なんて一人もいない。二十歳でなった人すら、長い歴史の中で居ないんだよ? あまりにも早すぎるって……」
「ふむ……先代の長姫が生きてたらの」
「母さんが生きてれば……?」
先代の長姫は、実母である咲月姫だ。
珠景姫が十歳、色歌が七歳の時に、母は病で命を落としてしまった。
それ以降、長姫不在の期間が続いている。
「あの方は、近年稀に見る頭の良い長姫じゃった。それこそ、我が息子・大扇が従うしか無いくらいにの」
扇寿朗は懐かしむように笑みを浮かべる。
「まぁそうじゃな。自分の子供が長姫と結婚すると決まった時は、雷に撃たれたかと思ったもんじゃ。ご挨拶に伺えば、綺麗に育った咲月姫がおって、『あぁ、これは困ったなぁと。大扇には勿体無いくらいの女性じゃ』と吐露したもんだ」
「仰る通りですね。本当に勿体無いです」
長姫神社の宮司として生きてきた扇寿朗は、咲月姫の幼少期から最期までを知っている。
だからこそ、聞いてみたい事があった。
「母は、長姫になる事を望んでいましたか?」
真面目な声で問いかけると、扇寿朗は遠くを見つめて呟く。
「彼女は、長姫として生きる事に誇りを持っておった」
「……そうですか」
期待した答えは返って来なかった。
我儘な自分が少しだけ情けない。
歴代の長姫達も長姫制度に縛られる人生を望んでいなければ、都合が良かった。
誰もが苦しんだ制度の撤廃という大義名分が得られるから。
今の色歌にはまだ、珠景姫を自由にする事が出来ない。
また心に悔しさが滲み出る。
「過去が全てではない」
「……祖父爺?」
「色歌はまだ子供じゃからの。いつか、分かる日が来る」
ゆっくりと立ち上がった扇寿朗は、境内を見つめて呟く。
「久々に走るかの」
「寝たきりになりますよ」
「ふぉっ」
扇寿朗特有の笑い方に、色歌も笑ってしまう。
「次会う時まで元気で居てくださいね。約束です」
色歌の小さな手と、扇寿朗のしわしわの手。
互いの小指を絡ませ、約束を交わす。
「また来ますね」
子供のように大きく手を振って、色歌は長姫神社を後にした。




