09冒険者学校からのスカウト
俺を呼び止めた女はいくつか年下に見えたが、品格は俺よりずっと上にあるように見えた。
場違いなドレスを着て目立っているのに気にする素振りもなく堂々としている。
注目される経験が何度もあって気にもならないんだろう。
修羅場をくぐってきたって感じだ。
「私のことを全然覚えてないみたいね? もう五年…いえ、六年ほど前かしら? あなたとは冒険者になりたてのころに野良でパーティーを組んだのよ。あの時はなんてひどい男なのって思ったものよ」
「野良でパーティーを組んだ? すまない、思い出せそうにない。本当にひどい男だな俺は…」
五・六年前といえば、俺はゲイリーとグラップの二人と組んでいて、調子に乗り始めたころだったと思う。
あの頃は他の野良パーティーとも組んで合同の狩りをすることが頻繁にあった。
その時に組んだ野良パーティーの一人なんだろう。
こんなに目立つ女性のことを思い出せないなんて、あの頃の俺はどこを見ていたんだ?
「こんな格好じゃ思い出せなくても無理はないわね。あの頃の私は髪は短かったし、お下がりのブカブカ鎧を着ていた小娘だったもの」
女はクスっと笑った。
それから目を細めて値踏みするように俺を見た。
「あなたのパーティーもひどい装備だったけど、今はもっとひどいわね。今日はお供はいないのかしら? 一人だったら、嬉しいんだけど」
「俺は色々あってこっちのギルドで一からやり直すことにしたんだ。あいつらなら王国でよろしくやってるんじゃないか」
「そう。それはよかった。最高の状況だわ」
女が再び微笑む。
最下級ランクからの出直しはちっともいい事じゃない。
「今日はあなたをスカウトしに来たの。私が理事を務めている学校の臨時講師としてね。詳しく話している時間がないから、概要と契約書を置いていくわ」
有無を言わさぬ様子で女が書類を差し出してくる。
その手に光る魔力紋には見覚えがあった。
珍しい呪術師系の魔力紋で特に相手を弱体化させるのが得意なデバッファーだ。
「紫闇のレイア…?」
夜の闇のような髪色と呪術で精神を闇に落とす様子から付いた二つ名――紫闇のレイアはニコリと笑った。
ただ目の奥は笑っていなかった。
こちらを値踏みするような視線のままで笑顔を浮かべているのだ。
それでいて声は優しくて柔らかい。
そんなアンバランスさが逆に恐ろしかった。
「受けるにしても受けないにしても、じっくり読んで検討してちょうだい。今月中に返事がもらえると嬉しいわ。講師の一人が急な授かりものをしてしまって早めに後任を探したかったの」
「そう言われてもな…。なんで俺なんだ?」
「あなた、アイテムの管理についてはこだわりがあるでしょ? 探索後に反省会と称して小一時間ほど熱く語ってくれたわよね。ふふっ、あの情熱は今でも忘れないわ。指導者向きの才能よ」
レイアの皮肉が俺の恥ずかしい記憶を呼び覚ます。
アイテムポーチが普及し始めたばかりでアイテム管理に関する考えがまだ雑なころに、俺は騎士団の輜重を一人で任されていた経験を鼻にかけて、粋がってあれこれ上から目線で語っていたのだ。
「いい返事を期待しているわ。これから学校の出資者たちに挨拶しに行かなきゃならないから、これで失礼するわね。今度はあなたのほうから私を探して会いに来てね?」
優雅なお辞儀をしたレイアは用が済んだとばかりに宿を出て、装飾の派手な馬車に乗り込んで去っていった。
嵐のように現れて嵐のように去っていくレイアを見て、俺はとことん女運が悪いんだと痛感した。
「あぁ、これはまずいな…」
どういう内容の仕事なのかはわからないが、断れない予感がした。
というか多分、断ることは不可能だ。
「参ったな。グラージオに相談しなきゃ…」
質のいいドレスを着て派手な馬車に乗るくらいだから、かなりのお金持ちだ。
学校の理事を任されるほど周囲から信頼されていて講師を選べる人事権を持っている。
「俺がこの街に来て名前を出したのって冒険者ギルドだけだよな…」
そのギルドに登録したばかりの新人冒険者の情報を簡単に知ることができる、もしくは知らせてもらえる立場にいるってことになる。
街やギルドを管理する側の人間、つまりレイアはお貴族様だって可能性が高い。
「そんな人の依頼を断れるか? っていうか俺はそんな人に上から目線で説教してしまっていたのか…?」
断れるわけがない。
受けるしか選択肢がない。
「まぁ、そんな悪い話じゃなさそうだしな…」
レイアの渡してきた書類に書かれた報酬が目に入ってしまった。
結構な額だ。
俺は少し怖いが受けるのも悪くないと割り切って、レイアの渡してきた書類にじっくり目を通すことにした。
「冒険者養成学校…? 魔力紋を刻む前の未成年向けの養成所かな?」
概要には、南部地域の森林開発における冒険者養成のための学校、と書かれている。
魔獣の数を大きく減らすためのに探索エリアへの騎士団の投入も視野に入れ、大部隊の指揮を取れる人材を育成するべく創設された冒険者養成学校である、と書かれている。
さらに期間三ヶ月のうちに冒険者とパーティーを組んで現場の実践感覚を身につけさせる、ということまで書かれていた。
「これって短期間で指揮官を育てる貴族向けの学校じゃないか…? そんな学校の講師を俺がやるって? いやいやいや…無茶振りがすぎるでしょ」
過去にレイアにしたように貴族の子女に向かって上から目線で持論を語ったり説教しようものなら、物理的に首が飛びかねない。
断れそうにない依頼に胃が痛くなってきた。
「朝食は食べられそうにないな…」
俺はため息をつくとレイアの置き土産である書類を持って冒険者ギルドへと向かった。
情報を仕入れるとしよう。
何をするにしても判断材料は多いほうが良い。
それが一番の対策だ。
「その書類に書かれた内容ですけど、レイアさんが理事を務める冒険者養成学校で間違いありませんね。この学校は試験運用の段階で、貴族の子女を集めて成果が出るかテストをしているところなんです」
ギルドで相談相手を探して最初に思いついたのが蔵書室の司書さんだった。
書棚の整理を中断して話を聞いてくれた。
「どうしてそんな大事な試験中の講師に、登録したばかりの冒険者を指名しようだなんて思ったんでしょうね」
「それはアッシュさんがユニークスキルを持っているからかと…。冒険者ギルドの幹部には特殊スキル持ちの方の情報が共有されますので…」
司書さんは言いにくそうに言葉を濁す。
「つまりレイアもギルドの幹部だからスキルを知ることができて、使えそうだから声をかけたって感じか」
俺の予想は当たっていた。
レイアは思った以上の権力者だった。
それも親が権力者なのではなく、当人が相当な権力を持っているようだ。
「レイアさんは次期ギルドマスター候補でもあるんです。この学校の運用がうまく行けばギルドの登録者の底上げができて、大きな功績になって、それはマスター選出の十分な後押しになります」
「責任重大だな。報酬は良さそうだし受けるのに異存はないんだけど…しくじったらマジで首が飛びそうだな。はぁ…」
「ギルドマスターの対立候補は現役A級の冒険者で現場の叩き上げですから、レイアさんも対抗するために実践の結果がどうしても欲しいでしょうし、頑張って成功させてくださいね」
俺は胃液を戻しそうになった。
司書さんは俺のことを心配してくれて優しい声をかけてくれる。
「でも読んだ限りではアッシュさんが担当するアイテムポーチ論の授業内容は、アッシュさんにちょうど向いてるので問題ないかと思いますよ」
契約書を見る限りではアイテムポーチの有用性についての授業を受け持つことになっている。
「アイテム管理についてボックス持ちの俺に講演させたいのか…。あのときの説教をまた貴族相手にやれって?」
過去の出来事が今更になって心をえぐってくる。
過去の自分をぶん殴ってやりたい。
「マニュアルもついているので目を通されてみてはいかがでしょう?」
「えぇ、そうしてみます。作業中に付き合わせてしまってすみません」
「いえ、ごゆっくりどうぞ」
仕事に戻った司書さんの後ろ姿を見送って、俺は書類をめくる。
「んーっと、最初は講義の進め方とか挨拶の仕方みたいなことが書いてあるな。次は実際に使う教科書の説明か」
俺が駆け出しの頃と言ってることが何も変わってなかった。
最低限の食料や武具のメンテナンスセットだけ持って探索エリアに突っ込んでいって、敵に遭遇したら火力をぶっ放して目ぼしい素材だけ回収してすぐに帰還する。
そういう古臭い速攻スタイルのマニュアルだった。
「流石に考えが古すぎるなぁ」
今はポーチの容量がぐっと増えて探索エリアに持ち込みたいものが増えて、食料やポーションだけでなく毒罠や煙幕などの安全対策に余裕を持つスタイルが広まってきている。
「あぁ! なるほどそういうことか!!」
俺はマニュアルを読みながら思わず笑ってしまった。
レイアの意図がわかったからだ。
「こんな古臭いマニュアル通りに教えるなら、俺じゃなくても務まるはずだ。それなのに俺を選んだってことは…」
おそらくレイアはこのマニュアルがお気に召さないのだ。
きっと生徒たちに新しいスタイルを教えたいのだろう。
どうしてマニュアルを変えずに俺みたいな流れの冒険者に頼む必要があるのか理由はわからないが、目的は理解した。
きっと貴族同士の足の引っ張り合いや利益が絡んだなんやかんやがあるんだろう。
「マニュアルの中身を全部無視して持論を語ったら、さすがに首が飛びそうだよな…。教本を使いつつ『新しい考え方もあるぞ』とさりげなく教えられると良いんだけど、難しいだろうなぁ」
気を使って神経をすり減らす仕事は苦手だ。
火竜の牙の調整役をやらされてもう飽き飽きしている。
だが、ギルド幹部であるレイアからのご指名なんだからやりきるしかない。
「とりあえず口先勝負で新スタイルに誘導してみて、ダメそうなら実践でわからせてしまおう。頭で理解するより体で実感したほうがわかりやすいもんな」
講師の依頼を受ける覚悟をして、マニュアルを読み込むことにした。
「授業の内容を脳内でシミュレーションしておこう。どうやったら生徒たちが自ら安全対策の新スタイルに行き着くかな…」
俺は図書館の奥まった席に座って、これからの授業内容の計画を立てることにした。
ギルドの蔵書室には今後の方針を決めるために役立つ資料がたくさんある。
植物鉱物の分布図はもちろんのこと、素材ごとの価格の査定基準が書かれた買取書まで置いてあった。
「生きて帰ることも大事だけど、しっかり収支をプラスにすることも大事だよな。俺みたいな失敗を生徒たちにはさせたくないし」
もちろん俺自身の収入も大事だ。
金はすべての活動の原動力になる。
授業のついでにフィールドワークとして薬草を大量に摘めるように計画しよう。
複数の収入源があると生活が安定する。
「グラージオに樽単位で卸す約束をしているから、結構な量が必要だもんな」
調合書を埋める依頼は今は考えないようにしよう。
あれはゆっくりでいい。
冒険者ギルドに登録しただけで依頼が山積みになるとは思わなかったな。
俺は昼休憩を一度挟んだきりで、集中して授業案を練り続けた。
誰にも邪魔されないで物事に集中できる時間は久しぶりで気持ちよさすらあった。