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(36)死神②


 営業時間終了間際に駆け込んできた少年は、死神と同じ黒のスーツ姿をしている。

 そしてその胸には、王冠の形をした金のブローチが輝いていた。


「この店の先代のマスターは、ご高齢(こうれい)な方でしたよ。君は、お知り合いですか?」

「兄がとてもお世話になった人なので、お礼を伝えて欲しいと頼まれていたのですが……。先代という事は、もう、辞めてしまわれたのですね」


 少年が残念そうにうつむく。


「何か伝言があるなら、僕でよければ承りますよ。先代のマスターは、今は療養施設で生活されていますので」


 帳の言葉に、少年は弾かれたようにうつむいていた顔を上げた。


「お願いします! ぜひ、ご伝言お願いいたします」


 見た目の年齢よりもずっと大人びた口調だった少年が、その瞬間くしゃりと幼い笑顔を見せた。


 そして、不意に死神の方へと視線を向ける。


「あれ? あなたは……死神ですね」

「え? は、はい! 死神の気配を嗅ぎ分ける事ができるなんて、やはり君は、冠付きの死神ですか?」


 その問いに少年が頷いた。

 この幼い風貌から、恐らくは優秀な死神としての素質があり飛び級で冠付きになったのだろう。


「僕は、飛び級で少し前に合格したばかりの新米冠付きです」


 少年が、自身と彼の兄について語り出した。


 少年の兄は心優しき死神で、もう随分長い間こちらの世界で初級試験に挑み続けていたそうだ。人間の事が大好きで、上手く不幸を与える事が出来ずにいつも失敗していたという。


 その話を聞いた死神は、まるで少年の兄が自分の事のようだと驚いた。


「でも、三年前の雨の夜。兄は遂に、一人の人間を不幸にします」


 プロポーズという人生の大切な瞬間を迎えた人間の頭に、鴉に変身した彼の兄が糞を落としたという。


 そのエピソードを聞いた死神と帳は驚き、視線を合わせて頷いた。

 間違いなくこの少年の兄こそが、帳珈琲店の『貼り紙』のきっかけとなった死神だ。


「罪悪感でいっぱいだった兄に、こちらのマスターが優しく話を聞いてくれたとの事で、兄は大変感謝しておりました。そしてこの帳珈琲店で、人間の食すオムライスを初めて食べたのだと僕に聞かせてくれました」


 兄の死神はまたここへ訪れる事を目標に、元の世界に戻ってからはパスポート取得の筆記試験に向けた勉強を頑張っているが、なかなか合格できずにいるとの事だった。


「人間の事が大好きな兄の事を、周りは変人だと言って馬鹿にします。でも僕は、兄の事が大好きです。でも……」


 少年は生まれながらに非常に高い能力があり、飛び級で冠付きになった。


「兄は僕の事を想って、『俺の側にいない方がいい。お前まで笑い者にされたら大変だから』と、僕を遠ざけるようになりました。僕はそれが寂しくて辛かった。でも僕が冠付きとなってパスポートを手にした時、兄が初めて、僕に頼み事をしてくれたんです! 帳珈琲店のマスターにお礼を伝えて欲しいと」


 弟の事を思いずっと遠ざけていた兄が、それでも頼まずにはいられなかった程、兄は先代マスターに大きな感謝をしていたのだろう。

 そして弟は、兄が大切な頼み事を自分に託してくれた事が嬉しかったに違いない。


「どうか、どうか宜しくお伝え下さい。僕はまだ冠付きになったばかりなうえ、判定員でもありませんので、あまり長くこちらにいる事が出来きないので」

「承知しました。必ず、先代マスターにお伝えします」

「有り難うございます」


 丁寧にお辞儀をした少年の手を、帳が優しく握り締めた。


「僕からも君に、お兄さんへの伝言をお願いしてもいいですか」

「兄に? 人間のあなたが?」


 少年が首を傾げる。


「はい。店の入り口にある貼り紙は、あなたのお兄さんがきっかけで作られたものです。それがあったから、僕は今ここでマスターをしている。お兄さんのお陰で、救われた人間がここにいると、どうかお伝え下さい」


 死神も席をたち、帳の上から掌を重ね合わせた。


「私もあの貼り紙が無かったら、今もまだこちらの世界でひとりぼっちでした。お兄さんのお陰で、救われた死神もここにいます! どうか、どうか宜しくお伝え下さい」


 死神にとって、帳にとって、今ここにある奇跡のようなこの時間は、全てあの貼り紙から始まった。

 重ね合わせた手に、強く強く願いを込める。


「この想いが、君のお兄さんに届きますように……」


 その言葉を聞いた少年は、照れたようにはにかんで、それからひどく誇らしげに胸を張った。


「やっぱり……兄さんはすごいや! あの……僕も、もう一つお願いをしてもいいでしょうか。兄が食べたオムライスを、僕も食べてみたくて」


 モジモジしながらそう打ち明けた少年に、死神はカウンターテーブルの上にあるそれを指差す。


「一緒に、半分こして食べましょう!」

「いいのですか?」

「もちろん! 帳さんの料理は絶品ですよ」


 そんな死神の言葉で、少年が嬉しそうにオムライスを見つめた。


「あ! このオムライス、王冠がある。そしてこちらは……えっと……うーん?」


 死神が描いたネコとコーヒーカップの方を眺めて、少年が首を傾げている。その様子を見た帳が、「くふふっ」と吹き出した。


「何ですか帳さん、その顔は」

「いえ、先程は何も言えなかったんですけど……。これ、何を描いたんですか?」

「見れば分かるじゃないですか」

「分からないから聞いてるんですよ。僕の理解不足かと思い黙っていましたが、彼がキョトンとした顔で首を傾げているので……ふふっ」

「あー、また笑った! 言いません! ぜったいに教えません」

「まぁ、ブタとバケツですかね」

「どこをどう見てもネコとコーヒーカップです!」

「あ、なるほど」

「あ、教えてしまった……」


 いつものように帳と言い合いをしていると、少年がこちらを見つめて瞳を輝かせる。


「あなたは死神なのに、本当に人間と仲良しなんですね! 僕の兄さんと一緒で、素晴らしいです」


 冠付きの死神に素晴らしいと言われたのは非常に光栄だけれど、これは仲良くしているのではなくケンカの最中ですと訂正したい。死神はこっそりそう思ったのだった。



 *



 何度もこちらを振り返って手を振りながら、少年は夜闇に紛れるように漆黒の鴉に姿を変えて飛び立っていった。

 その姿を見えなくなるまで見送ってから、お店の扉にかかったプレートを『close』に変える。


「オムライスに大満足のようで良かったですね」

「はい! とても美味しそうに頬張りながら、食べていました」


 高い能力を持つ聡明な冠付きの死神ではあるけれど、口の周りにケチャップをつけ、夢中で食べている姿は子供らしくて可愛かったと死神はほっこりする。


「それにしても、死神さん。今日は、とても長い夜でしたね」

「本当に、とても長くて深いご縁を感じた夜でした」


「そうだ、死神さん。これを渡し忘れていました。本当は雇用契約を交わした時に渡そうと思っていたんです」

「なんですか?」


 死神の手のひらに、黒猫のキーホルダーがついた鍵が乗せられた。帳の手には、コーヒーカップのキーホルダーがついた同じ鍵が握られている。


「我々の自宅の鍵です」


 この世界に、本当に自分の帰る場所が出来た。

 それを見つめて、驚きつぶやく。



「奇跡みたいだ」



 そんな死神のつぶやきに、帳が微笑みながら問い掛けてきた。


「死神さん、知っていますか?」

「何を、ですか?」


 視線を鍵から帳へ移し、彼を見つめる。


「人生には、二つの道しかないそうです」

「え?」

「一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。そしてもう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きること」


 有名な偉人の名言なのだと、帳が教えてくれた。


「だとすれば、自分がそうだと信じれば、日常の全てが奇跡になるという事ですよね?」

「偉人の言葉を信じるのなら、そういう事になりますね。どちらの道を選ぶかは、自分次第だそうですよ」


 死神は自分の足元を見つめる。

 そして、一歩前へと踏み出しながら、全てが奇跡だと思える道を進んで行きたいと思った。

 帳の言葉はいつも、死神に新たな指針を示してくれる。

 


「さて、死神さん。そろそろ我が家に帰りましょうか」

「はい! 帳さん、そろそろ我が家に帰りましょう」



 お店の外に出る。

 扉についたカウベルの独特な音色が、静かな夜の街に小さく響いた。


 そして、死神は思う。


 このカウベルが帳珈琲店の扉についているのも、珈琲という飲み物があるのも、オムライスという食べ物があるのもきっと奇跡で……。


 闇夜に月が浮かぶのも、再び朝がやって来るのも、そして死神と帳が並んで歩いている今もまた、奇跡に違いないと。






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  There are only two ways to live your life.

  人生には、二つの道しかない。


  One is as though nothing is a miracle.

  一つは、

  奇跡などまったく存在しないかのように

  生きること。


  The other is as though everything

  is a miracle.

  もう一つは、

  すべてが奇跡であるかのように

  生きることだ。


  Albert Einstein

  アルバート アインシュタイン


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 (引用)



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