(2)死神
--そして、帳珈琲店。
あの黒猫、つまり死神がカウター席で溜息を吐く。
「私はただ、彼が持っている缶コーヒーを落とすイタズラを仕掛けただけなんです」
「飲もうとした瞬間に落として中味がこぼれると、悔しいですからね」
「私は、常にそれぐらいの小さい不幸でいいと思っているので」
死神が残り少ない珈琲に口をつける。
「それがまさか……」
「人の命を救うきっかけになってしまったと」
「はい。でも、二人が無事で良かったなと思います。やはり私は大きな不幸は見たくないので、今回はこれで良かったと思いました。ただ、話はこれだけでは終わらず、しばらくしてまた、あの二人の人生に深く関わる事になってしまい……」
「また二人を幸せに?」
「いえ、二人どころではなく、そこに関わる人々全部。なにやら連鎖反応のようにまとめて」
「まとめて全部、幸せにしちゃったんですか?」
死神は涙目になり頷いた。
それを見たマスターが、端正な顔を綻ばせて「フフッ」と笑う。
「今、私の不幸を笑いましたね?」
「いえ」
「絶対、笑いましたよ」
「申し訳ないです」
お詫びにと、マスターが珈琲のお代わりを用意してくれることになった。豆を挽き、少しずつ丁寧にドリップをしている。その美しい所作を眺めていると、もう一度「フフッ」と肩を揺らし笑っている姿が見えた。
他人の不幸に、ウケ過ぎではないだろうか。と死神は思う。
けれど彼は、一度も否定する事なく、ただ黙って話を聞いてくれた。死神だと言った事に対する否定も、落ちこぼれである死神自身への否定も。
こんな風に話をするという事が、これほど心を癒す行為だと死神は知らなかった。
真剣に珈琲と向き合うマスターを見る。
やはり、その動き一つ一つが洗練された美しさを放っている。
「フフッ」
予想以上に、笑いの沸点が低い人ではあるけれども……。
素敵な店と、美味しい珈琲。
なんだかひどく心地の良い時間に、死神もつられるように「フフッ」と笑った。
「ところで死神さん、日本のお金はお持ちですか?」
珈琲のお代わりをこちらへと差し出しながら、店主がそう問い掛けてきた。
「え? この珈琲は、お詫びですよね?」
「ええ。こちらはお詫びなので料金は頂戴しませんが、一杯目のお代金は頂きます」
死神は固まる。
「あ、あの……でも、外の張り紙に『温かい珈琲をお出しします』と書いてあったので……」
「はい。お出ししますが、料金は頂戴します」
マスターの整った美しい笑顔に死神は戸惑う。
「あの。そ、そういうのを、この国では詐欺と言うのでは?」
「いいえ。そういう行為を、この国では無銭飲食と言います」
突然降りかかった罪に、死神は焦る。
「さて、どうやってお代金を支払って頂きましょうか。困りましたね」
困ったと言いつつ、全く困ってなどいない様子のマスターが、いったい次は何を言い出すのかと、死神はハラハラしてその涼やかな瞳を見つめる。
「ではとりあえず、閉店後に店の掃除からお願いします」
掃除から……。
まだ他にも何か追加がありそうなマスターの口ぶりに、死神の不安が募る。
先程まで、笑いの沸点が低い物腰柔らかな良い人なのかと思っていたが、どうやらこのマスターは、少し違うような気がする。
死神が訝しむ視線を送っていると、
「さぁ。お代わりの珈琲が冷めますよ。それに、まだお話の続きがあるのでしょう?」
と、マスターが微笑んだ。
人間の美醜にこだわるつもりはないけれど、その美しい笑顔を卑怯だと思わずにはいられない気分だ。
豊潤な香りに誘われて、お代わりで頂いた湯気の立つ珈琲を味わう。
悔しいけれど、このマスターの淹れた珈琲は、やはり格別に美味いと死神は思ったのだった。




