(27)死神
--カロンッ。
深夜の街に、帳珈琲店のカウベルの音色が響いた。
入り口にはいつもの貼り紙。そして、目印となる橙色のランプがその周辺を優しく照らしている。閉店後の掃除を終え、入り口の灯りも消して、死神は帳と並んで歩き出した。
「雨宮さんと美空さん、付き合う事になったんですね」
「はい。見つめ合う二人の間で、なんだか恥ずかしかったです。その後に、カフェの前で彼のリュックから出してもらいました」
そんな風に自分が関わった人々の話をしつつも、死神はずっと、帳が言ったあなたのような死神の話を聞く為に、僕はこの珈琲店を譲り受けたという言葉が気になって仕方なかった。
「帳さん。あの、帳さんが先程お店で言っていた……」
「そう言えば、まだ僕の話の途中でしたね」
死神のモジモジした様子を見た帳が、死神の言いたい事を察したようにまた話をしてくれた。
「三年前。僕が二十九歳の頃に、弟は事故にあいました。病室で眠る弟の前で、父が僕に言ったんです。『事故にあったのが、お前じゃなくて良かった』と……。その瞬間、僕の中の何かがプツリと切れて、父の胸倉を掴み怒鳴りつけていました。それから退職願を送りつけ、僕は父の会社を辞めたんです」
その後、帳は無気力状態で、夜の街をフラフラとさまよい歩いていたという。
「あの父親に喪失感を味合わせるには、僕が居なくなるのが一番だと思って、ただ彷徨うように街を歩いていました。その時、ふと目に止まったんです。夜闇の中にほんのり照らされた、橙色のランプが目印の珈琲店が……」
--あなたの話を聞きます。ただ聞くだけ、何も解決いたしません。
「近付くと、珈琲店の入り口には不思議な貼り紙がありました」
「それって……」
思わず言葉を挟んだ死神に向かって、帳がうなずく。
「その店の名は、帳珈琲店。自分の苗字と同じで驚きました」
「このお店の名前は、帳さんの苗字からつけたものではなかったんですね」
「はい」
夕刻開店の店に合わせ、『夜の帳が降りる』という表現から、先代マスターがそう名付けたというのが本当の由来だそうだ。
「引き寄せられるように扉を開けると、この独特のカウベルの音色と、優しい笑顔の老父が出迎えてくれました。あぁ、この人に話して、全部全部話して、それから僕は居なくなろう。そう、思ったんです」
居なくなる。
それは、死を選ぼうとしていたという事だろうか。
抱えていたものを全て吐き出すように、帳は全てを老父のマスターに話し続けたという。
「話して、話して、話し尽くした僕に、マスターが珈琲のお代わりと、昔ながらのオムライスを出してくれました。一言だけ、『弟さんが目を覚ました時、君が居なかったら寂しいだろうな』と、そうつぶやきながら……」
帳がその光景を思い返すように、小さく笑う。
「美味しかったな。今まで食べた中で一番、あのオムライスを美味しく感じました。誰かに話をして、美味しい物を食べる。何も状況は変わっていないのに、何一つ解決なんかしていないのに、話す事・食べる事、その行為はそれだけで人を救うんだなって、驚いたんです」
知り合いではない。
自分と家族の事など何も知らない誰かに話しをする。むしろそれが、話しやすくて楽だったと、帳がそう言葉を付け足した。
『よく来てくれましたね。ここを見つけてくれて有り難う。君が、この珈琲店の最後のお客様だ』
老父のマスターは、そう言って優しく笑い掛けてくれたという。
「膝の具合が悪く、その日この店を閉める予定だったと聞きました。この店のお陰で、僕は心が楽になって、また冷静に色んな事を考える余裕を持てたんです。そして後に、僕がこの店を買い取る事になるのですが……。その時僕は、店の入り口にどうしてあんな貼り紙があるのかマスターに尋ねました」
続きを話そうとした帳が「ふふっ」と声を出して笑う。
「あの貼り紙は、自分を落ちこぼれだと卑下する死神のお客様がきっかけだったそうです」
「え?」
帳の言葉に驚き、死神は歩く足を止めた。
「僕が初めて帳珈琲店を訪れる一ヶ月ほど前。ある雨の夜に、閉店間際の店内にずぶ濡れの男性が入ってきた。マスターが男性客にタオルとメニューを差し出すと、その男性はこう言ったそうです」
『お金がないので注文はできませんが、どうか、私の話を聞いてくれませんか』
実は自分は落ちこぼれの死神で、死神の初級試験に何年も合格できずにいたのだと言う。
「けれど元の世界に戻る為に、仕方なく今日一人の人間を不幸にしてしまったのだと、その死神は泣きながら話し始めた」
すぐに合格通知が届き、元の世界に戻れるようになった。
『だけどこの世界のどこかに、きっと自分と同じように心を痛めている死神や、居場所がなく途方に暮れた死神達がいる。だからもし、もしも自分は死神なのだと名乗るお客がここへ来た時は、どうか、どうか優しく話を聞いてやって欲しい』
そしてその死神は、マスターに深々と頭を下げたという。
「突然の言葉に半信半疑だった先代マスターの前で、死神は鴉に変身してみせた。そんな出来事があったから、先代マスターはあの貼り紙を珈琲店の入り口に貼ったんです。その日から店を閉める予定日まで、一人ぼっちの死神がやって来たら話を聞こうと思って」
しかし、その日から三週間が過ぎていよいよ閉店日が近づいても、結局死神だと名乗る客は現れなかった。そして最終日の夜、死神ではなく途方にくれた帳がこの珈琲店の扉を開ける事になり、今へと繋がっていく。
『いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ』
『あの……入り口の貼り紙を見て……』
『では、こちらのカウンター席へどうぞ』
帳が先代マスターと初めて交わした言葉は、まるで死神が帳珈琲店にやってきた日の、帳と死神の会話そのものだった。
帳の立場は、その時とは全く逆になっているけれど……。
「席に着いた僕にメニューを渡しながら、マスターが小さな声で聞いたんです。『あなたは死神ですか?』って」
帳は、弟を追い詰めた自分が死神だと責められているような気がして、思わず涙が溢れてきたという。
そんな帳の姿に、『やはり! あなたも元の世界に戻れず苦労しているんですね。大変でしたね。さぁ、涙を拭いて!』と、マスターがおしぼりを渡して帳を励ましてきた。
死神という言葉が、どうやら自分に向けられた皮肉ではないと理解した帳は、『一応……人間です』と、遠慮がちに言葉を返したという。
『こ、これはとんだ勘違いを! あなたも心優しき死神かと。いや、失礼失礼。早合点してしまいました! 実はここに、まるで天使のような心を持った死神が現れましてな。その死神が言うには……。あ! これはまた失礼を! 貼り紙を見たという事は、あなたも何かお話がおありで、私が先に話し出すところでしたよ。ではあなたのお話を、珈琲と一緒に伺うとしましょうか』
朗らかな笑顔で老父にそう言われ、帳の凍えるように固まっていた心が解けていったとの事だった。
「だから僕は、あなたに会う前から死神の存在を知っていました」
死神が初めて珈琲店を訪れた夜。
帳が全く疑う事なくすんなりと受け入れたのは、先代からその存在を聞いていたからだったのかと納得した。
「その死神は、人にどんな不幸を与えたのですか?」
気になっていた事を尋ねる。
「一人の男性が、女性に公園の噴水の前でプロポーズしていたそうで……。鴉にしか変身する事ができなかったその死神さんは、男性の頭上で、力を振り絞って糞を落としたそうです」
「え?」
「セットした髪型とオシャレをした服は台無しになったそうですが、プロポーズは成功したとの事です。それくらいの小さい不幸でいいと、その死神も言っていたそうですよ。それでも彼は、大事な記念日を台無しにしてしまった事を悲しんでいたそうです。まるで、あなたのように優しい死神ですね」
こんなにも同じ考えを持つ者がいた。
それだけで、死神の心の奥が一気に温かくなる。
「今もどこかに、あなたと同じ価値観を持つ死神はいる。そんな死神が、この珈琲店の扉を開けてやってくる日があるかもしれない。あの日の僕のように追い詰められた人々も、ここで話をする事で救われたら……。そう思い、僕はこの珈琲店を先代から買い取りました。ここが、人間も死神も区別なく、そういった者たちの居場所になればいいと思ったんです」
帳の言葉に、死神はハッとする。
「もしかして掃除は……。私から料金を掃除で回収しようとしたのは、私に居場所を与える為ですか?」
帳は何も答えず歩き出したけれど、きっと、死神がこの場所にとどまるための理由をくれたに違いない。
死神は先を歩く帳の背中に向かって叫んだ。
「分かりにくいんですよ! あなたの優しさは!」
意地悪なのか、優しいのか。
振り回されているように見えて、いつもその行動には相手を思う意図が隠されている。帳が言った一つ一つの言葉を振り返ると、不意に涙が溢れてきて、死神は急いで頬を拭った。
「待って下さい! 帳さん」
その背を追いかけ走り出す。
そして、弾む心で鼻歌を歌いながら、死神は友人の隣に並んだのだった。




