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(21)死神


 --そして、帳珈琲店。



 開店前の清掃を進めながら、死神と帳のお喋りが続いている。


「劇団員の雨宮さんを中心に、一気に五人が顔を合わせましたね。小町さんの息子さんの名前を聞いた時の、初音さんの様子も気になります」


「後に、更なる縁の繋がりを知ることができるのですが。それにしたって、どうしてこんなに、私の周りで人が幸せになっていくのか……」


 死神は項垂れた。


「それが、死神さんの本心だからじゃないですか」

「え?」

「あなたはきっと、望んだ事象を人に与える事ができる。死神としての力をちゃんと持っているのだと思います」

「私が?」


 帳の言葉に死神は驚く。


「でも、私はもうずっと、ほんの少しだけ不幸になれと望んで……」

「表向きは、ですよね?」

 

 帳のその声は、問い掛けの言葉でありながら、断定に近い強さを持っていた。

 戸惑いを感じて死神は押し黙る。


「ただの私見ですが」


そう前置きをして、帳が言葉を続ける。


「例えほんの少しであっても不幸になどしたくない。恐らく死神さんの本音は、そう思っている。それどころか、目の前の人達が幸せになればいいと……。無意識に、あなたがそう望んでいるのではないかと僕は思います」


 死神の鼓動が、ドクリッと一回悲鳴を上げた。急いで帳から視線をそらす。


「そんなこと、思ってません」


 ほんの少し不幸になれと願う事と、どうか幸せになれと祈る事は、決してイコールではない。

 前者でさえ死神にとっては間違った考え方であるというのに、もし、死神の本意が後者であるのだとすれば……。


 今度こそ本気で、死神失格になってしまう。


「私はそんなこと、願っていません」

「小町さんがホームに落ちなくて良かったと、あなたは安心したのでしょう?」

「それ、は……」


 その通りだった。


「真田さんに有り難うと言われて、君のお陰で俺は今も生きていると言われて、あなたは嬉しかったのでしょう? 僕に、そう話してくれましたよね」


 嬉しかった。

 そうであってはならないのに。


「幸せにと、心の奥底であなたが願ったから、あなたと関わる人はみんな、幸せのきっかけを……」

「やめてくださいっ!」


 死神はその言葉を強く遮った。

 その思いが本当であったなら、死神はもう、自分の世界に戻るすべが無い事になる。


 例え両親や兄弟たちから存在を忘れられているとしても、それでもあの世界が、死神の居場所なのだと思っていた。

 自分が「ただいま」と言える場所はそこにしかない。




 だからずっと。


 --頑張ります。


 ずっと。


 --頑張ります。




 そう繰り返し、生きてきた。

 家族に送った手紙はいつも一方通行で、随分長く声すら聞いていない。その現実が何を意味するのか、それを思い知ることが怖かった。


「だけど……」


 本当は分かっている。

 もう、分かっていた。


 死神に「おかえり」と言ってくれる誰かなんていない。それでもその答えに気付かない振りをして、頑張り続けることしか、どこにも居場所のない死神にはできる事がなかったのだ。


 

「帳さんに、私の気持ちなんか分かる訳ない!」



 そう叫んでしまった後で、死神はハッとしてうつむいていた顔を上げた。こんなの、ひどい八つ当たりだ。


 死神の視線の先にある帳の瞳に、後悔と哀しみの色が広がっている。



「僕はまた……、側にいる人にこの言葉を言わせてしまって、これじゃ、あの時と同じ……何をやってんだ、僕は……」



 その目は死神と、死神ではない誰かを同時に映している。その誰かはきっと、何度も二人の会話に出てきた。


「弟さんの、ことですか?」


 死神の問い掛けに、自責の表情を浮かべたまま帳が深く頷いた。


「僕には、五つ下の弟がいます。


 そう語る帳の目が、徐々に水の膜で覆われていく。


「僕に向かって、先程のあなたと同じ言葉を吐き捨て家を飛び出した弟は、その時事故にあい、もう何年も眠ったまま目を覚ましません」


 瞬きと同時に、帳の瞳から一筋の痛みがこぼれ落ちるのが見えた。


「弟とは他にもたくさん色んな事を話したはずなのに、僕の耳にはあの時の……、その言葉とその声ばかりが蘇る。繰り返し、何度も、そう叫ぶ弟の声で僕は目を覚ます。……僕の言葉はいつも、側にいる人を追い詰めるみたいです。あなたよりよっぽど、死神のようですね」


 そんな事ない。死神がそう言葉を返そうとした時、扉についたカウベルが響きお客様の来訪を告げた。



 カロンッ──。



 死神は驚いて肩を揺らす。帳はサッと涙を拭い、すぐに笑顔を向けていた。


「マスター。もう六時過ぎたけど、まだ準備中?」

「いえ、大丈夫です。お席にどうぞ」

「じゃあ、いつもので!」

「ナポリタンとイタリアンブレンドですね。承知しました」


 ビジネススーツの男性二人がテーブル席へと足を進める。先程までの悲痛な想いは心に閉じ込めて、帳は朗らかに笑っていた。きっと、心の中は悲鳴をあげているはずだ。


『帳さんに、私の気持ちなんか分かるわけない!』


 一番残酷な言葉で傷付けた。

 自分だって、帳の気持ちなど何も分かっていないというのに……。


 早く謝らなければと気持ちばかり焦ってしまい、死神は結局、開店前の掃除をしていたモップを強く握り締めたままその場に立ち尽くしていた。


「死神さん」


 呼ばれて顔を上げる。


「あなたも、席にどうぞ」


 カウンター席の左端。

 死神が初めてここへ来たあの日のように、綺麗に揃えられた指先が、まるで居場所を伝えるかのようにその椅子を差し示す。


「それとも、僕と話しをするのは、もう嫌になりましたか?」


 思い切り首を横に振った。目にかかる程の長い前髪が、死神の額の上で揺れる。

 今までよりもずっとたくさん、帳と話がしたい。


『全ては分からなくても……相手を知りたいから、自分を知って欲しいから、僕らは話すのだと思います』


 そう教えてくれたのは帳だ。


 この珈琲店の入り口にある小さな貼り紙には、【あなたの話を聞きます。ただ聞くだけ、何も解決いたしません】そんな一文が記されている。

 それは必死に分かりたいと願う、帳自身の祈りだったのだろうか。



「話がしたいです。帳さんと、まだまだたくさんの話がしたいです」


 カウンター席の左端に、死神は腰を下ろした。


「それから、私の話を終えたら、今度は帳さんの……あなたの話を聞かせてくれませんか? もちろん、無理にとは言いません」


 そして死神は、カウンターテーブルに額を打ちつけそうな程に頭を下げ、帳に向かって謝罪の言葉を告げた。


「先程は、あんな言葉で八つ当たりをして、ごめんなさい!」


 すぐに、死神の頭上に柔らかな帳の声が降る。


「僕の方こそ、死神さんを追い込つめるような物言いになり、ごめんなさい」


 顔を上げると、こちらに向かって頭を下げている帳がいた。


「いえ、あれは……ただの八つ当たりです。私の方が、ごめんなさい!」

「いえ、あれは僕が言わせてしまった。僕の方こそ、ごめんなさい」

「帳さんは何も悪くありません! 私です、ごめんなさい」

「死神さんは、悪くない! 僕のせいです、ごめんなさい」


 まるでメトロノームのように、互いが規則正しいリズムで順番にペコペコと頭を下げる。そして気づけば意地になって、交互に頭を下げ続けていた。


「いえ、私です!」

「いえ、僕です!」


「いえ、こちらが」

「いえ、こちら!」


「いえ、こちー」

「いえ、こち!」


 両者一歩も譲らず、何度も頭の上げ下げを繰り返した結果。死神も帳も激しいジェットコースターに乗った後のような吐き気に襲われ、頭を抱える。


 その時、テーブル席の常連二人から、やんわりとしたクレームが入った。


「さっきから、何やってんの?」

「ブレンドとナポリタンまだ?」


 平衡感覚を無くしヨボヨボになりながら、帳が水の入ったグラスを運んでいる。しかしグラスの水は全て床にこぼれ、底の方に水滴が残っているだけのグラスをお客様に差し出していた。

 死神はモップを握り、早く床の水を拭かなければと後を追う。けれど帳と同じくらいヨボヨボだった死神は、知らぬ間に足が逆走し入り口の扉に激突していた。その衝撃で、扉についたカウベルがとびきり呑気な音色を響かせる。



 カロンッ──。



「お客様。わたくしどもは、少々、横になるお時間を頂きます」


 そしてカウンター席のテーブルに、二人並んで突っ伏した。マスターと臨時の掃除係が青ざめた顔で転がっている珈琲店など前代未聞。見ようによっては傷害現場だ。



 しばらくして、死神がギュッと閉じていた目を開けると、同じタイミングで瞳を開けた帳と目が合った。


 口角が少し上がり、帳が微笑む。

 つられるように、死神も笑った。


 そして、まだ青ざめたままの互いの顔色を見て、そのあまりの情けなさに、どちらからともなく「ふはっ」と吹き出したのだった。



*読んで頂きありがとうございます!

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