終章
あれからいくつか季節が廻り、また春がやってきた。
この季節になるといつも、あの子がうちに来た時のことを思い出す。元気だろうか。進学したにせよ、就職したにせよ、もう社会人になっていることは間違いない。かわいい彼女でもできただろうか。あの子はいい子だからきっといい家庭を築けると思う。そう考えると心が温かくなった。
今でも気持ちの整理はついてはいない。でもこれでいいのだと思えるようにはなった。あの人が言ってくれた言葉がわたしの中で生きている。それだけでわたしは大丈夫だと思えた。彼はもう家庭を持っているのだろうか。彼ならきっと、いい旦那さんで、いいお父さんになっていることだろう。そう思うと少し胸が痛んだが、幸せそうにしている彼を想像すると自分も幸せな気持ちになれた。
思い出に浸っていると、彼に呼ばれた気がした。彼がここにいるはずはないのに。わたしはまだ彼のことが思い出にできないらしい。なんて未練がましいのだろう。自分で一緒にいないことを選んだくせに。
「沙衣さん。」
今度ははっきりと聞こえた。驚いて、声のした方へ振り向いた。そんなわたしの視線の先に彼が立っていた。
「結局、あなたのことが諦められなくて人間やめて追いかけてきてしまいました。」
そうやって笑う顔が眩しかった。夢か、幻か。こんなことがあるのだろうか。
「人間やめったって、どうやってですか。」
そんなどうでもいい言葉がわたしの口から出てきた。
「勘違いしないでくださいね。あの研究を進めて不老長寿になったわけじゃないですよ。決してやましいことはなにもしてないですよ。」
焦って言い訳をする姿がかわいく見えた。彼がそんなことをしないことぐらいよくわかっている。彼が自分の欲の為に人を害するなんてありえない。そう信じている。それを伝えると彼は優しく微笑んだ。
「世界中の様々な文献を調べて片っ端から当たりました。そうして渡った大陸で、ある人たちを見つけ出し、彼らの元で修練を積んで人間をやめました。」
あなたと共に生きたかったから。そう言った彼は少し逞しくなったように見える。それに確かに人間ではない気をまとっていた。人間が人間をやめるにはどれだけの覚悟が必要なのだろう。本当にそれでよかったのだろうか。嬉しい反面、不安にもなった。
「一方的に押しかけてしまってもしかして迷惑かもしれない、そうも思ったのですが。あなたへの想いが抑えられませんでした。今でも好きです。あなたの傍にいさせてください。」
その言葉で彼は変わっていないなと、そう感じて胸が熱くなった。人間をやめても彼は彼だった。わたしの良く知っている彼だった。彼からは人間をやめた後悔や未練は微塵も感じることができなかった。多分彼のことだから沢山のことを考えて、悩んで、そのうえで、それでもわたしを選んでくれたのだと思う。そのことがとても嬉しかった。
わたしは彼に抱きついて口づけをした。
「わたしも好きです。大好きです。」
彼は驚いた顔をして耳まで赤くしていた。
照れ隠しなのか彼は顔を背けて話し始めた。
「沙依さんに会いましたよ。」
聞き間違いだろうか。
「先程の話、少し訂正があります。俺が彼らを見つけたんじゃない。彼女が俺を見つけてくれた。沙依さんに会ったんです。彼女が俺を導いてくれました。だからこうしてここに来ることができました。」
そう言うと彼はわたしを抱きしめた。
わたしは今どんな顔をしているのだろう。
こんなに良いことばかり起きていいのだろうか。やっぱりこれは夢じゃないだろうか。
彼がわたしに口づけをする。
わたしを抱きしめるこの感触も、この胸の高鳴りも、全て本物だった。全て夢じゃなかった。幸せな気持ちが胸にあふれていっぱいになった。
それからわたした達は色々な話をした。思い出話も。お互いのことも。あれからどうしていたのかとか。話しは尽きることを知らず、いつまでも話し続けていた。




