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閉じた世界の先で  作者: さき太
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第二章 清水潔孝(しみずきよたか)

 妹と俺は双子だった。二卵性だから当たり前なのかもしれないが全然似ていなかった。妹は生まれた時から身体が弱く、特殊な施設内でしか生きていけないと言われていた。幸い清水家は医療分野に秀でた家で病院や研究施設も多数持っており、また技術や知識に長けたスタッフが大勢いた。俺の目には妹は健康そうに見えたがきっと自分には分からない何かがあるのだろうと思っていた。

 妹に戸籍がないことを知ったのは高校三年生の時、修学旅行で海外へ行く為にパスポートを取得する際に初めて自分の戸籍を見た時だった。その時になって、妹が誘拐されたとき誘拐犯が言っていた言葉を思い出し、それが事実だったのだと実感した。誘拐犯は言っていた。妹はここにいるべきではないと。ここにいたら不幸だと。だから連れて行くのだと。その時はふざけるなと思ったが、その時から本当は解っていた。誘拐犯に言われるまでもなく俺は以前から感じていたのだ。でもそれに気づかないふりをし続けていた。

 清水家が何か秘密を抱えている。それを感じ始めたのはいつのことだったろうか。本当はずっと昔から、それこそ物心ついたころから違和感を感じていたのかもしれない。それは妹が隠されていたからか、それとも妹のことを外で話してはいけないと言われたからか。もっと違う、それこそ勘のようなものだったのかもしれない。

 妹を見つけたのは偶然だった。親に連れてこられた研究施設で探検ごっこをしていたときに、忍び込んだ部屋で見つけたのだ。なぜこんなところにいるのか聞くと、親は病気だからと答えた。病気で施設から出れない妹がいると知れば心配するだろう、妹も元気な兄がいると知れば自分の置かれた環境を嘆いて辛くなるだろう、そう思って離していたと、そんな意味のことを言われた気がする。そして外では妹のことを話してはいけないと、病気のことが知られれば妹が辛くなるからと、そんなことを言い聞かせられた。

 それから毎日妹の所に通った。検査の時間でなければ一緒に遊び、学校に通うようになると妹に勉強を教えた。俺が妹の所に通うことに親はいい顔をしなかったが、強く咎めることもなかったので気にしなかった。幼いころの俺は脳天気で、将来は医者になって妹の病気を治すのだと本気で考えていた。俺が医者か研究員を目指すことに対しては親は喜んでいた。

 高校進学を控えた時、志望校ははこの地域随一の進学校として有名だったところに決めた。そこには自分と同世代の天才、政木忠次氏が教鞭をとっていた。「青春を謳歌せよ」という進学校とは思えないコンセプトを持ち、奨学金制度の充実や自由な校風でも有名でそれも魅力なのだが、その分とても人気も高く倍率が恐ろしいほど高い高校だった。医師を目指すにしてもベストな選択だったと思う。幸い通っていた市立中学での成績はよく、模試の結果もいつも合格圏内だった。ただやはり志望校を決めた一番の動機は政木忠次氏だった。俺は同世代の天才に興味があった。自分と三つしか年が離れていないのに、既に博士課程を修了しいくつかの研究や発明で名を残しながらも教師の道を選んだ。そんな彼と話がしてみたい。彼の授業を受けてみたい。そういう気持ちが強かった。その話をすると父親は渋い顔をしていた。

 「あれは失敗作だ。」

 そう呟いたのを俺は聞き逃さなかった。失敗作とは何だろう。その意味は分からなかった。

 無事志望校に受かり入学を果たして実際の政木先生を見たのは、入学式も終え新学期の挨拶でだった。政木先生の独創的な演説は凡人の俺には全く理解ができなかったが、きっと意味のあることなのだと思う。ほとんどの生徒は引いていたが、俺はやはり天才はすることが違うなと感心していた。

 政木先生と実際に話をしたのは二年生になってからだった。先生の担当する授業は面白くとても分かりやすかった。政木先生はとても気さくで、気取ったところもなく、尊敬できる人だった。他の生徒からは天才とバカは紙一重というけれどまさしくだな等と軽口を言われていたが、きっと先生はそれをわざとやっていると思う。

 政木先生はとても尊敬できる教師であったが、本人に会ってみてこの人がいまでも研究職を続けていたらなと思わずにいられなかった。研究職に残っていたら今でも素晴らしい発見や発明をしていたのではないか、ノーベル賞も夢ではなかったのではないかと思い、同世代の天才の活躍を見てみたかったという気持ちが膨らんでいた。

 ある日先生に、どうして教師になったのか聞いた。

 「学校って大学くらいしかまともに通ったことがなくてさ、普通の学園生活っていうのに憧れてたんだよな。ただやっぱり教師になっちゃうと完全に生徒に交じることはできないから、たぶん自分が求めていたものとは違うと思う。でもだからこそお前らが学園生活を楽しく満喫できるように努力しようとは思ってる。これはこれで楽しいよ。」

 なんだかはぐらかされたような気もしたが、そう言って他の奴らには内緒なと笑った顔が印象的だった。

 政木先生は不思議と人の心に入ってくる人だった。なんとなく安心できる。なんとなく信じてしまう。気が付くと胸の内を吐いてしまう。そんなところがある人だった。何度か話をするうちに、俺は妹のことを先生に話してしまった。あれだけ口止めをされていたのに。今まで誰にも言ったことはなかったのに。気が付いたら話していた。その話を聞いた時、先生は難しい顔をしていた。深く悩んでいる様にも見えた。そして口を開いた先生は俺にこう聞いた。

 「お前は家を継ぐ気はあるのか。」

 先生の質問の意味が分からなかった。

 「お前は清水家の技術や研究を継ぐ気はあるのか。」

 先生はそう言い直し、それに俺は即答した。

 「それで妹が普通の生活ができる様になるのなら、俺はうちの仕事を継ぎたいです。」

 俺の答えを聞いて、先生は何かを考えていた。

 「そうだな。まずは誰かの為じゃなくて、自分の為に、自分が何をしたいのか考えることから始めようか。」

 誰かの為というのは一見良い言葉だが責任を全部その誰かに押し付けてるってことだと先生は言った。誰かの為は良いが自分で選んだことの責任は自分で取らなくてはいけない。進んだ先でこんなはずじゃなかったと言っても誰も助けてはくれないと先生は言っていた。

 「たぶん家を継ぐことと妹を助けることは違う道だぞ。」

 なぜか辛そうな顔をして先生はそう言った。なぜ先生がそんな顔をするのか俺には分からなかった。

 高校生になっても俺は毎日妹の所に足を運んでいた。

 「そんな毎日来なくていいよ。シスコンって言われるよ。」

 妹はそんなことを言っていたが気にしなかった。そもそも妹のことを友達は知らないし、妹には俺しかいない。俺がいなくなれば妹の世界は閉じてしまう。俺は妹と世間がつながっていられる唯一のツールなのだ。それを断ち切るわけにはいかない。

 さすがにこの年になると親が妹を家族として見ていないことは解る。親が妹に向ける目は親のそれではなく研究者の目だった。多分それは昔から、俺たちが生まれた時からそうだったに違いない。そう思う。

 俺たちの親は根っからの研究者なのだ。俺のことだって研究に役立つかどうか見定めてるだけで、本当は興味がない。俺に関しては多分本当に興味がないのだと思う。

 昼間政木先生と話した内容を思い出す。俺のしたいことって何だろう。そういえば俺は自分の親が一体何の研究をしているのか全く知らない。妹の病気についても、長年通いなれたこの施設で何が行われているのかも、俺は全く知らなかった。今まで聞いたことがないわけではない。しかしその都度はぐらかされてきた。

 親戚、従兄弟たちからの視線。はたしてこいつは信用できるのか。そんな目で見られてきた。妹だけではない。思い返してみれば俺自身が清水家から一線引かれていた。何故だろう。今更思う。俺は清水家の何も知らない。

 「父さん達はいったい何の研究してるんだろうな。」

 呟いていた。

 「お兄ちゃんは知らない方がいいと思うよ。」

 妹は遠くを見ながらそう言った。

 「わたしはお兄ちゃんには清水家とは関係ない仕事についてほしいな。そして毎日じゃなくてもいいから、こうやってわたしの所に話に来てくれたらすごく嬉しい。」

 妹の笑顔を見て切なくなった。

 何も知らないのは俺だけなのか。そう思ったが妹には聞けなかった。本当のことを知ることが怖かった。妹が何かの研究対象にされていることは明白だったが、俺はその事実から目を背けた。妹は病気で入院しているだけ、妹の病気を治すために研究がされているだけ、そう自分に言い聞かせていた。こうして事実から目を背け、何も気付かないふりをして、そしていつも通りの生活を続けていた。

 そんな日々を繰り返していたある日、事件は起きた。妹が生活をしていた施設が何者かに襲撃されたのだ。俺はいつも通り妹に会いに来て、そしてその現場に居合わせた。がれきをよけ遠回りをしながらもなんとか妹の病室に駆け込むと、妹は誰かと話をしていた。ここの研究員ではない。とても背の高いがたいのいい男だった。

 男は俺に気が付くと襲ってきた。

 やめてという妹の声が聞こえた。

 幼少期から空手と合気柔術をやっていたが全く歯が立たなかった。あっという間に床に叩きつけられ、組み伏せられていた。多分あばらが何本かと腕をやられた。息ができなくて目がかすんだ。

 「お兄ちゃんは関係ないの。何も知らないし、わたしの味方だよ。」

 妹の声がする。

 「何も知らないから、だろ。」

 よく聞き取れなかったが妹と男が何やら言い争いをしていた。面倒くさくなったのか、男が妹を気絶させ担ぐ姿が見えた。何とか手を伸ばして男の足を掴む。

 「美咲(みさき)をどこに連れて行く気だ。」

 何とか声を絞り出すが、言葉になっていたかは分からない。

 「本来こいつの居るべきところだよ。」

 忌々しそうな声でそう言うと男は俺の手を払った。妹を連れてかれるものかと必死にしがみついた。男はそんな俺に色々と言ってきたが、俺はただ妹を守ろうと必死だった。

 「なぁ、兄ちゃん。あんたがこいつのことを大事に思ってることはわかったけどよ。本当にこいつの為を思うなら素直に行かしてくれないか?」

 男は困ったようにそう言った。その後もなにかぶつぶつ言っていた。 妹の為。それを聞いてハッとした。そして俺は手を離していた。気が付くと病院のベットの上だった。世間的には襲撃や誘拐はなかったことになっており、俺はひき逃げに合ったことになっていた。

 それからしばらくして、俺は妹が書類上存在していなかったことを知った。

 目標を失った俺は、医師や研究者を目指すことをやめ、教職に就くことを目指した。家業から逃げたということもあった。しかしそれだけではなく、何になりたいのか考えたとき、妹に勉強を教えていた時のことを思い出し人に物を教える仕事に就きたいと思ったのだ。

 大学進学と共に家から離れ、実家には一度も帰っていない。連絡も全くしていないが、あっちから連絡してくることもない。解ってはいたが、本当に親は自分に興味が無かったのだと実感して悲しくなった。いったい俺たち兄妹は何だったのだろう。

 妹は元気にしているのだろうか。妹は施設の外では生きられない。嘘だと解かっているがそれでも両親のその言葉が頭に響いて、妹がもう亡くなっているのではないかと考えてしまう自分がいた。

 あの時手を離すべきではなかったのではないか。もっと前からちゃんと現実と向き合っていればよかったのではないか。そんな意味のない後悔を重ねて空しくなった。最低でもちゃんと清水家の仕事や研究内容について知っていれば、あの時手を離したことが間違いだったのかどうかは分かる気がした。そう思ったが、今更知ってどうなるのかそう考えて、また現実から目をそらした。そんな現実逃避を続けながら日々を過ごし、気が付くと大学四回生になっていた。そして教育実習で母校に行くことになった。

 あそこには政木先生がいる。政木先生は元気だろうか。政木先生に話を聞いてもらいたい。政木先生ならこんな俺を導いてくれるのではないだろうか。そんな思いがあった。そしてそんなことを考えている自分が情けなくなった。俺は何歳になっても変わらない。もう生徒ではないのに先生に頼ろうとしている。そう思って乾いた笑いが口から漏れた。

 教師になるために実習に行くのだ。しっかりしなくては。子供たちに失礼ではないか。

 政木先生のような先生に憧れた。でも自分はあんな風にはなれないと思う。それでも憧れている分には構わないだろう。先生を見て勉強をさせてもらおう。気を取り直して、実習に臨む決心をした。

 結局実習が始まっても実習する学年も教科も違ったため、政木先生とは軽く挨拶した程度で話をする機会はなかった。

 実習は忙しくとても余計なことを考えている暇はなかった。しかし疲れのせいか時々幻を見た。窓の外、向かい側の教室に、廊下の向こうに、妹の、美咲の姿が見えた。授業に参加したり、学友とおしゃべりしたり、普通の学生生活を送っている美咲の幻を見た。幸せな幻覚だった。これが現実ならいいと思った。

 ある日のことだった。実習担当の先生から頼まれて二年生の教室へ教材をとりに行った。結局先生の勘違いで二年生の教室にはなく、手ぶらで戻ることになった。今の時代携帯電話でやり取りができるので便利だなと思う。

 授業に間に合うように急いで階段を下りていると、頭上で小さな悲鳴が聞こえた。振り向くと女生徒が倒れてくるところだった。とっさに身体を入れ込み支える。支えきれずに尻もちをついたが、うまく受け身をとることができたので問題ない。自分がいたところが階段の踊り場でよかったと思う。そうでなかったら二人とも大怪我をしていたかもしれない。

 「大丈夫ですか。」

 そう聞くと女生徒が顔を上げた。俺の顔を見て彼女はとても驚いた顔をしていた。多分俺も同じような顔をしていたと思う。その生徒は美咲だった。幻ではなかった。いや、ただ似ているだけの生徒かもしれない。でもこんなにそっくりな別人がいるのか。俺は混乱して言葉が出てこなかった。

 「少し痩せた?」

 美咲の声だった。それに自分のことを知っている。間違いない。美咲が生きていた。元気にしていた。

そう思ったら、止まらなかった。俺は美咲を抱きしめていた。美咲が生きていた。無事だった。元気にしていた。それが嬉しくて、嬉しくて、気持ちが抑えきれなかった。

 「清水先生。その方は清原沙依(きよはらさより)さん。美咲さんではありませんよ。」

 政木先生の声がした。その言葉にハッとして彼女の顔を見る。彼女は呆然とした顔で俺を見ていた。

 そして彼女の目から涙が溢れてぽたぽたと落ちた。

 「とりあえず保健室へ行きましょう。実習担当と沙依さんの教室には私の方で説明しておきます。」

 政木先生に促され、俺たちは保健室へ移動した。

 幸いなことに彼女も怪我はしていなかった。しかし彼女は静かに泣いていた。

 「今はそっとしておきましょう。清水先生もコーヒーでも飲んで落ち着きませんか。」

 政木先生はそう言って俺を学食に連れ出した。授業中のこの時間、学食には誰もいなかった。先生は自販機で缶コーヒーを二個買うと俺の前に一つそっと置いた。

 「美咲さんは妹さんだったね。公にはならなかったが君の妹さんが失踪していることは知っている。よかったら話してくれないか。」

 政木先生は優しくそう言った。君は昔から妹さん思いだったから当時は辛かったろうと言ってくれた。今まで誰もそんな声を掛けてくれたことはない。妹は存在していなかったのだから仕方がないことなのだとは分かっていたが、ずっと辛かった。あの時妹が誘拐されたと騒いで、事故のダメージによる幻覚妄想だと言われ続け、本当に辛かった。

 「妹は、存在していなかったんです。」

 妹はいた。しかし世間的には妹が存在した事実はなかった。世間からしたら妹は俺の妄想なのだ。だからこの表現が一番正しい。俺が何と言ったて誰も信じてはくれない。事実はそうなのだから。

 「書類上はだろ。」

 政木先生の言葉に驚く。

 「表向きの話はいいんだ。お前が何を見て、何を感じて、今どういう気持ちなのか。それが大切だろ。お前はここに通ってた頃俺に妹の話をしてくれた。お前に妹がいたことを俺は知っている。我慢するな。」

 肩に置かれた先生の手がとても暖かく感じた。

 俺は全てを先生に話した。高校生の時に話さなかったことも全て、先生に打ち明けた。自分がいかに卑怯で情けない人間なのか、勇気がなく、大切なことからずっと目をそらしてきたことも、全て、全てを正直に先生に話した。先生は話を黙って聞いてくれた。聞き終わるとなぜか頭をがしがし撫でられた。

 「お前は頑張ったよ。」

 たった一言、その言葉が胸にしみた。まるで高校生の頃に戻ったような気持だった。

 妹が生きていたとしても、俺と同じで二十二歳。高校生だったあの時と変わらない姿でいるはずはない。妹だって大人になっているはずだ。

 「絶縁しているようだったから沙依さんにもお前にも話さなかったんだが。実は清水家と清原家は親戚筋でな。沙依さんがお前の妹に似ているのも遺伝子の悪戯かもな。」

 政木先生の言葉に納得する。写真でしかみたことはないが長生きだったという大婆様に、美咲はよく似ていた。親戚なら似ていてもおかしくないのかもしれない。勘違いして抱きしめてしまい、驚かせて泣かせてしまった。申し訳ないことをした。そう思った。

 保健室に戻ると沙依さんは起きて男子生徒と話していた。男子生徒は沙依さんの従兄で伸茂君というらしい。階段で沙依さんを助けたことを感謝された。

 「先程はありがとうございました。少し驚いてしまい迷惑をかけてすみませんでした。」

 何から話すべきか悩んでいると、沙依さんの方から声を掛けてくれた。

 「いえ、こちらこそ。お怪我が無いようで何よりです。」

 無難な挨拶をして、ぽつりぽつりと話をした。彼女に全ては話せない。それでも何故あんなことをしてしまったのかは説明すべきだろうと、言葉を選んで話をした。彼女も俺の話をじっと聞いてくれた。

 「わたしは妹さんにそっくりなんですね。」

 なぜか淋しそうに彼女は言った。そっくりなんてものじゃない。声も顔も本当に瓜二つだと思った。

 「実はあなたもわたしの大切な人によく似ているんです。お互い大切な人の幻を追っていたんですね。」

 いるはずのないことは解っていたけれど、目の前にしたら思いが止められなかったのだと彼女は言って笑った。見た目は幼いけれど、高校生にしてはずいぶんと大人びた子だなと思った。そして何があったかは分からないが彼女も自分と同じなのだと痛いほど理解できた。

 多分、俺も彼女と同じように途方に暮れたような顔をしているに違いない。笑ってはいるが、その顔は迷子になってしまった子供のように見えた。

 家に帰って、引き出しの奥にしまってあった写真を出す。昔こっそり施設内にカメラを持ち込み妹と一緒に撮った写真。改めてみると本当に沙依さんは妹と瓜二つだった。遺伝子の悪戯か。お互いに近しい人に似ているなんてそんな偶然があるものなのだなと感慨深いものを感じた。

 こんな偶然あるものなのだろうか。いや、偶然でなかったら何なのだろう。誰かの意図なんて、そんなものがある意味が分からない。意図があるのならいったいどんな意味があるのだろう。そんなどうしようもないことをぐるぐると考え続けた。でもなんとなく妹のことも沙依さんのことも何かあるのではないか、そんな気がしてならなかった。繋がりのない話ではなくなにか自分の知らないどこかで繋がっているのではないか、そんな気がした。

 こんなこと考えても仕方がない、そう思ったが、なんとなくこの直感を無視することが、また逃げることになるような気がして、何かをしてみようと思った。いったい何ができるのかは分からないけれど、とりあえず何かをしてみよう。そう決めた。

 次の日の放課後、政木先生を捉まえて話をした。先生は始終難しい顔で話をきいていた。

 「少し時間をくれないか。」

 先生はそう言った。先生は何かを分かっている様子だった。何か知っているのなら教えてほしかった。なんでも包み隠さず知りたかった。

 「少し待ってくれ。数日でいい。必ずお前にも話をするから。」

 先生は少し焦っている様子だった。先生のそんな姿を俺は初めて見た。

 今は実習に集中しろと先生は言った。実習が終わったらアパートに訪ねに行くと。その時に自分の知っている全てを教えると約束してくれた。

 「ただ、聞かない方がいいこともあるぞ。」

 先生はそう言った。お兄ちゃんは知らない方がいい。妹にそう言われたときのことを思い出した。

 「もう逃げたくないんです。俺は全てを知ってそのうえでどうするのか、どうすべきなのか考えたい。覚悟はできています。」

 俺の言葉を聞いて政木先生は困ったような顔をして笑った。

 「俺が話をするときは沙依さんにも妹さんのはなしを詳しく聞かせてあげてくれないか。あの人もそれを聞く必要がある。」

 彼女も知るべきなんだと思う。そう先生は言った。その意味は俺には分からなかったが、きっと必要なことなのだろう。俺は政木先生を信じて全てを委ねた。

 次の日から先生は休暇をとっていなくなった。どこに行ったのかは分からない。けれど先生は約束を果たしてくれると信じている。

 俺は残りの実習期間を集中して精一杯頑張った。相変わらず忙しく子供たちの相手は思っていたより難しかったが、なんとか乗り越えることができた。クラスでお別れ会を開いてもらい、色紙など記念品を受け取った。自分が高校生の時も同じようなことをやっていたが、いざ自分が受け取る側になると、嬉しいような恥ずかしいようなむずがゆい気持ちになった。

 教育実習が終わりを告げた。今日が約束の日。もしかしたら明日なのかもしれないが。政木先生はまだ復帰していない。先生は本当に来てくれるのだろうか。本当に全てを教えてくれるのだろうか。覚悟はできていると言ったが怖くなる。事実を知って俺はどうするつもりなのだろう。

 人を待つ時間はとても長く感じる。ただただ、俺は政木先生が訪ねてくれるのを待っていた。


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