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閉じた世界の先で  作者: さき太
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第三章 清原沙依(きよはらさより)

 役所から連絡が来たのは春のことだった。内容は遠縁の男の子を引き取ってほしいということだった。話によるとその子は何年か前に事故で家族を亡くしその後親戚の家を転々としていたらしい。今年高校二年生とのことだが今保護者をしている家族が経済的な理由から面倒をみれなくなり、また児童保護で守られている年齢も超えている為に養護施設にも入れず困っているとのこと。うちで引き取らなければ高校中退で放り出されるというわけだ。

 なんて無責任な話だとも思うが、所詮他人の子。自分の子にさえ無責任な親がいるのだ、他人の子はなおさらなのだろう。子育てなど久しくしていないが、その子はもう十七歳、昔ならとっくに成人している年だし大丈夫だろう。そう考えて引き取ることを決めた。

 その子の名前は清原伸茂(きよはらのぶしげ)というらしい。夫と同じ苗字ということは夫の親戚筋なのだろう。夫も火事で家族を失い天涯孤独といってもいい身の上だったが、親戚がいたのだろうか。役所が調べたことなのだからきっと間違いはないだろうと思う。

 久しく一人暮らしをしていたため用意しなくてはいけないものが沢山ありそうだ。買い出しに行こうかと考えやめた。今使っているものを持ってくるかもしれないし、なくても自分の趣味でそろえたいだろう。しばらくは夫が使っていた部屋と来客用の布団を使ってもらえばいい。布団を干して部屋を掃除しておかなくては。そんなこんなとばたばたしている間に日が暮れた。

 実際に本人に会ったのはそれから一ヶ月ほどたってからだった。役所の人に連れられてやってきた彼は、背は高いがひょろっとしていて心配になった。そしてとても憮然とした表情をしていた。なぜか役所の人も戸惑っている様子でわたしのことを見ていた。

 「あんたこの家の孫かなんか。俺のこと引き取るってばあさんはどこ。」

 最初に彼が言った言葉はそれだった。

 わたしがそのばあさんだと言ったら、なぜか嘘つき呼ばわりをされ怒りだしてしまった。なぜこんな言われようをされなくてはならないのか分からず、怒りたいのはこっちの方だったが、なだめて2人を家の中へ案内した。

 役所の人はずいぶんと若く見えますね、と言っていた。そう言われ、そういえば人間は年齢と共に肉体に変化がある生き物だったと思い出した。わたしは人間でなくターチェだから、精神の成熟に比例して肉体が変化する。たいていはある程度成長すると成長が止まってしまう。娘がいたときはちゃんと母親に適した年齢に見えていたそうだが、一人が長かった今はどのくらいの年齢に見えるのだろう。訓練をすれば自分の思い通りの年齢に見た目を変えることができるらしいが、わたしは訓練をしていないのでそれができない。ターチェの認知度が壊滅的なので驚かれるのも無理はないのだろう。夫は全く気にしていなかったが、昔は化け物呼ばわりされたこともままあったことを思い出した。

 役所の人とやり取りをしている間、彼はずっと黙っていた。なんとも難しい顔をしてわたしの方を見ていた。今まで一度も会ったこともなかった遠縁の親戚に引き取られるのだ無理もないだろう。まして親戚をたらいまわしにあっていたのだ不信感があっても仕方がない。徐々に打ち解けてもらえればいいと考えていた。

 役所の人が帰った後彼に、私のことはお母さんと呼んでくれて構わないと言ったら怒られた。年齢を考えたらお母さんと呼ばせるなんておこがましかったかと反省し、おばあちゃんと呼んでほしいと提案したらさらに輪をかけて怒られた。なぜだろう。やはり今日からここに住むとはいえ、いきなり慣れなれしかったのだろうか。わたしと家族になることが嫌なのだろうか。

 そもそも考えてみれば彼にとってはそれ以外に選択肢もなく、しかたなしにここに来たのだ。高校を卒業するまでの我慢と思っているのかもしれない。家族になるとはたやすいことではないのだ。久しぶりに家族ができると少し浮かれていた自分が情けなく思った。

 気を取り直して、まずは慣れてもらうところから始めようと家の中を案内した。夫は職業柄沢山の本を読み、また沢山記録をつけていた。そのため家には書物があふれている。そしてこの家は夫の隠れ家の一つだったところで、元々書籍置き場になっていたためほとんどの部屋が書庫化している。その為生活空間はほとんどない。その本の多さに彼はとても驚いていた。

 この部屋を使ってほしいと夫が使っていた部屋に案内すると、本棚に囲まれて威圧感があると苦笑いしていた。それでもそこを使うことを嫌がらず荷解きをしていた。彼の荷物は少なく必要最小限のものしかないように見えた。いるものがあれば買いに行こうと提案するが、充分だと断られた。欲が少ないというか、何も期待しないようにしていると感じた。必要以上を人に頼ることを拒絶しているように見えた。

 その後も、食べ物の好き嫌いはないか、趣味は何かなど色々話しかけてみたが、彼は口数が少なく、自分からは何も話してはくれなかった。そういえば夫と出会った時のわたしはこんな感じだったなと思った。あの時のわたしは誰かとつながることを拒絶していた。正直、毎日のようにやって来て話しかけてくる夫のことを邪魔にさえ思っていた。ほっておいてほしい。関わらないでほしい。そう思っていた。今の彼はあの時のわたしと同じなのかもしれない。どう接したらいいのだろうか。夫は不思議と人の心に入ることが上手かった。誰とでもすんなり仲良くなれる人だった。わたしは夫のようにはできない。ならどうしたらいいのだろう。久しぶりに夫が恋しくなった。こんな時あの人がいてくれたらと思うが、夫はずいぶんと昔に亡くなっている。いない人間は頼れない。

 自分がしっかりしなくては。彼が認めてくれなくても今の彼の保護者は自分なのだ。保護者の不安は子供に伝わってしまう。揺らがず、ぶれず、家族として接していけばきっと大丈夫だよね。わたしはそう自分に言い聞かせた。

 次の日は久しぶりに早起きをして高校に持っていくお弁当を用意した。伸君はひょろりとしているが夫と同じくらい背が大きいからきっと同じくらい食べるのだろう。夜はそれほど食べなかったが、来たばかりで遠慮していたのかもしれないし。そう考えて腕を振るって重箱三段のお弁当を用意した。

 伸君が出かける時に声をかけておいたのだが、気が付くとお弁当は朝用意した時のまま玄関に置かれていた。この家から学校に行くことは初めてだから気が焦っていたのかもしれないし、単純に気づかなかったのかもしれない。学校には学食や購買もあるようだがお金を持っていたのかも分からないし、もし持っていなかったら大変だ。そう思ってわたしはお弁当を届けることに決めた。

 ほとんど近所から出たことが無かったので、道に迷ったらどうしようかと不安だったが、親切な人たちに助けられながらどうにか高校にたどり着くことができた。受付で要件を伝えると今は休み時間の為直接教室に行ってもよいとのことで、教室の場所を教えてもらった。放送で呼び出してもいいのだが、直接他生徒の前で要件を済ませた方があらぬ誤解を生まずに済むだろうとのことで、この学校がとても配慮してくれていることを感じた。家から通える距離に学校があり伸君が転校せずに済んだことを良かったと感じた。

 教室につくとクラスメイトが伸君を呼んできてくれた。

 お弁当を忘れていたので届けに来たことを伝えて渡すと、これが弁当だったとは思わなかったと言われた。こんな量を一人で食べられるわけがない、何を考えているのかと怒られてしまい。わたしは困惑した。伸君ぐらいの大きさがある人はこれくらい食べるのだと思っていたと伝えると、頭を抱えられてしまった。何か大きな勘違いをしていたらしい。次からは気をつけなければ。お金も持っているとのことだったのでお弁当は持って帰ろうかと思ったが、もったいないから食べると言って受け取ってくれた。伸君はそっけないが優しい子なんだと思った。

 「どこのクラスの生徒だ。私服登校は禁止だぞ。あともう休憩時間は終わるからさっさと教室に戻りなさい。」

 後ろから声がした。どうやら生徒と勘違いされてしまったらしい。誤解を解こうと振り向くと、なぜか驚いた顔の男の先生が立っていて、ここの生徒ではないですよねと聞かれた。不審者と勘違いされたのかもしれないと思い、慌てて事情を説明する。事情を話すと、ここではなんですから別室で話しましょうと生徒指導室に案内された。

 まず誤解して失礼な態度をとってしまったと謝罪を受け、先生は自己紹介をしてくれた。名前は、政木忠次(まさきただつぐ)。伸君の担任をしているらしい。簡単に学校での伸君の様子を話してくれ、今までの事情も話してくれた。

 「清原の保護者がまた変わると知っていましたが、まさかあなたのように可憐な女性だったとは思っていませんでした。彼は今ではどちらかというと放任されていたので、些細な事情で学校まで足を運んでいただいたことに驚いています。あなたのような方が保護者で安心しました。」

 政木先生はそんなことを言って、伸君のようなケースがいかにケアが必要か、学校と家がより密に連携をして支えなければならない等と熱く語ってくれた。こんなに親身になって思ってくれる担任の先生がいてくれて良かったなと思った。

 「そこで、より清原のことを知るためにも実際あなたも学校に通ってみてはどうですか。」

 先生はいきなり立ち上がるとわたしの手を掴み力強くそう言った。

 どこからか女子用の制服を出してきてわたしに渡す。

 「とりあえず制服を着てみて、今日半日試しに見学してみて下さい。着替えている間私は席を外していますので。」

 そう言うと教室から出て行ってしまった。

 取り残されて、なんとなく制服に着替えてみる。不思議とサイズがぴったりだった。制服という物を着たことが無かったので少し気分が高揚した。くるくる回っていると政木先生が戻ってきた。

 「思った通り良くお似合いです。丁度、昼休みの時間になったので教室で昼食にしましょう。」

 そう言って伸君の教室に案内された。

 教室に行くと伸君に凄く嫌そうな顔をされ、なんで制服を着ているのかと聞かれた。事情を離すと伸君は頭を抱えてしまった。政木先生はああ言っていたけど、保護者が一緒の教室にいるということは嫌なことなのだろう。やっぱり帰ろうかと思ったがクラスメイト達にも教室に招かれ入ってしてしまった。そしてなぜか伸君と先生とわたしで、お弁当を囲んでいた。伸君に多いと言われたお弁当は、3人で食べるとあっという間になくなってしまった。主に政木先生が食べていたような気もするが、伸君もお腹いっぱいになったと言っていたので丁度良かったのだろう。

 放課後の教室で政木先生に呼び止められた。

 「私とお付き合いしてください。あなたほど完璧な女性は他にはいない。」

 意味が分からなかった。

 いきなりのことで混乱しながらもなんとかお断りの返事をするが、政木先生は全く引かなかった。何とかその場を切り抜けお付き合いは保留になった。

 その日から、わたしは生まれて初めて学校に通学することになった。

 授業というものは面白く、特に歴史は、自分が見てきたことと教科書に載っていることが違っていたり、大げさになっていたりと、間違い探しや物語を読んでいるようで面白かった。大概の授業は問題なく過ごすことができたが外国語だけは全く理解することができなかった。さすがにこの時代、外来語を全く知らずには生活出来ないので身近なカタカナ表記の外来語が何を意味しているかぐらいは分かるが、外国語を読み書きすることはわたしには不可能だった。夫や娘と暮らしていた時代は外国語ができるのは極限られた人間で、そもそも外国とのやり取りが原則禁止されていた時代だから学ぶ場所などなかった。しかし今の時代は幼いころから外国語を学ぶことが主流らしい。外国語が全くできないということは信じられないことのようだ。

 途方に暮れていると政木先生が補習の申し出をしてくれた。なぜかとても嬉しそうな様子だった。最初、教材がそろっているとのことで政木先生のお宅で勉強を教えてくれるとの話だったがなぜか伸君が凄く怒ていたため放課後の教室で居残り授業となった。政木先生の教え方は上手で、一ヶ月もすると授業についていけるようになった。理解できるようになると面白いもので学校がますます好きになった。

 補習が無くなると放課後暇なもので、政木先生から部活動に参加してみてはどうかとの提案を受けた。部活動とは何か分からずとりあえず伸君の部活を見学させてもらった。伸君は弓道部に所属しているとのことで、ついていくと弓術の練習場があった。伸君は弓兵にでもなるつもりなのだろうか。しかし動かない的を時間をかけて定めて討っても腕は上がらないのではないだろうか。そんなことを考えていると、部長という人が弓道とは何かということを説明してくれた。どうやら今の弓術は、戦場で戦うための術ではなく、己のを高めるための精神鍛錬の意味合いが強いらしい。

 結局わたしはどの部活にも所属せず、放課後は速やかに帰宅し買い物や家事をし、伸君の帰りを待つという生活が定着した。

 時々政木先生が車で送ってくれ、ついでに日用品などの買い物を手伝ってくれ、そのまま夕飯を食べて帰ることがあった。そんなことを何度か繰り返していると、学校では先生でいいですが外では忠次と呼んでほしいとお願いされた。それから政木先生のことを忠次さんとお呼びするようになった。

 伸君は相変わらず口数が少なくあまり話をしてくれなかった。学校では友達と仲良く話しているところを見かけるし、忠次さんとは垣根無く接しているように見える。やはりわたしが距離を置かれているのだろうか。それでも他の誰かとちゃんと繋がっているのなら良かったと安心できた。長期休暇にはお友達を連れてきてくれたことがあった。ここを自分の家だと思えるようになったのかもしれないと、ほっとした。

 伸君は他に身寄りがない。わたしにももう身寄りはないから、この家や財産を伸君が自由にできる様にしておかなくてはと思った。そんなことを考えて、今まではこの家で思い出に浸り変わらない生活を満喫していたが、伸君が来てからは自分も変化しなくてはいけないと感じていることに気が付いた。

 伸君が成人したら夫との約束を一人で果たしに行こうか。一緒に行くって約束していたけれど、その前にいなくなっちゃうんだもんな。あれからなんとなくずっとここに居続けてしまったけれど、そろそろそれも退き時なのだろう。伸君が自分の手からはなれたらわたしはここから消えよう。そして自分の故郷を探しに行こう。わたしはそう決心した。

 「お前や隆生(たかなり)が生きていたんだ。他にも生きてる奴がいるさ。まずはお前の故郷にあいさつに行って、そこに誰もいなかったらあてもなく探しに行こうか。」

 夫の言葉を思い出す。娘が嫁いだ時、夫は今で言う早期退職をしてわたしの為に一緒に旅をしてくれると言ってくれた。その約束は果たされなかったけど、その気持ちが嬉しかった。

 伸君が来てからよく夫のことを思い出す。見た目はだいぶ違うけど、忠次さんはどことなく夫に似ている気がする。もし人間の魂も転生するのであれば、忠次さんは夫と同じ魂を持っているのかもしれない。そんなことを考えて知らずに笑みがこぼれていた。

 伸君が来てからは時間が過ぎる速度がとても早く感じた。彼がうちへ来たときは春だったのに、あっという間に夏が過ぎ、気が付けば木枯らしが吹く季節になっていた。学校生活にも慣れ、それはすっかりわたしの日常になっていた。普通の高校生。今のわたしを表現するならきっとそんな感じだろう。

 ある日わたしは学校で幻を見た。夫の、勢三郎(せいざぶろう)の姿を学校で見かけたのだ。そんなはずはない。勢三郎はずいぶんと昔に亡くなっている。しかしその姿はあまりにも鮮明で、わたしの記憶の中の夫そのものだった。最近夫のことをよく思い出す。そのせいかもしれない。あまりにも今の生活が幸せで、勢三郎と共有したいと、そう思っているから幻をみるのかもしれない。

 また勢三郎の幻を見た。思わずわたしはその姿を追って階段から足を滑らせていた。視界が回る。受け身をとろうと構えた時に、階段の下にいた誰かがわたしの身体を支えてくれた。

 「大丈夫ですか。」

 そう言ったその声がわたしの良く知る声と重なって、驚いて顔を上げた。その先には夫の姿があった。幻ではなかった。確かにそこに夫がいて、わたしに触れていた。

 「少し痩せた?」

 わたしの口から出た言葉はなぜかそれだった。夫は驚いた顔をして、そしてすぐ泣きそうな顔になり、わたしを強く抱きしめた。

 「元気にしてたのか、美咲(みさき)。無事でよかった。」

 夫の口から出てきた名前は全く知らない人物の名前だった。どういうことなのか解らずわたしは混乱した。

 「清水先生。その方は清原沙依さん。美咲さんではありませんよ。」

 忠次さんの声がした。

 清水先生。この夫によく似た人は先生なのか。やはり夫ではなかったのか。それにしてもこの人は本当に勢三郎によく似ている。わかりきっていたことなのに、夫ではなかったその事実が胸に刺さって涙が溢れてきた。

 涙が落ち着いた後、改めて清水先生と話をした。わたしは清水先生の妹と瓜二つらしい。清水先生の妹は病弱で、ずっと外に出たことがなかったそうだ。ところがある日、誘拐されてそのまま行方不明になってしまったという。親から施設の外では生きていけない身体だと聞かされていたため、誘拐されて何年もたつ今、妹が生きているとは思えないと清水先生は言っていた。しかしその妹に瓜二つなわたしを見て、妹が生きていたのかと思ってしまったらしい。清水先生もわたしと同じで大切な人の幻を見ていたのだ。

 わたしは夫の墓の前で呆然としていた。

 気が付くと忠次さんが傍にいた。

 幻を追って、現実を認識しなおして、そして傷ついた。そんなとりとめもない話を忠次さんはじっと聞いてくれた。ただ傍にいて聞いていてくれた。そしてわたしの涙が尽きたころ、彼は言った。

 「清水先生が旦那さんに似てるのも、先生の妹さんが貴女に似てるのも、遺伝子の悪戯かもしれませんね。」

 わたしは困惑した。

 「清水先生はあなたの直系ですよ。だから似ることもあるんじゃないですか。」

 そんなはずはない。わたしはそう思った。だって清水先生にはわたしの血は混ざっていない。どんなに薄くなったとしてもわたしの、ターチェの血が混ざっていれば分からないはずがない。清水先生にはターチェの血は混ざっていない。どういうことなんだろう。意味が全く分からなかった。

 家に帰って本の間に挟んであった写真を取り出した。娘が嫁ぐとき記念に撮った家族写真。当時は写真は珍しく庶民が撮れるようなものではなかったが、娘の嫁ぎ先が名のある家柄で、貴重品であった写真機を使用することができたのだ。唯一の家族写真。出して見ればすぐボロボロになってしまうので、大事に、普段は見ないようにしまっておいたその写真。わたしの記憶違いではなかった。そこに写っていた夫の姿は清水先生そのものだった。似ているという次元ではなく、本人そのものだった。血がつながっていないのにこんなに似ることはあるのだろうか。

 忠次さんの言っていた言葉が脳裏をよぎる。忠次さんの言っていたことが本当だとするとこれはどういう事なのだろう。わたしによく似た妹とはなんなのだろう。とても嫌な予感がした。

 その日からわたしは学校へは行かず清水先生の実家について調べていた。諜報活動など久しくしていなかったが案外とたやすく調べることができた。結果を知った時、わたしは自分が何をなすべきなのか分からなくなった。それはあまりにも耐えがたい事実だった。人間とはかも浅はかで残酷な生き物だったのかと眩暈がした。

 娘と結婚した一太郎さんは真面目で誠実な人だった。娘を愛し、慈しんでくれる人だった。しかし名家の跡継ぎであり、その親族は傲慢だった。娘が嫁ぐにあたり、わたし達に娘との縁を切るように迫ってきた。一太郎さんはそんな親族と戦いわたし達を親と敬ってくれたが、人間でないわたしが近くにいるべきではないと、わたしは娘と縁を切り姿をくらませた。遠くからずっと見守っていたが、一太郎さんは娘をそれはそれは大事にしてくれた。一太郎さんの親族も娘には何もしなかった。生前は。

 清水家はその一太郎さんの家系で、医療関係において勢力がある家柄だった。忠次さんの言う通り清水先生はわたしの直系子孫だった。

 昔から人間が最後に求めるのは不老不死の身体と相場が決まっている。清水家はその研究をしていた。わたしの娘の、静江(しずえ)ちゃんの遺体を使って研究を行っていた。わたし達ターチェは不老でも不死でもない。しかし人間からしたらそれに近いものなのだろう。そのターチェの血を濃くついだ静江ちゃんは老いる速度が遅く、寿命が六十と言われた時代に二百歳まで生きていた。その長寿の秘密を探ろうと、清水家は静江ちゃん遺体の研究を続けた。そして化学が進んだ現代、静江ちゃんの遺伝子の中にその秘密を見つけてしまったのだ。そしてさらなる研究と実験の結果、清水先生兄妹が生まれた。静江ちゃんの遺伝子からわたしと勢三郎を作り出したのだ。

 清水先生は知らないだろうが、妹の美咲さんは不老長寿の技術開発の為のモルモットであり出生届も出されていなかった。病弱で施設から出られないのではなく、世間から隔離され人体実験を繰り返されていたのだ。美咲さんを誘拐したというのも、もしかしたら清水家と同じような目的を持った組織かもしれない。それならばその先は結局清水家にいた時と変わらないだろう。もしかしたらもっとひどい目にあっているかもしれない。わたしのせいだ。わたしが浅はかにも人間と添い遂げて子供をなし、ここに居続けてしまったせいだ。清水先生の不幸は全部わたしのせいだった。

 わたしは山の中腹の見晴らしのいい場所に立っていた。ここからは町が一望できる。長い間住み慣れた町だがこうやって眺めることは久しくしていなかったように思う。町もずいぶん変わった。昔は、そもそも暮らし始めた当初はあの家しかなく、町どころか集落ですらなかった。

 変わらないのは自分だけだった。

 自分の行いが何を生むのか。そんなこと何も考えていなかった。

 龍籠(りゅうしょう)が滅びたあの時。自分だけが生き残ってしまったと思っていたあの時。一人で生涯をまっとうしようと考えていたあの思いを変えるべきではなかったのだ。そうすれば清水先生は、先生の妹は苦しまずに済んだのだ。あの時勢三郎のもとに行かなければ。いや、勢三郎と子をなさなければ。いや、やはりわたしがここにいることが間違いなのだ。

 幸せだった。勢三郎と出会い、祝言を上げ、娘を授かり、嫁がせて。本当に幸せだった。その幸せを得ようとしてしまったことが間違いだった。きっとそういうことだ。

 「人は弱いから自分より強大なものが恐ろしい。恐怖には勝てないから狂気に走ってしまう。そして人間は短命だから欲に打ち勝つことは難しい。いつかやればいいなんて、じっくり考えてからでいいなんて悠長に構える時間が人間にはないんだよ。」

 誰が言っていたのだろう。達観しているのか諦めているのか分からないそんな台詞。龍籠が攻め込まれたときに、大勢が怒る中で冷静に言っていた。生きるためには戦わざるを得ないがそれは向こうも同じなのだと。勘違いでも戦わなければ生きられないと思うからこそ必死なのだと。感情に流されず、我々は我々の誇りを守り、人として戦いぬくべきだと説いていた。あれはわたしだったか。わたしが言っていたはずだ。なんで思い出すとまるで他人が言っていたことのような気がするのだろう。この身体がわたしの物でないからか。この身体が見てきた記憶がそうさせるのか。

 久しぶりに龍籠、わたしの育った国のことを思い出した。もう長いこと思い出すこともなかった。そういえばここは初めて養父に合った場所に似ている。生まれた村から逃げ、龍籠を目指し進んだ先でこんな場所があった。見晴らしがよくそこから龍籠の城壁が遠くに見えた。あと少しだったが、子供だった自分たちにはそのあと少しの距離が絶望的だった。身体のあちこちは傷だらけで、もう体力は尽きかけ、その場から動くことは難しかった。わたしは崖の縁に腰かけ眼下の景色を眺めていた。

 あの時わたしは何を考えていたのだろう。目指すところを目の前にして力尽きようとしているその時、崖から身を投げることでも考えていたのだろうか。たどりつけないのであればいっそと。そんな風ではなかった様に思う。あの時まるで待ち合わせでもしていたかのように養父があらわれ、わたしたちを龍籠に連れて行った。そう、わたしには未来視の能力があった。だからあの場所で養父に合えると解かっていて待っていたのではないだろうか。そういえばいつから未来が視えなくなったのだろう。以前はどうやって未来を視ていたのだろう。能力のコントロールが下手で、気を抜くと勝手に未来が視えていたのではなかったか。そのため義叔父から術師が作ったという能力を抑える腕輪を与えられてはめていたのではなかったか。今は腕輪をはめていない。でも全く未来を視ることはない。わたしたちの能力は魂に起因するものだから、身体が変わったところで能力が無くなるはずはないのに。そう考えて愕然とした。

 あぁ、そうか。そもそもの間違いはそこからだったのか。

 わたしは沙依ではなかったのだ。わたしは沙衣(しょうい)。沙依の血肉で作られた身代わり人形。沙依を守るために作られた呪具ではないか。わたしは身代わり人形でありながら沙依を守ることができなかった。主人を亡くして自分が生き残ってしまったことに耐えられなくて、沙依の魂を自分の身体に入れ替えたことにしていたのだ。死んだのはわたしで沙依は生きていると、ずっと沙依のふりをして生きてきたのだ。

 なんて愚かなのだろう。本物の沙依ならきっとわたしのような間違いはおこさなかっただろう。それに勢三郎は沙依のふりをしたわたしを選んだのだ、わたしじゃない。沙依のふりなんてしなければ勢三郎と添うこともきっとなかったのだ。最初から現実を受け止めていればこんなことにはならなかった。全てはわたしの罪だ。

 そうだ、せめてこの罪を繰り返さないようわたしはここで終わりにしよう。本来主人を守るために生まれたこの身にもう価値などないのだから。

 沙依の養父、行徳(みちとく)と出会った時とは違う。わたしはここで誰かを待っていたわけではない。ターチェに自殺は禁止されているが、わたしはそもそも本物の純粋なターチェですらないのだから関係ないだろう。ただ一歩踏み出せばそれで終えることができるのだ。そうしよう。伸君をまた一人ぼっちにしてしまうけど、一年未満の家族ごっこ。そもそもわたしのこと家族なんて思ってくれていないのだし、経済的に余裕があるのなら一人の方が気楽だろう。

 ここ数か月のことを思い出す。娘が嫁ぎ、夫を亡くし、それから長いこと一人でいた。夫との思い出に浸りながら、没交渉となった娘のその先に思いを馳せながら、日々をつつましく生きてきた。そんな中に伸君がやって来て、初めて学校にも通い、にぎやかな毎日が訪れた。伸君は嫌だったかもしれないけれど、わたしはそんな生活がとても楽しく、幸せだった。

 わたしを支えてくれた全てのものに感謝を。わたしが犯した罪に贖罪を。その思いを胸に、わたしは一歩踏み出した。


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