プロローグ
ズザ…
だらりと垂れ下がった左腕の先で、また剣が重くなった。
「どうした! もう終わりか!」
若干赤みがかった視界の先で、漆黒のローブをまとった少年が狂ったような笑みを浮かべていた。長い前髪の中では、かつて親友であったもののブァイオレットカラーで透き通った輝きが見えた。
「…うっとおしい」
かろうじて動く右手を振り上げ、少年へと向ける。銀色の輝きを持った魔法陣が幾多も現れ、光の槍が一条の線を作りながら向かっていく。
ムカつくほどひょうきんな仕草で、彼は足元の看板を蹴り上げた。{憩いの湯}と書かれた看板は、割れてはいるものの鏡のように輝いていて、見事に{ライトニングアロー・劣化版}を打ち消した。
無駄に顔をしかめながら、彼は服についたホコリをはらうしぐさをして、「あぶないあなぁ」と微笑んだ。すべてが作り物と言えるその顔に向けて、左腕の剣は閃いていた。{兜割り}と呼ばれる初級スキルは、視界から外れる系統の刀技では最速を誇るものである。
打ち下ろされる太刀筋を、ただ彼は冷たく見ていた。紅いエフェクトは血のように激っていて、口から出る雄叫びも、憎悪と絶望から紅く濡れていた。
「{守れ}」
抑揚のない声と、カチ割られるはずだった頭の前に現れた薄緑色の壁に阻まれて、エフェクトは完璧に力を止めた。スキルが強制停止させられたことにより、身体に電撃が走ったかのような麻痺感に襲われ、空中で完璧に静止した。
ドゴガガガガガガガガガガガガ
漫画のように笑える音とともに、腹を激痛が走っていた。目を見開き、相手の表情を確認するような暇もなく剣を奪われ、その陽炎のような儚い波紋の入った日本刀の刃で、
すっ
まるで最初からあった針の穴を通すかのように、
「うっとおしいのは、きみだよ」
まるで散っていく桜の花びらのように、
「死にな」
まるで夏の太陽の下のかき氷のように、
「ぐ…アアっ…?」
何も抵抗を残さずに、一瞬で、溶けるように美しく貫いて、
ぼくの命をタダのものに変えた。
あの娘がくれた{最後の希望}は、落ちているダレカの四肢とともに鈴のような金属音を立て、地面で三回バウンドした。目の前に見える革靴が踵を返して、風景は無限のじかんの奔流に流れ出して消えていった。
炭素工具鋼の洗練されたデザインをもつナイフが、床に置かれている。大聖27年8月7日のことだ。紅い眼を持つ彼は、この場所にあぐらをかいて座っていた。午前の訓練が終わってから、独りの憩いの空間が与えられる時間は30分だけ与えられる。白いパネルに囲まれた部屋の中で、彼は古いリボルバーを手入れしていた。彼にとってはこの時間こそが憩いの時間で、忘れたいことを消すために必要なことだった。安価な油は異様な臭いを放っており、それを至近距離で嗅いだ彼は顔をしかめていた。
彼が初めて人を殺めたのは10年ほど前だった。
彼はそのとき4歳だった。
生まれた時から一度みたものは何でも真似できる彼は、あらゆるものに化物として扱われていた。
親にも、だ。
ひどい暴力を受けていたそうだ。
だが、彼が殺めたのは両親ではなかった。
両親を殺した強盗だ。
「だが実際、あいつらが殺してなければオレがやっていたのかもしれない…」
虚しく、響いた声だった。
異能者の研究を行うこの学園都市。そこの地下には兵器を生み出すための研究所があった。彼、田中作造も、この研究所で研究されているものの一人であった。
能力名は(特例模倣者)。一切の代償が必要なく、どんな能力であろうと解析し、0,8倍の性能で扱うことができる。副産物としての能力に、(絶対記憶)と(解析能力)と(威力上昇)がある。
これは、そんな彼がある日目覚めると異世界に来ていたという話だ。