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番外編 温かく緊張する接触

 ゼダは、綺麗好きだ。ジオジントはそのことを、二人でいるようになって早々に知った。

 逃避行の途中、川や泉があると、ゼダはちょくちょく水浴びをしていたからだ。……おそらく。

 というのは、夜目のきく彼女は真っ暗闇の中で水を使うので、夜中にジオジントが覗き根性を発揮しても、見ることができないのだ。水音がして、戻ってきた彼女が服装はいつも通りでも水の香りをまとっていて、「水浴びしたのか?」と聞けば「ああ」と答える。ジオジントが知っているのはそこまでだった。


 国境を越えた先の第三国に、戦争の気配はなかった。山間の町にたどり着いた二人は、腰を落ちつけるべき地を見つける旅をする前に、追われてきた疲れをそこで数日癒すことにした。初日は宿屋に泊まり、翌日は町長に申し出て、小さな空き家を借りる。

 ゼダは猛獣の跋扈する国境付近を通った際、珍しい鉱石を手に入れていた。龍人は鉱石に詳しい。それを売って金を手にしたジオジントは、薪を大量に買い込んで宣言した。

「今日は湯で身体を洗おう。旅の汚れを落とそうぜ!」

 すると、ゼダの反応はジオジントが思ったより良かった。

「湯か、いいな。髪も洗いたい。準備を手伝うぞ」

「常闇の森では、いつもどうしてたんだ?」

 ジオジントは聞いてみた。暖炉の前で、頭布と上着とスカートに埋もれるように屈んだゼダは、薪をくべながら答える。

「森には泉があるから、だいたいそこで水浴びしていた。でも、少し離れた山に温泉があってな、姉と出かけることもあった。湯を使うのは好きだ」

「ゼダは体温低いけど、湯を使うのは大丈夫なのか? ごめん、俺その辺よくわからないからさ」

「ああ。まあ、ぬるい湯で十分だ」

「了解」

 ジオジントは隣家から借りてきた大きな鍋を吊し、表の共用井戸と暖炉を何度か往復して湯を沸かし始めた。そして、これも借りてきた大きな(たらい)を据える。

「──そろそろ準備できるぞー。……なあゼダ、姉さんと温泉に行ったってことは、龍人って家族で一緒に湯を使うのか?」

 さらりとした口調で、ジオジントは続ける。

「俺たちもう、一緒に暮らす家族じゃねぇ? 家族だったら一緒に入っても」

 ゼダは冷たい視線で、ジオジントを黙らせた。

「……そんなわけないだろう。私が普段この格好をしているのは、人間に軽々しく鱗を見せないためだ」

「あ、鱗。ですよね!」

 ジオジントは盥にぬるま湯を張っておいて、「外にいるから、終わったら呼んでくれ」と言い置いてすごすごと家を出た。

「そういや、人間と違う部分は龍人の誇りだとか言ってたっけ……」

とつぶやきながら。


 岩がちな山間の町は、鉱石の採掘でそれなりに栄えている。家々から漏れた灯りが、白っぽい岩肌をオレンジ色に染めていた。

 その間を抜ける細い階段と坂の道を降りると、視界が開け、段々になった田が夕焼けを映している。

 煙草代わりに草を噛みながら、ジオジントは道を外れて斜面に腰を下ろした。


 彼は某国の傭兵として、それなりに長い時間を過ごしてきた。まだ契約が残っているうちに王が代替わりして、おかしな戦争が始まり、戦うことに夢中で国の内部に目を向けない王に刃向かい、追われる羽目になった。

 ゼダは、そんな彼の命の恩人だ。初めて会ってからしばらくは、龍人という存在、しかも(実際の年齢はさておき)若い女の龍人が珍しくて面白がっていたが、彼女が圧倒的な力で自分を救いにやってきて──さらに、その力とは裏腹な愛らしさを見せられて、すっかり参ってしまった。

 しかもそんな彼女が、彼が死ぬまで一緒にいてくれるという。ゼダにとってはそうでなくとも、ジオジントにとってはその契約は、まるで強烈な愛情表現のように感じられた。


「いやいや。だからと言って、人間の男女みたいな関係を強制するつもりはないぞ」

 ジオジントは独り言を言う。

「種族が違うんだから、そこは探り探りやっていくべきだ。人間の女が喜ぶことでも、ゼダが喜ぶとは限らない」

 ただし、と、ジオジントは決意してもいる。

 定住する場所が決まったら、絶対、彼女をうまいこと言いくるめて結婚すると。

 何しろ彼女は美しく可愛らしいのだ、妻にしておかないとどんな横やりが入るかわからない。ジオジントはゼダを、どんな男にも渡すつもりはなかった。


「そういや、龍人ってどうやって繁殖するんだ? ……卵?」

 結局はそちら方面に思いを馳せていると、愛する彼女の声がした。

「ジオジント、終わったぞ」

「はいよっ」

 彼はいそいそと立ち上がると、山の斜面の小さな家に戻った。

 ここでは傭兵として稼ぐことはできないが、何か日雇いの仕事をして、旅に必要なものを買い込んだり家賃を払ったりしなくてはならない。とはいえ、ゼダはほとんど食事を必要としない上、ジオジントの命を救うと決めてから簡単に自分の服などをまとめて持って来ていたので、それ以外の部分さえ当座はどうにかなれば良かった。

 扉を開けると、暖炉の前に彼女の姿はなかった。さっさと寝室に引っ込んだか、裏口から外に行ってしまったらしい。盥の中は綺麗になっていて、どうやらゼダは自分が使った湯を裏口から捨てておいてくれたようだ。

「ゼダと一緒に、風呂入りてぇなぁ……」

 ジオジントは少々悲しい気分になりながらも、暖炉に沸いている湯を盥に移し始めた。


 何日振りかで身体をすっかり清めると、ジオジントも汚れた湯を裏口から捨てに行った。山の陽は落ちるのが早く、すでに星灯りが瞬き始めている。

 盥を家の外壁に立てかけて干し、家に入ってみると──


 まだ燃えている暖炉に背を向けて、床にぺたんと座ったゼダが、彼に琥珀の視線を向けた。


 ジオジントは、息を呑んだ。

 ゼダは普段、指先しか出ない詰め襟の上着に、布を何枚も重ねたスカートを履いている。しかし今は、スカートこそいつもと同じだが、上着は着ておらず薄手の丸首の服を着ていた。

 そして、頭の布も、被っていなかった。


「……ゼダ、何で」

 思わず吸い寄せられるように近づくと、彼女は「ん?」と首を傾げてから、ああ、とうなずいた。

「髪が乾かないと、頭布を巻けないからな。仕方ない」

「お、おう。だよな」

 それで暖炉に背を向けているのか、と納得したジオジントは、彼女の隣に腰を下ろす。彼は暖炉の方を向き、ゼダは反対を向き、互い違いの隣り合わせだ。


 ジオジントはゼダを、じっと見つめた。

 美しい黒髪だった。炎を反射して艶やかに、腰のあたりまで流れ落ちている。額には赤い黄泉の目、そして初めて見る彼女の耳は大きくとがっていて、魚の胸びれに似て青く透き通っていた。

 いつも布に埋もれている顎は細く、首はすらりと伸びて鎖骨が見えている。うなじの下、髪と服の合間から、青い鱗の端がちらりと見えていた。背中から尾にかけては鱗があるらしい。


「……綺麗だなぁ、ゼダ」

 ジオジントは正直な気持ちを吐露した。ゼダは不思議そうに答える。

「人間の女と違うのに、そう思うのか?」

「違う部分も同じ部分もあるけど、全部綺麗だ」

 彼はそう囁き、無意識に彼女の耳に手を伸ばした。

 ゼダはさっと顔を引いた。

「この耳は、人間とは違う。人間と違う部分は、龍人の誇りだと言ったぞ」

「あ、悪い。そうだったな」

 ジオジントは謝ると、床に置かれたゼダの左手を慎重に握った。手を握っても大丈夫なことは、今までのあれこれでわかっている。

 ゼダはその手を見下ろすと、言った。

「人間の手は、温かいな。さっきの湯のようだ、このくらいなら気持ちいい」

「……なあ、ゼダ」

 みっともなく語尾が震えるのを自覚しながら、ジオジントは言った。

「人間と同じ部分になら、触れてもいいんだっけ?」」

 ゼダは眉をひそめる。

「何をする気だ? 一応言っておくが、人間の女が嫌がるほどの部分があるなら、私も触れられたくない。おそらく不快だと思う」

「あ、ああ。ええと……」

 ジオジントはためらいがちに、彼女の手を握っているのとは別の方の手を伸ばした。

「嫌なら言ってくれ。できれば口で言ってくれ。いきなり尻尾で吹っ飛ばすんじゃなくて」

 彼は耳に触らないよう気をつけながら、ゼダの頬に手を当てると、ゆっくり、そっと、太い親指でゼダの薄い唇に触れた。ゼダはおとなしくしている。

「……ゼダ」

 ジオジントは、ゆっくりと顔を近づけた。少し手前で動きを止めると、ゼダの呼吸を肌で感じる。

 神経を研ぎ澄ませ、最大限に警戒しながらも、ジオジントは顔を傾けながらさらに顔を近づけ──

 ゼダの唇に、自分の唇を重ねた。

 ひんやりしたその唇を、自分の唇で温めるように、軽く擦る。ゼダはじっとしていた。


 ジオジントは、それ以上は何もせずに唇を離した。身体を起こすと、大きく息を吸ってから長いため息をつく。

「き、緊張した……初めてだ、こんな風に緊張するキス」

 すると、ゼダは目を細め、唇をほころばせた。

「だろうな」

 まるで年相応のその対応に、ジオジントは一瞬むっとして「もしかして経験あるとか!?」と聞きそうになった。龍人同士だって、キスくらいするかもしれない。が、見た目は若くても年上の女性にそんなことを聞くのは無粋か、と思い踏みとどまる。

 それに、ゼダの微笑みとわずかに染まった頬に見とれて、細かいことはすぐにどうでも良くなった。いや、頬が染まっているのは風呂に入った後だからかもしれないが、この際それもどうでも良かった。

「何だ、キス知ってたのか。ぶっ飛ばされるかと思った」

「それくらい知っている」

「え、じゃあ、もっと先もさぁ……」

 言いかけたジオジントは、ゼダの凍りつくような視線に会って、

「すみません」

と先に謝った。

 そして、真面目な表情に戻って聞いた。

「俺はゼダが好きだから、キスが嫌でないなら、時々したいんだけどな」

 すると、ゼダはジオジントの手を外し、すいっと立ち上がった。

 怒らせたか、とジオジントが見上げると、ゼダは彼に背を向けたまま言った。

「構わない」

 そして彼女はそのまま、寝室に去っていった。


「……あれ。まさかゼダ、照れた?」

 わかりにくい彼女の態度を勝手に解釈したジオジントは、ぐっ、と腰の横で拳を作ると、

「よし。よし、ここからだここから! まずは明日の朝、おはようのキスから!」

と、しばらくニヤニヤしたのだった。



【温かく緊張する接触 おわり】


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