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水音を織る仕立師は、契約の嘘をほどく  作者: 銀細工ナギ


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17/20

公開審問の朝

 役所の大広間には、開門前から人が集まっていた。


 石床に並ぶ長椅子はすぐに埋まり、座れない者たちは壁際に立った。水売りは濡れた帳面を胸に抱え、職人たちはそれぞれの記録板を手にしている。若い書記のセナは、審問官の机へ提出する書類を何度も数え直していた。


 リネアは入口の脇で、大きな布を抱えていた。


 赤、青、白の糸が、幾重にも重なっている。旧水門の操作音、水圧の低下、役所の控え。それぞれ別の人間が残した記録を、同じ時刻の上で結び合わせた布だった。


「ずいぶん大がかりになったな」


 隣でユハンが言った。


 今日は監督官の制服を着ていない。処分を待つ身として、役所から正式な立場を与えられていないからだ。それでも彼の背筋は伸びていた。


「大がかりにしないと、また一人の記録にされます」


「君の記録に、か」


「私だけではありません。あなた一人の証言にも」


 ユハンは布を見下ろした。


「その通りだ」


 審問官が入室すると、ざわめきが消えた。商会側の席には、管理商会の代表と、町の有力者たちが並んでいた。代表の男は整った外套の襟を正し、穏やかな顔で立ち上がった。


「本審問に先立ち、提出された記録の扱いについて申し上げます」


 彼はリネアの布を指した。


「音を糸に移したという記録は、通常の公文書ではありません。作成者の感覚に依存し、後からいくらでも改変できる。町人の私的な記録も同様です。これらは証拠として無効にすべきでしょう」


 すぐに何人かの傍聴人が不安そうに顔を見合わせた。


 審問官がリネアを見る。


「反論はあるか」


「あります」


 リネアは布を机の前へ広げた。


「これは、私の記憶だけで作ったものではありません。誰が、いつ、どの音を聞き、どの手順で糸にしたかを、すべて記録しています。改変できると言うなら、どこをどう変えたのか示してください」


 商会の代表が笑った。


「では、その手順を今ここで再現できますか。都合よく作ったものではないと、誰にでも分かるように」


「できます」


 リネアは答え、持参した小さな木箱を開いた。


 中には、旧水門の金具を写し取った三つの薄い板、同じ太さに揃えた糸、砂時計、そして空白の布が入っていた。


「まず、音を聞いた時刻を砂時計で測ります。音そのものを覚えている必要はありません。聞こえた順番と間隔を、三本の糸で仮に結びます」


 彼女は板を順に打った。


 高い音、短い間、低い音。旧水門が閉じるときの三つの音が、大広間に響いた。


「次に、音を聞いた者が自分の印を付けます。私は音の高さと間隔を、別の人が時刻を確認する。最後に、記録を読み上げ、立ち会った全員が間違いがないか確かめてから、糸を布へ縫い込みます」


 ミラが前へ出た。


「今の時刻は、私が読みました」


 セナも続く。


「時刻と手順は、私が書き留めました」


 桶職人が板を掲げた。


「音の間隔は、私が確認した。リネアが一人で作ったものじゃない」


 商会の代表は眉をひそめた。


「しかし、板の音が本物の水門と同じだという保証はない」


「保証なら、私がします」


 ユハンが前へ進んだ。


「私は旧水門を何年も点検した。あの門が立てる音は、金具の摩耗によって特有の間隔を持つ。今の再現は完全ではないが、記録布に残された間隔と一致している」


 代表の男が素早く口を挟んだ。


「あなたはすでに職務上の責任を問われている。自分の失態を隠すため、町人に都合のよい証言をしているのではありませんか」


 大広間に緊張が走った。


 ユハンは一度、目を伏せた。


「その疑いは受けます。私は以前、商会の補修報告を信じ、異常を記録しなかった。だからこそ、私の証言だけで決めないよう、ここにいる全員の記録と照合している」


 彼はリネアの布を指した。


「私の証言は、この布の一部にすぎない」


 リネアは白い糸の端をつまんだ。


「そして、この白い糸は、証言をした人の立場を示すものではありません。誰が偉いかではなく、誰が何を確認したかを示しています」


 彼女は布を裏返した。


 裏側には、表からは見えなかった小さな結び目が並んでいた。それぞれに番号が振られ、別紙の記録と対応している。


「商会が無効だと言うなら、この番号をひとつずつ検証してください。音の記録、時刻、立会人、役所の控え。そのどれか一つでも一致しない箇所があれば、私は布を証拠として扱わなくていいと認めます」


 審問官がセナへ視線を向けた。


「照合表は正しいか」


「はい。私が二度確認しました」


「役所の記録として受理できるか」


 セナは一瞬だけ息を止めた。それから、はっきり答えた。


「手順と立会人が明示され、複数の記録と照合できるなら、規則上、検証可能な記録として受理できます」


 商会側から、低い抗議の声が上がった。


 審問官は木槌を鳴らした。


「提出物は仮受理する。次に、旧水門の操作記録および補修契約の写しとの照合に移る」


 その言葉が響いた瞬間、傍聴席のあちこちで息が戻った。


 リネアは布の端を押さえた。指先が震えていることに気づいたが、隠そうとはしなかった。


 ユハンが小さく言う。


「震えているな」


「あなたもです」


「そうか」


「でも、立っています」


「君がいるからな」


 リネアは返事をしなかった。ただ、赤い糸の交差する箇所を、布の上からそっと撫でた。


 ひとつの音は、聞き間違いにできる。


 ひとつの紙は、偽物にできる。


 けれど、検証する手順を開き、互いの記録を照らし合わせれば、誰かの記憶は誰かの都合で消せない。


 審問官が次の書類を求めた。


 大広間の扉の外では、町の水路が朝の光を受けて流れていた。今日は、その流れを止めるためではない。誰のものでもない水として、取り戻すための一日だった。

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