第5話 恋人になった翌日
ブレムは目を覚ました。
「……」
未だ覚醒しきっていない頭で、ぼーっと天井を見つめる。
自然と昨日の情景が再び脳裏に思い浮かんできた。
あの後、ブレムとオリヴィアは抱擁を解き、これから恋人としてよろしくと告げてその日は別れた。
「恋人……」
その言葉の響きに、改めてブレムの顔が熱くなってしまう。
雑念を振り払うようにしてベッドから飛び降りると、台所へ向かう。
台所に立ったブレムは、ひとまず冷蔵庫から卵と牛乳を取り出す。
この冷蔵庫は、ブレムが書いた魔術式を基盤として作動する一点物だ。
魔石をはめ込めば長期間作動する仕組みなので、魔力のないブレムでも問題なく使用できる。
正直、市販品よりもよっぽど出来が良いとブレムは自負している。
(先に卵を入れるんだっけ?)
棚からボウルを取り出し、割った卵を中に入れる。
殻のかけらがボウルの中に幾つも入ってしまった。
(……いっそのことこのまま焼こうかな)
無論そのまま作業を進めることはなく、ブレムは悪戦苦闘しながらスプーンで殻を取り出す。
その後も紆余曲折あり、ブレムは食卓に座る。
向かい側の席には誰もいない。
目の前には焦げたパンと、何故か乾いた色のスクランブルエッグのようなものが皿の上に鎮座している。
ブレムは意を決してそれらを口に運んだ。
……。
「……まっず」
やはり前まで食べていたくらいに美味いスクランブルエッグは、今のブレムではよっぽどの奇跡が起こらない限り作ることなど到底不可能なんだろう。
どれくらいの時間をかければまた前みたいに美味い料理が食えるんだろうな、とブレムは肩を落とす。
空になった皿をブレムは無心で見つめて……。
唐突に、ある情景が脳裏に浮かんできた。
微笑みを浮かべたオリヴィアと一緒に、台所で朝食を作っている光景だった。
(……オリヴィアと一緒に作ればいいんじゃないか?)
◇
(……空、暗くないか?)
思いつきのままに教会前までやってきたは良かったが、あまりにも衝動的に動きすぎたせいで、現在の時刻のことが頭から抜けていた。
空はまだ、夜の闇がようやく明け始めた頃であった。
逆算して、起床したのは5時頃だったのだろう。いつもは7時過ぎになっても布団の中だというのに。
……時間くらい起きた時や朝食時に確認しろという話だが、今日のブレムはそれを失念していた。
日頃からどこか抜けているところがあるブレムだが、それにしたって朝起きてから一度も時計を確認しないほど間抜けではない。
そもそも、自炊の際もやけに細かなミスが多かった。
(……恋人ができて浮かれているんだろうな)
むしろそれ以外に理由が考えられない。
オリヴィアと恋人になった高揚感。またはオリヴィアと会う楽しみ。それらのせいで、特に身支度もせずにオリヴィアに会いに行くという愚行を犯したのだろう。
ひとまず帰ろう。ブレムはそう思った。
この時間ではオリヴィアも起きていないだろうし、起きていたとしても身支度が済んでいないはずだ。
……他意はないが、帰る前に施錠してあるか確認していこう、ブレムはそうも思った。
◇
「おはようございます、ブレム様。今日はずいぶんとお早い来訪ですね」
扉の鍵は開いていた。
どこか心地良く揺れる心臓の鼓動を感じながら教会の中に入ったブレムは、神殿の床を掃いているオリヴィアと目があった。
オリヴィアは一瞬だけ目を見開き、すぐに天使を想起させる微笑みを浮かべた。
「おはようオリヴィア。今日はなんだか目が覚めてな……オリヴィアこそ、こんな朝早くから働いてるんだな」
「ええ。私も、今日は目を覚ますのが早かったので……ブレム様とお会いするのが、楽しみだったせいかもしれません」
「……朝からそんなこと言うなよ」
思わず視線を逸らす。
「俺だって同じだし」
小さく呟いたつもりだったのに、やけに静かな教会の中でははっきりと響いてしまった。
「……光栄です」
耳の端を赤く染めて、オリヴィアは俯く。
2人の間に、沈黙が落ちる。
(……あまり気まずくないな)
しかし、ブレムはそれに心地よさのようなものを覚えていた。
恋人同士になったからだろうか?相手からの好意を、無理に探らなくてもいい関係になったのだと改めて実感する。
だが、だからと言ってこのままずっと黙りこくっているわけにはいかないだろう。
「そういえばオリヴィア、もう朝食は食ったか?」
ブレムは沈黙を破るように、ここに来たもう一つの目的を口にする。
「いえ、まだですが……」
オリヴィアは顔を上げてキョトンとした顔をする。
「良かった……さっき朝食で自分で作ったスクランブルエッグを食って来たんだけどさ、正直完食した俺を褒めたいくらいに失敗したんだよ。
その時に、昨日作ってもらったオリヴィアの料理を思い出してな」
「なるほど……私の分と一緒に、ブレム様にももう一つスクランブルエッグを作りましょうか?」
「いいのか?でもせっかくだしさ、俺も一緒に作りたいなというか、もちろん殆ど何も出来ないと思うから、手伝いだけにはなると思うけど……」
「よろしいのですか!?」
オリヴィアの顔がぱあっと明るくなり、ブレムは少し面食らう。
「料理をご一緒にするなんて、まるで新婚さんみたいですね」
「いきなり何言ってんだよ……」
はにかんだような笑顔を浮かべながらそう囁くオリヴィアに、ブレムは動揺を隠すように顔を背けた。
◇
というわけでオリヴィアと共に料理を作る――つもりだったのだが。
「2人分だと食材が足りませんね……」
台所で冷蔵庫の中を覗き込みながら、オリヴィアはため息をつく。
ブレムも後ろから中を覗き込むと、冷蔵庫の中には食材らしい食材が殆ど入っていなかった。
残ったものをかき集めて、何とか1人分作れるかどうかというところだろう。
「すみませんブレム様、今日に買い出しに行こうと思っていましたので……」
「いや、押しかけた俺が悪いしな。そもそも俺は家で軽く食ってきたし、オリヴィアの分だけ作ろうぜ」
申し訳なさそうに目を伏せてそう呟くオリヴィアに、ブレムは苦笑する。
「ですがその間ブレム様を待たせるわけにはいきませんし……買い出しに行くにも、まだ市場は開いてないでしょうし……」
冷蔵庫を閉めながらオリヴィアは考え込む。
と、ここでブレムは妙案を思いついた。
「この前話した店のこと覚えてるか?」
オリヴィアはこちらを振り向いて、頷く。
「ブレムと初めてお会いした時に話されていた、快活な方が料理をなさってる料理店のことですか?」
「そうそう。よく覚えてたな……その店、店主が1人で切り盛りしてるのに朝の7時から夜の11時まで営業してるんだよ。
だから朝食をそこで取らないかって思ってな。帰り道に買い出しもしたら、昼間は一緒に料理できるだろ」
「私は構いませんし、寧ろ一緒にお出かけもできて嬉しいですが……ブレム様はそれでよろしいですか?」
「もちろん」
そう言ってから、ブレムは自分が「一緒に出かける」という言葉にまったく躊躇がなかったことに気づく。
「ならば良かったです。では早速、そのお店への案内をお願いします」
オリヴィアがブレムの手を取りながら微笑むので、ブレムは一瞬息を呑み、もう片方の手で頭を掻いた。
まだ薄暗い教会の中で、繋いだ手だけがやけに温かかった。
それだけで今日が特別な一日になると、疑いもしなかった。
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次回は明日の21:00に投稿します。




