第3話 2日目
その翌日。
ブレムは久しぶりに学校へ行った。
大して理由があったわけではない。
ただ、今日は何故か足取りが軽かった。
——昨日の出来事が、まだ胸の奥に余韻として残っていたかもしれない。
同級生たちは約二週間ぶりに姿を現したブレムに、次々と心配や安堵の声をかけた。
ブレムも適当に「おう」と頷いて返した。
授業は相変わらず何を言っているのかさっぱりだった。
唯一ブレムが大得意である魔術式の授業も、皆ができなさすぎでつまらなかった。
「いや、皆ができて無いわけじゃないよな……。俺が出来すぎるだけか?」
どっちにしろ、やっぱり学校は何か落ち着かないな……と、ブレムはぼんやりと考えながら家路につく。
高等学校の授業は午前中に終わる。
大半の生徒は持参した弁当で腹を満たした後、各々が学校に併設された魔術ギルドや武術ギルドで自分の得意を磨くのだが、ブレムはその極わずかの例外であった。
魔術ギルドの内容も実践的な魔術の研究や、その応用が主で、紙に記述する魔術式の研究は盛んではない——というより、殆ど機能していないのだった。
やっぱり進学より、どこかの魔術研究が盛んな研究院で研究するのが良かったかもな、と、ブレムはため息をついて顔を上げると——
「……来ちゃった……」
眼の前に、装飾は質素なものだが、どこか神聖さを漂わせる教会がそびえ立っていた。
◇
「花に祈ってたのか?」
「はい。この子たちが頑張って咲こうとしているので、声をかけたくなってしまって」
オリヴィアは教会の花壇一面に咲き誇る花々を前に、跪いて祈っていた。
ブレムはその横にしゃがみ込みながら、オリヴィアの横顔を横目でちらりと眺める
パッチリとした睫毛に、シミ一つない肌、絹のように美しく波打つ銀髪――。
「そういえばご挨拶がまだでしたね。お待ちしておりました、ブレム様」
祈りを終え、こちらに向き直ってニコリと会釈するオリヴィアの姿に、惚けていた思考をブレムは慌てて正す。
「ああ。本当はもっと早く来ようと思ってたんだが、朝起きたら、何か学校に行きたい気持ちになってな。それでこんな時間になった」
「……そうだったのですね」
オリヴィアは一瞬目を瞬かせ、それからすぐに安堵したように微笑んだ。
◇
「そういえばブレム様、もう昼食はお食べになりましたか?」
「いや、まだ。帰ってから食べるつもり。空腹は割と我慢できる」
外で話すのもあれだということで、二人は教会内で腰を下ろすことにした。
中は外よりもひんやりしていたが、それがむしろ心地よかった。
講壇前の段差に腰を下ろしたブレムに、オリヴィアはふと思いついたように声を掛ける。
それにブレムが肩を竦めて答えると、オリヴィアは呆れたような表情を浮かべる。
「帰ってからと言って、ブレム様が帰宅後に召し上がるのは夕食でしょう?」
「……一食くらい抜いたって、特に体に問題はないだろ」
「若いうちの不摂生は今は大丈夫でも、大人になってから響くのですよ。
では、ちょっと待っていて下さい」
オリヴィアはそう言い残すと、ブレムが口を開く間もなく、教会の奥の方へ姿を消した。
(……これはアレか?話の流れからして、所謂手料理ってヤツか?……申し訳ないな。俺、ホントに空腹とか平気なのに。……いや、今から言っても遅くないか?)
と、ブレムが逡巡しているうちに。
どこからかいい匂いが漂ってきた。
食欲が掻き立てられるような匂いだった。
(あ、これは無理。絶対美味い)
ブレムの迷いは、一瞬のうちに掻き消えた。
数分後、オリヴィアは小さな器とスプーンを載せたお盆を両手で運びながら姿を現した。
オリヴィアはブレムの横に座ると、器とスプーンを差し出した。
器の中は野菜と豆のスープだろうか?何にせよ匂いからして、美味いことには間違いないだろう。
ここで断るのも悪いので、ブレムは礼を言ってからスープを一口掬って口に運ぶ。
「……美味え」
やはりというか、美味かった。それもすごく。
もしかしたらこれまで食べたスープの中で一番の出来かもしれない。
オリヴィアも自分の分のスープを掬ってその小さな口に入れ、満足そうに頷く。
「良かったです。急ぎですが、作った甲斐がありました」
「俺の料理もこんなに美味しかったら、自炊とかも楽しくなるんだろうけどな。自分で作るとどこかで必ずミスるんだよな。焼き加減勘違いしてたり」
「最初は誰でもそうですよ?慣れるまでが大変ですが、慣れたら後は自炊が楽しくなります」
「まあ何事も始めから上手くはできないよな。オリヴィアもそうやって腕を上げたのか?」
「私は――あ」
オリヴィアはそこで一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「――私も、似たようなものです」
そう言い直して微笑むオリヴィアに、ブレムは
「やっぱりそうか……自炊も練習しないとな……」
と落胆しながら、スープを掻き込む。
スプーンを握る手は止まることなく、すぐに皿は空となった。
「……ごちそうさま。本当に美味かった」
「お粗末様でした……それは良かったです」
「お世話になったし、皿洗いくらいはした方がいいか?」
昼食を頂いておいて、片付けもオリヴィアに押し付けるのはいくらなんでも面目ないので、という意図での提案だったが――。
「必要ありませんよ?」
そうオリヴィアが言い切るよりも早く、ブレムの手に持った皿が瞬く間に、まるで新品に見違えるほど汚れがない状態へと様変わりした。
「おお……一瞬で。すげえ精度だな」
ブレムが通う高等学校では魔術の授業も時間割に組まれているが、残念ながらブレムは魔力がない体質らしい。
ただしブレム自身は魔術式の組み立てが誰よりも得意であるので、一切魔術を使えない身であるが、魔術の良し悪しはそれなりによく分かる。
だが目だけは玄人であるブレムからしても、何も唱えずに発動するほど練度が高い魔術は、教師のものを含めても、ブレムは今まで見たことがなかった。
だから素直に称賛を伝えると、オリヴィアは不思議そうな顔をする。
「普通ではないですか?」
「いや普通じゃないだろ。魔術って発動に集中力が必要で、普段使いできるようなもんじゃないらしいし……俺は魔術が使えないから、聞いた話だけど」
とはいえ、魔術がそこまで便利なものじゃないとはいえ、一度は使ってみたいよな……。
ブレムは心のなかでそう愚痴ってからオリヴィアを横目でちらりと見ると――。
「――っ」
オリヴィアは何かをひどく恐れるように目を伏せていて、ブレムは少し驚いた。
オリヴィアは小さく俯いたまま、ブレムを上目遣いに見つめるようにして、口を開く。
「……気に障りませんでしたか?」
「気に障るって……ああ」
どうやら、魔術が使えないブレムの前で「普通」などと口走ったことを悔やんでいるらしい。
本当に優しい娘だな、とブレムは苦笑しながら口を開いた。
「そんな気にしないだろ。別に魔術なんて、使えたらそりゃ便利なんだろうが、使えなくたって死ぬほど困るわけでもないし」
「――ですが」
「それに当たり前だけど、俺を見下そうって意図で言ったわけじゃないんだろ?
なら俺は気にしないよ。……そもそも最初から気にしてないしな。
能力の優劣なんてあって当然だし、気にしたら負けだろ。
勿論魔術の腕もすごいとは思うけどさ、俺はオリヴィアの人柄が一番好きだしな」
ブレムはそのまま、講壇前の段差に深く座り直して――何か重大なことを口走ったことに気がついた。
今、すごく自然に『好き』と言わなかったか?
「いや違う!さっきの『好き』は、一人の友人としての意見で――!」
ブレムは慌てて弁明の言葉を口にして――それが続くことはなかった。
オリヴィアの目から一つ、大粒の涙が零れ落ちていた。
「え――」
オリヴィアは目を見開いて、それを拭うが、続く涙が次々と零れ落ちていく。
「違うんです、悲しいわけじゃなくて……そんな風に、誰かが言ってくれたのが久しぶりで……嬉しくて」
そう言ってオリヴィアは微笑もうとするが、その笑みはどこか強張り、大粒の涙も止むことなく零れ落ちていく。
「――そうか」
ブレムは戸惑いながらも、オリヴィアの手を軽く、だがしっかりと握りしめる。
オリヴィアの肩が小さく震えた。
「……オリヴィアのことは、まだほとんど何も知らないけどさ」
言葉を探すように視線を逸らしながら、続ける。
「これからどんな事があったとしても、オリヴィアを嫌いになる事はない……絶対」
恥ずかしい事を言っている自覚はあった。
しかし、隣で泣くこの少女に慰めの言葉の一つもかけないなど、ブレムには出来なかった。
「……ありがとう、ございます」
オリヴィアはそれだけ言うと、指先で縋るようにブレムの手を握り返した。
しばらく、二人は何も言わなかった。
ただ繋いだ手の温もりだけが、静かに伝わってくる。
やがてオリヴィアは、何かを決めたように小さく息を吸い――
オリヴィアは、ブレムの手を両手で握りしめた。
「……っ」
オリヴィアの唇が、何か言おうとして震える。
だが結局、言葉は続かなかった。
「……明日も、来てくださいね」
それだけ言って、オリヴィアはそっと手を離した。
しかしブレムの手には、温もりの余韻がずっと、オリヴィアと別れた後も残り続けるように思えた。
第四話はいよいよ山場、告白の場面です。
明日の21:00に投稿します。
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