第2話 1日目
話は2日前に遡る。
◇
喧騒が支配する街の外れにて。
ブレムは一人だった。
あてがあってここにやってきたわけではない。
心にポッカリと空いた穴を埋める何かを探しているわけでもない。
その行動に大した意図はなかった。
ブレムは自分が教会の前に立っていることに気がついた。
いつの間にか知らない場所まで来ていたようだ。
ブレムは特に何も思わず、その教会に歩みを進める。
一瞬の逡巡もなく扉を押し開けた。
そして俯き加減だった視線をおもむろに上げて、
――冷え切った心が打ち抜かれたかのような衝撃を受け、熱を帯びて動き出した。
「――っ」
教会の外見はみすぼらしいものだったがそれは建物内部も同じで、装飾がところどころ剥がれ落ちていた。
だが、神聖な空気は寧ろその場に満ち満ちていた。
それはひとえに、祈りを捧げる少女のおかげだろう。
教会の奥、壁面に並ぶ従属神の一柱の前で、少女は祈りを捧げていた。
壁面は、ブレムの立つ位置から見て右手にある。
そのため彼の視界に映っているのは少女の背中ではなく、わずかに横を向いたその姿だった。
修道服に包まれた身体は細く、無駄な動きが一切ない。
組まれた両手、伏せられた睫毛、その横顔は、まるで祈るためだけに切り取られた像のようで。
差し込む夕刻の光が、高窓から斜めに落ちる。
その光が、少女の頬の輪郭と銀色の髪を淡く縁取っていた。
少女が、不意に小さく首を振った。
ほんの一瞬。
祈りの姿勢を崩すほどではない、慌てたような、否定するような動き。
その拍子に、伏せられていた視線がわずかに持ち上がる。
そして。
少女の瞳が、ブレムの存在を捉えた。
「――っ」
かすかな息を呑む音が、静かな教会に落ちる。
彼女の身体が、ぴたりと固まったのが分かった。
横顔しか見えていなかったはずなのに、確かに視線が合った。
驚きと戸惑いが入り混じった色が、その瞳に浮かぶ。
少女は慌てて祈りの手を解き、体をこちらに向ける。
「あ、えっと……」
少女は何か話そうとしているようだが、言葉に詰まってしまう。
2人の間に沈黙が流れる。
ここで我に返ったブレムは慌てて、
「ごめん、なんとなく入ってきたけど驚かせたよな。祈りの最中だったか?都合が悪かったら、外に出るよ」
と言って踵を返し、建物の外へ出ようとした。
「い、いえ、都合が悪いなどとんでもないです。私も、空いた時間で祈りを捧げていただけですので……」
と、立ち去ろうとするブレムを、少女は慌てて引き留める。
そして少し息を整えると、
「もしよろしければ……少しだけ、お話ししていきませんか」
そう言って、少女はニコりと笑う。
「――ああ、ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて」
その笑顔に一瞬惚けるブレムであったが、すぐに我に返り何とか言葉を紡ぐ。
少女は胸の前で手を重ね、ほっとしたように小さく息を吐いた。
「こちらこそ……来てくださって、ありがとうございます」
それだけ言って、少女は少し困ったように微笑む。
引き止めたはいいものの、何を話せばいいのか迷っているらしい。
ブレムは視線を教会の奥へと巡らせる。
「……静かで、いい場所だな。学校とは大違いだ」
「ええ、ここは街外れですから。人も殆ど来ないらしいです」
らしい、という言葉にブレムは引っ掛かりを覚えた。
「らしい……ここに勤めているんじゃないのか?」
「ここ……というより、この街にやってきたのが3日前です。それまでは、少し遠い場所で過ごしていましたから」
「へえ」
その話題について、深くは掘り下げなかった。
何となく、少女の表情に陰りが差したように思えたからだ。
「今気になったんだが、修道女ってのはどういう仕事があるんだ?偏見だが、結構忙しい印象があってな」
「仕事ですか?そこまで大変ではありませんよ。
教会の管理、維持でしたり、来訪される方をもてなしたり、司教様のお手伝い……は、この教会ではすることはないですね。
前任の方が腰を悪くしてから、後継者がいないようでして。来訪者も、私が来てから先程まで1人もいらっしゃらなかったので」
少女は一息吐くと、ニコリと笑った。
「ですから、誰かと話すのは少し久しぶりです」
その一言で、ブレムは胸の奥が僅かに締め付けられるのを感じた。
返す言葉が見つからず、二人の間に沈黙が落ちる。
「……そういえば」
沈黙を破ったのは、オリヴィアだった。
少しだけ姿勢を正し、ブレムの方を見る。
「まだ、お名前を伺っていませんでしたね」
穏やかな声だったが、そこには確かな意思があった。
「あ、ああ……」
ブレムは一瞬戸惑い、それから小さく頷く。
「ブレム・シェル、って名前だ。ブレムでもシェルでも、好きに呼んで欲しい」
「ブレム、ブレム様……ですね」
その名を口にした瞬間、彼女はふっと表情を和らげる。
「私は、オリヴィアと申します」
胸の前で手を重ね、少女――オリヴィアは、丁寧に一礼した。
二人は自然と、講壇前の段差に腰を下ろした。
特別な理由はない。ただ、そこがいちばん落ち着いた。
色々なことを話した。
学校の授業が難しいということ、同級生たちはいい奴らだということ、最近は色々あって学校に行けていないということ、家の近くにある、店主が快活な料理店のこと……。
殆どブレムが一人で話して、オリヴィアは聞き手に専念していたことに気付いたのは、夕刻、教会前でオリヴィアと別れる時になってからだった。
「悪い、今日、俺の話しかしなかったよな」
オリヴィアはキョトンとした顔で首を傾げた後、
「いえ、私も話を聞くのは得意ですから。面白かったですよ?ブレム様のお話」
と、すぐに柔らかく微笑んだ。
「だけどな――」
「ですが、もしそのことを気になさっているのなら」
と、ブレムの言葉を遮るようにして、オリヴィアは微笑む。
「また明日も来てください。その時は、私からもお話いたします」
オリヴィアはそう言うと、「陽も落ちてきたので、気を付けておかえり下さいね」と、表情を緩ませながら、小さくこちらに手を振る。
「――あ、ああ、もちろん。また明日」
ブレムは何か胸を締め付けられるような思いをしながらも、小さく手を振り返しながらオリヴィアに背を向けて、夜道を歩き出した。
曲がり角、教会の姿が手前の建物に隠される寸前に視線をやると、オリヴィアはまだ手を振っていた。
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三話目はこの翌日(二日目)の話です。
明日の21:00に投稿します




