第7話 別館
(化物……あの子のことか?)
ブレムは、先程中庭で出会った不思議な少女との会話を思い返す。
確かに雰囲気も言葉遣いも年齢に似合わず大人びていたが、それでも――化物というのは、少し大げさな気がした。
隣のオリヴィアがわずかに困ったように眉を下げる。
「バッカス先生。その言い方は少し失礼では?」
しかし、バッカスは表情を変えない。
「言い方を変えるつもりはない」
短く言い切る。
そのまま踵を返し、
「行くぞ」
とだけ告げて歩き出した。
オリヴィアは小さく息をつく。
「……ひとまず、別館に移動しましょうか」
そう言って、今度はブレムの手をそっと取った。
「別館……そこに泊まれるんだっけか」
「はい。ブレム様のお部屋も、そちらに用意されています。
私も今日は別館に泊まります」
「……それは少し安心した」
全く馴染みのない場所で、1人ぼっちというのは心細いので、オリヴィアが近くにいてくれるなら安心だ。
それだけの意図で発した言葉であったが――。
オリヴィアがわずかに目を見開く。
「――あ、いえ、その……」
一度言葉が止まる。
次の瞬間、耳まで赤く染まった。
「も、勿論、別々のお部屋ですよ!?」
「……いや、分かってるけど」
思わずそう返すと、オリヴィアは気まずそうに視線を逸らした。
「そ、そうですよね……失礼しました」
前を歩くバッカスは、特に振り返ることもなく先へ進んでいく。
ブレムとオリヴィアも、再び白い回廊を歩き出す。
途中、片側一面が大きく開けた場所へ差しかかり――ブレムはふと足を止めた。
「……ん?」
視界の先に、街並みが見えた。
白い石造りの建物群が、明らかに見下ろす位置に広がっている。
「……街の建物、こんなに低かったっけ?」
思わず漏れた声に、オリヴィアがそちらを見る。
「……建物が低いのではなく、ここが高いんですよ?何せ本館の上層ですし」
「上層?」
ブレムは眉を寄せる。
「階段なんて登ったっけ?」
するとオリヴィアは、首を小さく傾げる。
「入口で転移していますよ」
入口……。
ブレムは渡り廊下の先、本館へ入った直後の巨大な扉を思い出した。
「入口……って、あの大きな扉?」
「はい。本館は広いので、上位層に向かう方は入口から直接こちらへ移動するんです」
「……全然気づかなかった」
つまり、あの扉を潜り抜けた瞬間に、上層まで転移したということなのだろう。
てっきり、今まで一階を歩いていると思っていたので、ブレムにはかなりの衝撃だった。
「違和感が出ないように調整されていますから」
オリヴィアはそう言って、わずかに微笑んだ。
すげえ技術だな、とブレムは素直に感心した。
流石は大陸全土に勢力を誇る宗教機関といったところか。
やがて、回廊の先に一枚の白い扉が見えてきた。
装飾は少ないが、本館内部の扉よりやや小ぶりだ。
バッカスがそれを押し開ける。
扉を抜けた先は、先程と同じ白石造りであった。
だが、天井は少し低く、窓が増え、心なしか空気も張り詰めていない。
「ここから別館です」
オリヴィアがそう告げる。
「……別館と言っても、本館とは繋がっているんだな」
「ええ。上位層は移動距離も長いので、こうして別館と繋げてあるんです。
別館自体も、本館を囲うように複数棟存在しています」
白い廊下の両脇にはいくつか扉が並び、足音だけが静かに響く。
窓の外には本館の尖塔が見える。
やがてバッカスが一つの扉の前で立ち止まった。
「ここだ」
短く告げて扉を開ける。
中は思っていたより簡素だった。
白い壁に、木製の机と椅子。
寝台には真新しい白布が張られ、窓際には小さな棚が置かれている。
豪奢というほどではない。
だが一般的な宿屋よりは整っており、隅々まで手入れが行き届いていた。
「……思ったより普通だな」
思わず漏らした声に、オリヴィアが小さく笑う。
「少し安心しました?」
「ああ。もっと無駄に豪華なのかと思ってた」
「必要以上に飾る場所ではありませんから」
バッカスは部屋を一瞥してから、低く告げる。
「今日はここで休め」
そして、ブレムへ視線を向けた。
「無断で上層階に行くな。もし行くのなら、オリヴィアを連れて行け」
「分かりました」
「私はまた上へ戻る」
それだけ言い残して、バッカスは踵を返すと、部屋を去っていく。
重い足音が廊下の奥へ遠ざかっていく。
「……」
ブレムはそれに見向きすることなく、ベッドの前に歩いていくと――そのまま、布団に倒れ込んだ。
「神経削れた……本教会って、空気張り詰めすぎだろ……」
オリヴィアはベッドの端にちょこんと座る。
そして苦笑しながら、ブレムの髪をゆったりとした動作で撫でる。
「何せ上層ですからね……下層は一般の方も多いので、もう少し空気も柔らかいのですが……」
ブレムは撫でられるままになりながら、オリヴィアの顔を見上げる。
今日、ブレムは別に何かされた訳ではない。
精々、中庭の少女に少し詰められた程度だ。
それでも、本教会に漂う張り詰めた空気だけで、ここまで精神が疲弊してしまった。
この調子では、仮にオリヴィアとの関係について真正面から問われた時、自分は耐え切れるのだろうか――と、少しだけ憂鬱になる。
「……耐え切るしかないよな。オリヴィアの為にも」
「ブレム様、何か仰いましたか?」
「いや、別に」
ブレムは上半身を起こすと、オリヴィアの隣に腰掛ける。
「本教会には4日滞在するんだっけ」
「ええ。その間、私も用事がある程度入っていますが、基本的には自由です」
「なるほどな……。そういえば、1人で本館側に出歩くなって言われたけど、もしかして俺ってずっと別館から出られない?」
それならば少し窮屈だが……とブレムは思う。
「いえ、別館には専用の階段がありますから、そこを通れば下層から外へ出られますよ」
「へえ……じゃあ今日にでも外に出てみるか」
そう言って、ブレムは立ち上がる。
「お疲れではありませんか?」
「身体は別に大して疲れてないからな。精神の方も、オリヴィアのおかげで落ち着いた」
「……それなら、よかったです」
オリヴィアはわずかに目を細めると、すぐに微笑みを浮かべる。
「でしたら、少し街へ行きませんか」
「オリヴィアも?」
「ええ。今日は、私ももう用事はありませんので」
それを聞いて、ブレムは自然と気持ちが軽くなる。
「……じゃあ行くか。楽しみだな」
短く答えると、ブレムを見上げるオリヴィアの表情がぱあっと明るくなる。
「はい。では下層からご案内します――あ」
オリヴィアは何かに気づいたように、小さく声を漏らす。
「どうした?」
ブレムが首を傾げると、オリヴィアは少しだけ照れたように笑った。
「……少しだけ、着替えてきますね」
そう言って立ち上がる。
ベッドから離れ、扉の前で一度だけ振り返る。
「すぐ戻りますので」
柔らかく微笑むと、そのまま部屋を出ていった。
扉が静かに閉まる。
(着替え……ってことは、私服?)
そういえば、今までオリヴィアは修道服を着た姿しか見たことがないことを、ブレムは改めて思い出す。
私服……やはり、オリヴィアのことだから、上品な服装なのだろうか。
それとも、意外と動きやすさ重視の服装だったりするのだろうか。
(いや、私服だって決まった訳じゃないだろ。修道服を替えてくるだけかもしれないし)
そう昂る心を落ち着かせようとしても、心臓の鼓動は遅まることを知らず。
そのままオリヴィアが戻ってくるまで、ブレムは部屋の中を意味もなく歩き回っていた。
次回は明後日の21:00に更新します




