第6話 人間
「知ってる……って、いつから?そもそも、君は誰?」
ブレムはわずかに眉を寄せたまま問い返す。
少女は土のついた指先を長い袖の奥へ隠すと、ほんの少しだけ首を傾げた。
「知りたい?でも教えない。今はまだ早いから」
「……何だそりゃ」
「色々と事情があってね。代わりと言っては何だけど、私の質問に返してくれたら一つ、お兄さんに関して助言をしてあげる」
「……助言?」
「うん」
少女は花壇の花へ視線を落としたまま言う。
「お兄さんは、【聖女】のどこが好きになったの?」
「どこが好き……」
ブレムは少女の言葉を反芻する。
幸いなことに、昨日のバッカスとの問答で、自分の中の答えはある程度まとまっていた。
「……全部、かな」
「全部?……いいね、全部か」
ブレムの言葉を繰り返して頷く少女に、ブレムは少しだけ気恥ずかしくなる。
少女はそんな反応を面白がるでもなく、視線を上げると、ただ静かに次の言葉を続けた。
「でも、最初から【聖女】の全部が好きだったわけじゃないよね。
最初は、オリヴィアのどこが好きになったの?」
最初……。
ブレムはゆっくりと視線を落として、口を開く。
「……分からない。そもそも、いつから俺はオリヴィアが好きだったのかすら……。
初めて会った時からかもしれないし、オリヴィアに好きと言われてからかもしれない」
「……へえ。そんなことがあるの?」
「俺も自分で言ってて変だとは思うけど、そうとしか言えない。
いつの間にか、オリヴィアを好きになってた」
「でも、それで全部って言えるんだ」
「ああ」
ブレムが短く答えると、少女は花壇の花弁に指先で触れた。
触れた花弁を一枚一枚、千切っていく。
「お兄さん、【聖女】と釣り合ってないんじゃない?」
あまりにも唐突な言葉だった。
「……何だって?」
思わず聞き返す。
だが少女は、からかう様子もなく続けた。
「人間を能力だけで測るのは、愚かなことだけどね。
それでも、【聖女】の天才性とお兄さんの間には、『差』という言葉では誤魔化せないほど圧倒的な壁があるんだ」
花弁がなくなり、茎だけとなった花を、少女は根元から引き抜く。
「もう一度言うよ、お兄さん。
お兄さんは、【聖女】と釣り合っていない」
風が吹く。
抜いた花弁が中庭に舞っていった。
「それでも、【聖女】を一人にしないって本当に誓えるの?」
一瞬だけ、バッカスの問いがブレムの脳裏をよぎった。
――君は、オリヴィア――【聖女】の隣に立ち続ける覚悟はあるか?
少女を見る。
その顔には、感情らしい感情は、少なくともブレムは読み取れない。
ブレムは、口を開いた。
「……俺が、オリヴィアと釣り合う必要ってあるのか?」
少女は即座に答えた。
「ないよ。全くね」
「……は?」
今度は、困惑で言葉が漏れる。
少女はそこで初めて、ほんの僅かに口元を緩めた。
「意地悪な質問だったね。謝罪するよ。
……やっぱりいいね、お兄さん」
そう言って、少女は立ち上がる。
黒に近い濃紺の裾がわずかに揺れた。
「さっき、質問に答えてくれたら、助言をあげるって言ったよね。
あれ、忘れて」
「……忘れろ?」
少女は花壇から一歩離れながら、淡々と続ける。
「お兄さん、私が声をかける前、『オリヴィアを一人にしない』って言ってたね。
けど、人間は嘘をつける生き物だから、お兄さんの返答次第で、助言の内容を変えようと思っていたんだけどね」
指先に残った土を軽く払う。
「お兄さんは、そのままで大丈夫そうだから」
それは、どういう意味だ――と、ブレムが聞こうとしたところで。
回廊の奥から、足音が近づいてきた。
そちらに目を向けると、オリヴィアが小走りで中庭に出てきたところであった。
「ブレム様」
オリヴィアはブレムに微笑みかけたが、その傍らの少女に気付くと、目を見開く。
「だ――」
だが、そこまで口にしかけて、オリヴィアは言葉を呑み込んだ。
少女が何の感情も浮かべないまま、人差し指をそっと唇に当てたからだ。
同時に、少女は片目だけを静かに閉じる。
オリヴィアは代わりに、頭を深々と下げた。
「またね、少年」
それだけ残して、少女は中庭の奥へ歩いていく。
気づけば、回廊の入口にはバッカスも立っていた。
眉を顰めながら、視線を去っていく少女へ向けている。
(……呼び方が変わった?)
思わずオリヴィアへ視線を向ける。
オリヴィアは数秒経って、ようやく顔を上げた。
「ブレム様、お待たせしました」
その声はいつも通り穏やかだったが、どこか僅かに硬い。
「……今の子は」
ブレムが口を開きかけるが――。
「何かされなかったか」
それを遮るように、バッカスがブレムに問う。
その声音は今まで聞いたどれよりも低く、ブレムは少し驚いた。
「いや……別に。少し話しただけですけど」
答えながら、もう一度少女の去っていった方を見る。
すでに姿は見えない。
「……あの子、誰なんですか?」
問いかけると、バッカスは数秒だけ沈黙した。
視線だけが、少女の消えた中庭の奥へ向いている。
そして、短く吐き捨てるように言った。
「――アレは、化物だ」
次回は明後日の21:00に更新します




