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Boy-Meets-September  作者: 村崎羯諦
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エピローグ

 さて、これで話は終わりだが、後の三人について簡単に言及しておこう。


 まず、拓人青年だが、彼は今回の旅行からおよそ五年後、知人宅の屋根の雪かき作業中に足を滑らせ、そのまま帰らぬ人となった。死に至った経緯から明らかなように、彼は誰に対しても慈愛深い人間であり、それに釣り合うだけの人望を周りから集めていた。そのため、彼の死はコミュニティメンバーの悲しみを誘い、厳粛な葬儀が丁重に行われた。この時にはもう冠婚葬祭などすっかり形骸化してしまっていたことを考えると、彼の人望の高さがうかがえるだろう。ちなみに、拓人青年以降葬儀というものは行われることは亡くなり、結果的に、彼の葬儀がコミュニティ内における最後の文化的な儀式となった。


 玲奈は拓人青年の死からちょうど十年後の春に病気で亡くなった。コミュニティ内において医療専門家が亡くなり始めた頃で、安定していたはずの共同体生活に少しづつほころびが見え始めていた時期でもあった。五十近い年齢になっていた玲奈は、風邪をこじらせ、ベッドの上で桃花の手を握った状態で尽き果てた。治療可能な病気であったとはいえ、愛したもののそばで死ぬことができた彼女は、ある意味幸せな最期を過ごすことができたと言えるかもしれない。


 さて、最後の一人、桃花について。新しい子供が生まれないコミュニティ内において、いついかなる時も最も年齢の若い存在であった彼女は、当然コミュニティ末期の生き残りメンバーの一人となった。正確に言えば、他の人間が死に、その後しばらくの間彼女が一人ぼっちで生き続けたというわけではない。コミュニティの末期、生きている人間が桃花を含めてたった五人になってしまった時、彼女らはお互いに相談し、どうせ一人ぼっちで死ぬくらいならと、集団で自殺することを全員一致で決めた。桃花はその時、四十半ば。外の四人は六十をとっくに過ぎ、きちんと自分の足で動き回ることすら次第に困難となっていく途上だった。


 五人はいかにも崩れ落ちそうな公民館でポーカーを行い、一番最後に残り、後始末等を行う人間を決めることにした。五人は時には冗談を飛ばしながら、和気あいあいとトランプ遊戯に興じた。勝負の結果、一番若い桃花が勝った。五人は別れの挨拶をし、桃花以外の四人は、コミュニティに残されていたわずかばかりの大麻と睡眠薬を分け合って飲み、深い眠りへと落ちていった。四人全員がすっかり眠ってしまったことを確認した後、桃花は一人一人の細く弱った首を丁寧に締めていった。コミュニティ末期には動けなくなった何人もの人間を、残った元気なメンバーがこうやって死なせてやっていた。特にコミュニティ内で一番若い桃花はこうした役目を何度も経験しており、力の入れ具合や、首を絞め続ける時間をすっかり熟知していた。


 親指を首の動脈に押し当て、両手の掌で細く、皺だらけの首をそっと包み込む。体重全体を乗せ、血の流れが止まってしまったことを指先で感じ取ると、桃花はきっかり十分かぞえ、それからようやく首から手を離す。それを四人分、つまり四回繰り返した。桃花は四人を公民館の床に間隔をそろえて並べ、せもてもの供養として、四人の顔に長年の汚れが染みついたタオルをかけてあげ、それから死体を残したまま、新鮮な空気を吸いに公民館の外へと一旦出た。


 その日はすがすがしいほどの陽気で、まさか自分がこのコミュニティで一人ぼっちになってしまったとは到底考えられないほどだった。桃花は深呼吸をし、耳を澄ました。風に揺られた木の葉がこすれる音、じゃれあうように歌う鳥の鳴き声がかすかに聞こえた。桃花は胸ポケットから一枚の写真を取り出す。それはまさに玲奈、桃花、拓斗の三人で旅行に行ったときに撮った写真だった。写真紙は劣化し、色彩もうすくなっていた。それでも桃花は玲奈が死んで以降、この写真を片時も離さずに持ち歩いていた。桃花はじっと写真をみつめ、色あせてしまった玲奈の偶像に軽く口づけをした。そして、一度だけ大きく背伸びをし、再び公民館に戻った。そして、あらかじめ用意していた一人分の毒薬を飲み、桃花は自ら命を絶った。


 その時には、すでに他のコミュニティ、チェルノブイリ・コミュニティといったコミュニティも一つ残らず消滅してしまっていた。つまり、フクシマコミュニティが大戦後最も長く続いた人類共同体であり、それはすなわち、桃花は人類としての最期の人間でもあったということだ。そして、桃花が自ら命を絶った瞬間、人類は地球からその姿を消した。それは大戦によって文明が滅びてからおよそ四十年後のことだった。


 さて、最後は駆け足になってしまったが、これで物語はおしまいだ。この話を聞き、君たちはどのようなことを考えただろうか。決してコミュニティで影響を持っていたとは言えない三人の旅行記から何を学ぶことができるのかと不満を持つ者もいるだろうし、また、そんな意味もないことをする時間があったのなら、たとえ不可能であったとしても、我々人類(・・・・)が生き延びる手段を可能な限り模索するべきだったと考える者もいるだろう。


 どのような感想を持とうが、構わない。それでも私から最後に言いたいことは、長く続く歴史の中で、彼ら三人のように苦しみ、考え、何かを得ようともがき続けていた人間がいつの時代も存在していたということだ。繰り返し語られたように、我々はしばしば表に現れるもののみに目を奪われ、その背後にいる、人間や彼/彼女らの感情、そして小さな物語をあたかも存在しなかったかのように考えてしまいがちだ。


 スケールの大きいことや抽象的なことばかり考えることもいいが、たまにはそのような失われる物語に思いをはせてみることもよいのかもしれない。時間が来た。それでは以上で、今回の講義を終わりとする。では、また来週。


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