RE江戸外伝幕末編発売記念『序章』
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※この作品は九郎がTSしたリブート作品『RE:異世界から帰ったら江戸なのである』の話です。
──時は江戸時代、幕末の嘉永七年(一八五四年)の頃。
風雲急を告げる開国の外圧が、長き太平の世であった徳川の幕府を揺るがしていた年である。
天下動乱に伴い、日本各地で名だたる武士や大名、思想家、はたまた人斬りや医者まで新たな時代へ向けて影響を及ぼしていた。
そして新年を迎えた一月十六日のこと。
アメリカ海軍のマシュー・カルブレイス・ペリー提督が率いる七隻の軍艦が二度目の来航を果たし、浦賀を抜けて武蔵小芝沖に投錨した。
江戸の市中──いや江戸城すら砲撃で狙えるほどの近距離である。
これに幕府は上から下まで大慌てで対応することになった。
船を三浦半島の浦賀沖まで退かせるよう求めた江戸幕府の要求を突っぱね、条約締結に来ることは事前に通達していたというペリー。
ともあれ、喉元に刃物を突きつけられた状態の幕府は、相手の要求をある程度は受け入れる他なかった。
横浜村に応接所を作るのでそこで交渉会談を行う、とようやく決まったのが約十日後の一月二十七日。
会談開始予定日は十四日後の二月十日。
横浜村には当時、そんな応接所なんて存在しなかったので幕府の威信にかけてなんと四日で百畳もの広さの応接所を組み上げたという。
それにしても会談までの時間が押している。幕府が会談でなにをどう要求し、相手の要求を飲むかの結論が出たのが会談四日前という、まったく余裕を感じさせないスケジュールであった。恐らく担当する幕臣は寝ていなかった。
そしてもう一つ、幕府内で議論が行われていた。
「メリケン人相手に、我らが誇るべき日の本の文化で驚嘆させてやらねば」
ということである。
取るに足らなく思えるのだが、現状では砲艦外交で脅されっぱなし、良いとこなしの幕府である。相手がこちらを下等な国だと認識すれば対等な条約など結ばれない。
事と次第では、いくらでも脅しが利くと思われる。
日頃は、自らの武力、或いは身分や石高や官位などで差別することに長けていた武士階級の役人たちは、自らの権威が一切通じない相手に見下されかねないということに敏感であった。
侃々諤々、議論風発といった様子で江戸城でも話し合われている。
「しかしどうするのだ。能や雅楽などメリケン人に通じるのかわからんぞ」
「ううむ、そこらの農民に見せてもわからんようなものを、異国の蛮族ならばより一層わからんだろうなあ」
「しかも今からでは京や大阪より有名な一座を呼び寄せる時間はない。ひと月を切っておるのだぞ」
「江戸で誇るべきもの……そうだ! 鍵屋の花火はどうだ!」
「うむ! あれは確かに素晴らしい。日の本一だと、八代様もお認めになったほどだ」
「最近は地味になったといわれるが、予算を出せば十分なはずだ」
享保の頃より活動している民間の花火職人、鍵屋。年に一度の水神祭にて大花火を打ち上げることで有名であった。将軍吉宗がこれを許可し、大いに満足して褒め称えたことは今でも語り草となり、武士階級にも一目置かれている。
わざわざその花火を見るためだけに江戸へとやってくる観光客もいるほどだ。
それに視覚情報として誰が見ても美しいか、畏怖を覚えるだろう。
「あとは……食事で饗す、というのはどうか」
「なるほど。メリケン国がどれほど離れているかは知らぬが、船上では良いものを食べられなかったであろう」
「そこで江戸の美食でやつらを唸らせたいものだ」
重臣らは難しい顔をして頷き合う。
彼らとてアメリカとの外交上の立場で、すでに幕府は著しく敗色濃厚であることは察していた。
明確な対外方針を打ち立てることができず、此度の条約会議でものらりくらりとして重要なことは決めずに遅延戦法で時間稼ぎをすることになった。
敗北をできるだけ先延ばしにしたい。自分の責任になる形で負けたくない。そんな官僚の思惑が見て取れる。
しかしながらそれでも。
負けるにしても、アメリカ側からなにか一つでも「あれは凄かった」「驚いた」と思われたい。戦国時代でいうところの、戦の趨勢は決まっておりどうせ負けるのだが一回はぶつかって意地を見せてから降伏しようという感覚だ。
それが良いか悪いかはともかくどうにか一矢報いたい気持ちだけはあったのだ。
もう少し頑張ってまともな開国にしようという大きな目標を立てて実行するのは残念ながら無理だが、目先の勝利を欲しがったのである。
「しかし、下手な料理は出せぬぞ」
「うむ。ちなみに貴殿らは最近、なにを食った?」
「家に帰れていないから作り置きの握り飯だけ……」
「食欲なくてゆで卵……」
「胃が痛くて梅干しの粥を……」
「駄目だ……幕臣だというのにろくなものを食っているやつがおらぬ」
がっくりと肩を落とす。武士の給料である米が増産によって価値が下がることで実質給料減が続いていた江戸時代の末期である。贅沢をしている幕臣などはごく一部だった。特に忙しい昨今ではろくに食事も取らぬ者も多かった。
「老中の阿部伊勢守さまにお伺いしてみよう」
ということになって忙しい時間を縫って聞いたところ、
「酒。酒がすべて。酒肴? 羊羹とか饅頭。あとウナギと……酒」
「……」
ストレスからか最近激太りしている老中、阿部正弘はやたら肝臓とか悪そうな顔色でそう言った。もうなんか彼はハチャメチャに忙しいし、四方八方から矢面に立たされて全身ハリネズミのようになっている立場であった。
幕臣に限らず外様大名から意見を募っていたとされるが、その分考えるべきことは増え続け、更には周囲から自分の意見や方針を持たぬ弱腰だと侮られる始末。
同僚の老中などからは「阿部殿めちゃくちゃ顔色悪いんだけど酒を飲んでるときだけは元気そうに見えた」などと言われていた。
数年後に三十七歳の若さで死去するが過労死とも肝硬変とも言われている。
とりあえず可哀想な老中の意見は置いておき、他の幕臣からも意見を募った。
「やはり江戸城の料理番を使うのは、将軍の料理を異国人に出すなどもってのほかというが……そもそも追加で何百人分も本膳料理を作れるほど人数もおらぬ」
「急に増やすわけにもいかぬからのう」
幕府の台所方とはいえ身分は武士。足りぬから一時的に増員ということは難しかった。下手な者を城内に引き入れて事件でも起これば責任問題だ。
「それで市中の良い料理屋を選ぶということだが……」
「誰もが認める有名店というと『八百善』に『百川』、そして『助屋』といったところだ」
江戸にある料理屋の数は年々と増えて今では「名の知れた店」というだけでも百軒に及ぶ。
なにせ江戸の庶民は番付が大好きで、毎年のように江戸の名店ランキングといった冊子が作られてよく売れているのだ。
そういった冊子に掲載される店の多くは、店の方から評判を上げるために載せてくれと頼むところが多いのだが、八百善に百川、助屋はもはや誰もが知っているので番付では行司役として殿堂入り的な立場に挙げられている。
「『八百善』はどうだ?」
「あそこの料理は目玉が飛び出るほど高かったぞ。予算の問題もある。メリケン人を何人招待するつもりだ?」
「三百人の予定だ。メリケン人だけに食べさせて、幕府側の役人が水だけ飲んで待っているわけにもいかぬから、こちらの人数も合わせて合計で五百人分の料理が必要だ」
「八百善は下手すれば、十人程度の会食ですら百両が飛んでいくと聞くぞ!」
なにせ、茶漬け一杯だけ頼んだら一両二分も取られたとか、干し大根の漬物を小鉢で注文したら金三分請求されたとか、そういう話が広まっているほどの高級店なのだ。店で食事をするだけで箔が付くとまで言われている。
「かといって予算を低くすればマトモな料理が出されずに侮られる……」
「『助屋』はどうか? 拙者、食べたことあるが美味かった」
「味は間違いない。値段も安い。ただ、大衆食すぎないか?」
「元は蕎麦屋と聞くからのう」
今ではすっかり江戸でも上位の評判を得ている助屋なのだが、八百善などに比べて一般庶民でも気軽に入って食べられる食事が売りである。
一つの店では収まりきらない需要もあって暖簾分けをあちこちに出している。持ち帰りや出前も行い、旗本や大名屋敷にも料理を持って行くことも普通になっていた。
親しみやすいのだが、大衆料理を日本が出す全力のもてなしと思われたら困る。
「では間を取って『百川』に命じてみる、ということで」
「異議なし」
百川も高級店の部類だが、メニューには上中下とコースの格があって上を頼むと金二百疋──だいたい、一両の三分の一ぐらいの値段になる。
一両が十万円とするならば三万円。幕末頃には一両の価値も下がっていたので、一両六万円とするならば二万円のコースになる。
高級といえば高級だが、現実的なラインと言えよう。茶漬けで一両二分も請求されるよりはずっと。
とりあえずその場ではそう決まったのであった。
もちろん、百川がどうしても無理であれば次善策で助屋にする予定だ。
とにかく八百善だけは避けたい。予算の都合でそう思う幕臣であった。
******
さて、幕臣の会議から二日ほど経過し、場所は千駄ヶ谷村の外れ。
要予約の隠れた温泉宿である『九郎助屋』の一室を勢いよく開けて女が踏み込んだ。
「おーっす! 大婆さま! 大爺さまが来てるって本当か?」
元気な声で呼びかけるのは六十がらみの老婆であった。頭はすっかり雪のように真っ白な髪をしているが、腰は曲がっておらず、表情豊かでシワも少ないので二十歳は若く見えると皆の評判である。動きも矍鑠としており、性格も老いを見せず若々しい。
彼女が部屋に踏み込むとすぐさま鼻を摘んだ。
「酒臭っ! うわ、ちょっと助平な艶っぽい状態だったらどうしよって思ったけど大婆さまも大爺さまも死体みてえになってやがるぜ」
部屋の中はずいぶんと飲み更けったのだろう、大量の徳利に床へ散らばった塩煎り豆などのつまみ、そして少女がぐったりと倒れ伏し、大男が柱を背に討ち死にしたかのように座り込んで眠っていた。
少女はこの宿の主人、江戸でも名の知られている女天狗の九子だ。部屋に入ってきた老婆からしても、大婆さまと呼ぶほど昔からの付き合いだった。老婆の父親が子供の頃から九子は今と変わらずにいたので、大婆と呼んでいた。
もう一人の大爺と呼ばれた男もまた、見た目は老人とはいえない、身の丈八尺の大巨漢だった。顔つきは鬼めいた化け物面だが、身内では今さら驚くこともない。
彼も老婆の親が子供の頃から身近だった存在であった。
ふたりとも、摩訶不思議な、化物妖怪の類とも言える。
しかしながらこの九郎助屋でも、料理屋の助屋であっても、関係者では今さら恐れる者などいないだろう。
「うー……」
唸り声と共に九子が目を覚まして、なんとか苦しそうに顔を上げた。
何歳になっても少女のようなあどけない顔立ちに、どこか草臥れたような疲れを感じる表情をした不思議な印象を受ける。
「おや、栄子かえ。おはよう」
何十年も昔、老婆が幼かった頃と同じように優しく呼びかけた。九子はほとんど誰にでもそういう態度だった。彼女にとって多くの者は子や孫に等しい間柄だ。
「おう、おはよーだぜ。ひっさしぶりに大爺さまが山から降りてきたってんで顔合わせに来たところでよ」
栄子、と呼ばれた老婆は軽い口調でそう挨拶をした。『お栄婆さん』とよく他人からは呼ばれるが、九子だけはそう呼ぶ。老婆なりの年月を付き合ってきた彼女だが、もうひとりの大爺と呼ぶ青年は年に一回か二回、下手をすれば数年に一度ぐらいしか会わないのでこうして訪ねてきたのだ。
九子は「そうか、そうか」と頷き、のそのそと男の近くへ這い寄った。彼女からしてもあんまり普段は会わず、おまけに数少ない古い友人である彼とは懐かしさもあって昨晩は深酒して親交を深めていたのだ。
「これ、起きよシン。栄子が会いに来たぞ」
「う、うーん……水……」
「仕方ないのう。『精水符』」
九子が術符を取り出して唱えると彼の顔に水が流し込まれた。
「ぐっへぇー! ちょっ! 九子さん!? 水かけないで貰えます!?」
「おお、すまんすまん。二日酔いで狙いが……」
「自分でやるから術符貸してくださいよ、もう!」
九子が手に持っていた術符を取ると、シンと呼ばれた男は眼前に持っていき念じながら呪文を唱える。
「『ミヅノタマよ、力を貸し与えたまえ』」
彼がそう呟くと術符はわずかに輝き、少量の水を生み出して、湯呑みへと入った。
九子とは少々変わった魔法の使い方である。栄子は感心した様子でそれを見ていた。化け物同士で、妖術は互いに得意としているようだ。
「昔はスカートめくりしか出来なかったのに、器用になったのう」
「相当練習しましたからね、これでも」
しみじみと呟くシン。彼はオークという長命の種族であり、異世界から江戸へやってきてもう百年以上も経過している九子の古馴染みであった。
以前の名前は川村新六。立派な武士で幕府の役人だったのだが、さすがに公的機関に所属する人間が何十年も現役でいるのは怪しまれる。適当な頃合いで隠居をして、江戸を離れたのだが時折こうして、同じく長生きの九子と会って飲み会をしている。
以前は九子から術符を借りてもまともに発動させることができなかったのだが、九子の術符を媒体にして、この世界に存在する妖怪や神霊の力を借りることで様々な術を使えるようになった。
一部の術は九子の術符なしでも使用できる。
そんな妖怪二人の妖術はすでに見飽きているお栄は軽い調子で提案する。
「そーだ、せっかく里に降りてきたなら黒船見に行こうぜ大爺さま。でっけー船が沖についているんだぜ。見物して絵に残してやるか。死んだジジイが悔しがる」
「黒船来航だのう。ここまで長かったやらあっという間だったやら……鉄蔵のやつももうちょい長生きしておればよかったのにのう」
「墓参りもいかないとなあ」
と、シンは感慨深げに頷いた。
鉄蔵はお栄の父親で、つい数年前に死去をした高名な絵師である。新宿近くで生まれた彼も九子やシンとは長い付き合いをして、ときに絵描きの旅に付き合うこともあった。亡くなった年は九十歳を超えて江戸の長寿番付に載るほどの大往生だった。
絵に関しては生涯を通して非常に熱心で、死ぬ直前まで腕前の上達を願うほどだったので、黒船も見たかったろうと思う。開国すれば外国の画材も手に入ったのに。
彼の版画や肉筆画に関しては「いずれ価値が出るだろう」と九子が全種類を網羅せんばかりに蔵へと保存していたりもする。
「ま、とにかく今日はメシでも食いに行くかのう。『百川』あたりで鯛づくしといこう」
「おっ、いいな。アタシ、魚料理は面倒だから自分でやらねーんだよな」
「僕も山暮らしだから魚は久しぶりだなあ」
「蒲鉾も美味いぞ、あそこは。ウニを練り込んだ黄金蒲鉾があってな、土産にしよう」
などと話しつつ、三人は揃って部屋を出て宿の正面入口へと向かう。
すれ違う宿の者が頭を下げつつ九子に散らかされた部屋の片付けに向かった。
宿を建ててから長いこと経つが、九郎助屋は予約制の温泉宿としてのんびりと、さほど忙しくもない経営をしている。なかなか他人が予約を取るのは難しいのだが、知人友人の伝手を持っていれば貧乏絵師や下級の武士などでもゆっくりと逗留できる。
玄関に行くと来客があることを、女将のお露(女装男性)が知らせた。
「九さま、百川と鍵屋の旦さん方が来られておりますわ」
「ん?」
九子が顔を向けると確かにそこに二人の男がやってきていた。
高級料亭『百川』の主人、百川茂左衛門。強い癖っ毛で髷も結えない、と噂される天然パーマの髪型をして、狐目に胡散臭い中華マフィアめいた鼻眼鏡を付けている青年だ。
江戸一の花火屋『鍵屋』の主人鍵屋忌諱太郎。丁寧に剃り上げた月代頭と顔の右半分に花火の大きな入れ墨をいれており人相が悪いが、顔立ちは整った男である。
どちらも少々奇抜な出で立ちだが、江戸でも名高い店の若き主人たちで知られているし、九子とも顔なじみだ。
軽く手を挙げ茂左衛門の方から挨拶をした。
「やは。九子姐さん。ちょいと相談があって」
「天狗さまァ! ご機嫌麗しゅう! そしていつものアレまた頼んまっさァ!」
忌諱太郎は勢いのある怒鳴り声でそう言ってくる。なにせ普段から火薬を爆発させていて耳が遠くなるので声がデカいのだ。
「なんだなんだ、もじゃえもんに忌諱太郎も。よし、ちょいと応接間では話を聞こうかのう。お露や、茶を頼むぞ」
「あいあい」
そういうことになり、そのままの流れでお栄とシンも九子についていった。
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応接間にはちゃぶ台が置かれている。九子が広めたテーブル文化は江戸でも根付き、家庭でもよく使われるようになった。
テーブルを囲むようにして九子にシン、百川と鍵屋の主人が座る。しげしげとお栄が眺めて感慨深く頷いた。
「いつでも大婆さまは二枚目の男連中に囲まれてやがるな。まるで乙女芸みたいだぜ」
「乙女ゲー言うでない」
乙女芸とは江戸後期に流行った、裕福な家の娘が顔の良い男芸者や陰間を侍らせて疑似逆ハーレムを作って楽しむ遊びである。現代で言うホスト遊びのようなものか。これが後に乙女ゲーの語源となったという説が近頃は支配的だという独自研究がある。
お栄の指摘に若い店の主たちは咳払いをして誤魔化した。彼らとて今は嫁もいるが、十代の頃は九子に見惚れていたクチである。シンだけはもう九子ともう長い付き合いなので肩を竦める程度だが。
さて。
江戸にやってきた頃ほどは忙しくはないが、今でも誰かに相談を受けることは多い。
昔は九子が次々に新規事業を起こして金儲けをしていたものの、今となっては多少助言する程度で根津家も助屋も使い切れぬほど金を稼いでいく。
九子自身も遊んで暮らすには十二分の金が流れ込んでくる立場なので、知り合いの花火職人であったり、道場であったりといった儲けの少ない事業へも支援もしていた。
「それで、まず鍵屋はどうしたのかえ?」
「押ぉぉぉぉ忍! 実は公儀のお偉方から、南蛮人の度肝を抜くような花火を打ち上げるようにって依頼がありましてえええ!」
「ほう」
「予定は来月! ところがうちは去年の祭りで花火を出して、備蓄がほとんどない状態で来月は無理だと断ろうとしたんでやすが……もうなんか凄え意気込みで頼んできて! 半分ぐらい脅される感じで! 引き受けちまったんす!」
ガックリと頭を下げて畳にこすりつけてそう弁解する忌諱太郎。
鍵屋の一門は自分たちが幕府御用達の花火師となった原因であり、恩人でもあるこの天狗には頭が上がらない。
それに鍵屋の花火技術が向上するようにこれまで九子は資金援助や炎色反応を起こす材料の調達を手伝ってきたのだ。オランダや中国から火薬を取り寄せもした。
「あー……それで己れに代わりに花火をやって欲しい、と」
「お願いしやす!」
「ま、別に構うまい。それにアメリカのペリー提督を驚かせるのも、ちょいと楽しいではないか」
九子は軽い調子で頼みを承諾した。花火屋にすれば火薬の調合から在庫管理、不発の可能性まであって胃が痛くなる急な案件だ。年に一度の大花火とは準備期間が違う。だが天狗にとっては、術符を持ってちょいちょいと念じるだけで花火を出せるのだから気楽な仕事であった。
「黒船と花火……いい絵面になりそうだぜ。やっぱ見物にいかねーとな」
お栄が面白そうな笑みを浮かべてそう呟く。江戸でも花火絵は人気ジャンルの一つで、一瞬で消えてしまう花火の絵柄を如何に美しく、背景や町並みと合わせて描くかは絵師の腕の見せ所である。
特にお栄は夜闇の暗さと光の鮮やかさを引き立て合わせる絵柄が人気の絵師で、得意分野とも言える。
「それで、もじゃえもんは?」
九子が話を向ける。百川茂左衛門は子供の頃から髪がモジャモジャしていて髷が結えなかったのだが、九子が「個性的でよいではないか」と面白そうにしてくるのでむしろ気に入っている渾名と髪型だった。
「やは。うちもお上から、横浜村にやってくるメリケン人を饗応する料理を出してくれって頼まれたんです」
「ほうほう。歴史に残りそうな会談の場に選ばれるとは、さすがの名店だのう」
安政の頃に出された『会席御料理番付』には名店として山谷の『八百善』、山下の『がん鍋』、両国の『亀清』に『万八』、深川の『平清』、檜物町の『嶋村』に並び、浮世小路の『百川』が挙げられている。時代劇や時代小説で目にすることがあるかもしれない。
江戸に千以上もある飲食店の頂点。百川に通うことがステータスになるほどだ。
百川の常連としていた者でも有名な人物を挙げると、徳川吉宗の孫で老中の松平定信、『蜀山人』の号で知られる大田南畝や戯作者の山東京伝。
『東海道中膝栗毛』の十辺舎一九。画家の渡辺崋山や歌川広重、『日本外史』を書いた頼山陽、兵学家の佐久間象山に日本地図の作成で有名な伊能忠敬も百川に通っていたという。
あまり歴史に詳しくない九子ですら名前を知っている者たちがやってくるので、彼女もちょくちょく顔を出したり常連と酒を飲んだりしていた。
茂左衛門は糸目のまま困ったように顔を歪め、両手を広げて説明した。
「無理ですよう! 意味わかりませんよう! こっちも予定日まで一ヶ月切ってるのに、五百人分も本膳料理、しかも山海の幸を集めて贅沢なやつを用意しろって幕府なに考えているんですかねえ! 鯛を用意するだけでも一人に三匹は使うから当日千五百匹必要なんですよ!?」
「五百人! そりゃあ……ちょいとキツイのう?」
一般的な飲食店にいきなり五百人分の予約を入れたらそうもなろう。
仕出し弁当などを専門的に作っているところならば、日持ちのする食材と料理を選び弁当箱に詰めることはできるかもしれないが、要求されたのは本膳料理。
大規模な饗応となれば膳の数も増え、料理数は数十にも及ぶことがある。(史実ではペリーら相手に百種類以上出した)吸い物を数種類、刺し身も数種類、煮物も数種類、ほんの小さな皿に盛る分だが、とにかく数が多い上の五百人分必要だ。全部一流の味で。
例として記録に残る『百川楼仕出し献立』を見てみよう。
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本膳
膾 鮒平作り 巻小川(魚すり身とイカの酢締め) つみ岩茸 干しわさび 金柑
汁 萩つみ入り よめな
香者 粕漬け 塩押小蕪 手巻紫蘇 しお山椒
煮物 鯛豆腐 粒初茸 のりせん
飯
二の膳
平皿 みつ葉 蒸しひらめ もみ鮑 篠の人参 鰤ぬかぼ ねりくず
汁 鰈背切り 蒔ぼうふう
緒口 菊味和え 小海老の湯引き 巻くわい
焼もの 小鯛 かけ塩
吸物 松笠鱸 水芝しのり 白川柚子
中皿
硯蓋 より牛蒡 巻水はんぺん 梅ヶ香蒸鱚 照り煮たいらぎ貝 吹寄たまご
くわい みとり河茸
鉢 錦やき 子持ち鮎 からみ大根 柚子醤油
盛交菓子
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だいたいこれが、百川の出している一般客向け本膳料理のメニューになる。
もちろん相手が大名などである場合は更に品数が増えていくが、それでも一つ一つ手間を凝らせ、材料を厳選していることが読み取れるだろう。いやもうなんか、聞き慣れなくてどんな料理だそれって感じのものもあるが。作者も食べたことがない。
最低減、これを五百食。
『百川』とて、大広間を貸し切っての宴会や根津・助屋組の寄り合いで五十人分ぐらいは用意したこともあるが、その十倍は厳しい。
普段から大量に本膳料理を仕出しで作る準備をしていない限りは無理だ。
「というわけで九子姐さん、助屋の方で引き受けてくださいよ!」
「ううむ、確かにピンチだのう」
「つーかそもそも、『百川』も『助屋』も変わんねーのにな。幕府の連中も」
「そうだねえ」
お栄がツッコミを入れてシンも頷いた。
『百川』は『百川』という屋号で、独立した会席料理の名店として知られているのだが──実質は『助屋』の系列店である。
暖簾分けしてあちこちにある大衆料理の『助屋』とイメージの違う料理を出すため、『百川』という名前で店を開いた。
元々は九子と親しかった者が初代の店主となったので、その画号を店名にしたのだ。
仕入れや従業員も『助屋』と同じく忍び連中を使っている。
今では九子が稼いだ金を使って酒問屋や塩問屋、醤油問屋などの食料品問屋を開かせ、更には廻船問屋までやって様々な物品を仕入れて『助屋』や『百川』に卸しているのだ。仲介業者を自社でやることで原材料費を安くしつつ、問屋の儲けが馬鹿にならないほど入ってきていた。
それはさておき。
「うちの本膳料理を五百人分用意することは難しいけど、九子姐さんの助屋が全面協力すれば材料も人員もどうにかなりますよね。というわけで最初から助屋が請け負えばいいんですよう!」
「なるほどのう。本膳料理か……」
九子も料理はできる方だが、さすがに本膳料理は日頃練習もしていないので専門外である。もはや現代知識や自炊得意程度の能力では、何代にもわたって料理職人として工夫と修行をしてきた『百川』の者たちには足元にも及ばない。
ただ手先が器用で料理上手な忍び連中をかき集め、『百川』の料理人が指導すればなんとかなるかもしれない。
ペリー一行に料理を出したとして『助屋』の名前が歴史に残るのは多少悪戯めいて楽しくもある。
「……だがもう一捻り欲しいところだのう」
「一捻り?」
茂左衛門が首を傾げた。九子の遠い昔の記憶であるのだが時代劇だったか時代小説だったか歴史バラエティ番組だったかで、ペリー一行に豪華な和食を御馳走したところ、反応は今ひとつだった、という話を聞いた覚えがあったのだ。
さもあらんことだ。全く違う文化圏の食べ慣れていない料理なのだから、いくら日本人が大喜びする鯛を何匹も並べられても「また魚か……」という気分であっただろう。
実際、刺し身などは一切手を付けなかったという記録も残っている。
日本の豪華な料理で文化的に圧倒するという目論見は史実では失敗と言っても過言ではない。
九子が号令を出せば同じく和食も出せるだろうが、どうせなら相手が喜ぶ料理で驚かせた方が楽しそうだ。
「料理の品目を変えても大丈夫かのう。ペリーらの故郷のアメリカ料理にしてやった方が良いと思うのだが」
「えー……どうなんですかね。ちょっと幕府の方と確認しないと……」
「話がわかりそうなお偉いさん……遠山の金さんあたりに頼んでみよう」
この頃、南町奉行は遠山景元が務めていた。史実では隠居していた頃合いだが、温泉通いでの健康効果が効いたのか、お互いに嫌い合っていた悪名高い町奉行の鳥居耀蔵が早めに失脚したのがストレスにならなかったのか、まだ町奉行として在職中であった。というか、幕府としても混乱期であったので町奉行をコロコロと未経験者に変えては不都合だと、老中の阿部正弘からベテラン町奉行として抜擢されていたのだ。
若かりし頃に放蕩生活を送っていた遠山景元は江戸の温泉街である新宿にも入り浸っており、助屋で飯を食い、九子とも親交があった。江戸時代、遊び回る偉人の多くは食事や温泉や娯楽(版元の株も持っている)で九子か根津家に関わった。
町奉行になってからも厳しい風俗取り締まりを行う水野忠邦や鳥居耀蔵と対立していたので、商売や生活に支障が出る禁令には逆らいたい九子らが裏から支援していたのだ。
今でも町奉行所に出前配達を毎日助屋が担当しているので付き合いがある。
「九子さん、どうするんだい?」
「うむ。ペリー一行を饗すメイン料理は『バーベキュー』に決まりだ。アメリカ人ならたぶん好きだろう。となれば準備を早速始めねばのう! お主らも手伝うのだぞ」
九子は久しぶりに珍しいことをするのでワクワクしながら指示を出すのであった。
「あのう。僕も手伝うの?」
表社会からはリタイアしている新六も自分を指さして訊くが、九子は当然のように頷いた。
「力仕事はなんぼでもあるからのう。それに新六や、お主は鍵屋と協力して花火の練習をしておけ。己れは食事の方をどうにかするからのう」
術符を使って花火を再現できるのは新六を含めて僅かな人員しか居ないので、彼をそちらに回す算段であった。
そういうことになった新六は『炎熱符』を借り受けて、鍵屋の面々と打ち合わせを行ったり、極小の花火を術符で再現したりして練習に励むのであった……




