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52話『異世界の思い出よもやま話』

先に謝っておくと、今回は更新分書くの間に合わなくて書籍二巻書き下ろし部分を回想するだけになってます。ごめんね!

イエス・キリスト(インド味)http://ncode.syosetu.com/n9138dz/とか書いてたらネタがまとまらなくなって申し訳ない

なんか二百話以上も書いてるとこの書き下ろし部分もどっかで投稿してなかったか不安になる





 とある夜の日である。 

 九郎は酒の肴に、皆からせがまれて異世界の思い出話をしていた──





 ********






 体中に叩きつけられる小さな礫は雨か、波か。或いはロシア巡視艇から飛んでくる銃弾か。今まさに蜂の巣になっていたとしても、船体が上下に跳ね上がり揺れ動く衝撃と、被さる大波の冷たさ、それに飛び交う怒号に暴風雨の音で死んでも気付かなそうだ。

 ゴム長を履いて首にタオルを巻いた青年──九郎はそんなことを思いながらロープを引っ張り船の縁にしがみついて今にも流されそうな漁船の仲間を引き上げようとしていた。


(仲間というか共犯者か)


 ロシア近海──というか領海でのカニ密漁を行っていた九郎の乗る怪しげなカニ漁船は、大時化した海とそれにも怯まずに射殺を試みているロシア人に命を狙われている立場であった。


(少し地元での警察から離れるための出稼ぎ気分だったけど、とんだ危険地帯に来たな……)


 げんなりして薄暗い波間から発砲のフラッシュを見つつロープの先の男が自力で這いよってきたのだが足を滑らせた。九郎も引っ張られて転び、姿勢が低くなったと同時に頭の上を銃弾が通過する。船にまた穴を穿った。

 九郎はもはや慌てても仕方がないという心地で云う。


「腕がいいな、ロシア人」


 彼の呟きを真後ろにいた密漁仲間が聞いて叫ぶ。


「あいつらマジで殺すつもりじゃねえか! 九郎、ロシア語で降参するとか叫べないのか!?」

「『東京湾に沈めるぞ』って文句ならロシア語と中国語でいけるけど他は知らんなあ」

「役に立たねえどころか逆効果だろ!?」

「応用して『相模湾に沈めるぞ』もいける」

「江ノ島にでも行ってろ!」


 叫んでくる密漁師の声。被った波の水が耳に入り、反響して気持ちが悪い。

 どうせ降伏してもまともな扱いを受けさせてくれるかは怪しい。射殺して言い分を向こうが作成したほうが後始末も楽なのは九郎でもわかった。


「死ぬかもしれないな」


 九郎は漠然と思っていたことを口に出した。同時に若干麻痺していた寒さが急に感じられた気がして、ロープを握る手に力が込もる。


(死にそうになるのは何度目だ? 仏の顔も三度まででも見逃してくれよ、頼むぜブッダ)


 祈りながら波を被りつつ必死に這い上がろうとしている仲間を見遣る。

 海が荒れるまでは談笑していた男だ。博打で作った借金がかさみ、このままでは娘が高校を止めて働くと言い出したので心を入れ替えて密漁をしに来た仲間。自分と同じく駄目な奴だが、同じく死ぬ程駄目なわけではないとは思った。

 泣き顔で必死に踏ん張り、荒れる海の藻屑にならぬように帰ってこようとしている。

 からからと音が鳴っていた。その異音に九郎の背筋が粟立った。叫び声が聞こえる。


「スクリューが空転してるぞ! 舵をちゃんと取れ! ひっくり返るだろうが!」

「無茶云うな! こんな大荒れで出来るか!」

「ロシア人はやってるだろ! ほらまた銃弾飛んできた!」


 九郎が振り向いたすぐ側の壁に穴が開いた。操舵手は頭を抱えたくなっているが手を離せない状況で怒鳴る。


「絶対おかしいだろあいつら! なんでこんな状況で狙撃してくるんだ!?」


 密猟者は確実に殺すという強い意志を感じる。体に銃弾を打ち込まれなくても全滅しそうな状況だと云うのに。ロシア人は無駄に殺意があった。


「高波来るぞ!」


 背後から叫びが聞こえる。そんなことは見れば判ると言いたかったが船が大きく揺れて舌を噛みそうになった。奇跡が起きてロシア人が全員舌を噛み切らないかとふと期待した。同じぐらいの可能性でこちら全員が舌を噛むだろうが。

 九郎は周りの密漁師に比べれば日焼けしていないものの、腕っ節には自慢のある腕力で思いっきりロープの先にいる仲間を引き上げようとした。すぐに船室に入らねばまた波に攫われる。

 縄を掴みながら、船の激しい揺れに体力を消耗して上がって来れなくなりつつある男の方へ九郎はロープ伝いに向かい救助しようとしたら、背後から悲鳴や怒号が聞こえる。


「もう駄目だ九郎諦めろ!」

「お前まで死ぬぞ馬鹿!」


 九郎は振り返らずに、


「しっかり掴んでろ!」


 と、だけ返して進んだ。どうせこのままだと船が転覆するか全員射殺されて全滅になる可能性も高いのだ。人一人ぐらい助けたところで自分達が死ぬ確率はそう変わらないだろう。ならば助けるために行動するのも自由だと思ったのだ。

 周囲を飛ぶ銃弾の軌跡が九郎には見えた。元々動体視力はそれなりに高かったのだが、集中力が最大限まで高まっている。走馬灯のような気分を感じていた。

 そしてロシア人の放った銃弾が掴んでいるロープに直撃して穴を開け、そこからめりめりとロープが千切れていくのをしっかり見てしまった。


(やばっ……戻……いや)


 悩み即座に決断した。

 先程思った通り、このままでは全員死ぬ可能性も高い。逆に云えば奇跡が起きれば全員生き延びられるだろう。

 ならばその奇跡にちょっとおまけがついてもバチは当たらないと思いたかった。


「こんちくしょう」


 ロープを千切れる手前で離した。大きく傾き波をかぶり続けて濡れる船の上。足を滑らせるか大荒れに跳ね上がる船に弾き落とされ兼ねない。

 二人分の体重から開放されたロープは少しの時間だけ長く持つ。九郎は体を低くしてロープの先に捕まる男へ走った。

 家に残してきた弟と母親の顔が浮かぶ。少なくともあと五年。弟が大学を卒業するまでの学費生活費は渡している。


(大丈夫だ)


 自分を励まして踏み込む足に力を入れた。

 死にかけている彼は昔の自分だ。自分と同じく、家族の為に非合法な危険へ踏み込んだ馬鹿だ。そこで生き残っている結果が出るかどうかは運次第で、自分は家族をある程度まで支えきった。彼はまだだ。死にかけた過去の自分を助ける気分で、九郎は走った。

 奇跡がひとつ起きた。揺れて滑る船の上を九郎は一度も足がもつれること無く、流されかけていた男の元へたどり着いた。


「すまねえ、すまねえ、死にたくねえ」


 いい年をして泣き喚く男。当たり前か、と歯を食いしばりながら脇に抱えて持ち上げる。

 海が荒れる前に娘の写真を見せびらかしていた。このカニ漁が終わったら綺麗な服とか旨い飯とか食わせてやるのだと。周りの仲間は「事故死するなよ」と笑っていた。そんなことをするからドジを踏むのだと今更九郎は思う。


(いや、己れもこれが終わったら公務員試験受けようとか弟に云ってたな)


 そんなところも似ていたので見過ごせなかったのかもしれない。

 奇跡は続いてくれていると願うしかなかった。男を担いだまま船の上を走り船室へ向かう途中に波を被るが流されない。


「ぐ──!」


 叫んだ。言葉は暴風雨と時化、跳弾の音に紛れるが、九郎は叫んで扉の開いた船室へ駆けた。 


(大丈夫だ、いける)


 仲間はドアを開けたまま、焦り顔で大きく手を振って招いていた。急げと口の形が動いている。男を抱えたまま踏み込む──。

 しかし。

 不幸は訪れた。足元に、網から抜けだしたカニが居たのだ。無骨な甲殻に無慈悲な鋏を持つモンスターである。九郎はカニを踏みしめて体勢を崩した。


「カニが──!?」


 叫びは力となり、最後の筋力を使って抱えていた男を船室へ投げ入れた。

 投げ飛ばされた男の顔と、空中で一瞬目があった。

 悲しそうな顔で九郎に手を伸ばしていたが、届かない。彼は仲間に受け止められて船室の中へ転げるように入った。


「九郎!」


 声が聞こえて、滑った足を戻そうとした。

 だがそこで再び船の傾きと大波が船上を襲い、九郎の体は大質量の海水に飲み込まれて絶望的な圧力で流されていく。

 一度船の縁に叩きつけられて水を吐いた。まだ落ちていない。船室から身を乗り出して仲間が怒鳴っている。耳がわんわんと反響していた。


「──!」


 もう一度動けるだろうか。手を伸ばして船室に九郎が体に力を込めようとしたが──再度の波で彼は真っ黒の海へ落ちていった。

 そこからはもう声も聞こえない。あらゆる方向に引っ張られる。救命胴衣の樹脂部品が弾け飛ぶのを感じた。整備不良かこのような過酷すぎる環境で使うものではなかったか、どちらにせよ九郎の危機は終りへと向かう。


(助からないな、これは)


 冷たく重い水が体を全ての方向から押し潰してくる。

 捩じ切るような圧力で肺の空気は絞り出され、体が深く沈んでいくようであった。


(しかし……海の中は静かだ)


 唸りの音はあったが、外の絶叫と暴風に比べれば静か過ぎて寂しくさえ思える。

 故郷に居る家族が浮かんだ。病弱だがしっかりものの母親、真面目すぎる気がするが随分良い男になった弟、あまり帰ってこないが海外で危険と隣り合わせに仕事をしていた父親。


(……元気でな)


 それ以外に思う事はもう無かった。


 ──意識が途切れる。

 



 目覚めたときは雷のような衝撃──体験に基づいて云えば脇腹にスタンガンを押し付けられた衝撃を思い出して九郎は跳ね起きた。

 痛みを感じると云うことは生きていると云うことだが、酷い痛さだ。過去に比べてあっさりと痛みは抜けていったが、脇腹を押さえて肺腑に溜まった息を海水と共に吐き出す。


「げほっ」


 呼吸。空気だ。海の底に沈んでいってありつけないと思った空気を感じて、荒い呼吸でそれを取り入れた。

 周囲は真っ黒な水ではなかった。陽光に照らされた平原。大きな岩が背中にある。足元は土と草があった。ここは陸だと、やや酸欠気味になった頭で思考した。


(大荒れの海から陸へ流された? そんなことあるのか?)


 しかし救助されて病院、と云う雰囲気でもなく、野ざらしだ。

 彼は咳き込んで俯いていた顔を上げて周囲を見回す。

 人が居る。

 まず見えたのは子供であった。年は小学生程だろうか、銀色の髪の毛をした白い肌の──九郎と云う日本人から見れば外国人だ。

 緑色の目を向けてじっとこちらを見ている。


「ロシアか、ここは」


 まずいと思った。ロシア近海で密漁をしていて、落ちてロシア人に見つかるとは危険極まりない。軍に引き渡されてからの末路は恐らく酷い物だろう。


(捕まったらシベリアで木の本数を数える仕事に連れて行かれかねない。詳しくは知らないが……いや待てよ)


 九郎の脳内で別の可能性が浮かんだ。

 同時に少女から幼い、よく通る声が聞こえた。


「何を云っておるのじゃ、お主」


 見た目は外国人の彼女から紡がれた言葉は日本語だ。

 可能性は確率を上げた。希望が浮かんでくる。


(まさかここは北海道か……!)


 カニ漁船は詳しくは場所を伏せられたが本州から出た為に北海道に立ち寄った事はないものの、北海道民の半分は肌が白くほぼロシア人だと聞いたことがある。

 その情報の真偽はともあれ、可能性は半々だ。ロシア人っぽい道民か、日本語を喋れるロシア人か。さり気なく確かめる方法を検索した。


(そういえば船乗りの仲間が一人、元道民であった。その情報を使うと……)


 九郎はなるべく無害そうな顔で彼女に単語の一つを投げかけた。


「セイコーマートはこの辺あったか?」

「なんじゃそれ?」

「すまん、今の無し」


 駄目だった。セイコーマートは北海道に広く展開しているコンビニだが、それが無いということは違うということだ。

 九郎は海水でビシャビシャになった前髪を掻きあげて、ゆっくりと立ち上がり周囲を見回す。

 平原だった。海はどこにも見えない。少なくとも流されてきたとは思えなかった。

 少女だけではなく、近くに幾人かのロシア人らしい連中が居た。

 だが九郎は目を見張る。


「……なんか違和感が」

「というかお主! 立ち上がるな、薄らデカイのに! 私が起こしてやったのじゃぞ! 無視するでない!」

「ああ、すまん。ありがとうな……ええと、ここはどこだっけか?」


 九郎の質問に、彼女は首を傾げて応える。


「どこって、そりゃあ大陸の西方にあるクリアエ地方じゃが」

「大陸の、西?」


 すると自分は日本とロシアの間の海から北極海を越えてヨーロッパのあたりまで来たのか。


(まさかだろ)


 かぶりを振る。そしてやや冷えた頭で、落ち着いて道民かロシア人かそれ以外……まあ似たようなものではあると思っていた少女を見下ろした。

 こちらを見上げている少女は──その耳が微妙に長かった。


「なんだこれ」

「むっ、こりゃあ! 耳を掴むな!」


 その両耳をハンドルのように掴んだが、どうやらちゃんとした耳のようである。形以外。

 そしてやや離れたところでこちらを見ている集団を見遣る。

 金属鎧に剣や槍を持っている男が居る。

 その隣では相撲取りの体格のまま背丈を二メートル五十センチぐらいにして鼻の目立つごつい変な顔の生き物が服を着て見ている。

 それよりも巨大な鎧の首にちょこんと少女の頭が乗っている不釣合いな巨人も居た。

 ホグワーツの魔法使いかと思うような帽子と杖を持った女は、下半身が大蛇のようであった。

 明らかに、普通の人間ではない連中が──この世界には居た。

 騒ぐ手元の耳長少女をもう一度見下ろして呟く。


「ロシアとどっちがマシだっただろうな」


 確信はないが、呟いた後にこんな言葉が浮かんだ。

 

 カニ漁船から落ちたら異世界だったのである。





 ********

 




「──とまあ、そんな感じで野っ原にずぶ濡れになっておったクローを見つけたのが出会いじゃったのー」

「漁をしてたらいきなりどっかにふっ飛ばされてな。最初に会ったのがスフィたちでよかった」


 付き合いの長いという九郎とスフィ、その出会いを他の皆に聞かれたので二人はそれぞれの主観で説明をした。

 九郎としてはまさに死んだと思ったときに異世界に渡ったので、九死に一生を得たのであったが。


「それからどうなったでありますか?」


 夕鶴の疑問に九郎は頷いて応えた。


「うむ。見知らぬ土地に持ち物もなく投げ出されたわけだからな。あるのは自分の健康な体だけ。ということで傭兵をして稼ぐことになったのだ」

「傭兵ね……スフィはなんで傭兵をしていたのかしら。とても向いているようには見えないのだけれど」


 豊房の疑問もその通りで、どう見てもスフィは少女だから血なまぐさい傭兵家業というのはいかにもそぐわない雰囲気である。


「私は旅をしていたらスカウトされたんじゃな。傭兵家業なんてのは、死と隣り合わせじゃから僧侶が必要なのじゃよ」

「己れも何度も死にかけた」

「大変だったんだな……ところで外国って食い物とか大丈夫だったのか?」

「ああ、案外平気だったぞ。うどんとかあったしな」

「うどんがあったのか」

「多分日本人が伝えたんだろう……」


 九郎が過去を思い出して解説を加える。





 **********





 異世界にて。

 覆面と云うべきか頭巾と云うべきかクロウは悩むが、とにかく忍者が顔を隠しているアレである。

 そこに箸で掴んだ白い麺──うどん麺である。熱い汁に浸っていた麺が湯気を立てながら忍者の口元に近づき、するりと消えていった。

 布に切れ目などは見えない。クロウは眉根を寄せながら尋ねる。


「どうやってるんだ、それ」

「これはちょっとした壁抜けの術の応用也……」


 頭巾の隙間から見える凄みのある目を光らせながらその忍者──傭兵仲間のユーリ・シックルノスケは低い声で云う。

 ロシア近海の荒れ狂う海から、異世界ペナルカンドへ迷い込んだ日本人のクロウだが、身分証明も無ければ金も持っておらず知り合いも居ない常識も通用しないという状況で、やむを得ず身一つでなれる仕事、傭兵へと就職したのだ。

 というか、気絶して起こされたときに近くに居た集団が丁度傭兵団であり、そのままスカウトされた。健康で体が大きければ誰でもなれる簡単なお仕事こと傭兵である。

 この世界では人間や人間っぽい種族などが普通に暮らしている。幸い、言葉は通じた。日本語が標準と云うわけではなく、ある程度の意志と知性がある生き物の発音ならば自動翻訳されるようにペナルカンド世界の神の力が働いているようだ。

 傭兵団の団長、ジグエンと云う男は他の傭兵や旅人からもスカウトを行っていて、最近仲間になった一人がこの忍者のユーリであった。

 普段は全身を黒装束に包み、戦いになれば何故か覆面以外脱ぎ捨てて裸になり、鎖鎌を使い敵を仕留めていく色んな意味で恐るべき戦士だが、見た目はクロウの故郷である日本に居たとされている忍びの者のようであったのだ。

 或いは同郷かと思って話しかけて見たが、


「東方の島国ねえ……微妙に似てる感じではあるんだが、別か」

「残念ながら、クロウの故郷は検討もつかぬ也……」

「うどんはあるのになあ、この世界」

「美味也」


 ユーリの出身はペナルカンド大陸の東に浮かぶ島国で、そこはニンジャやサムライと呼ばれる職業の者がおり和風の文化があるらしいのだが、日本ではない。

 まるで違い星、違う知的生命体、違う法則で動くこの世界で僅かな希望があるような、無いような。クロウはこの世界に来て数ヶ月でそれを探しながら傭兵の雑用として働いているのであった。


「クロウくんは[稀人]ってやつなんだね」

「マレビト?」


 うどん屋の横に並ぶ座席、、クロウの左に居るユーリの隣に座っていてうどんを食べているオークの神父が云う。

 オーク種族と云う人とは少し違った顔と体付きをしている巨漢だ。その旅装に包んだ体を狭そうに席に収めながら、彼が持つと小さく見えるうどんの丼を口元から離して続けた。


「凄く稀に君みたいな、[別の世界から来た]って名乗る人が居るんだ。中にはペナルカンドには無い知識を持っていて発明品を残したりもするんだけど……僕も噂に聞くだけで合うのは初めてだな」

「へえ。元の世界に帰れたって話は無いのか?」

「ううん、残念だけど……知らないなあ。そう云う人が居たってことしか伝わってないから」

「そうか……」 


 オーク神父は申し訳無さそうに云うので、クロウは少し沈んだ顔を慌てて気楽な笑みに変えた。

 元々は海の藻屑になりかけていた命なのだ。どこの世界だろうと、生きているだけマシであると思えば別段悲観するようなことではない。 


「うぅオレは聞いたことあるぞぉぉ? 稀人が元の世界に帰った話ぃぃ」

「団長酒臭っ! うどんで酒飲んでるのかあんた」 


 クロウの右隣から急に絡んできた男──クロウが所属する傭兵団の頭領ジグエンと云う四十がらみの髭面な彼にクロウが顔をしかめた。

 この店は料理をカウンターで受け取り自分の好きな座席に運ぶ方式だ。うどんと酒を受け取り、飲みながら持ってきたようである。ジョッキに入れられていた揮発するアルコール臭がきつい蒸留酒を既に半分は減らしている。


「酒に合うのは釜揚げレモン塩うどんだなあおい」

「ウォッカでうどんを食うやつ初めて──あ、いやウォッカをつゆ代わりに素麺を入れて食うやつは見たことあったな。取引先のロシア人で」

「それも美味そうだな! いよぉし!」

「うえっ」

「営業妨害也……」


 ジョッキウォッカにレモン塩うどんを投入しているジグエンにオーク神父とユーリがげんなりとした様子で云う。

 ジグエンは彼らに箸を向けながら、


「ウォッカの可能性舐めるなよ。機神シュニンのところではお神酒なんだぞぉう」

「ジグエンさん機神信仰じゃなかったでしょう……」

「──っとそうそう。稀人で突然現れてふらりと消えていった話はその機神が治めるドワーフの国でのことだったんだ」


 彼はウォッカうどんを一口飲みながらクロウに再び顔を寄せる。

 ジグエンの口元から立ち上がる薬品めいたアルコール臭に気分が悪くなりそうになりながらクロウは聞いた。


「そうなのか?」

「ああ。ある日、留学しに来たって変な服を着た男が機神の国にやって来て、そこに暮らすドワーフらにあれこれと工学やら医学やら薬学やら学んだそうだ。あそこは辺鄙なところの癖にそこらの学問は最先端だからなあ……行ったことないけど」


 隊長が云う。ドワーフの住む機神の国はペナルカンド大陸の中央下部に存在していて、機神がそこに現れるまではただの荒野であったような場所だった。

 今ではその、高度な科学力によって作られて神と祭り上げられている機神の知識と加護により発達しているが、立地が悪い上に住むドワーフが技術を広めようとも、他と戦争しようともしないのでその国のみのガラパゴス化状態にあり。


「で、学ぶのとは別にそいつがドワーフに広めたのがこの[うどん]って料理だそうだ。小麦粉を練って麺にして茹で、煮干しか乾物の出汁をとったつゆにつけて食う。これは世界中に広まった」

「うどんが流行ってたのはそいつのおかげか……日本人っぽい気はするな。香川県民か誰かか」

「名前は確か……[ヒリーガル・グェンナイ]とか云う若者だったらしいけどな。一年ぐらい学んで『さすがナガサキは勉強になった』とか言い残して去っていった。うどんについてもっと詳しく知りたいと機神が探したそうだが見つからず……元の世界に戻ったのではってのは機神自らが云ったことだってさ」

「……もしかしてこの世界を長崎と勘違いしたのか、そいつ。ヒリーガル・グェンナイねえ……聞いたことはないが、香川県民だろうな。どうせ」


 うどんをわざわざ広めに来るのだから疑いはなく。

 しかし、この世界でうどんを食えると云うのもありがたい話ではあった。


(元の世界に戻った、か。きっかけが何か分からないから、今は悩むだけ無駄かもしれないな) 


 クロウはそう思って丼に残るつゆを飲み干す。つゆに生姜が摩り下ろして入れられていて、旨い。

 帰れる方法があるかはわからない。

 だが、自分は生きているのだ。故に精一杯生きて、それで帰れるときは帰ればよい。その程度に思うクロウであった。






 ********




「誰だろうなヒリーガル」

「聞いたことがないわね。うどんを伝えたなら弘法大師とかじゃないの?」

「さあのう」


 九郎は酒を飲む。縁側に座って月見酒をしていて、酒盃に月を映して呑んでいた。


「この前行った時お知り合いには会ってきたのでありますか?」

「む……そうだのう。懐かしい顔と何人か出会えて良かった。鬼籍に入っている者も居たが、よい友達が出来たもんだ」

「昔みたいに酒を呑んで騒いだのー」

「うむ。己れの故郷はこっちだが、向こうに顔を出すことができてよかったよ」





 ********




 異世界の夜に。


 随分と冷えた風が吹いていたが、体は酒のお陰で暖かかい。三十の半ばほどな年頃のクロウは欠伸をして意識をはっきりとさせた。

 ふと訪れた眠気に身を任していたようだ。頭痛も無く、気分も悪くない。酔いの心地良さだけはそのままで起き上がった。

 すぐ目の前に、酒盃を持った少女が居た。椅子に座って寝ていたクロウと、立っている彼女の目の高さはそう変わらない。フードを脱いだ修道服を着ていて、白銀色の髪の毛が流れるようだ。人よりも長い耳を頬と同じく赤く染めている少女は、ペナルカンドでエルフと呼ばれる種族である。

 クロウは笑いながら、テーブルに顎を付けたまま手を上げて応える。


「……スフィか。悪いな、ちょっと寝てた」

「このお祭りの日に寝るなんて勿体無いんじゃよー! ほれ、ソーマを飲め飲め!」

「まあ、確かにな」


 クロウは目の前にある己の酒盃を掴んで口に流し込む。強いが飲みくちの爽やかな、非常に上品な味をした美酒である。

 異世界ペナルカンドでは年ごとに月の神が変わる、と言われている。日本で言うならば干支のようなものだが、その中でも十数年に一度回ってくる[ソーマの年]と呼ばれる、月神ソーマの順番は世界中で待ち望まれていた。

 この年の月神は酒の神でもあり、年の初めと終わりに一晩ずつ世界中に酒を振る舞う。この夜は酒盃を上に向けておけば勝手に神の酒が溜まっていくのである。

 この酒がまた美味く、更に種族を選ばずに楽しい酔いを与えて、体に悪影響を及ぼさずに子供でも飲める。故にこの年の[ソーマの夜]には世界中で宴会が開かれるのである。

 クロウが騎士として住むこのクリアエと云う都市国家でも大通りで自由参加の大宴会が開かれていた。クロウもこちらに来て五年ほどになるが、初めてになるソーマの夜に歌神の教会でシスターをやっているスフィと云う馴染みの少女と参加していたのである。

 彼女とは異世界に来てからすぐに傭兵となって以来の付き合いだ。少女、とは云うものの長寿のエルフ族なスフィはクロウよりも年上であるが、お互いに気の置けない親友でもあった。 


「美味い」


 酒を飲み干して酒盃をテーブルに置くクロウ。またじわりじわりと溢れない程度に酒が溜まりつつある。年始の酒は保存できるが、年末の酒は保管していても朝日とともに水になる。今年最後の味にクロウは顔を綻ばせた。


「ほら、スフィも乾杯」

「そうじゃなっ!」


 見た目は完全に小学生並なスフィと乾杯するので、どうも傍から見れば奇妙な感じがするのであったがクロウももう慣れていた。

 彼女はこくこくと飲み干して嬉しげな熱い息を吐く。


「ぷへー!」

「はっはっは」

「こぉら! 微笑ましそうに撫でるな! 年上じゃぞ!」


 スフィは抗議はするがそこまで本気で嫌がっている様子はない。どうしてもクロウはこの年上振る少女を、親戚の小さい娘のような距離感で扱ってしまうのであった。

 スフィが上機嫌そうに笑いながら、


「しかしタダで酒が飲めるというのに、持ち込んだ濃縮アルコールを配合して悪酔いしてる輩もおるようじゃぞ」

「誰だその馬鹿は」

「勿論、元ジグエン傭兵団の面々じゃ」

「薄々わかってはいた」


 クロウが振り返って視線を送れば、路上に死屍累々と慣れ親しんだ顔が倒れている。

 彼が前に所属していた傭兵団はこの国の正騎士に配属されて多くの者がクロウと同僚として働いている。この日は騎士にならずに旅に出た仲間も帰ってきて宴会に参加していたのだが。

 苦笑してクロウは倒れている面子を見やる。


「オーク神父やイツエさんが酔い潰れてるのは初めて見るな」

「ソーマの効果と濃縮アルコールが重なりあって、酒耐性のあるオークやアンデッドも酔いが酷くなったのじゃろう」

「しかしイツエさんは倒れてると猟奇的だ……」


 酒盃を持ったまま椅子から立ち上がり、地面に転がっている女の生首を拾い上げた。

 断面図がエクトプラズムの白い煙で隠れている彼女はデュラハンで、体は頑健な首なし鎧がこれまた死体のように壁に寄りかかったまま動いていない。


「むふー……やっぱりビキニアーマーにすればよかったですのー……」

「何を云ってるんだこいつは」


 クロウは寝ぼけながら呟くイートゥエと云うデュラハンの女性の首を鎧の体に抱かせた。これも元傭兵仲間で、渾名で呼び合う程度には仲が良かった。

 また、大きな腹を空に向けて倒れているのは身の丈二メートル五十センチぐらいある巨漢で、顔の造形は豚や猪に少し似ているオークと云う種族である。彼らは殆ど固有の名を持たないために、職業などを名乗るのでここにいる傭兵仲間であった彼はオーク神父と呼ばれている。

 オーク神父は普段は旅をしていて、今着ているのも防寒にもなる旅装だから風邪は引かないだろう。クロウは腹を軽く叩いて笑った。


「大丈夫か、オーク神父。寝ていると女騎士に襲われるぞ」

「ううう、クロウくん、なんで女騎士とかはオークを狙うのかなあ。知り合いのオーク紳士さんが女騎士相手に重婚させられたって」

「すまん。己れが縁談進めたわそれ」

「酷い……僕はきっと、世界の何処かにいる未婚の雌オークを探すんだ……」


 想像上の雌オークを思い浮かべながらオーク神父は寝転がったまま酒を飲んだ。

 オーク種族は雄に比べて雌が極端に少なく、また異種とも子供が残せる為に殆どの雄オークは彼らの価値観的に美女である雌オークに出会えないのだ。旅が好きで旅神を信仰している彼もそういう出会いを期待しているのである。

 しかし普段はあまりそう云う、個人の夢を語らずに旅を楽しんでいる彼の酔いに合わせた本音を聞いてクロウは嬉しそうに彼と酒盃を鳴らして自分もまた飲んだ。

 潰れていない者達も騒いで楽しんでいる。

 全裸に覆面のみの忍者がカブキダンスを踊っている。

 尻に酒瓶を突っ込んで倒れている元団長の救急として、血中アルコール濃度を下げようとハーフチュパカブラが嫌そうに吸血をしている。

 初めて酔う体験に喜ぶ全長四メートルのロックゴーレムが、同じぐらいの大きさの人竜と飲み比べをしていた。

 どろどろに酔っている蛇女が魔法使いの老人に樽の中へ入れられて酒で漬けられている。クロウはさすがに老人に声を掛けた。


「よう爺さん。マムシ酒でも作るつもりか?」


 見知った顔の老人だ。とはいえ傭兵仲間と云うわけではないが、以前に彼が持っている棍棒のような杖を武器として借りていた相手であった。

 白髪に見窄らしいローブを着ているが、体の末端部分が闇の様に真っ黒をしている彼は吸血鬼の魔法使いヴァニラウェアと云う。

 この夜に偶々見かけたのでその杖──堕骸杖ネフィリムボーンを返却したところであった。樽の中で酒漬けにした蛇女のアタリをその杖でぐるぐると掻き回しながら云う。


「むう。こやつうっかり酔って儂を噛んで血を舐めたものでな。高濃度な魔力で脳が溶かされそうじゃから霊酒に漬けねば意識が戻らんぞ」

「アタリさん!? 何やってんだこの女」

「おりょおろろろ……」


 完全に目を回している蛇女を薬にもなる酒で回復させているのであった。

 それにしても騒がしい連中だ。このクロウが住む街の中でも、特に変な連中が知り合いに揃っているのである。


「よし、まだ朝日には早い。もっと盛り上げねばな!」

「そうだな」

「どうじゃクロウ! 皆と一緒に騒ぐのは楽しかろう!」

「……ああ、そうだな」


 クロウは微笑んでスフィの伸ばした手とタッチして互いに笑顔を向けた。

 日本からこの世界に来て数年が経過した。帰れる見込みはまだ何も無いが、少なくとも友達は沢山できたのである。そう悲観することも無い。酒も旨いではないかと騒ぐ皆を眺める。


「ようし、歌って踊って、また騒ぐのじゃよー!」


 そう云って、スフィが壇上に上がり歌い出す。信仰による魔力の込められた彼女の歌は体調の回復なども行える。十歳前後にしか見えないちびっ子が歌い出すのを皆が大いに盛り上げていく。

 なんとも魑魅魍魎が奇々怪々と云った様子で、異世界ペナルカンドでは多数の種族がこのソーマの夜は楽しんでいるのであった。

 クロウは心地よい親友の歌を聞きながら、ふと宴会の隅に居る誰かに気付いた。

 苦笑気味に歩み寄って、片手を上げて声を掛ける。


「お前も来てたのか。意外と酒好きなんだな」

「…………」


 頷き、言葉を返したようだ。クロウは覗きこんで返事をする。


「つまみは変わらず甘い物か。しかしそんな隅っこで呑まなくてもいいだろ」

「…………」


 拒否を感じる身じろぎをしたが、肩を竦めてクロウは云う。


「こんな良い夜に、縁起が悪いなんて誰も文句は付けないって。ほら」


 クロウは座ったままの誰かに手を差し出して誘った。 


「こっちに来て一緒に飲もう──クルアハ」

 

 クルアハは手を握り返して、クロウにほんの少しだけ、妖精すら酔わせる酒の効果で微笑んだ。


「……うん」


 そんな彼女の顔を初めて見た気がして──クロウはそのとき見惚れていた。


  






 ********




「……向こうにもう一度行けてよかったよ。大事なやつのことも思い出せた」




 皆が寝静まり、一人で酒を飲みながら九郎はそう思うのであった。



クルアハの部分は書籍二巻だと思い出せてない誰かという風に描写されています

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― 新着の感想 ―
[一言] 香川県…長崎留学、グェンナイ…ゲンナイ…平賀源内かな 何度か読み直して気付いたけども。
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