表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
199/249

44話『日枝神社と夕鶴の話』

ちょっと短め

後書きに報告あります



 赤坂にある日枝神社は、江戸三大祭りである山王祭を主催する大社である。

 元来、江戸城の紅葉山にあったのだが改築の際に麹町に移された。その際に城内にあったときはほんの小さな神社だったのが大きく建て直され、庶民も参拝する大社となった。

 その後明暦三年(1657年)の大火にて焼け落ち、麹町から赤坂へと社地を移して現代に至る。

 江戸時代でも多くの参拝客が訪れる、江戸有数の神社である……



 とある日のことである。

 その日枝神社に九郎と夕鶴はぶらりと二人で出かけていた。

 夕鶴の商売道具である、ふりかけ売りの木箱(笊を入れた二重構造で湿気らない)も持たずに、出ていた。


「いやー、ご主人様と二人っきりで遊びに出るのは珍しいでありますなあ」

「ふむ。まあ、サツ子も連れて販売先に行ったり、豊房と一緒に六科の店に出たりはしていたが二人というのはあまり無かったか」

「今日は独り占めであります! と、言いながらご主人様のことだから、外を出歩けば知り合いに出会いそうでありますが」

「面倒事も今日はごめんだ。一日ぶらぶらして帰ろう。どこか寄りたいところあるか?」

「新しい神社を見に行くのはどうでありますか? 赤坂には赤穂浪士で有名な浅野なんとか言う殿様の奥さんが住んでた屋敷跡地に最近神社が出来たらしいでありますよ」


 赤坂氷川神社である。ここは浅野長矩の正室、瑤泉院が住んでいた広島藩の下屋敷であった。

 享保十五年に吉宗がその場所に造営をさせて、江戸氷川神社七つの中でも一等の位置づけになったという。


「ほう、赤穂事件のな。この前も関係者に会ったが」

「自分の萩もちょっと関係してるであります。お殿様の分家な長府屋敷で、十人ばかり赤穂浪士が切腹させられたのでありますよ。介錯した榊さんってお爺ちゃんから話を聞いたことがあるであります」

「どうだった?」

「失敗して思いっきり後頭部をぶん殴ってしまったとか」

「ダメダメだな!」

「でも相手の赤穂浪士はピンピンとして『どこを狙ってるんだ!! 馬鹿野郎!!! 俺を討てばいいだろう!!』とか叱ってきて二回目でどうにか首を切り落としたらしいであります」

「普段切っておらぬと大変だのう。江戸の罪人を捌く武士すら、浅右衛門に頼むぐらいなのだから」

「あと何かやたら顔が赤かったとか言ってたであります」

「血じゃないのか?」


 苦笑して笑いながら、二人で触れるような距離で神社へ向かう。。

 珍しく二人きりといっても、なんの用事も無く出かけるわけではなく買い物も頼まれているのだが。

 九郎は首筋を掻きながら、


(なんとも面映いのう……)


 まさか自分が孫のような年の娘を妾にして連れ歩くとは、少し前までは思っても見なかったことだ。 

 それでも少しずつ慣れていくのだろう。案外こうして関係が進むと、夕鶴も駄目な妹みたいな存在から認識が変わってきていた。 

 自分のことをご主人様と呼ばれることに関してはなんとも恥ずかしくあったが。しかしながら、亭主を主人と呼ぶのを丁寧にしたようなものだというのでは仕方がない。

 なおご主人様と呼び始めた初日は、気がつけば視界の端からイモのマスコットがじっとこちらを見て何かを訴えていた。なにかご主人様と呼びたがっていた存在がもうひとり居たようだが、見ないことにした。

 

 日枝神社へたどり着くと日常よりも多い人でごった返していた。

 その日は中に建立されてる、末社の山王稲荷神社の例祭が行われていたのだ。折角なのでと将翁に勧められて、二人でやってきたところであった。


「うわー! 出店なんかも沢山あるでありますよご主人様!」

「そうだのう。適当に飲み物とか食い物とか買ってみるか」

「甘酒! 甘酒買うであります!」

「はいはい」


 二人は甘酒売りの屋台に行き、二杯分頼んだ。九郎は夕鶴の帯の辺りから財布を取り出して二十文支払った。

 屋台が出していた椅子に腰掛けて、もろもろとした食感の甘酒を口にする。


「春らしい飲み物なのだが、江戸ではこれは夏が旬なのだよなあ……」

「そうでありますなあ。夏場は冷たくした方がいいであります。しかしご主人様が帰ってきてから、屋敷が涼しかったり暖かかったり快適でありますな!」

「外に出たときに眩まぬようにな」

「気をつけるであります……あっ焼きイカが売ってるであります! 食べたい!」

「わかったわかった」


 焼きイカも江戸の屋台ではメジャーになって来た食べ物であった。

 江戸中期になり庶民にも醤油が出回るようになった頃から見られ始めた食べ物で、醤油と酒、味噌などを混ぜた液に浸して焼くのである。一度漬け液さえ作っておけば、かなりの個数が作れるので醤油がそこそこ高い頃でも屋台の品として提供されていた。

 二本で三十二文。九郎は夕鶴の帯から財布を出して小銭を渡し、また帯に戻した。


「おいしいであります!」

「うむ。単純な料理法だが、醤油が焦げた匂いがなんとも言えんな。ちょいとしょっぱいが、良い烏賊を使っておる。水烏賊だな。魚市に揚がっておるのか。刺し身にしても旨いのだが」

「今度ワカメを買うついでに見てくるであります」

「おう。冷凍して保存もできるからな。新鮮なのも勿論良いが、一旦冷凍してから解凍した方が旨味が増したりするからのう」

 

 もちもちと烏賊を頬張り、串を屋台に返してから二人は社へと向かった。

 他にも大勢若者の姿が見られて列に並び、賽銭箱の前で九郎は夕鶴さいふから銭を取り出して夕鶴にも渡した。

 同時に、ちゃりんと投げて手を合わせて前から離れる。

 同じく日枝神社の方でも夕鶴の金(おさいせん)を入れて、念入りに九郎と夕鶴は祈っていた。

 それから近くにある、巫女がやっている物販コーナーへと立ち寄る。


「何のお守りをお買い求めですか?」

「あー……安産祈願を」


 九郎が苦笑いを浮かべながらそう告げる。


「おめでとうございます」


 売り場の巫女はにっこりとして、身長差のある蚤の夫婦を見た。

 そう。ここに来たのは安産祈願で有名な神社だからであった。

 妾になって夕鶴が真っ先に妊娠したことが判明したのだ。まあ色々と運動会をしているから仕方がない。それにしても、やたら早いが。


「あはは、ありがとーであります! なあに、あれだけ励んでいれば、ねえご主人様!」

「振るな。他人の前でその話を振るな」

「やはりアレでありますかね巫女さん。ほら、痛かったりすると体が命の危機を察して子供を作ろうとするとかそういうの。一番痛みを伴う行為をしていましたからな」

「は、はあ……」

「己れに話を振らなれけば他人に話して良い訳では無いぞ!?」


 照れ隠しなのか、にやけながら巫女に説明している夕鶴を九郎は止めた。

 巫女の方もなにやら言われて赤面している。九郎は咳払いして、


「ええと、とにかく安産祈願のお守りだ」

「はい……」

「あと良縁成就も頼む」

「はあ」

「それと名物の、子授かりの矢みたいなの売ってるよな? それを三本」

「三本!? 三つ子でも願ってるんですか!?」


 日枝神社は安産祈願以外に、子授かりに縁結びも司る神を祀っているのでとにかく若い夫婦や年頃の娘などが多く参拝していたのである。

 ここに夕鶴を連れて行くついでに、それを買ってこいと念を押されて言われていたのである。ついでにサツ子に良縁成就のお守りも。

 しかしながら既に嫁が妊娠しているのに更に追加で子授かりの矢を買っていく客は、巫女も初めて見た。

 九郎は面倒に感じながらも説明する。


「矢は他の三人の嫁にくれるに決まっておろう」

「他の三人!?」

「ええい、騒ぐな。注目を集める。ほら、金を払うから早く包んでくれ」


 九郎はテレテレとしている夕鶴から財布を取り出して、合計550文(11000円/子授かり矢一つ150文、お守り一つ50文)支払う。

 流れるように夕鶴の帯に財布を戻す。背が高くて帯の位置が丁度戻しやすくてしっくり来ると九郎は自然と感じた。

 渡した風呂敷に包んだそれを持って、物販から離れる。巫女はずっと目を丸くしていた。

 やや離れたところまで夕鶴の手を引っ張っていき、粟餅(あわもち)屋の椅子に座った。


「ふう……まったく、あの巫女め余計な詮索をしおって」

「さすがに珍しいでありますからなあ……わあ、見るであります! 面白いでありますよ!」


 夕鶴が楽しそうに、粟餅を作っているところを指差している。

 粟餅とは、もちあわという種類の粘り気がある粟をもち米と混ぜて作る食べ物である。

 江戸時代に於いて粟餅で特筆すべきことは、パフォーマンスをして売っていたところだ。客の目の前で杵を振るって臼を衝いて見せ、さっと掴むとあっという間に団子状に丸めて、それを数メートル先にあるきな粉を入れた笊へと投げつけて見せた。

 これを祭りの出店などでやることで、大層に客を集めたという。

 九郎は財布ゆづるから金を出して、四つほど粟餅を買って食べ始めた。

 ぷちぷちとした粟の食感が残る味わいで、きな粉のふがっとした風味が搗きたてでふんわりとしている餅によく絡み中々に旨い。

 

「それにしても……夕鶴はあまり、こういう祭りには来なかったのか? これまで」

「はー、一応大きな、神田祭とか山王祭とかには仇が居ないかと探しに出たりはしましたが、普段は生活費を稼ぐ方を優先させていましたからなあ」

「……そうか」


 若い頃から女一人で、親の仇を探して身寄りのない江戸で暮らすのは大変だったのだろう。

 九郎も最初の一年は石燕の家に住み込むように話を通したり、売り物のふりかけを作ることを提案したりと手を貸していたがその後四年ほどは異世界に行っていたことで放置していた。

 もうちょっと早く仇も見つかっていれば、過ぎ去った時間を楽しむことに使えただろうに。

 しんみりしていると、夕鶴が肩を寄せて来た。


「なーに、自分は今幸せだから良いのでありますよ。そうでありますな、子供ができたらお祭りも沢山連れて行きたいであります。こんなに楽しいことでいっぱいで、お父さんに教えてもらったんだぞって自慢して子供に教えてあげるであります」

「そうか……そうだのう。お主も仇討ちも終わったのだから、あちこち遊びに連れて行こう」

「うん!」

 

 満面の笑みで頷く夕鶴に、九郎は先程買った安産祈願のお守りを渡した。

 彼女は嬉しそうに、それを持ってまだ膨らんでは来ない腹に押し付けて、暫く撫でていた。

 

「子ができるというのはこういう気分か……」


 九郎が呟くと夕鶴が尋ねてくる。


「それにしてもご主人様。もう百歳ぐらいだって話なのに、これまで誰とも子供とかできなかったでありますか? あれだけ運動会に熟練しているなら経験豊富そうなのに」

「まあ……それは……」


 頷こうとして、曖昧に言葉尻を濁す。


「び、微妙な問題だからそういうのは……」

「……」


 九郎は夕鶴の口に粟餅を突っ込んで喋らせないようにした。

 そうしていると声が掛けられた。


「あー。兄さんマロ」

「うむ? おう歌麿か。どうした?」


 九郎が振り向くと着流し姿で書生風の優男、弟分の歌麿がにこやかな笑みを浮かべていた。

 彼は沢山のお守りを見せて九郎に言う。


「吉原のお姉さん方から、良縁成就のお守り買ってこいってお使いに。絵師を何だと思ってるマロ。巫女さんにこんなにたっぷり買うなんて驚かれたから、思わずその場で口説いたマロ」

「なんと?」

「巫女さんの裸を絵にして江戸中の晒しものにさせてください! いや、させろ!」

「ははそれで、その頬に手形が」

「やっぱり安易に脱がせようとしたのがいけなかったかなあ? もうちょっと遠回しに言った方が良かったかも」

「なんとだ?」

「カカせろ!」

「それも殴られそうだな……」


 歌麿は赤い紅葉が張り付いているようになっている頬を撫でながら本当に疑問そうに首を傾げた。

 そしてチラチラと夕鶴の方へ目線をやって、彼女が腹の辺りに持っているお守りを見てパッと顔を輝かせた。


「二人共おめでとうマロ! まさか夕鶴さんが一番とは……」

「あ、ああ」

「まあどうせ他の子もすぐにできるマロ。いやーなんというか、こう感無量マロ」


 云うと歌麿は本当に上を向いて、目頭を揉み始めた。

 大げさだ、と九郎は気恥ずかしげに目を逸らす。

 かつて自分を救ってくれた人が幸せになるのを見て、歌麿は安堵と嬉しさを覚えていた。

 ……ほんの少しだけ、もし自分が女だったならば、妾に混ぜて貰って一緒になれたのだろうかという寂しさも。

 そう思うぐらい好きな男が九郎だった。


(さらば、ボクの青春)


 家族愛と恋愛は違うが、それはとても似ているものだ。いつかはそれを理解して納得することが必要である。

 姉貴分で母親のような紫太夫が普通に結婚していったように、兄貴分で父親のような九郎がこうして幸せに子供を作ったように。

 

「よしボクも良いお嫁さんを探すマロ! 兄さん! 誰か良い子居ない!?」

「ううむ、良い子というと……茨とか……いや、駄目だ……サツ子……ううっ歌麿に助平の毒牙を受ける図が……薩摩武士に殺される……」

「そんなマジ悩みされても……」

「あはは。自分とご主人様の子供が娘だったら歌麿君の相手にどうであります?」

「えっなにそれ……本気だったらボク嬉しい」

「取らぬ狸の皮算用をするでない……まあ、お主もまだ若いし、顔も良い。絵の腕も上手で、女との会話に困らぬ。必ず良い娘ができるだろうよ」


 かなり本気なのに、と歌麿は残念に思った。九郎の娘ならば、とても大事にする自信がある。

 三人で話し合っていると、再び声が掛けられた。


「あのー」

「うん?」


 九郎が顔を向けると、そこには藤丸が刺繍されている袴を付けた祭服の男が居た。

 ただしその宮司らしい装束の男は、顔に大きくデフォルメされた子供が付けるような猿のお面を被っている。

 

(変人だ)


 ひと目で三人は判断した。だが顔に面ぐらいの変人は見慣れたものである。


「わたくし、日枝神社で禰宜をしているものですがちょっと宜しいでしょうか」

「なんだ?」

「ひょっとして貴方は、巷で噂の天狗殿では?」


 九郎が微妙に顔を歪めた。ひそひそと彼の背中で夕鶴と歌麿が話し合う。


「こんな大社の神主さんも知ってるぐらい噂になっているでありますな」

「江戸で天狗って言ったら兄さんって感じマロ」


 二人の会話が聞こえたのか、禰宜の猿面は軽く手を振って否定する。


「いえ、たまたまうちの神社はそういうことに通じているので噂を知っていたのでして……とりあえず、こちらでお茶でもどうです?」

「ふむ。粟餅屋の店先で話し合っていては迷惑だろうしな。歌麿も来い。茶でも飲んでいこう」

「ご相伴するマロ!」

「それと粟餅をもうちょっとくれ。茶と一緒に食った方がうまかろう」

「はいご主人様お財布!」

「うむ」


 ついに自動で金が出て来るようになり、夕鶴から金を受け取って九郎は支払った。





 *******



 

 猿面の禰宜に連れられて社務所の奥にある居間にて、三人は足を崩して茶を飲んでいた。


「日枝神社の御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)という山の神ですがご存知ですか?」

「ううむ、悪いが知らんのう。今日は解説役を連れてこなかったし」


 石燕か豊房か将翁ならペラペラと来歴について語りそうだと九郎は思った。


「山の神、特に神社の由来となった日枝山ひえさん──即ち比叡山の神だったと言われています。そして比叡山の神獣といえば、猿ですね。神猿とか魔猿とか書いて『まさる』と呼びます」


 禰宜が指を動かして床に文字を書くようにして云う。彼が猿面を付けているのもその為だろう。日常生活で付ける必要があるのかは謎だったが。

 恐らく趣味だな。九郎は他にも多く居る、覆面やお面を被った知り合いのことを思い出してそう判断した。


「同じく、比叡山の天狗は大山咋神の化身だと言われていますので、天狗の話題はこの神社にすぐ入ってくるのですよ」

「それで己れのことを耳にした、と」

「ええ、何やら天狗の術を使って、男女の仲を取り持ち、商売繁盛もしている! これは絶対大山咋神様の関係者だな、と」

「誤解だ」

「それはいいのですよ!」


 いいのか。誤解で。

 九郎は猿面がずいっと顔を近づけてきたのに気圧されて言葉を飲み込んだ。


「大山咋神様もご存じないなら、何故この神社が良縁、子宝、安産を司るかも知りませんよね……」

「あっそれボク知ってるマロ。確か……


 玉依姫という美少女が京都の川で遊んでいると、上流から矢が流れてきた。

 その矢を持ち帰って寝床に置くと……なんか玉依姫に子供ができた。凄い!

 あの矢は大山咋神様が姿を変えたものだったんやで……生まれたのは神の子や……


 みたいな話マロ!」

「そうそれ!」


 禰宜は喜んだ声を出して手を叩いた。

 得意げに歌麿は話を続ける。


「これ矢って言ってるけど実際は、川でお姫様たらし込んだ誰かを寝床に連れて行ったら孕まされて逃げられたから神様がやったってことにした感じの話マロね」

「おいやめろ」

「はい」


 ドスの聞いた声で禰宜に脅されて素直に謝る。自分のところの神様がレイパーだと言われて喜ぶのはゼウスの子孫とかぐらいだ。

 感心した様子で夕鶴が頷いた。


「ははー、それで子作りに縁結びなわけでありますな。矢を拾ったとはいえ、姫様は神様と縁ができたわけだから」

「そうなのです。ともかく、うちは由緒正しい縁結びの神社……しかし!」


 禰宜は畳に拳を叩きつけた。


「近頃、あの神田明神が『うちでも縁結びやってますよ』などと言い出して当社の参拝客を奪おうと汚らしくも画略しているのですよ!」

「神田明神の縁結び……確かに聞いたことはある気がするな」

「ウキィー! あそこの御祭神、大国主と少彦名命と将門ですよ!? どこに良縁の気配があるんですか!!」

「いや、知らんが……なにか向こうも、理屈を付けているのではないか?」


 禰宜は猿面の下で興奮してフーフーと息を荒げている。

 余程自分の神社の売りどころを奪われているのが気に食わないらしい。


「まあ確かに向こうの主張はあります。神無月には大国主系の国津神は出雲に出向き、そこで縁結びの相談をするからとか」

「まともそうではないか」

「そもそも縁結びの相談をしているというのが独自研究?って感じで疑問ですよ。うちの神様の仕事なのに。というかあの大国主がですよ? 大国主が縁結びとか……」

「なにか問題があるのか」


 あまり大国主についても知らない九郎は聞き返す。


「最初の方からして酷い。掻い摘んで説明すると……


 大国主ことオオナムジは八上姫にひと目見て惚れて結婚を申し込む。

 八上姫も彼と結婚すると決めて二人は幸せな結婚をして子供を作る。

 なんか大国主の兄神が嫉妬して殺しにかかってくるので、嫁と子を置いて逃げる。

 逃げた先の根の国ですぐに須世理姫と結婚する。

 後から捕まえた須世理姫を正妻にしたあとで最初の八上姫を迎える。

 凄い須世理姫から睨まれたので八上姫は逃げるけどまったく大国主は気にしない。

 「俺は新たな妻を求めに行くぜ!」と奴奈川姫にコナを掛けに行く……


 みたいな感じで女を取っ替え引っ替えな挙句最初の嫁と子供放置ですよ」


「ま、まあ……国造りの神なのだからのう?」


 自分は別に取っ替え引っ替えはしていない、と九郎は己の言い聞かせた。

 ある意味縁は結ぶだけ結んでいるような神ではあった。妻を取るのはその土地の最高権力者と縁を持つためだ。須世理姫など、父親がスサノオなのだからそれは慎重に扱わなくてはならなかっただろう。

 まあ……恋愛とはかなり意味合いが違うかもしれないが。

 概ね縁結びの願いというのは庶民が行うもので、武家社会では親が決めるのだから中々自由にはいかないものである。


「というわけで向こうに参拝客を取られないためにも、これまでの悠然と構えていた態度ではなく宣伝をしようかと」

「宣伝といってものう。ここは江戸でも最大級の祭り、山王祭の主催ではないか。別段、宣伝せずとも十二分に有名だと思うのだが」

「そこですよ、そこ」


 猿面は指を九郎にビシリと向けて、三人にそれぞれ顔を向けて聞いた。


「ではお聞きしますが、江戸で有名な、参拝客がよく訪れる賑やかな神社というとどこです?」


 三人は考えてから挙げる。


「まあ……それこそ神田明神は一番だろうのう」

「富岡八幡宮はいつでも賑やかマロ」

「芝神明も旅人は必ず寄るであります。おみやげの千木筥が有名であります」

「後は……浅草神社か上野の東照宮とかは観光地に近いからのう」

「富くじなら湯島天神が一番人が集まる気がするマロ」

「ほら!」


 禰宜は話を打ち切って声を上げた。


「有名所を挙げるといまいち日枝神社の名前が挙がらない!」

「い、いや、縁結びとかでは有名だぞうん」

「だからこそ、日枝神社の売りである縁結びを他の神社が、それも一番有名所な神田明神に取られるわけにはいかんのです」


 これだけ繁盛しているのだから他の神社と較べて贅沢というものだと九郎は感じた。

 そんな九郎の袖を夕鶴が軽く引っ張って囁く。


「なんとか手助けできないでありますか?」

「うーむ」

「ほら、お手伝いしたらご利益とかありそうですし」


 確かに。

 と、九郎は考える。彼自身はそこまで神頼みをする性格ではないが、放置して屋敷に戻ったら他の女達から神社の依頼を断って帰ったなどと告げると怒られそうだ。

 

「しかし宣伝と言ってものう。実際、縁結びや子授かりとしての評判は上々なのだから……まあ、歌麿も居ることだし宣伝のポスターでも描いてもらって売るぐらいか」

「それだけで大丈夫マロ?」

「縁結びの神社という知識はあっても、普段は日枝神社のことを頭の隅にも無いという層も多いはずだ。描いた絵を江戸の人が集まる、湯屋などに張っておけば否応なく目について話に上がるだろう」

「なるほど……それで図案はどうするマロ?」


 九郎は頷いて、禰宜の面を指差して告げる。



「ここは猿が神獣だからのう。それを前に持ってくる感じで更に凄さをアピール……題して、『すごいよ! 魔猿まさるさん!』とか」

「恋愛とか結婚とかじゃなくて笑い話になってないマロ!?」



 歌麿から即ダメ出しが入った。

 自分が出しているお見合い情報紙[是櫛(ぜくし)]の外伝にでもしようかと思ったのに、と九郎は残念に思う。

 呆れたように歌麿は肩をすくめる。


「こういうのはもっと簡単で良いマロ。ええと、この社務所には絵に使える紙があるマロか?」

「ええ、ございます」

「色つけもできないけど、ボクがちょっと描いてみるマロ。水墨二色画も豊房ちゃんから散々練習させられたから大丈夫。少し時間を貰うマロ」

「わかった。まあ、今日は己れらも予定は無いからのう。少しここでのんびり待っておくか、夕鶴」

「了解であります!」


 と、歌麿が絵を掻き出すのを九郎と夕鶴は見ながら、二人で社務所の縁側に座ってうららかな陽気の中で暫く待つのであった。

 




 ********





 歌麿が描いたのは、背の高い美女に高下駄を履いた男が向かい合い、矢を渡している絵である。男の格好は頭襟に不動袈裟、木箱を担ぎ脚絆を付けている天狗の姿で、持っているものは子授かりの矢だろう。

 夕鶴と九郎をモチーフにして描いた絵であることは間違いなく、女の表情は口が静かに微笑んでいるだけでとても嬉しそうに見える良い絵だった。

 絵の中の二人はとても幸せなのだと、誰もが感じて心を動かす絵だろう。


「これに、『日枝神社にまさる(・・・)縁結び無し』とでも言葉を付けて売り出せば良いマロ。どう?」

「素晴らしい! そうしましょう!」


 禰宜は絵の出来に満足しているようだ。歌麿も得意気に笑った。


「じゃあこれを吉原の闇版元に出して刷ってもらうからお金を……って夕鶴さん?」


 夕鶴は絵を見て、何故か目が潤んできたようでゴシゴシと顔を拭った。


「あ、いや。自分も欲しいでありますな! なんというか、本当に綺麗で……」


 感極まった様子の夕鶴を見て、歌麿も少しだけ泣きそうに、だが心からの祝福を込めて笑みを浮かべた。


「……これは版画用の元絵だから、夕鶴さんにはボクが絵付けまでしたやつを送るよ。うん、それがお祝いでいいかな?」

「えへへ、嬉しいであります! ねえ、ご主人様!」

「そうだのう。歌麿」


 九郎は歌麿の頭をぐしぐしと撫でてやりながら云う。


「お主は己れが自慢するような立派な絵描きで、男だな」

「……まだまだこれからマロよ! よし、じゃあ早速帰って夕鶴さんでカこうかな!」

「待てニュアンスが妙に違うぞ」


 


 それから、日枝神社では歌麿画の錦絵や絵馬を売るようになり、これまで以上に江戸でも縁結び、安産祈願、子授かりのご利益がある神社として賑わいを見せるのであった。



 後世にて、江戸時代のある時期から天狗信仰とでも云うべき風習が見られ、縁結びに関しても信仰を集めていた。

 研究者の一説によると、日枝神社の大山咋神が天狗の側面を持ち合わせ、縁結びの神だったために混同され広まったのではないかと言われているが……真実は歴史の闇の中である。





余談

現代にて九郎がぼーっとテレビを見ていると。

鑑定団「それでは次の鑑定ご依頼品は、喜多川歌麿の初期に書かれた日枝神社に奉納された二色刷りの浮世絵です! 鑑定結果はこちら!」

鑑定士「800万円! いい仕事ですねー。出版統制されてた頃だから出回った枚数も少なく殆ど現存していないんですよ。大事になすってください」

九郎「……これのカラー肉筆画、昔貰ったのが家の倉に置いてるわ」

色々お宝が眠っている、江戸から現代まで生きてる九郎氏の倉。



すみませんが今回短くてしかも来週更新お休みさせてもらいます

今度4月の末に出る本(江戸じゃないです)の作業が入って忙しく……申し訳ありません

本の内容は活動報告かツイッターにて

ツイッターも今から始めるけど(情報弱者感

https://twitter.com/sadakareyama/

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ