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25話『薩摩芋とイモータルの話』


 ふがふがふがふが。

 なんとなくそんな音が聞こえてきそうだ、と九郎は特製のちゃぶ台に肘をついて皆を見ていた。

 卓に付いている屋敷の女性陣七人が揃って蒸した薩摩芋を頬張っているのである。


 実りの秋。近年では飢饉対策に江戸でも小石川にて薩摩芋栽培が成功し、土壌の合う川越などで薩摩芋が栽培され出したが本場はやはり薩摩だとばかりに、薩摩藩が販売品目として船で芋を運ばせて江戸で売りさばいていた。

 薩摩から江戸の藩邸などに米を送る御用船の積荷に薩摩芋や豚などを載せて運び入れていたようだ。

 九郎も、鹿屋から付け届けとして大量の芋を貰い受けたので皆で食うことにしたのだが……


「ふぅむ……」

「どうしたの? 九郎。お芋美味しいわよ。だって美味しいもの」


 豊房が芋の欠片を口の端に付けながら、少女らしい表情で小首を傾げた。

 ホクホクとした黄色い芋が湯気を立てていて、九郎に話しかけたもののその魅力に抗えずに再び豊房は芋を頬張る。

 一方で芋に慣れているサツ子はわざわざ他の人が残している芋の両端の硬い部分をもりもりと噛んでいる。

 その様子にスフィが芋を食いながら尋ねる。


「どうしたのじゃーサツ子は。もっと柔いところを食え食え」

「薩州じゃ貧しかシはこうして、芋も食えんで百姓に頼んで硬かとこや蔦を分けて貰うんじゃが」

「いや……わざわざここでせんで良かろー」

「怪しいであります! 実はその硬いところが本当は甘ーくて自分だけ食べてるに違いないであります!! はぁー! はぁー! よこすであります!」

「包丁まで持ち出すことかよ夕鶴のねーちゃんよ!?」


 突然興奮した夕鶴の行動をお八が押しとどめる。それを見ながら冷静に石燕と将翁が茶を啜りながら言い合った。


「奥州でも似たような話があるね。この場合は薩摩芋ではなく、里芋か山芋だろうが……郭公カッコウ時鳥ホトトギスの姉妹が居た。姉の郭公はいつも芋を焼くと自分は硬い部分──ガンコと方言で言う──を食べて妹の時鳥に柔らかい部分を上げていた。

 しかし時鳥は姉の食べている硬い部分が本当は美味いのではないかと疑い、姉を包丁で刺してしまった。刺された姉は鳥の姿に変化して鳴きながら飛び去っていき、妹はその様子から誤解で刺してしまったのだと悔やみ、自分も飛び去った。

 だから郭公の鳴き声は『ガンコ、ガンコ』といい、時鳥の鳴き声は『ホウチョウカケ』と鳴くという」

「実際、そのあたりの地域では時鳥を[包丁かけ]という名前で呼んだりもしますぜ。そもそも、[ほととぎす]という名前も本来は鳴き声がそう聞こえたから名付けられたものですが、それこそ時代や地域によってホウチョウカケだの、ホンゾンカケタカだの、様々に変わるものですね」

「話は変わるが、女人が好むものに『芋蛸南瓜』とあり、それは主人公はぁれむ系作家の大御所、井原西鶴先生が広めたらしいと巷説にあるのだがどうも出処がはっきりしない。知っているかね? 将翁」

「さて。井原先生が亡くなられたのは二十年は昔。薩摩で芋の栽培が始まったのはまだ十年少し前なので時代が合わないのですが、ね」


 などと、茶と芋を交互に口にしながら話し合っていた。

 熱くて甘く、口の中でほろほろと解ける芋には苦い茶がよく引き立て合う。

 思い思いに寛いでいる中で、九郎だけが何か思い悩んでいるような表情を続けているのでやはり隣に座っている豊房が身を乗り出して再び尋ねた。


「だからどうしたのよ九郎。お腹痛いの? それとも虫歯? お芋が効くわよ。多分。だって美味しいもの」

「どういう理屈だ……いやな、実は鹿屋から芋を貰ったのだが、また芋を使った商売について考えてくれと頼まれたわけだ」

「ふうん。まあ売れそうよね。美味しいもの。あ、お茶と抱き合わせ販売でどうかしら。お茶も美味しいわ」


 芋を食って茶を啜るのが似合うなあと九郎は少女に感心する。案外に皆、食べ方にそれぞれの個性が出ている中で豊房がまさに基本に忠実といった雰囲気を感じた。

 お八や夕鶴、サツ子などは皮ごともりもりと齧って食べていて、スフィは延々と口から芋を離さずにリスが木の実を齧るように食べている。石燕は小さく齧ると口元を隠しながら上品に噛んで、将翁は小刀で輪切りにして食べていた。

 綺麗に剥いた黄色い薩摩芋をかぷりと頬張り、美味そうに咀嚼した後でお茶のコンビネーションを極めている豊房の幸せな顔を見ていると確かにそのまま売れそうではあるのだが……


「考えれば考えるほど、薩摩の芋はもう終わコン(終わった塊根かいこん系食物の略)だのう、と」

「え?」


 美味そうに食べている皆が、一斉に九郎を向いた。

 彼は気まずそうに手を振って弁明めいた口調で続ける。


「いや、別に芋が不味いとか不人気とかそう云うことではないぞ。美味いのは確かだしのう」

「じゃあ何で終わったなんて言うのよ。美味しいのに」

「豊房……お主相当芋が好きだな……」


 どうも彼女の雰囲気に合っているとでもいうのか、彼女は茶に煎餅、芋、蜜柑などの炬燵に入って手を伸ばしそうな組み合わせがよく似合い、本人も好んでいる。

 

「己れが言ったのは、薩摩芋ではなく[薩摩]の芋だ。これで儲けるというのは難しい時代になってきた」

「嗚呼、そう云うことですか」


 将翁は思い至ったとばかりにぽんと手を打つ。

 日本中の薬の流通や植物の栽培なども手がけていた彼女だからすぐに気づいたのだろう。

 指を立てて彼女は皆に説明をする。


「近頃、青木昆陽と云う本草学者が江戸での薩摩芋栽培に成功しましてね。近郊──特に武州川越で栽培が始まったのですよ」

「川越っていうと、お父さんの実家がある辺りね」

「む、それは確かに薩摩は不利だね」


 茶で口を潤した石燕が話を継いだ。

 

「川越は松平信綱が川越城主だった頃に新河岸川を整備して、江戸と川越を船便で結んだのだよ。そうすれば川越で生産された薩摩芋は実に容易く江戸に持ち込まれる。遥か薩摩から船で運ぶよりも非常に簡単だ。そうなれば薩摩芋の供給は今後、薩摩からではなく川越からが主流になってくるだろう」

「どげんかせんといかんな」

「元々痩せた土地でも大量に作れることが非常に便利な作物だ。値段競争になった場合、川越の芋はかなり安くで仕入れられるだろう」

「そうだのう」


 九郎が芋を半分に割って断面を眺めながら告げる。


「今のところ、鹿屋によって売られている蒸した薩摩芋は一つ16文(約320円)で売っておるのだが、産地である薩摩本国ではゴロゴロ入った一袋で4文とかその程度の価値だ。

 川越の芋が入り始めたら一つ辺りの値段は薩摩の半額ぐらいでも売れるだろうし、それに対抗するにはあまりに貿易の利が少ない」

「ふーん。まあ安ければそっちを買うわよね。だって安いもの」

「ボッてるでありますなー。自分も人のことは言えないでありますが。[わかめしそ]も萩ではオカズの買えない貧乏人の食べ物でありますから」


 供給数が少ない時点では江戸でも貴重な甘みで多少高値でも買い手が付くのだが大量に供給されればそうも行かない。

 少しでも安い方を買うだろうし、味にだって明確な優劣があるわけではない。というか、痩せた薩摩の土地とそれなりな川越の土地で栽培した場合、後者の方が甘くて美味い芋が出来上がることもある。

 足りなくなればすぐに船便が一晩で付くだろうし、限りなく薩摩は勝負に不利な状況なのである。

 

「天ぷらなどではもう少し高値で売れるだろうが……画期的な方法を考えてまで続けるほど利鞘のある商売ではなくなるからのう」

「単価が安いからなー。高けりゃうちの実家みたいに、遠い場所の布でも買い付けるんだけどよ」

「薬などの重さあたりの値段は金銀より高いことがあります、ね。それを百倍にも薄めて売ったりしますので、随分と儲けは出るのですが……」


 と、呉服屋生まれのお八と薬屋の将翁が頷いた。

 一つあたり16文の商品をわざわざ沈まぬとも限らない船に載せて遠国から運んでくるのは無駄が多かったのである。

 

「薩摩芋を運んでおった分を、もっと利益率の高い鼈甲なり砂糖なり運ぶ分に当てれば良いのだが……」

「……じゃっどん、このままじゃと江戸で唐芋云うたら川越の芋ちことになっどな……」


 薩摩出身のサツ子が微妙そうな顔をして芋の硬い部分を飲み下した。 

 薩摩とて、唐芋──薩摩芋は琉球から入ってきてまだ歴史の浅い作物ではあるのだが、それでも薩摩人に大事にされていたのだ。どれぐらい大事かというと薩摩芋の種芋を持ち出そうとしたら即・死罪であったようだ。 

 まあ、だからといって薩摩人に「よう!唐芋!」とフレンドリーに話しかけると殺し合いが始まるのだが。

 それが江戸で芋というと川越の芋と言われるようになるのはどうもつっかえる思いがあるのだろう。

  

「一応は何とか解決する方法もあるぞ」

「わかった! わしがお芋の歌を歌えばいいんじゃな! アイドルタイアップ効果!」

「いや違うが……」

「オイモオオオオイヤアアア~♪」

「ホイットニー・ヒューストンか。というか気に入ったのかスフィ、その音程」

「なんかイヤがってるみたいじゃない。その歌詞だと」


 などと和んでいると、玄関に駆け込んでくる者たちが現れた。


「九郎どん! 九郎どん! 大変じゃっどッッッッ!!」


 声でわかる。さつまもんの一体だ。

 段平を片手に、泥だらけの足で上がってきた彼は慌てた様子で居間にやってきてドタドタと足踏みをしながら九郎を急かした。


「いっちょおかしかこッがおきもしてごッけさんこッわがからいもんがどぎゃんかいっちょっごてあって死罪じゃっど探しもしたらっ」

「待て待て待て。何も通じん。座れ。茶を呑んで落ち着いて喋れ」

「そげん暇がどけあっちかッッッッ!」

「座れ」


 まったく話がわからないので、九郎はさつまもんの両肩を掴んで足を払いながら床にストンと座らせた。


「すとんて」

「即座に腹を切ろうとするでない! 話が進まぬであろう!」


 マッハで着物を開けて腹を出したさつまもんに九郎がアダマンハリセンで思いっきりツッコむと、切腹一歩手前だった厄介者は吹き飛んで柱に頭を打ち付けた。

 




 *******


  


 起き上がり都合よく記憶がすっ飛んでいたさつまもんから事情を聞くに──いや。

 正確にはそれでも分かりづらかったので、サツ子に翻訳をさせてどうにか事情を察したところはこうであった。


・薩摩芋のマスコットキャラ[からいもん]の姿が消えた。

・目撃者によれば川越夜舟という、川越との運航便に載せられていた。

・からいもんを拉致した川越と戦争じゃ!と薩摩武士が暴れだしかねないので鹿屋が急ぎ九郎に解決を依頼してきた。


 ということであった。


「ま、マスコットが拉致なあ……」


 九郎は何とも言い難い声音で呻く。

 目的がよくわからない行動であった。或いは江戸で周知されている薩摩芋のマスコットを、川越が奪うことで江戸での薩摩芋販売拡大を狙うというのだろうか?

 いやそれをするとどう考えても同じく江戸に居るさつまもんらに喧嘩を売っているに等しい。

 或いは、川越城下でマスコットとして運用することも考えられる。この当時、川越は街道が通っており名君揃いによる産業振興で非常に豊かな街であり、小江戸と呼ばれるほどだった。それならばさつまもんと顔を合わせないですむが……


「気の早かもんは、もう街道を突っ走っていっちょるらしかです」


 サツ子がそう告げるに、やはり殴り込みを掛けられる分には賢いとも言い難い。

 というか事情を調べずにもう必殺部隊を派遣しているというか、自主的に向かっているのが恐ろしい話であった。


「そもそも……」


 と、九郎は思案顔になった。

 

(あのきぐるみの中身、最近イモ子が入っていなかったか?)


 どうやら九郎が観察するに、中に薩摩人が入っている場合とイモータルが入っている場合があるようだった。

 江戸に来てまで何をしているのかとツッコミいれたくなる九郎である。


 余談だが、イモータルはヨグが九郎の暮らす世界との時間座標を調整するためのアンカーとしてイモータルを時折送り込んでいるのである。

 異なる世界間では時間の進み方が異なるので、うっかりヨグがゲームなどに熱中して世界と関わらなかった場合はあっという間に観測年代がズレることだろう。


「それで己れに探してきて欲しい、か……そうは言ってものう」

「このままでは鹿屋どんは生きてはおられんごっ!」

「そこまで」


 マスコットキャラが奪われたら鹿屋黒右衛門が責任を取って死ぬらしい。なんという面倒なことだろうか。

 藩御用達の商人として黒右衛門は脇差しの帯刀が認められているが、これは戦うというかしくじった場合に腹を切る為に渡されているのである。同じような立場では例えば薩摩で地酒や焼酎を作っている職人も酒を駄目にした場合腹を切るので脇差しを持っていた。

 九郎も繋がりが深い商人が切腹になると、今後の稼ぎや付け届けを送ってもらう関係が消えてしまう。

 探すのは良いのだが──


「川越の何処かに居るかもしれないからいもんを探すにも、手がかりがないのう……」

「そういうことならば九郎くん! この私、石燕ちゃんが手を貸そうではないか!」

「石燕?」

 

 立候補するちびっ子に九郎が首を傾げると、彼女は任せろとばかりに胸を叩いた。

 何か心当たりか探す方法があるのかもしれない。

 それに石燕ならば小さいので、背負って空を飛ぶのが楽でもあった。


「わかった。では川越まで飛んで行くから背中に乗ってくれ」

「そうだね。落ちないように九郎くんと私をしっかりヒモで結んで──あっ!」


 石燕はつい口を滑らせたとばかりに叫んで、口を手で隠して俯いた。

 皆は一瞬顔を見合わせ、愛想笑いを浮かべて「さーて九郎に任せて家事でも済ませるか」とか「午後のふりかけ販売に出かけるであります」などと聞かなかったフリをする優しさを見せた。

 顔を伏せている石燕を慰めるように豊房が彼女の頭を撫でてやり、将翁は静かな声で九郎に告げた。


「皆──九郎殿のことを思ってやっているんです、よ」

「いらんわこんなフォロー!」


 スフィが咳払いして彼に告げる。


「うーみゅ。やはりこんな風に呼ばれぬように、私がクローと……け、けけけ、けっこ……」

「どうした? スフィ」

「けっこ、けっ────結構昔に注意しておくべきじゃったな!」

「結構昔から言われていた気はするが」


 やはりヘタレて結婚などとは口にできないスフィであった。





 *********





 石燕を背中に載せて九郎は姿を消しながら大川上空を北上していった。

 人に見つからないようにする場合は地上から見上げたら顔の判別が付かないぐらいの高さを飛ぶのだが、地上の何処かに居るかもしれないきぐるみを探すので高度はそこまで上げていない。

 ひとまず、からいもんが舟に載せられていたというので川越と江戸を船便で結ぶルートを辿ってみようとしているところである。


「うーむ、体が小さいと安定感があるのか、大人のときよりも空の上の恐怖感は少ないね」

「大人のときはお主、己れと同じぐらいの背丈だったからのう。どうしても持つには不安定な形になっていた」


 九郎の背中に縄で結ばれながらしがみついている石燕がそれなりに落ち着いた声でそう云ってきた。

 恐怖感が少ないからといって積極的に顔をあげようとは思わないが。風圧で眼鏡が飛んでも困る。

 

「ところで石燕。探すアテはどういうのがあるのだ?」


 ふと思いついたことがあり、九郎は続けて聞いた。


「ひょっとしてヨグに改造されてレーダー的な機能を脳に付けられたとか……」

「違うよ! 怖いな!」

「いや、あやつのことだ。何を仕掛けたかわからん。……『ステータス!』とか叫んで見たら目の前に変な画面が現れたりするかもしれんぞ」

「なんだねその無駄な機能は!」

「『下駄ウイング!』」

「マントは出てこないよ!」


 石燕は激しく背中で首を振っているようだ。

 倫理観が欠けている魔王ヨグにかかれば、プラモの改造感覚で人体を弄くり回したり機械化したりする危険性があった。

 

「……ええい、まったく。いいかね? あの薩摩芋人形の中に居るのは、魔王の元に居た女中さんだろう?」

「気づいておったのか?」

「まあね。どうやら私と彼女は魂の波長が似ているようで、近くに居るとそれとなくわかるようなのだ」


 そういうレーダーを仕掛けられたのかなどと蒸し返そうかと思ったが、話が進まないので九郎は口を噤んだ。

 元々石燕の現在の肉体はイモータルの器としてヨグが一から作り直していたものを流用しているので、繋がりも深いのだろう。


「それで川越近くで反応を見つけたらそちらへ向かうようにすればいいだろう」

「わかった。ところで、拉致されていったきぐるみの中身がイモ子ではなくそこらの薩摩人だった場合は?」

「……」

「……」

「も、目撃証言を浚うとしようか。川越舟の数も五十隻程度だろうから、虱潰しに当たればすぐに行き着くはずだよ」

「そうだのう」


 そう決めて川を遡っていく。

 


 途中で石燕が「ビビッと来た!」と何やら感覚を掴んだようで、支流の柳瀬川方面へと向かう。なお、彼女がビビッと来ているときはレーダーのアンテナめいて石燕からアホ毛が上に伸びていたが、九郎は別段指摘はしなかった。

 

(イモ子のアホ毛も自爆装置とアンテナとか云っておったのう……)


 実際にうっかり引っ張ったら内蔵された地球破壊爆弾が作動したので宇宙空間に送り出すという事件が昔に起きたことを思い出しつつ。

 川越の水運は、藩米を江戸に送るだけではなく江戸から肥料や農具などを川越に帰り便で運ぶようにしていて、それにより川越藩の川近くでは新田や畑などが多く作られて藩を豊かにしていた。

 新しく開かれた村も多く存在し、そのうちの一つに向かって石燕の反応を追う。

 二人が向かったのは中富とよばれる地域であったようだ。これは新開発された旧富岡村の中心地で、上富・中富・下富の三村に別れて田畑が作られている。現代で云うと埼玉県所沢市のあたりである。

 

「あれは……寺か」

「真新しいものだね。どうやら、近年開いたこの村に合わせてあの寺も建立したのだろう」


 多聞院という毘沙門天を祀っている寺である。

 飛行を止めて浮遊しながら近づいていくと、農民らが西側に三十人、四十人ばかり集まっているようだ。

 寺の本堂からやや離れた位置である。そこに何やら簡単な舞台を作っていて、上にはからいもんが直立不動で存在していた。

 農民らは手を合わせて祈祷しているようで、からいもんの前には酒、団子、素麺に取れたばかりの薩摩芋がお供え物として置かれている。

 ぱっと見て判断するに、


「信仰されておる……」

「薩摩芋の神様として祀る為に連れてきたとは、意外だったね……」

「一応話を聞いてみるか」


 と、集団から離れたところで降り立って九郎は近づいていった。


「おい、祈っておるところを済まぬが」


 声を掛けると農民らは向き直り、慌てた様子で九郎に頭を下げた。

 こう云う時に帯刀していると話が早いな、と九郎は腰のどうたぬき+3に触れながらそう思った。江戸の町人らよりも農民には覿面に武士の権威が通用する。町人らはお調子者だと「無礼討ちするか試してみようぜ!」と武士をおちょくってくる者すら居たという。

 まあもちろん九郎は武士でもなんでもないのだが、ことさら説明するつもりはないので要件を伝える。


「己れは江戸で、そこの芋が働いておる店の関係者でな。急に居なくなったので探しに来たのだが、何故にお主らはうちの芋を攫ってきたのだ?」

「と、とんでもございやせん、お侍様!」


 農民の代表らしい白髪の老爺が慌てて否定してくる。


「あっしが、江戸の街でそちらのお芋様を見かけまして、どうかうちの村で薩摩芋が収穫できた小さな祝いを行うから主賓として来てくれないか、と交渉したところ、大層聞き取りにくかったですが自発的に快諾してくれましたので付いてきて貰ったので……」

「……そうなのか?」


 九郎が視線を向けると抑揚の微妙ゆっくりな機械音声が帰ってきた。


「ヨカヨカー」

「……」


 雑な快諾だった。


「決して騙して連れてきたわけでは……この祝いが終われば幾らかお礼を渡し、江戸に帰っていただければと」

「それならば良いのだが……店の者にも許可を取らなかったせいで、早とちりした芋侍が太刀を振りかぶって追いかけたと聞いてのう」

「殆ど怪奇現象だね……話をしようとしても相手は満月の夜の悪魔並に話は通じないよ」

「いっ急いで終わらせて帰って貰います! はい!」


 九郎と石燕の言葉に農民らは顔を青くして、再び舞台のからいもんに向けて柏手かしわでを打った。

 

「この地に甘藷が育ったことの感謝と、今後の豊作を祈り──」


 真剣な様子で、農民らは手を合わせて瞑目をする。

 彼らにとって──農民らにとって薩摩芋は救済のような作物なのだ。

 米の作れぬ土地でも育ち、味は口にしたことが無い程に甘くて滋養に溢れ、茹でるか蒸すだけで食える。 

 重さあたりのカロリーベースは米などよりも優れて糖分は疲れを癒やし活力を生む。

 米を税として収めても、芋があれば生きていける。

 それが農民にとってどれほどありがたいものか。或いは、神として概念を敬い奉るのも自然なことのように、九郎と石燕はその様子を見て神妙な気持ちで思っていた。

 からいもんも不動で彼らから信仰の依代として受け止めている──

 その時。


「チエエエエエエエエエエイ!! キエエエエエエエエイッッ!!」


 猿叫が響いた。びりびりと静かな寺社の敷地を揺らす音だ。

 地鳴り。足音は馬が全力疾走するのと等しく地面を蹴りつけ、牛の皮ほども分厚い足の裏に蓄えられたエネルギーは前へ前へと推進力を生んで間合いを詰める。

 薩摩人が踏み込んできたのだ。芋の気配を感じ取ったのかもしれない。薩摩人は芋が近くにあるとそれとなくレーダーで察知できる。

 左手で剣をエイヤと振り上げて、右手を添えたトンボの構えで一直線に舞台上のからいもんへ向かっていった。

 とりあえず農民に切りかかられたら止めようと備えた九郎は、目標が違うので対応が遅れた。 

 薩意の波動に目覚めたさつまもんはひとまず、明確に切るべき相手を狙ったのだ。


「逃亡は死罪じゃッッ!!」

「いけない、九郎くん! 彼女が!」


 石燕が慌てて叫ぶが、九郎も動かなかった。

 薩摩人は刀の長さによる振りの遅さは存在しない。箸を振るのと同じ速度で太刀を上段から斬るのではなく叩きつける。何千回何万回何十万回も鍛錬をしたのと同じように。

 ふつ、と音が聞こえた気がした。

 農民らから悲鳴が上がる。

 彼らが祀った薩摩芋の神が真っ二つに切り裂かれた──そう誰もが思ったとき。

 

 きぐるみが左右に別れて、中から女が出てきた。

 ふわりと裾が広がった袴のような黒い着物に、白い前掛け。飾り布を巻いた両手を前で揃えていて、長い黒髪は風が吹いてふわりと靡いた。

 刀で切り裂かれたと云うのに、幽玄とした表情のままで現れた白い肌の女は──非生物的な美しさを誰もが感じずには居られなかった。人としての体温が無い、彫像か幽霊──或いは天女や女神のような美女である。

 

 誰かが呟いた。


「い、芋の女神様が現れた……」


 そして農民らは誰もが彼女の姿を目に焼き付け、そして恐れ多いとばかりに平服する。

 凝視したままはさつまもんばかりであった。その彼も、突然のことに動けない。

 イモータルは手品のように手元に銀色のペンに似た棒を取り出して、さつまもんの前に持っていくとそれは光を発して相手の意識を奪う。気絶させて刷り込みで偽の記憶を与えるニューラライザーという道具だ。

 

「どうぞお帰り致しましょう。何も問題は存在致しませんでした」


 イモータルがそう告げると、意識を取り戻したさつまもんは何も無かったかのように頷いてすたすたと元の道を戻っていく。

 そして彼女は集まっている農民に、丁寧な一礼を返した。


「それでは皆様方。どうぞこれからお芋の栽培に励み致してください」


 イモータルの言葉に、恐る恐る農民らは顔を上げて再び彼女の姿を見ようとする。

 するとイモータルは己の飛行装備[風火輪]を亜空間武装庫より取り出して着用した。足の下に輪が付くような形のそれで空へと上がって行く。

 農民らから感嘆とも畏怖とも思える声がして、ひたすらに彼らは頭を下げていた。涙を流しているものも居る。

 江戸で見かけたマスコットかと思って声を掛けた御神体だったが。

 こうなれば本物の神が出てきたと思う他は無かった。彼らは芋の神が降臨した場に出くわしたと信じ切っている。


 九郎も石燕を抱きかかえて、空へ上がっていったイモータルを追いかけていった。

 その場には、切り裂かれたきぐるみの布切れもイモータルが回収していたので見つからず、ただ中に詰め物として入れられていた薩摩芋だけが舞台に残されていた…… 

 

  




 *******





「それで、お主は何をやっておったのだ?」


 空で江戸に帰る途中、九郎が隣を飛んでいるイモータルに尋ねたら彼女は真顔のままでこう応えた。


「イモータルでお役に立てることがあるのならばと請負い致しましたが、九郎様にご迷惑をおかけするつもりはありませんでした。申し訳致しません」

「いや、迷惑とかは別に良いのだが……そうだのう。お主、プライベートでは結構人の頼み事は聞く方だったか」

「そうなのかね? よし! 女中さん! 私を快適に飛行させてみてくれたまえ!」

「ご自分で『下駄ウイング!』と叫べば自由自在に空を飛べるとお教え致します」

「しないよ!? ついてないよね!? 冗談だよね!?」

「イモータルは冗談は致しません──冗談ですが」

「どっち!?」


 石燕がうなじの辺りを不安げにさすっていた。

 いつも通りの真顔だったが、イモータルはぽつりと呟いた。


「彼らはきぐるみがただの人形だと知っていて、祝いに誘い致しました」

「そうだのう」

「ですが彼らの祈りは真剣でした。イモータルが思うに──本物でも、偽物でも、代用品でも、別物でも──きっと己の心を信じるということが大事なのだと、判断致します」

「そうかもしれんな」

「九郎様──」


 イモータルの透明感のある声が、九郎の耳に染みるようだった。



「──イモータルは、そう信じ致しております」



 どこか諭す彼女の言葉に、九郎は静かに呟いた。



「……『下駄ウイング』」



 何も出なかった。九郎はちょっとがっかりした。


 




 *******





 それから、九郎は鹿屋で事態の解決を知らせてついでに江戸での薩摩芋販売の計画を伝えた。


「簡単なことだ。薩摩から運んでくるから余計に金を掛けねば元が取れぬ。川越の農民から芋を買って、江戸で[薩摩芋]として売り出せば良い」

「大逆転ですな!」


 秘技・産地偽装。

 いや、あくまで「川越で育てた薩摩芋」なので詐欺には当たらないと主張する予定だが。

 まだ江戸での販路を持っていない農民らも助かるし、誰が損をするわけでもない。他の業者が手をつける前に契約してしまうのだ。

 薩摩から持ってくる薩摩芋は無くなるが、今後も江戸で薩摩芋といえば鹿屋が最大手として君臨するだろう。


 そしてイモータルが九郎に迷惑を掛けたと屋敷にやってきて、薩摩芋のパイを料理し振る舞った。

 九郎の知り合いの女中さん、という名目で現れたが「はいはい、いつものいつもの」と見知らぬ女の知り合いにも驚かない面々である。

 生地に薩摩芋を練り込み、具にもねっとりとした焼き芋が敷かれているパイは熱々でさくりとしていて、バターを効かせた塩気と甘みが調和した絶品の菓子である。

 お芋大好きな女性陣が食べている最中で、イモータルは頭をぺこりと下げて皆に告げる。


「薩摩芋はゆっくりと時間を掛けて熱を通すことで美味しくなります。皆様もどうか、焦らずにゆっくりと味わい致してくださいませ」


 そして彼女は「そろそろお食事の準備をする時間ですので帰還致します」と告げて、屋敷から出て──何処かへ消えていった。

 イモータルの言葉を聞いて、一部の女達は何処か神妙な顔を見合わせるのであった。

 焦らずに、ゆっくりと──何やら、九郎との関係で助言されたようで。


「ぶほっ! 美味しいであります! こんな美味しいものを食べたのは生まれて初めてであります! サツ子! お前は芋の尻尾でも食べてろであります! 自分が貰うであります」

「そいとこいは別じゃっど」

「うむ。鹿屋から貰った芋焼酎は良い出来だのう。サツ子も飲むか?」


 普通に楽しんでる地方娘二人と九郎は何も気付かずに舌鼓を打っていたが。





 *******





 その後──


 川越藩中富にある、多聞院に併設されて神明神社が作られることになる。

 その境内社にて、小さな社に祀られている神がある。


甘藷足女神(いもたるのめのかみ)


 薩摩芋の栽培が始まった頃、そこに現れたと云う女神の社であった……



現代日本にて、長生きして再び世間に出てきた九郎in所沢


九郎「いもたるのめのかみ……イモ子が女神になって祀られておる……」

イモ「やっちゃいましたねと判断致します」

九郎「しかもやたら出来の良い木像まで置かれておる……」

ヨグ「その時見た人の中でフィギュア作成の才能がある人が居たんだろうね。あっ萌え女神としてネットとかで評判になってる」


つい歴史に残ってしまうイモータルであった。



ちなみに、実際に中富にある神明社には「甘藷之神いものかみ」の社があります


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