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20話『九郎と産女と天狗』




 九郎と豊房が採ってきた鮑貝の効能もあってか、その後お雪は無事に子供を出産した。

 近所の産婆がぎっくり腰で動けなかったので慌てて阿部将翁を産婆の代役にしたが、母子共に問題は無いようであった。

 はらはらと見守っていた六科の一家と九郎らを前に、布団に寝付いたお雪と子供から離れて将翁は朗々とした声で言う。


「──ま、これでひとまずは大丈夫でしょう。一応、経過は見ないといけませんがね。お雪殿も、そう……十五日間は気をかけてゆっくりとさせておくといい」

「さすがの医者だのう。十五日か……何か決まった日数なのか?」

「ほら、云うじゃありませんか。[さんご、十五]ってね」

「駄洒落か!」


 くすくすと笑う将翁であった。

 なお彼女が出産の手伝いをする際に、六科が深刻そうな顔で見張っていたのは一時的にでも将翁が借金代わりに子供を連れ去る提案をしていたからだろう。

 生まれた子供は男児であった。名は[六助]と名付けられるようである。六は六科の六であり、お雪が世話になった六科の前妻であるお六の六でもある。

 一家に長屋の住人も加わって酒などを振る舞っていて、夜半に解散ということになったのだ。

 

 泊まっていかないかと引き止められたのだが、六科の一家に加えて豊房にお八、そして念のために将翁が泊まるとなれば六科の家も手狭だったので九郎と石燕は二人でぶらぶらと神楽坂へ帰ることにしたのだ。

 九郎はともかく、夜に出歩くことをかなり心配されたのが石燕であった。

 夜道を歩きながらブツクサと彼女は九郎と手を繋いだまま愚痴をこぼす。なお手を繋いでいるのは歩幅を合わせるためと、石燕が転ばないように合理的な手段として取っている行為だ。


「まったく。なんだというのかねあいつらは。私は大人だというのにああも子供扱いをして。房も房だ。私はあの子のおしめまで替えたことがあるのだよ? それなのにお姉さんみたいな対応をするなどけしからん」

「いや、まあ……仕方ないことかもしれんが。見た目が幼児だからのうお主」

「九郎くんだって周りから子供扱いされたら面白くないだろう! 中身はしっかりと妙齢あらさあの未亡人なのだから、皆にはそう扱ってもらわねば困るよ!」

「お主のような幼女を未亡人扱いしてるやつが居たら相当レベルの高いこじらせたロリコンだぞ」


 九郎も自嘲気味に笑いながらそう云った。

 彼とて異世界で苦労したせいか随分と老け込んだ六十の半ばぐらいで、急に十代にまで体が若返ったのである。

 その見た目から子供扱いされることにはもはや慣れていた。


「昔からの知り合いもそうだが、お風にまでお姉さん面されてしまうとは……」

「一応関係は従姉妹になるのか」


 大人しく引っ込み気味なお風だったが、夜中に家に帰るという石燕に「危ないからだめだよ」と言い聞かせるように云ってきたのである。

 普段は家の中でお雪とばかり過ごしているのでお風にしてみたら、珍しい同年代の子という認識なのだろう。他に彼女が会うことのある同年代の子供といえば、時々親子でやってくる晃之介の息子や、影兵衛の一家ぐらいだろうか。


「お酒も飲もうとすると止められるし」

「すぐに酔うからのう。呑むのならば無害なぐらいに薄めてちまちまと呑むのだな。酔うほど呑むのは成長期の体に良くないぞ」

「九郎くんも子供の体で大酒飲みなのに!」

「己れは多少の不摂生は勝手に治る魔法が掛かっておるからいいのだ」


 石燕は「むう」と唸って、腹のあたりを撫でながら云う。


「あの魔王様が、私の体を便利に改造していないものだろうか。凄く健康に過ごせるとか、寿命が長いとか、魔法が使えるとか」

「そうだのう……」


 やや悩んで九郎は応えた。


「ヨグが無駄に改造していそうな項目。

 三位:感情が高ぶると髪の毛と目の色が変わるだけ。

 二位:自爆装置。

 一位:体内に怪しげな宇宙線を出す炉心が埋め込まれている」


「どれも嫌だよ!? 特に一位! お腹からズワオとかドワオとか聞こえて来そうだよ!」

「大体、あの女が人の為に何かしてくれると期待するのが間違っておるのだ。気まぐれで作っただけで何も改造されていないだけ良かったと思わねばな」


 ぽんぽんと石燕の頭を叩いて九郎は言い聞かせた。実は今でも石燕に何か怪しい改造がされていないか、疑っているのは九郎の方である。

 

「しかし眠くはないのか? 中身はともかく、体が子供では夜につらいだろう」

「大丈夫だよ。お昼寝を散々したからね。どうせなら屋台でも寄っていくかね。煮込み田楽が旨い季節になってきた」

「そうだのう……」


 などと云いながら夜の江戸を歩く。

 木戸番があちこちの道に戸を立てて不審者が徘徊しないようにしているが、九郎の持つ岡引の札を見せれば問題なく木戸の扉を開けてくれる。

 夜中で活動しているのはそのような番人と駕籠かき、それに用事があって外に出ていた武士などである。それらや武家屋敷などの夜食として屋台の料理は利用されていた。主な売り物は煮染めと酒である。

 江戸では燃料代が高くつくので町人は夜更かしをせずに眠るのが普通であるが、深夜までとは云わないもののこうして夜の営業を行う屋台もあったようだ。

 道すがらに見つけた屋台に入る。ちらちらとした小さな明かりをした提灯が二つぶら下がっている店で、その近所にある煮染めと茶飯を出す店が余った煮物を屋台の店主に売ってやらせている。ちゃんとした店のものだからか、深夜料金だからか値段は少し高めであった。

 煮染めを皿に入れてもらい、買った酒と湯呑みを二つ借りて近くに置かれていた長椅子に座る。

 石燕の湯呑みに[精水符]から出した水で八分ほど埋めてやり、それで酒を割って持たせた。


「……金魚でも生きられそうなぐらい薄い水割りだね」

「お主が大人の思考だからそう思うだけで、その体にとっては十分だ」

 

 九郎が巾着袋を箸でつまんで噛みしめる。


「この巾着、中々に旨いぞ。お揚げの中にひじきと生卵を入れて閉じ煮込んであるようだ。豪華だのう」

「え。なにそれ豪華ではないか。私も食べる」

「一個しか無いのう……ほれ、半分やろう」

「あーん……美味しい! しょっぱい煮汁と甘いお揚げの味を卵がまろやかにして、そこにひじきの味わいが……!」

「今度家でも作ってくれ」

「任せたまえ!」


 石燕は小さい口でもしゃもしゃと巾着袋を咀嚼し、嬉しそうに頬を押さえている。そうしていればいかにも普通の少女であるようだ。

 屋台で出すには豪華な煮染めだったのはやはり店の品物を流用しているからだろう。一つしか残ってないのは他の者が先に買っていったのか。


「しかしこんな小さな明かりでも江戸の夜では目立つものだのう。岡場所以外は真っ暗で」


 提灯の明かりは乏しいのだが、周りを見回しても殆ど明かりはない。木戸番の戸から僅かに漏れている程度だろうか。

 

「まあやはり、夜更かしはお金が掛かるからね。ちなみに九郎くん、夜に過ごすとなると照明代とはどれぐらい掛かるか知っているかね?」

「いや、あまり気にしたことは無いのう。お主の屋敷では適当に行灯を使っておるが」


 屋敷の食費や光熱費、消防費などは皆に任せている九郎であった。勿論、稼いだ金を家に預けてそこから払われているはずなので、彼が女に養われているわけではない。料金の支払いを代行してもらっているだけだ。


(きっとそうだ)


 改めて照明代などと云われて動揺した九郎は自分にそう言い聞かせた。

 石燕は口を水割りで潤しながら饒舌に語る。


「基本的な照明は蝋燭と行灯だね。うちでは両方使っているが、蝋燭は市販されているので一番大きいのが百匁(約375g)の[百目蝋燭]というものだ。これの燃焼時間は二刻(四時間)持たない程度だが、一つ200文(約4000円)する。

 一日一本使うとなると一ヶ月を三十日で計算したら月に6000文(約12万円)にもなってしまうわけだよ。二本使うと12000文──3両にもなってしまうね。

 行灯は菜種油だね。鰯油は安いけれど臭いがきつい。これは一合で40文(約800円)。一日一合使うとすれば一月で1200文(24000円)になるわけだ。叔父上殿の長屋の家賃が月に600文だよ?」

「高いのう。確かに値段を聞かされたら家賃の倍払って夜更かしするようなやつはそうおらん」

「ちなみに天爵堂老人は本当に蛍の光窓の雪をやるというか……月明かりで勉強していたらしいね若い頃」


 九郎も今後はあまり夜更かしをせずにさっさと寝ようと思った。

 むじな亭に住んでいたときは二階で窓も開けっ放しだったこともあり、夜酒などは月明かりでやっていたのだが新井白石の若い頃とは真面目さが逆ベクトルであった。

 

(いや、明かり皿に[炎熱符]を貼り付けて小さい火を灯し続ければ……)


 そこまでして夜更かしする用事も無い気はしたが、一応考えておくことにした。


「しかし目が見えないお雪さんに取っては夜も昼も視界は変わらず、それ故に朝に寝ぼけていたりするのだろうと思っていたのだが」

「なんだ、違うのか?」

「いや……聞いた話だと夜に励んでいて寝不足になっていただけらしい。特に一人で盛り上げっているとほら、周りが見えないから……房が何回か目撃したようで」

「……身内で想像するとちょっとアレだな。フサ子も家を出たくなるはずだ」

「ま、まあ何より子供が生まれたことは目出度いものだよ。叔父上殿でも親になれるのだからびっくりだね!」

「微妙に酷い身内の評価だのう……ところで石燕。お主の両親などはどうしておるのだ? 六科の兄か何かだったろう。葬式ですら会わなかったが」

「いやー絵師になる際に縁を切っていてね。親不孝極まれりだよ。元からあまり仲は良くなかったのだから気にしないでくれたまえ。生き返ったとも伝えなくていい。死んだことも知らないかもしれないがね」


 などと話し合っていると、何やら物々しい声が聞こえてきた。

 二人は顔を見合わせて、念のために九郎は立ち上がった。音をよく聞けばどうもこちらに近づいてきているようである。

 はじめに見えたのは二つ揺れる提灯だった。

 それが近づくと、どうも子供連れの女が後ろから追われている様子である。

 子供は六つか七つほどになるだろうか。手を繋いで、早足でもつれるようにして女と共に逃げていた。

 追いかけているのは提灯を持った侍で、見た目からして浪人のようだ。薄汚れた袴はとても誰かに仕えているようには見えないが、刀だけは持っている。

 尋常ならざる状況であった。

 息も切れ切れで女はこちらに、藁も掴まんばかりに頼んでくる。


「お助けください──!」

「事情は分からぬが、とりあえず了解」


 九郎は頷いて前に出た。子連れの女を追いかけ回す物騒な男共。十中八九は男が悪党であろうと判断できる。

 九郎の背後で倒れ込むようにする女に、少年が「おっかあ、大丈夫か!?」と心配そうに声を掛けている。少年よりむしろ女の体力が限界だったようだ。

 提灯を持った浪人の足取りが遅くなり九郎を警戒するように立ち止まる。


「おのれ! そこを退」

「一応聞いておくが藤林の変装ではないよな」


 聞いておく。この前にうっかり変装した町方同心を拷問しかけたことがあったので念のためだ。

 云いながら九郎は無造作に近づいて浪人の胸元を掴み、ぶん投げた。

 強化されている彼の腕は並の腕力ではない。

 十間(約18メートル)は放物線を描いて空を泳ぎ、近くの堀に落下して水音を立てた。

 もう一人がそれを信じられぬように見て、慌てて臨戦態勢に入った。


「うぬっ!?」

「江戸の良いところは放り込む川が多いところだな」


 警戒して刀を抜いた相手にも軽い足取りで近づく。

 

「きえ!!」


 と、気合の声を上げて刀で突いてきたが体を逸らして避け、腕を取ってまた同じように堀へ向かって投げ飛ばす。 

 悲鳴の声に変わり、再び水音。


「終わったぞ」

 

 落とされた二人がばしゃばしゃと慌てて水の中でもがく音も聞こえてくるようで、九郎は振り向いてそう告げた。


「九郎くん……なんかこう、敵への対応が異様に気軽になってるね。昔はもうちょっと緊迫感あった気が」

「今更そこらのごろつき相手に苦戦してても何か変だろう」


 呆れたような石燕の言葉に九郎は軽く手を振りながら返した。屋台の主人も、唖然とした顔をしている。

 そして尻もちをついていた女に手を伸ばしながら聞く。


「大丈夫か? 何があったか知らぬが、役人で解決できそうなことならば力になるが」


 九郎が声を掛けると、相手の女はハッとした顔をした。

 屋台の提灯に照らされる九郎の顔に見覚えがあったからだ。


「もしや、貴方は……ぬらぬら☆うひょん先生のご友人の……!」

「いや誰だよそれ」


 謎の名前に九郎は素で返して、後ろで石燕がむせていた。





 *******





 おゆず

 と、名乗った女性を連れてひとまず神楽坂の屋敷に戻る途中にはすっかり彼女と、連れている子供の事を思い出した。

 顔などを明確に覚えていたわけでもないので、二人にまつわる事件に関わったことを思い出したといったほうが性格かもしれないが。

 

 もう五年か六年前の事、九郎が江戸に来て間もない頃に小さな事件があった。

 鳥山石燕が捨て子を押し付けられて、数日間その世話をすることになったのである。

 彼女は妖怪[産女(うぶめ)]に出会ったと大慌てになったのだが、数日後に女は再び現れ、身の危険が迫っている事情を話して、石燕の知り合いであった天爵堂老人を巻き込むことで事件は解決したのであった。

 その捨て子の母親は目の前のお柚であり、その時は赤子であった子供はこうして順調に育っているようである。

 なお、ぬらぬら☆うひょんは石燕が名乗った別名であった。そっちの方が記憶に染み付いていたのだろう。


「ははあ……あの時の日和坊がねえ。大きくなったものだ。うんうん」

 

 自分より大きな子供を石燕は感慨深げにぺたぺたと撫でるもので、日和坊──晴太という名であったようだ──は反応に困っている。

 お柚は石燕を見て、


「あの、この娘さんは……」

「ああ。石燕の隠し子でな。あやつが死んだ後ひょっこり出てきた」

「左様でしたか……お世話になったのに、亡くなったことも存じませんで……確かに、ぬらぬら先生の面影が」

「それにそっくりだとぬらぬらしてそうだのう」


 気の毒そうに見ているお柚に石燕はなんとも云えない引きつった顔で笑った。 

 彼女のことはあまり他人に生まれ変わったなどと教えても色々面倒なので、従姉妹だの隠し子だのと適当に説明することが多い。


「それで、あの浪人共はどうしたのだ? なぜ襲われておる」

「実は……」


 と、お柚が語りだした内容はこうである。

 彼女は元々煎餅屋の看板娘だったのだが、千五百石大身旗本の次男に見初められて手を付けられた。

 その男は嫁に迎えるだのと甘い言葉を吐いて抱いたのだが、恐らくただの口約束だったのだろう。

 ところが彼女がその旗本の子を産んだとなれば醜聞になりかねないと判断した相手によって始末されかけたのを助けたのが九郎と石燕、そして天爵堂であった。 

 今は浪人とはいえ千石程の知行地を持つ元側用人が巻き込まれたことによって騒動は大事になり、その旗本藤嶋家は著しく評判を落とし、また運の巡りも悪くなった結果色々と失態をして去年に取り潰しの憂き目にあったという。

 千五百石の家となれば、家来の数もかなり多い。再就職できたのはほんの一部であろう。そして浪人になった元家来達は、根本としてお柚と晴太が居たから家が潰れたということで二人を付け狙うようになった。

 様子を伺うように実家の周りで目を光らせていた浪人らは明確な殺意があったという。

 こうなれば両親にも危害が加えられるに違いないと、家を離れて旅籠で女中の仕事をしながら暮らしていたが、暫くするとやはり元藤嶋家の浪人に見つかった。

 二度、働く場所を変えたが子連れで雇ってくれるところはそう無く、かといって実家に息子を置いておくのも心配で追い詰められていたのだが、今晩にやはり浪人らがやってきて裏口から逃げていたところで──九郎たちと出会ったのだという。


「ふむ……元家来の浪人に狙われていて、相手は何人居るかも何処に彷徨いているかもわからぬのか。厄介だのう」


 例えば一つの集団で纏まっている相手ならば一網打尽にするか、頭を脅して解決することも可能なのだが。

 これでは一人二人捕まえたところで埒が明かない。纏まっていない個人個人が恨みを持って探しているのだ。

 複数の暗殺者に狙われ続けるなど、まともに暮らせるはずがない。お柚の精神は相当すり減っているに違いなかった。


「なんとか助けてあげたいところだね……しかし厄介だ」


 石燕も唸った。

 例えば奉行所などに申し出ても、いつ襲ってくるかわからない浪人から身を守って欲しいなどという願いが聞き入れられることはないだろう。

 かといって江戸に居る浪人全てを捕まえるわけにもいかない。

 

「ううむ、他所に預けるにしても、甚八丸のところにやるわけにもいかぬしなあ」

「千駄ヶ谷が離れているからといって安心できる距離ではないね」


 隠れ潜んでいても安心はできないだろう。親子が普通に暮らせる生活を取り戻せなければ意味がない。 

 

「ひとまず今晩は屋敷に泊まるといい。最近あまり眠っていないのであろう。外には出ぬ方が良いが、明日になれば名案も浮かぶかもしれん」

「ありがとう、ございます……」


 疲れた表情で頷くお柚。それに、晴太も気丈に歩いているがまだ六つほどの子供がこの時間まで外で追われたりして忙しかったのだ。時折ぼーっとしているようだった。

 九郎と石燕は二人を屋敷に招き入れて、布団を敷いて寝かせた。

 ようやく安心したとばかりに寝入る親子を見て九郎はどこか悲しい気分になった。


「父親は醜聞を隠そうと殺しに来て、家来は逆恨みで狙ってくる。不幸なことだ」

「そうだね。でも彼女は、それに晴太は何も悪いことはしていないのだよ」

「うむ」

「ちゃんと人並みに幸せになって欲しいものだ……」

「そうだのう」


 九郎と石燕も部屋に布団を並べて入り、寝ることにした。

 そこでもぽつぽつと石燕が呟いている。


「九郎くん、[産女]という妖怪はね」

「ああ」

「赤子を渡してくるのだけれど、その渡された赤子を離さなければ富をもたらすとされている」

「……」

「子供は宝なのだね。一度は離してしまった子供だが、今度は離さないようにちゃんと二人で逃げていたのだ。どうにかしてあげたいね……」

「そうだのう。大丈夫だ。己れがなんとかする」


 



 *******




 翌日、二人の客人に栄養のある食事を食べさせてゆっくりと休ませ、昼過ぎに九郎は行動に出ることにした。


「相模にある大山近くの伊勢原で、ちょいと己れが関わり合いのあった旅籠がある。そこで働けぬか聞いてこよう」


 江戸に彼女を狙う浪人が無数に居るのならば、江戸から離れてしまう作戦であった。

 とはいえ九郎としても江戸以外では知り合いもおらず、せいぜいがその伊勢原の旅籠か、鹿屋に頼んで薩摩か大阪にでも連れて行ってもらうかであった。

 後者はちょっと晴太が薩摩ライズされないか心配なので伊勢原を選ぶことにした。

 以前に九郎が、空を移動中に雷で打たれて落下し世話になった宿である。


「それでは行ってくる」


 そう云って空に浮かび上がる九郎を、晴太は目を丸くして見ていた。

 上空を江戸から伊勢原にまっすぐ飛べば昼下がりには到着した。

 路地裏に降り立って通りを進む。


「確か、あの宿はこっちだったのう……」


 と、やや大通りから外れた道を行くと[めおと宿]と看板の掛かった旅籠にたどり着いた。

 宿が沢山ある宿場町の中で、九郎が助言したこの宿は女連れの客を推奨する宿になったのだ。

 値段は多少他に比べて高いが、サービスの質を高めていて防犯意識も高い。客層を同じような連れ合いにすることで、枕漁りなどの盗人は泊まらないので安心できる宿として伊勢原でも知られるようになっている。

 九郎が店の入り口をくぐって中に入ると、女中が出てきた。


「いらっしゃいませ、お客さんお一人ですか──ってあら!?」

「久しぶりだのう。ええと、お菊だったか」

「あらあらあら、天狗様じゃないですか! ちょっと女将さん! 天狗様が参られたよ!」


 お菊というこの宿に丁稚の頃から勤めている女中は数年前と変わらぬ九郎の姿に破顔して、急いで女将を呼んだ。

 奥の方から女将がやってきた。前に会った時はもう少し疲れた顔をしていたが、今は顔色も良く柔らかい雰囲気になっている年増女である。今は女将が三十五、お菊が二十、そして板前は二十五ぐらいの年齢になっているはずだった。


「お久しぶりだねえ天狗様。ほら、上がって上がって」

「ああ、うむ。ちょいと様子を見に来たのだが」

「今は暇な時間だから大丈夫。ささ、お菊! お茶を持っておいで。あと板さんにお茶請け切らせて」

「はぁい」


 玄関を上がり、番台裏にある女将や従業員らの住居になっているところへ九郎は招かれてそこに座った。

 濃い目に入れられた茶と、皿に細切りのたくあん漬けが載せられて持ってこられた。

 女中のお菊に続いて、その後ろから手拭いを頭に巻いた着物の女性が付いてきている。

 

「うん? まさか板子イタこか。お主前に会った時は、ハッピにねじり鉢巻きをして常に包丁手にした危ないやつではなかったか」

「そ、それを思い出すなぁ! わたしだって、流石に二十過ぎていつまでもやってたら恥ずかしくなったんだから!」

「おいおい。[わたし]ではなかろう。[吾輩]と自分を呼んでいたではないか」

「ううううー! 天狗様は意地悪だぁ! あの時もわたしの包丁へし折ったし!」


 板場で宿の料理を作っている女板前、通称板子である。

 前にあったときは色々と酔っている遅めの中二病に襲われていて、話す言葉も邪気に満ちていたのだが至って普通の女になっているようだった。

 二十過ぎてまであのキャラを通していたら色々と厳しいが。

 九郎は三人の顔を見回す。儲かっていない宿となれば悲壮感がにじみ出るはずだが、そこはかとなく充実している感じが表情に現れているようだった。


「久方ぶりにやってきたのだが、その後宿はどうだ?」

「ええ、そりゃあもう小さい宿なりに繁盛しておりますよ。月に二百人お客さんが来たこともあったねぇ」

「大忙しでした!」

「ほう、そんなにか……ところで、まだ三人でやっておるのか?」

「うん」

「ええ」

「まあ」

「……いや、お主ら……というかお菊と板子は嫁にも行かずにいい年だというのに」


 呆れて九郎が告げると、二人はバッと目を逸した。完全に仕事が楽しくなって婚期を逃しているパターンだ。

 女将は煙管を咥えながら悩ましげに云う。


「それはあたしも考えてることなんだけど……お菊にも板さんにも嫁入りで抜けられると回らなくなるから困るんだよねぇ」

「ふーむ……ならば人を雇う余裕があるか?」

「人? そりゃあ、一人や二人欲しいぐらいだけど……」

「己れの知り合いなのだが、江戸で暮らしておる父無し子を抱えた女でな。少しばかり哀れな境遇なのだが、だからこそ働ける場所では一生懸命働くと思うぞ」

「天狗様の紹介なら」


 構わない、というので九郎は安堵した。

 さすがに浪人たちも伊勢原までは探しに来ないだろう。旅の途中で立ち寄ることがあるかもしれないが、そこまで心配しては日本中どこにも居られなくなる。

 

「その代わり……と云っちゃなんだけど、天狗様にちょっと解決して欲しいことがあるのよねぇ」

「なんだ? 云うてみろ」

「実はこの宿、最近評判になっているからやっかみを受けて、土地のやくざが目をつけているのさ。ほら、女三人でやってるものだから向こうも何かと難癖つけて乗り込んできそうで怖いんだけど……」

「それはいかんな。よし、己れが軽くシバいてから脅してくる」

「あ! あと天狗様! また椎茸を生やしてください!」

「ご飯も食べて行くよね!?」

「わかったわかった。まずはやくざからだな」


 お柚を来させる前にこの宿を安全にしておかねばならない。

 江戸から離れているので九郎の目も届かないのが不安である。


(ついでに腕っ節の良い、暇をしておる忍びでも従業員兼用心棒で送り込むべきかのう)


 女将と女従業員二人の居る宿で働くとなれば案外に喜んで立候補するかもしれない。

 甚八丸にまた相談せねばならないと思いながら、九郎はヤクザをしばき倒しに外へと向かった。





 *******




 

 とりあえずそこらでヤクザの情報を集めて、捕まえた一人を激痛の走る点穴で拷問して伊勢原ヤクザの親分のところへ九郎は乗り込んだ。

 そのまま親分を拉致って大山と同じ高度(1252メートル)の上空まで連れていき、[めおと宿]に嫌がらせをしないように交渉して相手もそれを受け入れた。

 この時代はとにかく信心深く、とくに大山には天狗がいると古くからの伝承が残っているので土地のものほど天狗には畏怖しているものだ。天狗と名乗る九郎にひたすら怯えるやくざ達もそうであるらしかった。なお、その際九郎は顔を目鬘屋というお面屋台で購入した簡単な狐面で隠していた。

 次に椎茸栽培に使える原木を購入して、以前に九郎が菌を植え込んだものはもう中身がスカスカになっていたがそこからシイタケ菌を慎重に抜き取り、ブラスレイターゼンゼで新たな原木に植え込んだ。


(以前は適当に打ち込んでいたが……毒茸に変質しなくてよかった)


 と、今回は注意しての菌類操作である。 

 その後客への食事を作り終えた板子が、九郎と女三人が食べる用に宴盛りで料理を振る舞ってくれた。

 

「うむ。腕は良いのだな相変わらず」

「そりゃあ、板前になるために女中をして四条流の技術を盗んだんだもの。煩いことを云われず、存分に腕を振るえるここは最高の職場だよ。でも、天狗様にも認められるとなると鼻が高いわ」

「ご飯が美味しい職場ってだけでわたすは十分でしてー」

「どうせなら男手も欲しいんだけどねぇ」


 ちらりと女将が九郎を見るので、彼は心得たとばかりに頷く。

 幾らやくざを説得したからといって、本当にいつまでも約束を守ってくれるとも限らない。

 なのでいざという時に男が居たほうが良いとは思っていたのである。


「では江戸にいる割りと真面目でやくざ程度には負けぬ男も一緒に雇ってくれ。探してくるから」

「……そう云う意味じゃないんだけど、まあ呑んで呑んで」

「うむ……帰るのは明日で良いか」


 既に辺りは暗くなっているし、あの親子も屋敷にいれば一日二日は大丈夫だろうと思えば急ぐ必要も無い。それにお八が屋敷に帰っていれば浪人の一人や二人撃退できるし、スフィも居るのだから滅多なことは起こらない。

 そう判断して九郎は勧められるがままに酒盃を空けていった……




(酔うと記憶が怪しくなるようになったのはいつ頃からだろうか……)



 翌朝。

 九郎はいち早く目覚めて、まだ寝ている女衆に挨拶もせずにさっさと空に舞い上がり江戸に帰っていった。

 魔女に刻まれた不老による回復力が以前はあり、酒にも強かっただのが──それをある程度オフにしている今は、肉体年齢並の酒の強さになっていることを彼はあまり自覚していないという── 

 




 *******




 

 伊勢原の宿にて女中として雇ってくれる話をお柚に伝えて、彼女は九郎にひたすら感謝をし、晴太も母が嬉しそうなので喜んでいた。

 そんな親子の様子を見て、石燕は優しい顔をしていた。

 その夜に石燕は九郎と水で薄めた酒を呑みながらぽつりぽつりと語りだした。


「九郎くん、私はね……といっても、前の体の私のことだが」

「どうした?」

「子供が産めなかったんだ」

「……」

「というか、酷い病気でね。体の内側はぼろぼろになっていて、正直なところ九郎くんと出会った年は越せない目算だった。発熱すると体中痛くて、お酒でも飲まないとやってられなかった」

「そうか……」

「でも九郎くんの薬で持ち直したりして、騙し騙しで寿命も伸びて云ったのだが不安で堪らなかったのだよ。あと一年生きられるか、来年の年明けは九郎くんと一緒に迎えられるか……」

「そこでモチ死にするお主もどうかと思うが」


 彼女は「でもモチ美味しいもの」と、豊房みたいな口調で拗ねたように云う。

 モチを食ったら死ぬ危険性がある。

 たかがそれぐらいの事実でモチの好きなお年寄りなどを止めることは不可能なのは自明の理であった。


「だから[日和坊]が[産女]に渡されたときは、ちょっと嬉しい気持ちになってね。親になれない私だが、その気分は味わえた」

「石燕」

「しかしこうして私は新しい体で生まれ変わったんだよ九郎くん。今度こそ、私は自分の子供が欲しいと思う。お雪さんを見ていてもそう思った」

「そ、そうか」

「今はまだ体が無理だが……あと十年もすれば問題無いだろう! というわけで九郎くん!! わかるね!!」

「大声を出すでない」


 がたり、と音を立てて背後に狐面の女が現れた。


「今、種付けまぐわいの話をしておりませんでした?」

「ええい、向こうへ行っておけ」

「……ところで九郎殿。貴重な酒を入手したので、今度また二人でこっそり呑みませんかね。分けたら勿体無い」

「む? そういうことならば構わんが……」

「九郎くーん!? それ罠だから! 酒につられているから──『また』って云った!?」

「それにしても、早くお柚を伊勢原に連れて行かせたいものだが……」


 九郎がため息混じりで西の空を見た。


「決まらんのう、ついていく忍び」




 千駄ヶ谷、甚八丸の屋敷にて忍びの戦が発生していた。


 熟女未亡人女将。

 ちょっとポンコツ女板前。

 働き者の女中。

 子連れの未婚女性。

 

 それらが勤める旅籠の、男手兼用心棒として雇われる権利の奪い合いである。

 忍びを斡旋するだけあって不真面目な勤務態度などを取ると甚八丸が制裁にやってくる危険などもあるが、江戸でうだつの上がらない暮らしをしている忍びの男衆にとってはまさに春画設定の舞台に参加せんばかりの魅力であった。

 一部の職が安定している忍び以外は皆が立候補し、二十人の忍びによる戦いになっていた。

 雑草モブ暮らしから一転、エロゲの主人公になれるのだから誰もが真剣だ。甚八丸も頭を抱える。


「ええぇぇい待てぇぇい! いいか落ち着けてめぇぇら! 前は真面目で親思い遊女、今度は未婚女の集う宿と九郎のやつは次々に春画案件な話を紹介してきた!」

「そうだ! 今度こそ俺の番だ!」

「その女独り占め野郎! ありがとうございます!」


 女を囲って細長く縛る生活をしていると評判の九郎は独身男性のヘイトを稼ぎやすいが、それからの紹介だからこそ彼らは信頼している。

 甚八丸は低い声で誘うように、争う皆に教えた。


「つぅまぁりぃぃ……今後もあるかもしれねえってことだ」


 びくん、と忍びらの背筋が震えた。


「違う属性の女! 違う状況の出会い! あの好色天狗がこれからもてめえらに様々な春画案件を紹介してくるってわけよ!!」

「本当ですか頭領!!」

「なんてこった……それじゃあ神様じゃないか」

「天狗様だ!」


 まったく九郎はそんな約束をしていないのだが、勝手に断言された。


「わかったか! 今回を逃しても次がある……そう思って一旦冷静になり、今回送り込む者を選出する。わかったな!」


 こうして。

 もっと自分の理想のシチュエーションがあるのではないかと思う忍びを除いて人数を絞り、どうにか伊勢原に送る男を決めるのであった。



 お柚と晴太、それに護衛として忍びの男を旅装にして送り出し、今回の事件はひとまず収まった。


 だが、それ以来九郎は──妙にギラついた、期待されている目で何人かから見られることになるのであった。






石燕「で、十年後どうなのだね九郎くん!! この石燕から逃げられると思うのかね!!」

九郎「お主を生き返らせたのは己れのようなものだしのう。知らぬでは済まないことだろう。お主が望むのならば、死ぬまで面倒を見るよ。子供も……努力はしよう」

石燕「? ??? !?!?」

せきえんは こんらんしている!



将翁「ところで九郎殿、その狐面」

九郎「ああ。伊勢原で顔を隠すために買ったのだがな。どうだ?似合うか」

将翁「合意ってことですよね」

九郎「何がだ」

将翁「九郎殿に努力されたら、あたしは一体何回気をやるやら」

九郎「何がだ」

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