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101話『大名の料理番』

「どうして己れにそれを頼むのだ」


 口から相手に説明を望む言葉を吐きながらも、九郎は非常に面倒で聞く気が失せていく思いであった。

 目の前の武士──今回の助屋の依頼者である──は二つ返事で了解を得られると思っていたので、改めて言葉を選んでいる。

 九郎は外をちらりと窓から見る。

 薄曇りで日が照らずに涼し気な散歩日和だ。

 こういう日は石燕と隅田川の葉桜でも見に行くに限る。

 そこの近くでは大山詣りに向かう男達が水垢離をする垢離場があり、卒塔婆のような木太刀を持ったまま念仏を唱えているのがよく見れた。

 石燕はその念仏にハモって邪魔をするのが得意で、冷やかして遊ぶことがあった。

 その後は舟にでも乗って涼みに出るのもいいかもしれない。

 酒と、煮物屋で重箱に煮染めを詰めて貰えば十分だ。船頭に適当に流して貰いながら夕涼みをしてのんびりと過ごそう。

 たまには自分が石燕に奢ってあげるのもいいかもしれない。石燕から貰った小遣いで石燕に奢ろう。これぞ円環の理……!

 

「よし、じゃあ出かけるか石燕」


 現実逃避を行動に移す。

 目の前の武士に問い返したのに答えを待たぬうちに立ち上がろうとする九郎を、石燕が引っ張って止めた。


「まあ待ちたまえ。なかなか大きな依頼ではないか! 九郎くんの名も売れるというものだよこれは」

「己れの専門ではないからのう……」


 ちらり、と相手の武士を見る。

 黒いかみしもを着て二本を差した立派な侍であるが、色々と江戸で見かける侍に比べて違和感は拭えない。

 まず裃の裏地が赤と紫の鮮やかな模様になっているのがちらちら見える。江戸では禁止されている豪華な衣装を隠しつつも隠せていない。

 腰帯にはリッチな銀煙管を粋に差して、金箔を散りばめた扇子を手に持っていた。

 その侍に付き従い、店の外に居る従者なども頭に手拭いを巻いているが、それがまた紫だとかそんなレアでアレな色である。

 

「はい、お茶が入ったの」


 と、お房が客の分の茶と菓子を持ってきた。茶菓子は九郎の公案した、わらび餅クリームぜんざいである。スガキヤに売ってるあれだ。

 何せこの客が依頼で座敷に上がるなり、「茶と一番高いものを」などという変な注文をしたので、おやつに取っておいたわらび餅と冷蔵保存してある石燕作のクリーム、そして羊羹を崩して作らせたものであった。

 指示を出しただけで、お房とタマはあれこれと見た目を整えて小鉢につくり上げるのはさすがと云えよう。自分たちの分も作ったようだが。

 

「ふむ、これは中々珍しいな……! これを」


 渡された侍は気取らない動きで財布から一分銀を取り出してお房に与えた。

 ぴゃっとお房の表情が明るくなる。物珍しい菓子を出した分もあるだろうが、現代で言うと茶と菓子に一万円出されたようなものだ。スガキヤなら野球チーム全員がラーメンとご飯とデザートが食べられる価格である。

 彼女はひそひそと九郎に話しかける。


「九郎。お金持ちよお金持ち。依頼を受けてなるたけ手間暇掛けて勿体ぶってお金を多く取るのよ」

「発想が守銭奴すぎるだろう」


 苦々しく応えながら、逃げるとお房に怒られそうなので仕方なく座った。

 わらび餅クリームぜんざいに木匙を入れて、侍は口にすると突然目頭を押さえて仰け反った。

 

「どうしたのだろう」

「わらび餅の食感、クリームのねっとりとした味わい、餡の甘味が組み合わさった時に未体験の者は脳をやられるのだよ」

「脳を!?」


 直接的な表現に思わず聞き返した。


「甘味というのは時に凶器だからね。九郎くん、こういう話がある。今から百年近く前、オランダ東インド会社が台湾を支配していた頃だ──台湾には凶暴な原住民が居てね、敵対されて困っていたオランダ人は、原住民に持ち込んだ、米粉を混ぜた甘いクリームを大量に与えたのだ」

「ほう。甘さは国境を越えて戦いを収め──」

「初めて食べるクリームの脂成分と強烈に舌に残る甘味は麻薬のようだっただろう。そしてある日、二つに分かれていた原住民の片方にしか与えなかった。それの奪い合いが発生して原住民同士が戦うようになり、オランダは被害を最小限に押さえて原住民に内乱を起こさせ続けて台湾に拠点を作ったという……」

「えげつないなそれ」


 顔を歪めた九郎であったが、石燕は不敵に笑いながら眼鏡を押さえて、


「ふふふ……勿論真っ赤な嘘伝説だ! だって台湾って砂糖黍さとうきびがあるから甘いものが欲しければそれを食べるよね痛っ」

「何のために嘘をついたのだ、何のために」

「……九郎くんに尊敬の目で見られたくて──ああっ冷たい目で見てくる! 見捨てないでくれたまえ!」

 

 石燕の額を軽く指で弾く頃には、客人は甘さの極地から帰ってきているようだった。

 

「この味──まさに他に食べられない江戸で最も贅沢の美味──はっまさかこれを蕎麦の上に載せたり!?」

「するか。どこの名古屋だ」


 かの中京の名物は、パスタに甘いクリームだったような朧気な記憶もあるが、まあ似たようなものだろう。

 九郎が想像するだけで胸やけをさせると、相手は咳払いをして名乗った。


「さて、話を一から戻しますに──拙者は尾張藩、名古屋城から来た御台所頭、鈴木下渡佐衛門すずき・げどざえもんと申す」

「名古屋からの人だった!」


 思わず二人でツッコミを入れた。

 だが気にせずに下渡佐衛門は話を続けた。


「九郎殿に要請するのは、最初に申した通り我が尾張藩大名が所望している蕎麦を作って貰いたいと云うことです」

「ううむ」


 最初に言われたのは、大名に蕎麦を作って欲しいというだけであり、どこの、とは聞いていないのだ。

 しかし尾張藩と云うと大大名どころか、徳川御三家の一角、尾張徳川家の領地である。名門どころか将軍家の家系だ。

 こんな江戸の流行っているのかいないのかわからない、ぱっとしない蕎麦屋に頼むような仕事ではない。

 下渡佐衛門は九郎の戸惑う表情に応えるように、つらつらと話を始めた。


「現在の我が尾張藩の殿は一昨年亡くなられた徳川継友様の弟君、徳川宗春様にあられます。殿は大層に豪放な御方で、地味より派手を望み、お祭り騒ぎが好きであり、規制緩和をもって民を豊かにするというお考えの素晴らしい殿でありますが……上様とは非常に相性がよくなくて」

「まあ、倹約に節制、規制と号令をして天下を治めることを理念としている吉宗公と真逆ではあるね」

 

 石燕が訳知り顔で頷いた。

 そしてぺらぺらと、余り侍などが喋りにくいことを解説する。


「と、云うかこの対立は元々宗春公の兄、継友公の代からだからね。もっと遡れば将軍候補になった更に兄の吉通公も関わるけれど、まあそれは置いておき。

 七代将軍が危篤に陥り、江戸の徳川家に跡継ぎが居ない。そこで徳川御三家が集められたわけだが、ここで将軍位を望んでいた継友公ではなく吉宗公が天下を取った。 

 妙にその御三家が集まる際に不手際が連発して江戸の町人にも呆れられるような具合が外からわかり、それが外された原因とも……これには紀州藩の妨害工作があったとまことしやかに語られているとか」

「ちょっと、静かに! そんなことを外で語り出さんでくだされ!」


 慌てて下渡佐衛門が石燕の話を止めた。

 現将軍が妨害をして尾張のライバルを邪魔し、将軍位を奪ったなどと尾張藩の者が誰かと喋っているのが見つかれば非常にまずい。


「ご、ごほん。ともかく、現尾張藩主の宗春様は倹約が大のお嫌い。天下は辛気臭くなるし、町人はしょぼくれる。そこで藩主になってソッコーで尾張藩のみ、前藩主の行った規制や倹約令の殆どを無効化しました。

 更に幕府に許しなくで尾張藩ならば遊女街の許可をどんどん出すし、芝居小屋を幾ら作っても良いとお触れを出したぐらいです。祭りになれば城内に神輿や踊りを順番に招き入れて褒美金を渡すぐらい気前もよく大評判!」

「うわあ反体制的だね。他の藩なら一発でお取り潰しだよ」

「それによって大阪京都から遊女は来るし、役者は来る。侍どころか町人らも羽振りよく遊びまわっていて江戸より賑やかなぐらいでして」

「凄まじい領地経営だな……」


 スケールのデカさというか、御三家という立場を活かしてか悪用してか、まったく幕府の方針に従わないどころか、逆を向く尾張藩である。


 この一時期は江戸時代のスーパー名古屋タイムとでも云うべき時で、他の藩が節約して着物も地味にしているのに、ここでは皆が派手派手しい衣類を好み、遊女街も大量にできて農民ですら時には通うほどだったという。

 吉宗と真逆の方針を行く尾張藩主宗春の理念は、当人が遺した──というか藩主になって即作らせた上に幕府にも送りつけてきた[温知政要]と云う文書でもわかる。

 新手の耳障りの良い啓発本かと思うぐらいの内容が二十一箇条載ってあるので、その概要だけでも調べると吉宗の渋面が浮かぶようだが、そのうちの七条目からして、


『すべて人には好き嫌いのあること也、衣服食物をはじめ、物好きそれぞれに替る也、しかるを我好む事をば人にも好ませ、我嫌なる事をば人にも嫌わせる様に仕なすは、はなはだせわしき事にて、人の上たる者、別してあるまじき事也』


 人間皆好き嫌いがある。着るものや食べるものの好みはそれぞれ違う。それなのに自分の好みや嫌いばかり押し付けるのは、上に立つ将軍としてあるまじき事である。

 と、云う内容を節約将軍に当てつけるように書いている。

 逆張りして批判している天爵堂みたいなことを徳川御三家が云っているのだから、これは大変なことである。

 他にも遊女街や芝居小屋を作ったことに関しては、規制ばかりしていると抑圧された皆が不貞を働いたりするだろうから遊び場を用意してやれば、かえってストレスから開放されて武芸学問に力がはいるものだとも述べていた。

 自由すぎる藩主である。


 話を下渡佐衛門の依頼に戻そう。


「それで宗春様は、昨年江戸の市中で蕎麦の買い占めを一介の商人が行い、それを捨てた事件に関して上様がお叱りを浴びせ、飢饉に備え蕎麦も大事にするようにとお触れを出したことについてですが……」


 米将軍とあだ名のつく徳川吉宗であるが、幾つかの出来事によりこの江戸世界では享保の飢饉が起こるより先んじて、米主体の作物から芋や蕎麦なども江戸近郊に栽培させている。


「宗春様は『公方様の質素っぷりではろくな蕎麦も食ったことが無いのによく云う、いや、蕎麦自体将軍は食べれないのか? 可哀想に』と何故かわざわざ煽る方向に盛り上がりまして」

「本当になぜだ」

「多分思いつきでしょう……ちなみに宗春様は何でも食べます。それで、江戸で一番豪華で珍味で誰も食べたことのない蕎麦を食って自慢しようとか言い出しまして」

「ほう」

「あちこちに声を掛けた結果、珍奇な蕎麦ならこの緑のむじな亭、そこのお助け人九郎殿が詳しいと……」

「おのれ」

「身から出た錆みたいな高評判だね」


 ただでさえ売れない蕎麦屋を立てなおして、他の蕎麦屋からも変わり種蕎麦を出す時は偵察が来ている程だ。

 凝ったものを作っているわけではないが、まだ当時の蕎麦屋は安くて早くて腹を膨らまし、脚気に利く気がするという方向性での流行をしているので、店間の競争開発などは行われず、天ぷら蕎麦ぐらいの種物しか、あまり流行らなかった。

 そこをどんどん入れ替えで新しい商品を出しているのだから、注目されるのも当然である。

 本格的に店が流行ったりしないのは常連客があまり人を呼ばないようにしているというか、むしろ悪評まで撒いて客入りを減らし自分が行く時に混まないようにしようと云う者も居るぐらいである。現代でもネットで飯屋を評価できるサイトなどでは同じ理由で悪評をつけるものも少なくない。

  

「というわけで是非、九郎殿に豪華で珍しい蕎麦を作って貰いたいのです」

「ううむ、しかしお主、御台所頭といったが、そんなにへりくだらんでも」


 やけに頭を下げてくる武士に九郎がいたたまれず云う。

 だが相手はけろりとしていて、


「なあに、二百石取りの大層な身分でも無いですし、非公式な場ですので。それに尾張では大身の武士でも商人町人らと関わり合いを持つのは珍しくも」

「ううむ……」

「無論、見事な蕎麦を作り上げて殿を満足させられれば褒美が与えられます。断ったり、満足のいかない出来でも罪には問われますまい。殿はそういうつまらないことで罪罰をつけるのを嫌います故に……しかしここは是非!」


 土下座でもしてきそうな下渡佐衛門に、九郎は閉口して腕を組み溜め息をついた。

 ここまでこの家臣が行動をするのも、宗春の人望からか。

 無碍に断るのも悪い気がするというのが一分ほど。残りは断るとお房に叱られて、それは少々バツが悪いという理由で九郎は、


「わかった、やってみよう」


 と、承諾するのであった。





 *****





 下渡佐衛門が帰った後で、九郎は石燕と向かい合いながら互いに意見を出し合った。

 大名に出す蕎麦。

 そんな大層なことを云われて、すぐには青写真は浮かんでこなかったのである。

 

「なんとも妙な話になったのう」

「大名御用達ね……達人が厳選された蕎麦粉と水を使って打った最高品質のものは、一部の蕎麦の名産地などでは大名に収められているそうだ。福井藩の越前蕎麦などが有名だね」

「しかし派手好きで物珍しい、誰も食べたことのない蕎麦を所望の徳川宗春はそういうのを求めているのとは違うと思うのう」

「そうだね。何せ天下の徳川家だ。格下である大名が食べている蕎麦などありがたがりもしないだろう」


 石燕は半紙を取り出して筆でさらさらと[尾張藩主用蕎麦要点]と書き出した。


「まずは一点。[この日本で恐らくまだ誰も食べたことが無い蕎麦]」

「ううむ、あまり蕎麦事情には詳しくないが……」

「となると、やはり九郎くんの知識から作られる未来の料理と云うことになるね。そうするともう一点。[江戸で手に入る材料で作れること]」

「そうだな。今まさに、徳川宗春は江戸に来ているらしいので作らねばならんのだから、材料集めに手間取ってはいかん」


 下渡佐衛門から聞いた話だと、今は領地から江戸にやってきて赤坂にある尾張藩の屋敷に居るらしいのだが、それもまた自由自在に過ごしているらしい。

 屋敷に芸人、踊り子を通して部下共々宴会騒ぎは毎日のことで、お忍びで少数の供だけ付けてあちこち観光に出回っていたりしている。

 とても尾張六十一万九千五百石の大大名とは思えぬ奔放さだ。


「他にはあんまりに下卑た料理だと困るから[ある程度の格式がある]といいかもしれないね。どこそこの国から伝わったとか解説を入れると興味をもたれやすい。あまりに突拍子のない品目だと、説明に困る」

「まあ……珍しいからと云ってカレー南蛮を出すのもなあ。見た目が悪いし」


 作れるかどうかはともあれ、条件を加えて頭に入れた。


「そして大事なのは、[名古屋人である徳川宗春の舌に合う]ということだよ。不味ければ評価されないのは当然だけれども」

「ふうむ、名古屋人のう……蕎麦の上に……いちごクリームを……いや、あれは絶対合わぬ……」


 難しげに考える。名古屋人の好みの味ってどんな風だっただろうか。


「味噌系……甘味系……いや、味が濃いのが好みなのか?」

「ふむ、確かにあの辺り出身の武将でも料理の味が濃い方が好みだった、的な逸話があるね。尻に焼き味噌を隠していたウンコ殿とか」

「家康のことをウンコって呼ぶのやめてやれよ」


 一応弁護する。そもそもそのウンコ殿の子孫に料理を出すのだからあんまりなことだろう。

 石燕の解説は続く。


「醤油は独特のたまり醤油文化があり、味噌は旨味の濃い豆味噌を熟成させたものを昔から好んでいたのだそうだ。つまり東北系の塩辛さではなく、濃縮された旨味を好む気風があると思われるよ。だからハマると他の地方の料理が薄味に思えるのだ」

「ふーむ……一部特化方向に味好みがあったりするのだのう」


 そしてそれらの情報を纏めて再度見直す。


・派手系の見た目の蕎麦(麺類)。

・この時代では食べられていなかった。

・材料的に作れる。

・どういう国や地域の料理かわかりやすくて、解説ができる。

・名古屋人好み。


 それらを九郎は記憶に残る様々な料理に当てはめていく。下手な創作をするよりは、未来に存在したものを再現したほうがわかりやすいだろう。

 結果、手を打って大きく頷いた。


「名古屋名物[台湾ラーメンアメリカン]を作ろう」

「属性が一切噛みあわない名前だね……」


 台湾ラーメンアメリカンとは。

 名古屋発祥のラーメンの一種である。台湾生まれではないし、勿論アメリカ生まれでもない。

 つまり名古屋人が作るインディアン(インド風)スパゲティとか、スパゲティミラネーゼ(ミラノ風)とかと同じタイプの名古屋めしである。


「名古屋発祥の名物料理を未来から輸入すれば、それなりに舌に合う可能性も高くなるだろう」

「さすがだね九郎くん! 知能指数が高い!」

「褒めるな。それにあれはニンニクと唐辛子の刺激があり、薄味で勝負するよりはパンチが効いている」

「さすがだね九郎くん! 略してさすくろ!」

「……褒められてる気がせぬのう。まあ、材料も肉以外は手に入りやすいだろう。集めに行くか」


 同じく麺料理である、それこそインディアン蕎麦や蕎麦ミラネーゼでも良かったのだが前者はカレー粉、後者はトマト餡かけと中々初見者には抵抗感があるものだ。食べると案外美味いのだが。

 九郎は座敷から下りて、石燕に手を伸ばす。

 

「ほれ、行くぞ」

「あ、う、うん」

「初期費用を貰わなかったからお主に(預けていた金で)買ってもらわねばならんしのう」

「勿論だよ!」

「この仕事が成功して儲けたら、己れの金で美味いものでも食いに行こう」

「ふふふ、楽しみだね」

 

 そんな二人が店から出て行くのを、わらび餅クリームぜんざいを食べながらお房とタマは見送り、呟く。


「兄さんがちゃんと自分の預けたお金で買い物をするはずなのに、なんでこう不健全な金銭関係に見えるんだろう」

「風評被害一つで先生を喜ばせられるなら、九郎は気にしない振りもできるのよ」

「そういうものタマか」

「うん。あれで、寂しがりやなんだから、一緒に遊びに行く口実にもなるから本人もそう悪い気はしてないんじゃないかしら」

「……お房ちゃん、見てるなあ兄さんを」


 感心しながら、タマは見送るお房の顔を見てぜんざいと混ぜたクリームを舐めた。

 甘くて溜め息が出る味であった。



 

 *****




 台湾ラーメンアメリカン。

 食べたことのない人にとっては名前に惑わされるかもしれないが、意外にシンプルなラーメンである。

 醤油ラーメンベーススープを、ニンニク・ニラ・葱・唐辛子・挽き肉を炒めた具に混ぜたものだ。ベーススープはシンプルながら、強力な個性を持つ仏門お断り素材の五種を油で炒めることにより、名古屋人好みの旨味が増したスープに変貌する。

 名古屋在住の台湾人料理人が二十世紀に作ったのが起源であるが、九郎のパクリによりこの十八世紀に生み出されようとしていた。

 なおアメリカン要素は、アメリカンコーヒーと同じような意味で、辛さ薄目という種類のことである。名古屋は激辛ラーメンも様々に出している。

 

「しかし九郎くん、君の話では食べたのは随分昔ではないのかね? よく覚えていたね」


 石燕は野菜屋で、質の良い根深ねぎを選んで籠に取りながら九郎にそう尋ねた。

 彼の話は沢山聞いているが、異世界に居た時期が長いので少なくとも日本でその料理を食べたのは七十年近く前のことのはずだ。

 試しに思い出してみて欲しい。七十年前に食べた物の味を。読者の方も殆ど思い出せないのではないだろうか。


「ああ、いやな、魔王のところに居候していた時に、あやつは暇だから侍女に色んな料理を作らせていたのだ。そこで名古屋料理も出てのう」

「なるほど」

「何度頼んでも何度頼んでも白米と味噌汁だけは己れへの嫌がらせで作らせんかった……おのれ魔王め……」

「憎しみに心が囚われている!」


 嫌がらせというか、勿体ぶったまま出す機会を逸しただけなのだが。

 ヨグは駆け引きをすると引けなくなってミスることがあるのだ。

 

「とにかく、蕎麦ということだから麺は蕎麦にしておこう」

「らぁめんに使う麺よりこしが無い気がするけれど」

「大丈夫だ。名古屋の麺料理はもとよりあまりコシを重視しておらぬ気がする。きしめんとか」


 そう言い切って材料を集める。野菜類は比較的簡単に手に入るのであったが。

 問題は挽き肉と、ラーメンスープの動物系素材である。

 豚腿の塩漬けをうまく塩抜きして使えないかと、途中で日本橋の薩摩[鹿屋]に寄ったのだが、


「丁度今、豚の塩漬けを切らしておりまして……」

「うまかなァァァァァ!!」

「あのさつまもんが食い掛けているものが最後で……取り上げるのならば、その、九郎殿が」

「いや、いい」


 さすがに食いかけのを使うわけにもいかずに、手に入らなかった。

 醤油ラーメンスープの材料は、鳥ガラと豚骨、生姜に葱を煮て、魚系として煮干しなどを入れる。

 とりあえずそちらから揃えようと石燕と共に晃之介の道場へ向かった。 

 一番手に入れるのが面倒そうな豚骨の代用がそこにある。手早く、石燕を背中に載せて空を移動する。


「九郎くん! もっと落ちないようにガシっと持ってくれないかね! お願いだから!」

「むう……こう、お主の両脇の下を持ってぶらーんと運ぶのが一番楽なのだが」

「怖いよ!」

「手を後ろに回してお主の尻を載せ続けるのも怠いのだが」

「頑張ってくれたまえ!」

 

 と、飛行形態には互いに希望があるようだったが。

 ともあれ道場の裏にある納屋。鼠返しを備えたそこは、晃之介が狩ってきた肉の貯蔵庫でもある。

 

「生憎と丁度肉は切らしていてな。弟子にはやはり肉で力を付けて貰いたいから食わせるとすぐに無くなる。しかし、この前の骨だろう?」

「そうか……まあ、骨はもらっていく」


 きつく蓋を締めた壺の中には濃い塩水が入っていて、その中に出汁に使えそうな部位の猪骨を保存していたのである。

 塩水に付けたのは保存の為だ。実際に豚骨を醤油に漬け込んで保存しているラーメン屋も存在するが、醤油は高価なので代用である。

 これが出汁に使える。

 骨を持って再び空を飛んで戻っていくと、途中で川沿いにやけに白い物体が居るのが見えた。

 目を引くそこへ向かって着地すると、罠に鶴が掛かっているようだ。


「また鶴か。というかこの季節どうなっておるのだ。冬鳥だろ、鶴って」

「この前も晃之介くんが見つけていたからね。時々居るんだよ、ずぼらで渡らなかったり、渡った先で戻ってこなかったり。留鶴って云うのだが」

「ふむ……しかし罠か。こんなところに……」


 九郎は忍者頭領である甚八丸から、若い忍者が自作自演で動物などに罠を仕掛けては開放して恩を売り美少女に化けてこないかと試している、という現代ならば猟奇的サイコパス事件になりそうな話を聞いていた。

 明らかに狩猟地ではないここの罠もそうだろう。

 鶴が羽を広げて鳴いている。


「仕方ない……この鶴はラーメンの材料にするか」

「君も相当即物的だね」


 甲高い声で鳴く鶴であった。恩返しがしたかったら東北の山とかでやって欲しい。

 

「しかし罠を仕掛けたやつも哀れというか、ある意味迷惑というか……」

「見たまえ九郎くん。そこに丁度お地蔵があるよ。鶴の代わりに地蔵菩薩でも罠に引っ掛けておけば、ご利益も大きいのではないかね?」

「おお、そうだ」


 二人は鶴を捕まえて、持ってきた地蔵を代わりにくくり罠を引っ掛けておいた。

 罰当たりではあるが、食材ゲットである。


「挽き肉は鶴肉で代用するかのう。豚肉のほうが旨味が出たのだが……」

「鶴の方が将軍も食す肉だから喜ばれるかもしれないよ」

「そうか。そうだのう。ま、とにかく、準備を考えると料理を作るのは明日になりそうだ」

 




 ******




 翌日は朝からスープ作りの準備をした。


 鶴は首の根元を切り逆さにして放血する。

 十分に血を抜いたら羽をある程度手でむしり、丸ごと短時間茹でて皮の毛穴をふやかしてより丁寧にむしる。

 その後炎熱符で表面を軽く炙って、残った毛を焼ききる。

 長い足は足首のあたりを切って綺麗に洗う。

 そして爪を剥ぎとってから出汁にする。爪の間には泥や雑菌が溜まっていることがあるので念を入れる。

 肉は主に胸肉を使うために剥ぎ取る。これをミンチに叩いて具にするのだが、鶴は大きな羽を動かすために胸の筋肉が発達して結構な量が取れた。鳥は獣の肉のように熟成させなくても食べられるので処理が楽だ。


 内臓は後で酒のつまみにするのでとっておき、うっすらと肉の残った鶴のガラを一旦茹でて、煮こぼす。最初は泡のようにあくが出てきて使いものにならない。鶴を煮たときのあくはかなり強いらしい。

 以前にラーメン作りをする際に購入した大鍋が役に立った。

 猪骨と鶴ガラを煮込み、湧き出るあくを取り除く。このじっと鍋の前で待つ作業は面倒臭い。鶴の仲間、夕鶴に小遣いを握らせてやらせた。彼女は鶴の頭を煮た餌を使って、犬の明石から先輩札を奪えたので機嫌が良かった。

 

「ふんふんであります~♪」


 ざっと二刻(四時間ほど)は煮込んで、次は葱や生姜などの野菜を入れて更に二刻。

 その間に煮干しと昆布、鰹節を使った魚介出汁は別の鍋で作っておく。


「しかしこの汁は普通の店では薪代が嵩むだろうねえ」

「まったくだ」


 ごうごうと燃える九郎の術符は飲食関係に便利である。

 夕鶴は次第に汗びっしょりになり、脱水症状を起こして倒れたので、風呂場に連れて行って脱がしてぬるま湯を張った浴槽に漬けておいた。

 最後に猪骨鶴ガラ出汁と魚介昆布出汁を混ぜあわせるとベーススープの完成である。

 

 タレは以前にむじな亭で使っている蕎麦の返しで十分だったのでそれを使う。

 昆布鰹節を醤油で煮込んで砂糖酒みりんを加えたシンプルなものだ。

 

 麺はお雪に打って貰ったのを用意した。

 予め尾張藩の屋敷にはこの日の昼ごろに完成すると伝えたら、宗春の昼食にすると云われた。

 仕上げだけを残してスープを入れた鍋と具材を持ち、赤坂の屋敷へ向かう。

 大大名で御三家だけあって、立派な屋敷である。いかに現在の藩主が放蕩者とはいえ、代々使う屋敷は格式高く、荘厳ですらあった。

 ただ、表門から明らかに町人が出入りしている。

 門番も完全に素通りさせていた。思わず九郎が出てきた一人が、江戸で見かける様々な仕事を転々としている朝蔵という男だったので声を掛けた。


「あー、お主。ここは尾張藩のお屋敷だよな?」

「へい? あっ九郎の若旦那! ええ、そりゃあもう」

「お主はなんの用で入っていったのだ?」

「川辺で捕まえたうずらを売りに来たんでさ」

「鶉?」

「ああ、鶉は武士の間で鳴き声を競わせる遊びが流行っていてね……いや、大名屋敷に勤めている連中の間では知らないけれど」


 石燕の言葉に、九郎は改めて屋敷を眺めた。

 それ以外にも果物売りから貸本屋、草履直しに大道芸人と様々な町人が屋敷に入っては出てきている。

 宗春の方針で、屋敷の中で休憩時間に歌や楽器を鳴らしたり、商人と取り引きをしたりするのを許可しているので尾張藩の藩士に様々な物を売ろうと人が集まってきているのだった。

 なお、この宗春が居る間は表門の門限も無く、夜中でも出入りが出来たという。

 

「自由過ぎるのう」

「凄いね。天下御免というか、そりゃ吉宗公も怒るはずだ」

「まあ、町人は喜ぶが」

 

 言い合いながら、一応招かれているので門番に話しかけると、話を通しているようですんなりと案内された。  

 途中で鈴木下渡佐衛門に出迎えられ、仕上げの為に台所を借りる。


「鉄鍋を借りるぞ」

「そうだ、九郎殿。材料は何人分ありますか?」

「む? まあ、五人分と云ったところか。よくわからなかったのでな」

「では三人前お願いします。昼食はまだで?」

「うむ」

「殿が、せっかく馳走を作ってくれるのだから、食事を共にすると申しておりますので、九郎殿と、石燕殿の分も作ってくだされ」

「……かたっ苦しい作法は苦手というか、知らんぞ己れ」

「ははは、大丈夫ですよ。作法など面倒だから、知らない相手に強要するなって本人が」

「随分と気さくなんだね。こうチャラい印象が湧いてきたよ」

「……」


 何故か意味深そうに頷く下渡佐衛門であった。

 そして二人で仕上げを行う。鍋に敷いた胡麻油を熱して、細かく刻んだニンニクと唐辛子を入れて熱する。

 油に香りと辛味を移す程度に熱したら葱を入れる。同じく、葱からも油に味が溶ける。ニンニクと唐辛子と胡麻と葱の香ばしい匂いが漂ってきた。

 それに鶴肉のミンチを入れて火を通す。鶴肉は独特の臭みがあるが、この多種の香りが混ざった油でそれは消える。割烹着を喪服の上から着るという奇妙な格好をした石燕が木の杓文字で丁寧に炒めた。


(地味に似合っておるな)


 九郎は思いながらも、


「出汁をいれるぞ」


 と、持ってきた鍋からスープを炒めたそれに注ぐ。

 これに蕎麦の返しを混ぜて味の濃さを調整すれば出来上がりだ。アメリカンじゃない、台湾ラーメンはこの時点で更に追い唐辛子を入れるが、今回はいいだろう。

 茹でた蕎麦と、さっと湯を通したニラ。野菜はほんの僅かな時間だけ湯をくぐらせることで、生よりも食感がよくなる。中華麺よりもぶつぶつと切れやすい蕎麦であることも、辛い麺類を食べるときはすするより噛み切りやすくて利点がある。

 それに肉と唐辛子油で赤茶色に見えるスープを注げば台湾蕎麦アメリカンの完成である。




「よし、これを持っていけばいいのだな」

「はい、こちらになります。殿がお待ちです」

 

 九郎と石燕、下渡佐衛門はそれぞれ膳を持つと食事の広間へと向かった。

 涼しい風を取り入れる為だろうか。江戸の屋敷では埃を嫌って夏場でも襖を閉めているところは多いのだが、この屋敷はあちこちが開いている。

 その中でも一室。

 襖から、うっすらと煙が立ち上る部屋があった。


「なんだ? あの煙は……」


 訝しみながら、下渡佐衛門についてその部屋に入ると。

 広々としたまさに大大名程の格がある大広間の、上座に肘をついて寝転がっている大男に目を奪われた。

 寝てはいるが、身の丈は六尺(180cm)を越える巨漢だろう。まだ三十代の男盛りで、着物の上から大柄の体格にふさわしい分厚い肉付きが見える。それは決して肥満ではなく、或いは鍛えたのでもない。生きているだけで勝手につく強者の筋肉──!

 着物は大名らしくなく白練りの着流しの上から、紅色緋縮緬の括り染めをしたド派手な装束を着ている。首は太く顔は涼しげだが厳つく、眉は濃い。男前の戦国武将のようであった。

 特筆すべきはその口元に吸口があるが、持っている煙管である。なんと記録によるとその大きさ二間(3.6メートル)。巨大な先端を茶坊主が支えていた。

 世紀末から来たようなキャラの濃い男である。


「ふぅ───」


 一般人の数倍はありそうな量の呼気を、煙ごと肺から吐き出して部屋に舞う。

 彼がぐい、と煙管を持ち上げると、天井近くまで先端が上がり、それを逆さまにして、鐘をつくような音を鳴らし──囲炉裏かと思うような巨大な煙草盆に中の灰を叩いて捨てたではないか。

 思わず石燕が九郎に尋ねた。


「九郎くん。なにあれ敵の大幹部とかそういうの?」

「敵かは知らんが、徳川の大幹部ではあるのう……」

 

 尾張藩藩主、徳川宗春である。

 彼は野太い声をあげながら起き上がり、広間の中央に歩いて座った。


「お前らが珍しくて豪華な蕎麦を作ってきてくれた職人か。入れ入れ。そして座れ」

  

 言葉の内容は評判通り、軽いものであったが。

 九郎と石燕は小姓に案内されて、は広間の真ん中で宗春と三角形を描くように座らせられた。

 そして膳がそれぞれの前に置かれる。運んだ小姓の顔つきは、見たことのない毒々しい色合いをした器をかなり怪しんでいるようだったが。

 宗春は目の前に置かれたそれを見て、「ほう!」と声を出す。


「下手に豪華だと云って、伊勢海老や鯛でも乗っかった蕎麦を持ってきたらがっかりしたところだが……確かにこいつは珍しい」

「あー、解説を?」

「いや、待て。先入観を無くしてだな──」


 宗春は柏手を打つようにしてから箸を取り、器をがっしと掴んで持ち上げて、箸を突っ込み蕎麦をずるずると勢い良くすすり込んだ。


「ああっそうしては辛さで咽るのでは……!?」


 石燕が心配そうに云うが、一掴みの蕎麦を飲み込んだ後は、ぐいとその台湾蕎麦の汁を飲み込む。

 恐らく江戸の町人が飲めば咳き込んで吹き出しそうな辛味とニンニクのエナジーがあるそれを呑んで、


「ぷふう……いい仕事してるねえ、あんたら」


 にやりと笑って、宗春は二人を見るのであった。

 麺は硬すぎず柔らかすぎず。この時代の出汁文化からすれば、何倍も濃厚に材料を混ぜて作ったスープに、更にパワーの入るような仏教で禁じられている五葷を混ぜ込み、唐辛子の刺激を加えたものだ。適度なこってり感が鶴肉から滲み出て、


「遠慮せずに食え。下渡佐衛門は……ああ、お前は痔持ちだったからやめたのか」

「と、殿!」

「さすがに痔持ちに辛いものは勧めねえから安心しろ」


 促されたので、九郎と石燕もそれぞれ自分の作った台湾蕎麦アメリカンを食べた。

 

「これは美味い」

「そうだね。何とも言えない美味さが溢れ出すようだ」

「それにこのふわっとしたアレ。まさに言葉にしがたいだろう」

「つゆのしょっぱいこれ具合も丁度いい感じに美味い」

「じわーっとくる感じだな」

「辛さもまた美味いんだこれが」


「あんたら揃って全く中身の無い感想を云うなあ!?」


 宗春も混ざって食べながらそんなことを云っていると、御台所頭の下渡佐衛門から突っ込みが入った。

 彼はぶつぶつと、


「こっちが食べられないからってわざと味の印象をぼかしてるんじゃ……」

 

 などと卑屈に云うのであった。

 

「で、これはなんて名前の、どこの蕎麦なんだ? 確かに珍しいが、日本中のどこの藩の特徴とも違う」


 そう宗春から説明を求められたので、九郎はちらりと目線をやると石燕が任されたとばかりに咳払いをした。

 特に打ち合わせはしていないが。


「お殿様。これは[台湾蕎麦アメリカン]という名前で、海外の料理を混ぜたものです」

「台湾? ……台湾ってどこだ?」

「台湾と云うのは中国大陸の沿岸、琉球より南西にある島で元はオランダが支配していましたが撤退。現在は清国が再征服しました。ただ清は満州から来た騎馬民族で海が非常に苦手。なので台湾の占領支配にはあまり康煕帝も力を入れていないといいます。

 というわけでこの台湾蕎麦が作られたのは清が制圧する前、明国の海軍司令だった鄭氏一族が支配していた頃に生まれた料理です。

 台湾をオランダから奪い取ったのは康煕帝こうきていも一目置く、南明に従った忠義の海賊・鄭成功ていせいこう。彼の母親は平戸出身の日本人で、蕎麦を彼に教えました。そこから鄭氏が台湾を支配していた二十数年の間に食べられていたのが台湾蕎麦ですね。

 挽き肉は騎馬民族の文化なので、憎き清を食いとってやろうという意識から蕎麦に挽き肉を入れ、そして僅かな領地でも五行の加護を得られるように五葷を入れたのです。仏教では禁止されてますが、鄭氏はチベットの僧に清と戦う支援を頼んでいたのを反故にされたので恨みがあったのでしょう」

「ほう」


 ペラペラと舌を回してそれらしい嘘を並べ立てる石燕である。

 その顔には確かな自信──というか、当然のことを述べているだけという雰囲気があり、実に嘘つきである。


(あいつ設定語りだすと早口になるよな)

 

 そう思いながら、知っている内容で嘘を語っているので突っ込みも入れたかったが我慢した。

 違うから。

 この台湾ラーメン、名古屋発祥だから。ごめん未来の名古屋の人。

 彼女のご高説は続く。


「そして[あめりかん]とはこの唐辛子。これが日ノ本で使われだしたのは二百年近く昔でありますが実はこれ、日本の遙か東にある[あめりか]と云う大陸から更に東回りでぐるりとやってきたものでありまして。

 アメリカから伝わった唐辛子を使っているからアメリカンとそういうわけで御座います」


(物は言いようだな)


 石燕の嘘解釈に九郎が頷いた。


「既に滅んだ台湾の鄭氏が作った台湾蕎麦に、海の果てのアメリカの食材を使った[台湾蕎麦アメリカン]と、まさにここでしか食べられない料理になっております」

「ふむ、よくやった! 褒美を取らせよう!」


 壮大な世界を身振り手振りで表現して、いっぱいの丼を誇張した価値に語った石燕に満足がいったように、宗春は大笑しながら小姓に箱を持ってこさせて、中の切り餅を二人の前に出させた。

 切り餅とはつまり、一定量の小判の束なのだが。

 それが三つ。

 三百両の褒美である。

 日本円にざっと換算して、台湾ラーメンアメリカンが一杯2400万円で売れたことになる。

 思わず九郎は吹き出した。唐辛子が気管に入ったように咽る。


「こ、これは貰いすぎなのでは……一つでいい、一つで!」

「ああんっ!? 俺は倹約という言葉が大嫌でぇきれぇなんだ! 金の文句を俺につけるな!」


 返そうとすると逆に怒られる始末である。

 石燕がとりなすように手で押さえながら、


「ではこうしたらどうだろうか、お殿様。この台湾蕎麦は先程説明した通り、清に滅ぼされた勢力が作っていた料理でもうあの国では作られていない。

 そこでだ、九郎くんに渡すお金のうち、二百両を資本に誰か料理人を使って尾張内に台湾蕎麦を作る店を出しては? 材料と作り方を図説した紙を献上しよう。

 中々これは手間がかかるし、贅沢品だからね。江戸では店は出せないから、伝統を継いでいけるのは名古屋を於いて他にはあるまい」

「なるほど。藩主の俺が食えて、領民が食えねえってのは道理じゃねえな。よし、そうする。そのほうが皆喜ぶだろうよ」

 

 そうして、石燕の提案を呑んで九郎にはひとまず百両の報酬となった。

 単に減っただけで、九郎には何の得もしていないと思うかもしれないが──


(不相応な大金は、厄介事を招く)


 と、九郎自身の体験ではないが、これまで生きてきて様々な人間を見てきた知識でそう思ったのである。

 とにかく、これで名古屋に台湾蕎麦の店が出るというなんとも珍妙な歴史が発生してしまった。

 そうしていると、慌ただしく広間に家来がやって来た。


「殿! 幕府より使者が参っております」

「おお、通せ」

「ええ!? 今ここで飯食べてましたよね!? っていうか関係者以外も居ますよね!?」

「俺が構わんと云っている」


 ごり押しする宗春である。


「あれだね。当人は豪放なんだけど部下は苦労するよね」

「だよなあ」


 そうして広間にやって来た二人組は青色の裃を着た侍だ。

 さすがに居心地が悪いので部屋の隅に移動して目立たないようにしている九郎と石燕である。

 宗春は再び巨大煙管を吹かし初めて、入ってきた二人の幕臣をちらりと見て呼ぶ。


「おう。確か滝川元長と、石川政朝──吉宗の側近だな?」

「宗春公! 我らは正式な上使として、上様の言葉を届けに参ったのである」


 居住まいを正せ、と言外に告げると、露骨に宗春は機嫌が悪くなったようだ。


「早く用事を告げろ。俺のお行儀を正しに来たわけじゃないだろう?」

「詰問状にはそれも含まれている!」

 

 元長が厳しく言い渡し、吉宗から宗春への普段の態度への詰問状を読み上げた。


「一つ。江戸で誰にはばかることなく、物味遊山に出歩いていること。

 一つ。嫡子の旗幟の儀式を江戸城で行っていないのに、町人らに祭りとして騒がせたこと。

 一つ。贅沢、放蕩が過ぎること。

 これらに対して申開きをしていただく!」


 言い渡すと、宗春は再び大量の煙を吐いた。

 幕府の使者も思わず咳き込み、苦しんでいる時に彼はにやりと笑って言い渡す。


「確かにそのお咎めに一切の間違いはなく、間違いはこれから謹んで行こうと思う──だが」


 がん、と巨大煙管を囲炉裏に叩きつける。使者らはびくりと背筋を伸ばして、宗春を見た。

 

「まず一つ目。江戸で出歩いていたことに関して。誰にはばかることが無いのは、俺が誰にも迷惑を掛けないように出かけているからである。この江戸で物乞いの一人でも俺に蹴り飛ばされ、迷惑をしたという者が居るならば連れて来い。そして全ての大名にも、江戸にいる間は一切出歩くなと言い渡すのだな。

 次に二つ目。これはうちの領民達が俺の息子の誕生日を祝ってくれただけだ。どこの法律に、息子の誕生会を開くのに幕府の許可が必要とあるんだ? お前ら、武家諸法度はちゃんと読んでるか? 俺は改訂される前のも全て精読しているが、そんな記述はどこにもない。

 三つ目。なるほど、倹約将軍からすれば俺は確かに金を使っているように見えるようだが──そもそも上に立つ者が、下から税を吸い上げてそれを溜め込めばそのうち下のものは自分が使う金も無くなるだろう。上の者が下に金を還元するには、それこそ俺のように放蕩でもしなければいけないのだから民の為を思えば倹約などより使うのがいいに決まってる。名古屋に来てみろ、皆幸せそうに馬鹿してるぞ───」


 幕府の使者相手に、論破に掛かっている宗春を置いて。

 そっと九郎と石燕はその場を出ていき、非常に面倒くさいまつりごとに巻き込まれないようにするのであった。

 出入り自由の屋敷を後にして、帰路につきながら。


「あれは絶対幕府の方針と合わないのう」

「一理はあるんだけれどね。自分の金遣いが荒いのを正当化しているあたり、ただの放蕩ではなくて的確に幕府に嫌がらせをしつつ、改革を試しているというか……」

「倹約も倹約で利点はあるのだがのう」

「うん。領民を富ますのも、国庫を潤すのも大事なのだよ。ちなみに宗春公になってから前の藩主まで黒字だったのに、一気に浪費で年間四万両ぐらい赤字になっているらしい」

「駄目だろそれ」

「まあね」


 享保の頃に居た面白藩主、徳川宗春。

 彼の奇行や反体制政策は、吉宗の政治への反発なのか、自分なりの領地を富ます政策を断固実行したのか、単に性格からか。その評価は人によって違うという。

 結局後に吉宗がキレて隠居を申し付けるまで、尾張藩の赤字は続くのではあったが。



「さて──金も手に入ったし、美味いものでも食おうか」

「何がいいかね? 九郎くんの稼いだお金だからね、君の好きなものを選ぶといい」

「ううむ、では最近食ってないのだが……」

「なんだね?」

「石燕の手料理でも頼むか。お主は普段作らぬものぐさだが、実に己れ好みの味付けを──いや、そんなに照れることだったか?」

「か、顔を覗きこまないでくれたまえ!」



 













 ******







 江戸には様々な忍びが普段は町人に化けて暮らしている。

 そのうちの一人、男の名を願寺と云う。

 東本願寺近くに住んでいるから適当にそう名乗っている独身の忍びは、その日もうだつがあがらない生活をしていたのだが。


「あーなんで俺の罠にお地蔵様が掛かってたんだろ。戻しておいたけど……はあ、獣がかかって美少女になって嫁に来ないかな~」


 そうぼやいているのは罠の取り扱いに才能のある忍びの一人であった。

 江戸で人の通らぬ森や川辺に罠を仕掛けて、鳥獣が掛かっていては自分に恩返しに来ることを望み放すという自作自演野郎である。

 と──夜にそろそろ眠るか、と思っていると長屋の戸が叩かれた。


「はーい……?」


 返事をしたが、入ってこない。

 不審に思って戸を開けると───


「うわああああ!?」


 そこには。

 地蔵が佇んでいた。

 動かないはずの地蔵が、引きずった後もなく彼の部屋の前に来たのである。

 恐怖に心臓が早鐘を打ち、思わず念仏を唱える。


「南無阿弥陀仏! も、戻しに行かないと……」


 とてもじゃないが、部屋の前に謎の地蔵がある状況で眠れるとは思えなかった。

 幸いそう離れた場所ではない。彼は地蔵を背負うと、忍者筋力で慌てて元の置かれていた場所へ戻しに行くのであった。

 背中の地蔵が徐々に重くなるようで、恐ろしかった。


 夜が更けて彼は再び長屋に戻ってきた。


「はあ、はあ……疲れたそして怖かった……小便して眠らないと、漏らしそうだ」


 長屋の厠へ向かい、盛り土がされた壁に向かって放尿をする。

 そうしていると恐怖も徐々に薄れてきた。小便を終え、褌の中に逸物を戻し、振り向くと───


「ぎゃああああ!?」


 再び。

 地蔵が、彼の背後にあった。

 天地の感覚が薄れる程に恐ろしかった。舌を飲み込み窒息死しそうだ。

 それでも願寺を突き動かしたのは恐慌からか、忍者としての覚悟か。

 地蔵を再び担いで今度は近くの堀に投げ捨ててしまったのである。


「こ、こうすれば戻ってこないよな……俺を驚かした、お地蔵様が悪いんだから恨まないでくれよ……」

 

 そして、部屋に戻って今度こそ寝ようと布団を被った。

 悪い夢だったのだと思って、明日は地蔵に団子でも上げに行こう。そう決めたのだが。


 ぴちゃり。


 と、頬に水滴がついた。

 天井から降ってきたらしい。雨漏りか、と彼は目を開けて暗い中で凝らす。

 すると、天井の一部が割れて。

 堀から今上がってきたように濡れた地蔵の頭が、目を願寺に向けるように屋根を壊して覗いていた。


「────!!」


 今度こそ目を回して願寺は気絶し、ついでに大便を漏らした。

 翌朝には、壊れた屋根も無く──尻に違和感のみが残ったが。

 願寺はお地蔵様にお供え物をして、二度と動物を傷つける罠をみだりに仕掛けないことを誓うのであった……。









徳川宗春くんの温知政要

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E7%9F%A5%E6%94%BF%E8%A6%81


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